2章 潜入の鎖 2
(金山駅前喫茶店・午後1時、事情聴取)
金山のアスナル金山のパーキングにアクアブルーの車を滑り込ませ、エンジンを切る。
雨が窓を叩き、ワイパーの音が静寂を破る。
玲奈が指定した古い喫茶店へ向かう。
彼女の好きな場所らしいが、ここは玲奈の管轄外のはず。彼女は、中警察署の管轄だった記憶がよぎる。
あれ? この駅って、中区と熱田区の境界線上だったかなと、頭を整理しながら濡れたアスファルトを歩く。
傘を忘れたことを後悔し、軽い雨ぐらいだから、そのまま濡れながら現場に向かった。
銀髪が濡れて頬に張り付き、赤い瞳が周囲を警戒する。
路地を曲がると、ゴミ箱からネズミが飛び出し、心臓が一瞬跳ねる。
濡れた靴音が反響し、遠くでタクシーのクラクションが鳴る。
喫茶店の古びた看板が視界に入る。
ガラス戸を開けると、煙草の匂いと濃いコーヒーの苦味が鼻を突く。
店内は昭和の時間が止まったような雰囲気で、木製のテーブルには無数の傷が刻まれ、壁には黄ばんだポスターが剥がれかけている。
懐古趣味が意外と好きなんだよなぁ、玲奈の性格を思い出しながら苦笑する。
カウンターではマスターが無言でカップを磨き、時折咳払いする音が響く。
埃っぽい空気が喉を刺激し、窓ガラスには雨粒が無数に流れ落ちる。
古いラジオからノイズ混じりの音楽が流れ、時折ビートが途切れる。
窓際の席で、玲奈が待っている。黒のスーツに長い黒髪をポニーテールにまとめ、凶悪と言っていいほどの胸のラインが目立つ。同じ女として、あれは反則だと思う。
鋭い目で新聞を広げ、刑事のプロフェッショナルな仮面を被っている。
普段は母性本能抜群ののほほんとした女子だが、30手前で「女子」と呼ぶのが適切か迷う。
彼女の視線が私に注がれ、新聞がそっと畳まれる。
スーツの袖口から覗く腕時計がチクタクと動き、時間の重圧を感じる。
「綾、座りなさい。コーヒー頼んだわ」と玲奈が低く言う。
私は軽い挨拶を済ませ、言われた通り座る。
ブラックのコーヒーがテーブルに置かれ、湯気が立ち上る。
玲奈の視線が私の銀髪と赤い瞳をじっと捉え、鋭さが[[rb:滲む > にじむ]]。
お客は私たちだけ。
昼前なのに、マスターが閉店の看板を出し、厨房に引っ込む。
喫茶店での事情聴取って、私ぐらいだよなぁと自嘲しつつ、書類上は私の家での予定だったのを思い出す。
公私混同だよなぁ、いいのかこれでと内心でつぶやく。
窓の外では雨が強まり、街灯の光が歪む。
「安田俊介、喉を掻き切られて死んでたわ。
現場の状況から、プロの仕事。
財布にあなたの紫微探偵事務所の名刺が一枚だけ。
依頼人だったんでしょ?」と玲奈が切り出す。
私は冷静に頷き、詳細をぼかす。
「人探しの依頼よ。
安田さんの娘さんで雑賀舞、16歳の家出少女。
苗字が違うのは、安田さんが離婚した元夫で、娘の行方を心配してた」と答える。
声が少し震え、昨夜の安田の震える声が耳に蘇る。
電話のノイズがまだ頭に残り、胸が締め付けられる。
あの時、私が警護に行けば助かったのかと不意に頭をよぎったのだが、
人生にはもしはありえない、あるのなら違う人生を送ってたはずだ。
コーヒーを一口飲み、苦味が喉を刺激する。
玲奈の指がテーブルの縁を叩く。刑事の癖だ。
「家出? ドン横キッズ絡みでしょ。そして池田公園で違法なQRコードの貼り紙も聴いてる
警察も情報持ってるわ。あなた、深入りしたんでしょう? 綾は容姿が目立つから」と鋭く追及する。
鋭いなぁ。
玲奈の情報網は侮れない。内外からの情報を駆使してるんだろう。
30歳前で警部補に昇進した優秀さは伊達じゃない。
彼女のノートに走り書きされた文字や図形がチラリと見え、情報収集の細やかさに驚く。
あれは、マインドマップだったと思う。
たしか図形などをつかって、思考を視覚化する方法だったと思いだした。
「依頼人の娘を探すのが仕事なのはわかる?
