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【完】紫微綾の事件簿(百合×探偵×バイオレンス)  作者:
5章 解放

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逆転の招待状

 視界が、一瞬でゼロになった。

船尾の方から響いた地鳴りのような爆音。それが、この長く不快な地獄を終わらせるための合図だった。


 天井の豪華なシャンデリアが、断末魔のような火花を散らして不規則に点滅する。次の瞬間、重厚な闇がホール全体を飲み込み、耳を刺すような女たちの悲鳴と男たちの怒号が、逃げ場のないすり鉢状の会場を埋め尽くした。


 パニックが頂点に達し、誰もが隣にいる者の顔すら見失うこの刹那。

それは、私にとって何者にも邪魔されない、最高のステージとかした。

「……ふぅ」私は一度だけ深く息を吐き、闇の中に意識を研ぎ澄ませた。


 運び人としてこのステージに足を踏み入れた時から、会場のレイアウトはすべて脳内に刻んである。

柱の位置、ステージの高さ、客席の段差、そして警備員の配置。

暗闇の中でも、私の脳内には鮮明な三次元マップが広がっていた。

これ、めっちゃ修行の時苦労したんだよね。

何回お仕置きされたことやら…


 私は腰のベルトに指をかけ、灰皿を模した隠しボックスの蓋を親指で弾く。 「……踊ってもらうね」


 低い呟きとともに、四方八方へまきびしをぶちまけた。

無機質な大理石の床に、ジャラジャラと硬い金属音が幾重にも重なって転がる。

闇の中で、慌てて銃を抜こうとした警備員たちがそれをまともに踏み抜き、短い絶叫を上げた。


「ぎゃあぁっ!? なんだ、足が、足がっ!」


「動くな! 誰かライトを点けろ!」


 混乱はさらに深まり、暗闇は阿鼻叫喚の地獄絵図へと塗り替えられていく。

悲鳴が波のように連鎖し、会場の温度が恐怖で一気に跳ね上がった。


 同時に、私はジャケットの裏に忍ばせていたナイフの柄を掌に収めた。

舞のストレッチャーの横に立つ、あの下卑た運び人の位置は一ミリの狂いもなく把握している。

暗闇の中、奴が狼狽しながら腰の銃に手を伸ばそうとする気配が伝わってきた。

こんな暗闇の中で銃なんて危ないでしょ。全く。


 私は手首のスナップだけで、ナイフを放つ。

闇を裂いた刃は、標的の手首を正確に捉えた。

ザクッ、という肉を裂く鋭い音が耳障りな音と一緒に聞こえた。

銃が床に落ち、男は痛みに短い呻きを漏らして膝を折った。


 駆け寄る私の足音すら、混乱の波が完全に掻き消してくれる。

舞は、冷たい銀色のストレッチャーの上に、まるで『荷物』のように固定されていた。  

うっすらとした非常灯の赤い光に照らし出された舞の顔は、あまりにも白く、生気がなかった。

無理やり薬を打たれているのか、まだ意識は回復していない。

浅い息遣いを確認し、私は胸を撫で下ろした。


「舞、今助けるわ。もう大丈夫よ」


 私の声が届いているのかはわからない。  

けれど私は、舞の小さな体を締め付けていたストレッチャーの金属製ベルトを、力任せに、乱暴に引き剥がした。

バチンッ、と固定具が弾け飛ぶ音がして、ようやく彼女は自由になる。

私は、自分のジャケットをあの子の細い肩に被せた。

ストレッチャーの冷たい天板に触れていた肌は驚くほど冷えていて、指先が触れた瞬間、胸の奥がギュッと締めつけられる。


 私はそのぐったりとした体を、一気に背負い上げた。

背中に伝わる、小さく震えるような舞の体温。

それが、十年前の無力感を鮮烈に呼び起こす。

あの時は、あの人や葛城の親父さんたちが私を助けてくれた。

……今度は私が、守る番だ。

その重みを魂に刻み、一歩を踏み出した。

その時だった。パチパチと不快な音を立てて非常用電源が作動し、ホールに最悪の照明が蘇った。

思った以上に回復が早い。敵さんも仕事が早いなぁ……


「…………いたぞ! ステージの上だ! 運び人が一人、ガキを担いで逃げようとしている! 殺せ、構わん!」


 正面、二階席の影から銃を構えた警備員たちの銃口が、一斉に私へと向けられた。

復活した照明の下で、銃身の冷たい鋼が不気味に輝き、黒い銃口が私を睨みつける。引き金に指がかかる死の気配が、肌を針のように刺した。

私は迷わず、舞に着せたジャケットのポケットから小さな円筒を取り出した。

櫻華印の特製煙幕筒だ。

親指でピンを引き、奴らの足元へと力任せに叩きつける。


 ボフッ!

