オークション会場へ
ガタゴトと、それまで全身の骨にまで不快に響いていたトラックの振動が、ふいに途絶えた。
急激に訪れた重苦しい静寂だった。
大型エンジンの低い唸りが完全に消え去ると、代わりに聞こえてきたのは、埠頭の岸壁に打ち寄せる重く湿った波の音と、荷台の外で忙しなく動き回るフォークリフトの鋭い金属音が聞こえてきた。
「おい、こっちだ! 一番奥のドックへ回せ! オークションの開始に遅れたら、ボスに海へ叩き込まれるぞ!」
乱暴な男の怒鳴り声が、薄い荷台の壁越しに、まるで汚水のように染み込んでくる。
私は制服の帽子のツバをさらに深く引き下げ、積み荷のストレッチャーが、舞たちが閉じ込められた『鉄の棺』のすぐ傍らで、影のように立ち尽くした。
ハッチが跳ね上げられると、夜の凍てつくような海風が、荷台に充満していた鎮静剤の甘ったるい死臭をかき消すように流れ込んできた。
埠頭の倉庫から、巨大な豪華客船の搬入口へと続くタラップが、眩い投光器に照らされ、獲物を飲み込む怪物の舌のように伸びている。
私は、自分ゆっくりと周囲を確認しながら進んだ。フォークリフトの爪が、アルミの床を削る嫌な音を立てて『棺』を掬い上げる。ガタガタと不安定に揺れるその振動を、私は自らの足首で吸収しながら、一歩、また一歩とタラップを踏みしめた。
周囲には、薄手の黒い作業服が汗で肌に張り付いた組織の男たちが数人確認できた。
船内から出てきたタキシード姿の警備員。彼らは、私を、疑うことなく船内へと受け入れた。
貨物用エレベーターの巨大な鉄の扉が、油の切れた音を立てて左右に閉まった。
四方を無機質な鋼鉄に囲まれた、わずか数畳の密閉空間。
私のすぐ左、肩が触れそうなほどの距離に立つ男が、だらしなく緩んだ口元を拭い、目の前のストレッチャーを革靴の先で乱暴に小突いた。
「……なぁ、この中の中身。さっきの警官が『素材』なんて呼びやがってさ。あいつ、自分の分までキープしとけってニヤついてたぜ」
男の喉仏が、卑俗な欲望を飲み込むように上下する。
「はっ、強欲な豚め。だが、羨ましい話だ。俺たちの手元に回ってくる頃には、あんな上等な肌も、あんな上等な肌も、薬と欲望にドロドロに汚されて、見る影もなくなってんだろうな」
もう一人の男が、汚れた歯を剥き出しにして笑う。
その肺から吐き出される、安っぽい煙草のヤニと腐った欲望の混じった呼気が、逃げ場のないエレベーターの中に充満し、私の鼻腔を激しく汚していった。
私の足元。数ミリのアルミ板を隔てたすぐ先で、薬に意識を沈められた少女たちが、声なき悲鳴を上げているように思える。
男たちは、彼女たちが自分たちと同じ重さの命を持ち、未来を夢見ていた人間であることを、完全に忘却していた。その無機質な冷酷さに、私の胃の奥が熱くなるが、そういう時こそ冷静でいないといけない。
ふと、男たちの腰に目を向ける。そこには無骨な拳銃が、重たげにぶら下がっていた。 こんな末端の兵隊にまで銃を持たせてるなんて、本当に面倒だわ。 暗闇の中で一人ずつ相手にする手間を考えて、私は心の中で小さくため息をついた。
エレベーターが上昇を止める直前。耳の奥で、気圧が変わる独特の違和感があった。
ここから先は、人の河をかぶった欲望に魅入られた者たちのパーティー会場だ。
私は帽子の鍔を指で軽く触れ、焦りで自分を見失わないようにもう一度自分に言い聞かせた。
チーン。
場違いに明るい電子音が鳴って、扉が左右に開く。
その瞬間、目に飛び込んできたのは、目が痛くなるほどのシャンデリアの光だった。
足元の大理石は、ピカピカに磨き抜かれていて、まるで氷の床みたいに冷たく光っている。
そこを、銀色のストレッチャーが音もなくバックヤードの方に運ばれていく。
どこか遠くで、バイオリンの綺麗な音楽が流れていた。
上品で優雅なメロディ。
廊下には、どこからか盗んできたような高そうな絵や、金ピカの飾りがこれ見よがしに並んでいる。
私は、列に混ざり、一定のリズムで歩みを進めながら周囲のチェックをする。