本当にそれだけ? キッズの間で噂のバイト募集等の件も含んでるんじゃない?
今日池田公園で聞き込みしたら、笹原と揉めてるっていう話も聞いたわよ」玲奈が遮る。
「あれは仲介なのかな?
私だって自分の分はわきまえてるし、意味なく[[rb:噛み > かみ]]つかないって」
私はそう説明するけど、彼女の目は容赦ない。
テーブルに置かれたスプーンが微かに震え、私の緊張を映す。
彼女のポニーテールが揺れ、緊張が伝染するようだ。
「綾、貴女はあの事件で、無茶する癖がある。
もしかしてあの組織の残党が動いてる可能性が高い。
安田の殺しは多分警告よ。
去年私と再会した時の事件で少し貴女有名になったしね
昨夜の騒ぎが組織に嗅ぎつけられた証拠かも。
警察に任せなさい」と玲奈が諭す。
私は10年前ある事件で保護されたのだが、自分を鍛えるべくそこを出たんだよね
そして去年探偵になってある事件で玲奈と再会した。
それが結構大きい事件になって、私も結構暴れたから多少は名が売れてしまったわけだ
その時に笹原さんとも出会ったんだっけ
一瞬、彼女の目が柔らかくなる。
事情聴取の名目だけど、やはり心配なんだろう。
「あなたがまた深淵に落ちたら、私が…。あの時のあなたを思い出すと、胸が締め付けられる」
玲奈は、声のトーンが下がって言ってきた。
10年前のコンテナの暗闇がフラッシュバックし、鎖の冷たさが足首に蘇る。
冷や汗が背中を伝い、手がコーヒーカップを握り潰しそうになる。
言葉を飲み込む。割り切りの関係のはずなのに、玲奈の前では鎧が外れる。
「玲奈、あなたも法の限界知ってるでしょ。警察が動いても、組織は潜るだけ。それに裏の情報だけど、警察の癒着もあるって噂があるよ」と反論する。
彼女は立ち上がり、私の隣に座る。
手がテーブルの下で膝にそっと触れ、唇が近づく。
「バカね。心配よ。割り切りの域を超えてるわ、私。10年前、あなたが壊れそうだった時、私がそばにいたでしょ」と囁く。
キスは短く、コーヒーの苦味が混じる。
だが、彼女の言葉に私の弱さが揺らぎ、涙がこぼれそうになる。
彼女の息が頬に当たり、暖かさが心を揺さぶる。
玲奈は刑事ノートを取り出し、声を低くする。
「安田の死は、組織の警告ね。QRコードの生成源、今池だっていう話ね。
ダークウェブ経由のボット生成、追跡不能設計。
警察のサイバー班も動き出したけど、時間かかるわ。」
私は驚く。
警察もそこまで嗅ぎつけてるのか。
「それを教えてくれるという事は、私の行動をある程度黙認するの?