破裂音とともに、視界を真っ白に染め上げる濃密な煙が爆発的に広がった。

甘ったるい化学薬品の匂いが瞬時にホールを満たし、鼻腔を灼くように刺激する。煙は床から猛烈に立ち上り、天井まで這い上がって、照明をぼやけさせ、すべてを白濁した世界へと塗りつぶした。


「くそっ、何も見えん! 撃て、構わず撃て!」

「待て、商品は傷つけるなと言われているだろうが! 乱射するな!」

狼狽した怒鳴り声が、煙の向こうから響く。


 それ以上にVIPの人たちや味方にも当たるでしょうが少しは考えて行動しなさい。欲望しかない頭だから、そんな思考は持ち合わせてないか。


「くそっ、何も見えん! 撃て、構わず撃て!」


 混乱に耐えかねた誰かが、闇雲に引き金を引き絞った。  銃声が虚しく空間を裂き、放たれた弾丸は標的を見失ったまま壁や床に無駄に食い込み、激しい火花を散らす。


 その一瞬の閃光が、煙の向こう側を、切り裂くように照らし出した。


 二階のVIP席。豪華な金ピカの手すりの向こうで、慌てて席を立つ肥満体の男の影。

脂ぎった首筋が、弾丸の火花を受けてぬらぬらと下卑た光を放つのを、私の目は逃さなかった。

ボスを発見。 そこにいたのね。


 この煙を利用して、あそこに行くことに決めた。

ポケットから掴み出したコインの束を、会場のあちこちへ向かって投げ飛ばした。  チャリン、チャリン、チャリンチャリ。  


 硬い大理石を跳ねる金属音が、右から、左から、背後から。四方八方で重なり、こだまする。


 煙の中で、警備員たちがその音に釣られる。

「そこか!」

一人がコインの音に反応して虚空に引き金を引いた。その銃声がさらなるパニックを呼び、客たちの悲鳴が波のように連鎖する。


 転倒する体、ぶつかり合う影、煙に紛れた混乱が頂点に達し、会場は制御不能の地獄絵図へと変わった。

すべてが私の味方になっていた。


 私は舞を背負い直し、煙のカーテンを突き抜けて螺旋階段を駆け上がった。

薬のせいで意識を失った体は、ずっしりと重く感じられた。

けれどその重みは、私の心を強く引き締める。


  私が階段に足をかけたその時、大広間の扉が乱暴に跳ね飛ばされた。


「警察よ。無駄な抵抗はやめなさい!」  


 姿は見えないが、凛としたその声でわかる。玲奈だ。


『今、玲奈の部隊が船に入ったわ。無理だけはしないで』


『今、広間に入ってきたわ。玲奈の声が聞こえた。……それとボスを発見。追う』  インカム越しに凛へ短く告げ、私は階段を駆け上がった。


 一段飛ばしに、けれど確実に音を殺してVIP席の入り口に辿り着いた瞬間、奥の扉へ消えようとするボスの背中が視界に飛び込んできた。


「行かせないわよ」


 冷たく言い放つ私の前を塞ぐように、二人の護衛が立ち塞がった。

下のパニックなど意にも介さない、冷静で無機質なプロの動きだった。


 銃を抜く手が速い。照明に照らされた黒い銃口が、迷いなく私を捉える。

けれど、言葉を交わす暇も、引き金を引かせる余裕も与えない。


 私は舞を背負ったまま、最小限の予備動作でさらに深く膝を折った。

銃口が私の頭上をさまよった一瞬、右手に隠し持っていたナイフの柄を振るい、一人目の膝の皿を真横から鋭く叩く。


「……あがっ!?」


 膝の力が抜けて崩れ落ちる男のその肩を、私は踏み台にするようにして一気に地を蹴った。

二人目の護衛が冷徹に引き金に指をかけ、銃口が火を噴く、そのコンマ数秒前。  私は奴が照準を合わせるよりも速く、懐へと滑り込んだ。


 背中にのしかかる、舞のぐったりとした重みを感じる。

私はその質量を殺さず、逆に利用するように体を深く沈め、一気にバネを弾けさせた。

舞の体重をすべて乗せた、容赦のない掌の一撃が、二人目の顎を真下から突き上げる。

 ガクン、と首が跳ね上がり、脳を揺らされた男の意識が混濁した。  私は止まらずに、崩れ落ちる奴の頭部へ、そのままの体勢でかかと落としをくらわせた。

ドサリ。二人の護衛たちには、ふかふかの絨毯の上で眠りについてもらった。


人の重みなども武器に使う。

武器にできそうなものは何でも使わないとね。

そうじゃないと戦場では生きて帰ってこれないって言ってた。


 崩れ落ちる肉体を跨ぎ越し、私は扉の向こうへ逃げようとする男の方に向き直った。


「さてと。デートの誘いに来たわよ」


「……あの時の小娘が、ここまでやるとはな」


 私は、奴と三度目の対峙に至った。  

一度目は、ただの商品として。  

二度目は、捕まった獲物として。  

でも三度目の今度は、私が勝たせてもらう。


 その時、背負っていた舞がふわりと身じろぎし、意識を取り戻した。


「え、え……あ、あの、どなたですか? というか、どういう状態なんですか、これ!?」


 なんてタイミングが悪い。もう少し眠っていてほしかった。


「今、クライマックスだから。舞はそこで少し待っていて」


 私はボスの動きを鋭く牽制しながら、舞を安全な場所にそっと座らせた。

パーティーのクライマックスが始まった。

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