廊下の角を曲がるたびに、壁の上の方で監視カメラがゆっくりと首を振っているのが見える。
けれど、私は視線を上げることも、不自然に身を隠すこともしない。
今はただ、無機質なスタッフの一人として、目の前の『荷物』を目的地へ運ぶことにした。
行動はいつでもできる。
けれど、やるべきことは、いつ行動するかを正確に見極めることだ。
それを読み違えれば、舞を助け出すどころか、私まで商品として扱われて終わってしまう。
わかっている。わかっているのに……焦る心を冷静に保つことができない。
はやる心に視界が熱くなりかけた、そんな時だった。
ふわりと、一陣の風が私の頬を薙いだ。
密閉された会場にはありえないはずの、清涼な風だった。
『熱くなるのはいい。だが、いつも頭の中はクールに徹しろ』
懐かしい、あの人の声が聞こえた気がした。
その言葉が、熱を帯びた私の脳を氷のように冷やしていく。
私は、私だ。いつもの自分を見失うな。
その瞬間、私はいつもの自分を取り戻した。
ありがとう。いつも見守ってくれて。
私は少しだけ口角を上げてしまった。
だって、いつまでも手が焼かせるなって照れた感じのあの人が見えた気がしたから。
カメラの前を通り過ぎる時も、背筋を伸ばし、他の作業員と同じ速度で歩く。
絨毯が足音を吸い込み、バイオリンの旋律が廊下に響いていた。
もうすぐ悪魔のパーティーが始まってしまう。
凛たちは間に合わないのか。
今持ってる装備でうまくいくのかと思った瞬間だった。
インカムから凜の声が聞こえた。
『……綾。ハッキングの準備はできたわ。あの汚職警官の醜態は、すでに千景がネットの深層で拡散させている。』
さすがお二人さん。行動が早いわね
『いい? 会場の電圧がわずかに揺れて、照明が一瞬だけ瞬く。それと同時に、爆発音も聞こえるはず。それが私の合図よ』
『爆発って、何をする気?』
不穏な言葉に聞き返すと、凛が少しだけ呆れたような、それでいて頼もしそうなトーンで続けた。
『怜奈が例の映像を見てね。前にくすねた時限爆弾を船の外で爆発させて、そこから突入するらしいわよ。玲奈の親父さんの同期の上司には、もう訴えたみたい』
私は思わず、意識が遠のきそうになった。
何をしてるのよ、全く……。
確かに「船の方は任せて」とは言っていたけれど、まさかの力押しなの。
昇進とかに響くでしょうに。……バカじゃないの
でもみんな、ありがとう。
『システムを完全に落とせるのは、一度きりよ。……絶対に、全員を助けなさい。私はあなたが帰る場所を確保するために動くわ』
『了解。こっちは任せて。……あとはよろしく』
『なら、思う存分やりなさい』
通信が切れる。
ギィィ。
耳障りな金属音を立てて、広いステージのあちこちがせり上がってきた。
そこには、何台もの銀色のストレッチャーと、私たち運び人がいた。
私は、そのうちの一台の横に付き添うスタッフになりきり、俯き加減に、けれど鋭く周囲を観察する。
壇上に立つ司会者の男が、下品な舌なめずりをしながらマイクに向かって叫んだ。
「さあ、紳士淑女の皆様! お待たせいたしました! 本日の目玉、純白の宝石たちをお見せいたしましょう!」
男の合図で、それぞれのストレッチャーを覆っていたアルミの蓋が、次々と乱暴に跳ね上げられる。
眩しいスポットライトの下に晒されたのは、舞、とそして彼女と同じように自由を奪われた裸の少女たちの姿だった。
……やっとあの子を見つけた。
手を伸ばせば届く距離。けれど、今はまだ動けない。
私は運び人としての無機質な仮面を被ったまま、凛の合図と、怜奈が引き起こすはずの混乱の「一瞬」を待った。
その直後。船尾の方から大きな爆発音が聞こえたと思ったら、シャンデリアが大きく揺れ、何回か点滅して会場内が停電した。
完全な闇が訪れる。
私は上に羽織っていたスタッフ用のジャケットを放り投げて、いつもの服装になった。
「さぁ始めようか。ここからは、私たちのパーティーだよ」
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