玲奈の立場が危うい。癒着の噂もあるでしょ」と問う。
彼女が苦笑いした。
「だからあなたみたいなのが必要なの。
法の外側で動ける人。情報共有するわ。無茶はだめよ。
もしかしたら娘さんを探す過程で、安田は何かを得たからかもしれない。
貴女のせいじゃないわ」
玲奈は私の名刺を返してくれた。
「事情聴取はこれで終わり。でも、次はベッドで事情聴取よ」と冗談めかす。
刑事の仮面が外れ、女の顔が覗く。
頬が熱くなり、店を出る。
雑居ビルの階段を上がり、安田の死が背中を押す。
雨が再び降り始め、足元が濡れる。
闇を暴く決意が胸を焼く。階段の手すりが冷たく、指先に染みる。
[newpage]
(金山 白波探偵事務所・午後2時)
玲奈の待ち合わせが金山で助かった。
そのまま次の目的地に行ける。
時間刻みで行動するのは大変だ。
白波凛の事務所は五階の鉄扉の向こう。
ノックすると、革ジャンの凛が開ける。
黒髪ショート、鋭い目。探偵仲間で、割り切りの関係の一人。
事務所内はトリプルモニターのモニターが並び、ハイテク技術で活動する。
私とは対照的な探偵でもある。
埃っぽい空気と革の匂いが混ざり、モニターの青い光が部屋を照らす。
デスクには散らかったケーブルと空のコーヒーカップが積まれ、彼女の忙しさが伺える。
相変わらず稼いでるなぁ、私の所は閑古鳥が鳴いてるのが多いからこういう所も反対だよなぁ
ふっと何か既視感があり、何か気づいた。
画面はどこかで見た景色だった。
数分前の玲奈とのキスシーンが映っている。
「綾、朝から殺人事件に巻き込まれてるっていうのに、お盛んな事で」と凛がニタニタしていた。
「のぞき見なんて趣味悪いなぁ」
私は少し楽しくないという感じで反論した。
「たまたま、私のアンテナにひっかかっただけ」と彼女は笑う。
モニターの録画がズームインされ、恥ずかしさが込み上げる。
録画のタイムスタンプが午後1時15分を示し、詳細な秒数まで記録されている。
「除き趣味があったなんて知らなかったよ」
赤面しながら言っても立場が悪くなると判断し、本題を繰り出す。
池田公園のQRコードの欠片と、千景、玲奈から聞いた情報を伝える。
凛も[[rb:揶揄う > からかう]]そぶりが消え、QRコードの欠片を渡す。
凛の指が高速でキーボードを叩く。
クリック音が部屋に響き、彼女の集中力が伝わる。
モニターにデータ解析のグラフが表示され、緑のラインが不規則に揺れる。
「位置追跡付きの罠だね。
全く厄介な事をしちゃって
OK-2は女の子を高級売春ルートに誘導する選抜コース。
ちなみにOK-1は男の子用の力仕事とか労働力に誘導するコース
OK-0は1も2もあてはまらない人たちだと思う
ただ0はこちらでも引っかからなかった
そして3時間で死ぬトークン設計は証拠隠滅用。
10年前の『深淵』組織がAIとダークウェブでデジタル進化したパターンだね」。
「こんな短時間でよくわかったね」
「そりゃそうでしょ、大半のデーターは送られてきたから、大須の情報屋からね」
「みんな仕事早いね」
画面に今池の地図と雑居ビルの設計図が表示される。
「偽QRを作る。
バックドア仕込んで、組織のサーバーに逆侵入。
こういうのは私が得意だしね、貴女は不得意だけどね」
コンピューターみたいなピコピコはよくわからない
最低限のメールとかネット検索など最低限出来ればいいし、
今現在うんうんと相槌は打って聴いてるけど、何でこれがQRコードのなるのか全く分からなかった。
「あの馬鹿正直な玲奈は信用できるが、癒着があるから警察は当てにならん。
早目にやったほうがいい。今夜潜入だな」と提案された。
設計図に赤いマーカーが引かれ、潜入ルートが浮かび上がる。
地図の隅には衛星画像の拡大が表示され、夜の闇が濃い。
衛生マーク?
もしかして衛生を勝手に使ってる?
見なかったことにしようと私はそう決めた
ふいに凛の目が私のトラウマを探るように見てきた。
その時は会ってもいないのに、知らないはずなのに、見透かされたように私の深淵を探るようにじっと私の目を見てきた。
深淵の残党か……。
「一人で突っ込むなよ。組織の動きが気になる」と肩に触れられる。
体が反応し、ソファでキスが始まる。
「ばっ、こんな時に」
革の匂いと彼女の強さが混ざり、服が落ち、ベッドで体を重ねる。
凛の指が背中を辿り、「お前は脆いな」と囁く。
どうしても力ではかなわない
10年前の鎖が幻で締まるが、凛の体温が溶かす。
ベッドの軋む音が部屋に響き、汗がシーツに染みる。彼女の革ジャンが床に落ち、部屋に静寂が戻る。
「なに仕事前から疲れさせるの?
ばかなの、あんたは?このけだもの」
「そんな小動物みたいにおびえてる感じだったから、緊張をほどいてやったんだろ!
