第六話 PMは龍の案件を検収する
開かれた門の先、広大な空間に足を踏み入れた瞬間、空気が突然重くなった。
何も見えないのに凄まじい加重が全身を襲い、俺は思わず足を止める。
横を見ると、フネも同じように立ち止まって目を細めていた。
ウォォォォォン……と、地の底から響くような重低音が、フロア内に断続的に響き渡っている。唸り声にも聞こえるが、その声音が生物であるなら様々な感情を孕んでいるように聞こえた。憤怒、悲哀、焦燥――敵意。
「オサム様、フネ様、前方から熱源反応!」
ピットが全身の毛を逆立て、珍しく音量を上げて叫んだ。
同時に目の前の闇が真っ赤に染まり、激しい熱線が俺たちを襲う。
「こんのぉおお!」
反応できず棒立ちの俺の目の前に、フネが躍り出て両の掌を前方にかざした。
見えない壁に炎が衝突し、余波の熱が空間を焦がす。
寸暇を置いて、パリンと何かが砕けた音が響き渡った。
「ちょっとちょっと、私のシールド一瞬で破壊されちゃったんだけど!?」
フネが少しチリチリになった髪を振り乱して喚く。その様子を見る限り、まだ余裕はありそうだ。
「ピット、今のは?」
「高出力の火炎ブレスと推測します。龍種が得意とする広範囲攻撃ですが、フネ様のシールドを一撃で破壊したところを見ると、かなりの上位種からの攻撃です」
問いかけに、ピットはまだ毛をぴんと逆立てたまま回答を返す。
追撃はないが、このまま進んでいいものだろうか。
俺が思案していると、フロア中に大音量の低い声が響き渡った。
『驚いたな、侵入者よ。我が息吹を退けるとは』
声には感嘆の色が混じってる。
『だが、今のは警告として出力を落としたものだ。次も果たして防げるかな?』
「なによ、なによ!!えっらそーに。姿も見せずに卑怯よ、ひきょうもの!」
『ひ、ひきょ……?』
フネが喚き散らす言葉に、深遠で重厚な声音が一瞬たじろきをみせた。
鼻息荒く、フネは暗闇の先に対して身構えている。
『…………』
しばらくの間、空間に沈黙が訪れた。時間にすれば一分にも満たない――それは本当に唐突に、目の前に姿を現す。足音もなにもなく、最初からそこに存在していたかのような出現ぶりだ。
フネが、口をぽっかりと開けて阿呆の子みたいにゆっくりとそれを見上げる。
俺も同様に、わずかに顔を上げた。
目の前に聳え立ったのは、軽く見積もっても二三十メートルは超える山のような巨体。濡れた漆黒の鱗に全身を覆われ、黄金色に輝く双眸は神々しい。鋭く、一本一本が精巧な刀を思わせる鋭爪と、口腔から覗く煌めく牙を備えた咢が、その巨体の威容を形作っていた。
現実世界でここまで巨大で、ここまで美しい生物は見たことがない。
「龍って、みんなこうなのか?」
俺は少し震える声で、気持ちを落ち着かせるためにピットに尋ねた。
「このサイズの龍種の情報は、データベース上でも伝説級で、ほぼ情報が存在しません」
ピットの回答は、いつもより頼りない。
『……我は卑怯ではないので、姿を現したぞ。改めて問おう。貴様たちは何が目的でここへきたのだ』
眼前の龍が大きな咢口から、言葉を発した。
ただの言葉が、凄まじい風圧で俺たちの体を打ち付ける。吹き飛びそうになる体を必死にこらえながら、俺は口を開いた。
「俺たちは、ギルドの依頼でここに来ただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
『ほう?ただのダンジョン攻略ということか?では、我がダンジョンのボスである。我を倒してみるがよい』
口角を少し吊り上げ、巨龍は相貌を細める。
倒せるわけなかろう、という心の声が聞こえてきそうだ。
確かにこんな巨大な生物を倒すすべは、俺は持ち合わせていない。
「倒す倒さないは置いておいて……あんた、何か困っているんじゃないか?」
隣でやる気満々に剣を構え始めたフネを片手で制しながら、俺はなるべく落ち着き払った口調で、頭上の龍に語りかけた。
『……』
龍は俺の言葉に、微かに首をもたげる。瞳の揺らめきは、明確に高い知性を示していた。
『あんた、ではない。我は最古の龍種が一柱、ロゴスだ』
「ロゴちゃんで良いの?」
なぜか即座に反応するフネ。なぜ黙ってられないのか。
『ロ……ゴちゃん?』
最古の龍――ロゴスは、今度は明確に嫌そうな顔をした。なかなか表情に富んだその姿は、魔物というよりは別種の知的生命体なのだろう。
「フネ、話が進まない。少し黙っててくれ」
俺はこめかみを押さえながら、溜息を吐く。そして敵意がないことを示すため、両手を広げながらロゴスに歩み寄った。
「ロゴスさん。あんたのダンジョン。様子がおかしいのは気付いているな?」
リストに存在しなかったり、不自然に強化されていた魔物の数々。
そして門扉に本来嵌められていたはずの、恐らくこの龍の魔力を中継する装置を何者かが故意に逆向きに改造し、各階層に設置していた。
何を目的としていたかは、今のところ皆目見当つかないが、それは少なくともこの眼前の聡明そうな龍の、意図しないところなのは推測がついた。
『……なるほど。少しは話が分かる者のようだ』
ロゴスは近づく俺の顔を見下ろしながら、まるで考えを読んだかのように小さく頷くと、瞳をすっと閉じる。それから、囁くような声量で何かを呟いた。
途端、眩い光の奔流が漆黒の龍の全身を包み込む。
あまりの光量に、俺もフネも思わず目を閉じた。
次に目を開けると、巨大な龍の姿は跡形もなく掻き消え、現れたのは精悍な顔つきの金髪碧眼の大男だった。
筋骨隆々とした逞しい体躯に、仕立ての良い黒い衣装で身を包んだ姿。
「これなら、話しやすいだろう」
大男は俺に向かってにやりと笑みを浮かべると、ついて来いと首を動かし、さっさとフロアの奥へ歩き始める。
俺は慌ててその後を追い、フネとピットも後を続いた。
連れてこられた場所には、意匠を凝らした豪華なテーブルと椅子が、剝き出しの岩の上に並べられている。
「まぁ、座れ」
大男はそう言うと、自身は一際大きい椅子を引いて、腰を落とした。
「えっと……ロゴちゃんなの?」
フネは立ち尽くしたまま、大男に向かって疑問を投げかける。
「……まぁ、そうだが。ロゴちゃんはやめろ、人間の女」
苦虫を嚙み潰した顔で、辟易とした表情を浮かべる大男は、どうやら先ほどの龍らしい。
(龍種ってのは、人間に変身できるのか?)
