師匠の教え、獣たちの茶番
トラックの荷台で、私は息を潜めて観察を続けていた。
薄暗い照明が幸いしてか、変装はまだばれていない。
制服の帽子を深く下げ、銀髪を隠したまま、隅に身を寄せているのが功を奏しているようだ。
心臓の鼓動を抑え、周囲の男たちに視線を走らせる。
誰も、私を疑う様子はない。
荷台には、十数台のストレッチャーが整然と並べられていた。
金属のフレームが、トラックの振動で微かに軋む音を立てる。
まるで社会から切り離された、鉄の棺桶のように見える。冷たく、無情な行列。
残念ながら、各ストレッチャーのカバーに顔を見るためのスライド窓はあるのだが、すべて固く閉ざされている。
少女たちの姿は、一切覗けない。密閉された空間には、鎮静剤の甘ったるい薬臭と、絶望に濡れた汗の匂いが混ざり合い、異様な雰囲気が充満していた。
ガタガタと車体が揺れるたび、ストレッチャーが軽く軋むが、眠らされている彼女たちからは、悲鳴ひとつ漏れない。
ただ、無機質な金属音と、エンジンの低い唸りだけが、荷台に反響する。
きっと舞は、この中にいる。
中にいる少女たちと同じように、薬で抵抗を奪われ、うつろな目で横たわっているはずだ。
静まり返った荷台に、前方から男たちのひそひそ話が流れてきた。まだ声の若い構成員Aが、隣に座る男Bに、震えを隠しきれない声で問いかけている。
「……なぁ、本当に大丈夫なのかよ。埠頭にはあんなにパトカーが停まってたんだぞ」
「緊張解けよ。新入りか?」
男Bの、鼻で笑うような声が返る。
「あの赤色灯はな、俺たちへの通行許可証なんだよ。上とは話がついてんだ」
あいつらは、正義の味方じゃない。ただの門番だ。
そう言わんばかりの平然とした口ぶりに、警察が役になっていない、と言っているようにも聞こえる。 一体どういうことなのか。私は注意深く耳を澄ませ、彼らの言葉を注意深く聞くことにした。
「何でそんなに楽しそうなんだよ……こんな仕事」
Bは満足げに息を吐き、さらに声を潜めた。その湿った声が、耳にまとわりついて不快だった。
「お前、初めてか? なら教えてやるよ。このオークションが終わった後、売れなかった女の子たちは薬を打たれるんだ。抵抗できなくなるくらい、ぐったりさせてよ。そしたらよ…俺たちが、一晩中楽しめるってわけさ」
隣で、Aが息を飲む音が聞こえた。「楽しめるって……まさか」
「このかわいい子たちを抱けるのさ」 Bの声は粘つき、興奮を隠そうともしていなかった。
「売れ残った分は、組織の“ご褒美”っていうやつだ。多分、後で風俗嬢にして快楽を覚えさせるためじゃねえのか? 抵抗しなくなったら、客に回すんだよ。お前もこの中に入れる時見ただろ。いい顔にいい体してる子ばっかりだろ? お前も、今日で女日照りから卒業だぜ」
「……そんなこと、許されるのかよ」Aの呟きは震えていた。
だが、Bはそれを冷酷に、鼻で笑い飛ばす。
「許されるも何も、組織のルールだ。ボスが決めたことだよ。お前も慣れりゃ、楽しみになるぜ」
男たちの下卑た会話が一段落すると、周囲の男たちもそれを聞いていたかのように、嫌らしくも嫌悪感のある笑みを浮かべていた。
こいつらは人ではなく獣だというのか。
私は、人という業がここまでひどいものかということを改めて実感した。
同時に、師匠の言葉が私の脳裏によみがえった。
「綾、あなたは憎しみで相手を倒すこともできます。それは貴方の過去の状況がそうさせたものですよ。覚えておきなさい。人は状況により人の心を忘れ、獣となり得るのです。あなたも憎しみで戦うのなら、獣と変わりませんよ」
「そうはいっても、鈴藍先生はあんなことをされたことがないから言えるんだよ」
「あなたの経験は確かに私はしてませんよ。ですが私はたくさんの戦場を渡り歩きました。そして、必ず獣から命は落とすものです」
「それじゃ、どうすればいいのさ」
「人の心を忘れずに、あくまで冷静に、人として行動しなさい」
「でも、人を倒すときにそんな事なんてできないって」
「敵になった方をも、私の糧になったと感謝しなさい」
「あんなことしたやつらでもかよ」
「そのおかげであなたは私と会えたではありませんか。それは嫌な事ですか?」
「……先生や葛城の親父さん、あの人と出会ったおかげで世界も広くなったし、愛してくれてる実感があって感謝してる」
「うん。あなたがその気持ちを持っていれば、きっと獣にはならないと思う」
猫耳を付けた着物姿の師匠は、そう言って私の頭を撫でてくれた。
そんなことを思い出していたら、ふ頭が見えてきた。
トラックの隙間から外を覗くと、赤色灯を回したパトカーが何台も待機しているのが見える。
本来なら救いの象徴であるはずのその光が、今は絶望の象徴にしか見えなかった。
あいつらがいるせいで、玲奈たちも表立って動くことができない。
結局、ふ頭にパトカーは見えているけれど、こちらから潜入を仕掛けることはできないみたいだ。
私はただ、この鉄の棺桶が並ぶ荷台の中で、じっと耐えるしかなかった。
やがてトラックは大きな倉庫の中へと入り、停車した。
荷台の扉が乱暴に開けられる。
入ってきたのはヤクザではなく、先ほどふ頭で見かけた警官たちだった。
警察の監査が始まる。
彼らは並んだストレッチャーの蓋をすべて開けて、確認して、ニヤッという嫌な笑顔をしてシャッターを再び閉じた。
「すべてマネキンだと確認。異常なし」
そして事務的に数を数え、書類に判を押していく。
「相変わらずいい素材を揃えてるじゃないか。後で俺の分も残しておけよ」
その警官は、書類をやり取りしていた組織の人間にそう言い残すと、満足げにパトカーの方へと帰っていった。 その横を、少女たちを閉じ込めた『棺』が、次々と船の中へ運び込まれていく。
私は、この吐き気のするような茶番のすべてを、スパイカメラで凛のPCに転送した。
これを使って、彼女たちは動いてくれることだろう。
私はこの地獄の光景を潜り抜け、そのまま船内への潜入に成功した。
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