安心しな、脳筋なお前と違うから、今回は私がカバーする」と事後、コーヒーを飲みながら計画を詰める。
「決行は今夜9時、今池潜入。クラブで情報引き出し行動する。
後ろはよろしくね」と私は凜に言った。
凛が頷き、「この事件を終わらせて、先ほどの続きを安心してやろう」と笑う。
コーヒーの湯気が顔を温め、緊張が少し和らぐ。カップを置く音がデスクに反響する。
「本当にそればっかね」
「ストレス解消と軽い運動にはそれが一番だしね」
( 準備午後4時~7時頃)
事務所を出て、雨が止んだ空を見上げる。
安田の死、舞の行方、10年前のトラウマが頭を巡る。
ただの家出捜索の話だったのに、面倒な事になりそう。
私は、櫻華流の「[[rb:静心 > せいしん]]」を試みるが、心が落ち着かない。
深呼吸を繰り返し、胸の鼓動を抑えようとする。
凛の言葉が脳裏に残る。深淵の残党が動くなら、舞はすでに危険かもしれない。
命は大丈夫なんだが、人生が終わってしまう可能性がある
ナイフを握り、刃の冷たさが手のひらを刺す。
指先が震え、10年前の鎖の感触が蘇る。
路地の風がコートを揺らし、寒気が背筋を走る。
事務所に戻り、凛と装備を点検。隠しカメラ、ワイヤー、偽QRを準備し、作戦を再確認する。
凛がモニターで衛星画像を拡大し、「新栄倉庫の裏口が狙い目」と指摘。
私の不安が彼女にバレている気がして、気まずさを感じるが、黙って頷く。
革のナイフホルスターを腰に装着し、ナイフの重さが安心感を与える。
モニターのファンが唸り、部屋に微かな振動が広がる。
夕方、千景から連絡が入る。
「新栄倉庫の衛星画像、動きあり。10人以上の熱源確認。罠の可能性大」と警告。
心拍数が上がり、汗が背中を伝う。
凛がモニターを操作し、ルートをシミュレーション。
「裏口から潜入、カメラを回避する」と指示。
千景の声がスピーカーから漏れた。
「綾、気をつけろ。10年前の傷が開く前に戻れ、命を大事に行動して、っここで失敗してもリカバリーは出来るから」と心配する。
だが、舞の顔が頭に浮かび、もう一人の私を生ませるわけにはいかないと頭によぎった。
そして私は決意がより一層強まった。
事務所を出た後、近くの公園で一息つく。
ベンチに座り、雨で濡れた木々を見ながら頭を整理する。
10年前の事件がフラッシュバックし、コンテナの暗闇で叫んだ自分の声が耳に響く。
あの時、鎖が足を締め付け、男たちの笑い声が止まなかった。
だが、今は違う。舞を救うため、過去を乗り越えるチャンスがある。
公園の池に雨粒が落ち、波紋が広がる。遠くで雨なのに、子供の笑い声が聞こえ、対照的な静寂が心を乱す。
6時、凛と連絡を取り合い、装備の最終確認を行う。彼女の声が無線から届いてきた。
「綾、冷静な判断をしろ、確かあんたの学んだ武術で大事な事だろ」と厳しく言ってきた。
ナイフを手に持つ練習を繰り返し、櫻華流の「[[rb:流転 > りゅうてん]]」をイメージ。
体の動きを滑らかにし、緊張を和らげる。
路地の街灯がチカチカし、影が不規則に揺れる。
冷たい風がコートを揺らし、戦いの予感が強まる。
夜7時、車で今池へ向かう。
ネオンが濡れた街を照らし、クラブの音楽が響く。
駐車場で身支度を整え、キャップとコートで顔を隠す。
別れる前に凛がイヤホンを渡し、「通信は私に任せろ」と言ってきた。
心の奥で10年前の鎖が軋む音が聞こえ、恐怖が蘇る。
だが、舞を救うため、歯を食いしばる。
車のエンジン音が遠のき、夜の静寂が重くのしかかる。
ナイフが太ももに冷たく触れ、緊張を高める。
雨が弱まり、ネオンの光がアスファルトに反射する。
車内のラジオからノイズが流れ、時折ニュースが途切れる。
凛の声が耳元から聞こえてくる。
「組織の動きが活発だ。衛星画像に新たな熱源が追加された」と報告。
心臓が早鐘を打ち、汗が掌に滲む。
「無線で千景と連携する。裏をかくぞ」と笑い声が聞こえてきた。
車の振動が体に伝わり、緊張がピークに達する。