(そのようなデータは存在していません。ナレッジ不足で申し訳ないです)
「面白い生き物を飼っているな。精神感応を使えるネズミとは、なかなかに珍しい」
腕を組んで俺とピットを交互に見つめながら、人型になったロゴスは口角を上げて口を開いた。どうやら俺たちの脳内の会話は筒抜けらしい。
「こいつは俺のターミナルデバイスのUIで、自立型ナビゲーターのピットだ……と言っても、伝わらないかもしれないが」
俺は手前の椅子に腰を下ろしながら、肩に飛び乗ったピットを紹介した。
この世界の者には聞き慣れないはずの単語にも、ロゴスは興味を示して、ピットを値踏みするように見据える。それから理解したように、口を開いた。
「お前たちは、異世界人だな」
「あったりー。ロゴちゃん、なんで分かったの?」
得意気に言い当てたロゴスに、フネが素直な感嘆を送る。
もうロゴちゃん呼びを諫めるのは諦めたのか、彼は金髪をくしゃくしゃと掻き毟ると、俺たちにまずはどういう経緯でここまで来たのかを尋ねた。
俺は簡単に簡潔に、これまでの経緯を説明する。
説明には分かり易いように、ピットのAR機能を用いて、パワーポイントに纏めた資料をテーブル上に表示させ、ポインターを活用しながらおこなった。
異世界転生。
中年の男女。
元いた世界の大枠の概要。
ギルドに加入し、依頼を受けてからここまでの道程。
ピットのメモリに記憶、蓄積させた情報も交えて、次々に開示する。
一通り説明を終えると、ロゴスはARで表示された資料に指をかけながら、感心したように何度も頷いてみせた。
「なるほど。凄まじく分かり易い説明だ。PMというのは、皆そうなのか?」
「説明責任がある立場だからな。プレゼンは基本のスキルだよ」
俺は褒められて少し照れ臭くなり、わざとぶっきらぼうに返した。
ちなみに、フネは説明の途中でテーブルに突っ伏して夢の世界へ旅立っている。シエスタは仕事の能率を上げる効果があるというが、彼女の場合はただ単に話に飽いたのだろう。
「それにしても……」
ロゴスはテーブルの上に並べられた、魔物から回収した宝石を摘まみながら、怒気を孕んだ低い声を漏らす。
「我の巣穴を荒らすだけでなく、配下の魔物にまで不正を働くとは。しかもどうやら、魔力の伝搬を阻害されていたとはな。舐められたものだ」
憤りのためか、歯ぎしりするロゴスに、俺は冷静に提案した。
「まだ犯人の証跡は完全ではないけど、俺もこの世界で人並みに生活するために、違法なガリバー企業を放置するつもりはない。そのためにも、まずはこの滞留している依頼書の案件を俺たちの実績にしたい。ロゴス、ダンジョン攻略の証みたいなものをもらえないか?」
俺の提案に、ロゴスは少し考えてから、背中から何かを取り出して俺の手に握らせた。
手の中には、漆黒の艶やかな鱗が一枚、鈍い光を放っている。
「ダンジョン攻略は、ギルドにそれを提出すれば十分だろう。俺はお前を信じる。何せ我のゲートを難なく通過してきたのだからな」
ロゴスは大きな手の平で俺の肩を叩くと、不敵に笑った。
後から聞いた話だと、あの巨大な門扉は、元々ロゴスが設定した人格を持つもの以外を通過させない認証システムを施していたらしい。俺が初めに感じた、セキュリティゲートのような感覚はあながち間違ってはいなかったようだ。
「では、我はお前が修復してくれたルートに則って、魔力伝搬を再度構築しなければならないので、この辺で失礼する。何かあれば、その鱗に語り掛けてくれれば、いつでも応じよう」
ロゴスは椅子から立ち上がると、それだけ言い放ってフロアのさらに最奥へと消えていった。
こうして俺とフネは、意外なほど呆気なく『古龍の遺跡』のダンジョンを踏破したのだった。そしてこれが、『深紅の鷹』との確執の第一歩となる。
相変わらずも鈍行列車
気長にお楽しみいただけると幸いです




