5章 解放 1
非常扉の縁に、雨上がりのネオンが薄く揺れる。
手袋の指先で金具の冷たさを確かめ、蝶番の遊びを頭に入れた。
上空では千景のドローンが円を描き、羽音だけが薄く落ちてくる。凛の声が耳の奥ににじむ。
『外周カメラ、今だけ目をつぶらせた。合図でどうぞ』
取っ手の内側に薄いプラ板を差し込み、枠のわずかな遊びを捕まえる。
押して引いて、軽い手応えを確認。
喉を鳴らす前に身を滑らせ、扉の陰で一度止まった。冷房の残り香と煙の層。焦りは禁物だと言い聞かせる。
ここからはドローンを使うわけにはいかない。私は服のブローチを回転させ、小型カメラに変えた。
これで千景にも映像が送れる。
足裏のゴムでケーブルをまたぎ、壁の影に身を寄せる。
掃除ワゴンの車輪が微かに揺れている。風が来る向きがわかる。
通路の角は光が甘い。反射で位置を割られるのが嫌で、顔を斜めに切った。
どうやら、バックヤードぽいなぁと思う。
曲がり角の壁に、紙の矢印があり、「倉庫→」と書かれていた。
上から貼り直したテープの端が浮いている。
テープの端が浮いており、色が薄くなっている。囮だ。
私たちが入ることを予測されてると感じた。
なぜこんなに行動が読まれているのか、少し体に悪寒を走らせて、矢印とは逆へと向かった。
「床には靴跡がバラバラで、巡回は結構雑だった。
なんか暇だから巡回している感じでこういうのが一番読みにくいから嫌いだ。
でも、壁から伝わる振動は一定で、人が通ると少し変わる。
その変化を耳で感じ、人が来る気配を探るしかないので、次の角までの距離を測る」
踊り場手前で空気がひやりと落ちる。下へ細く覗くと、パントリーの前に折りたたみ椅子があり、うつむいた小柄な男の子が座っている。片手に細いバンドを持っていて、焦点が泳いでいる。
『バンドは絶縁で時間を稼いで。搬出優先ね』
「了解。先に道を作る」
手すりを指先で鳴らし、視線をこちらに引きつけた。背から回り込み、顎を上げさせないように囁く。
「静かに。助ける。立てる?」
黒目がわずかに戻る。接点の縁に綿布の薄膜をかけ、警告灯が落ち着くのを見てから手を放す。膝の震えは残るが、肩を抱え、踊り場の陰へ引いた。
そのまま、足音を殺しながら進んだ。
樹脂の床が湿りがちで、つま先から置かないと音が尾を引いてしまう。
角を曲がる前に、空気の流れを感じる。
消毒の匂いよりも、紙の粉の匂いが強い。目的地はもうすぐだ。
突き当たりの左手に、管理室の扉があり、カードリーダーが取り付けられている。
その上には、PIRセンサーが設置されていて、たしか人の動きを感知すると反応するセンサーだったはず。
私は内ポケットから薄い銀紙を取り出し、そっとそれをかぶせて体温の波を鈍らせた。
カバーのイモネジをL字で外し、接点に短い橋を作る。ランプがためらいながらも緑に落ちる。
入る前に、もう一度耳を澄ます。声はない。
ただ、無線が擦れる音だけが響いていた。
私は壁の陰に身を寄せ、そっと扉を半分だけ開けた。中の空気はひんやりとしていた。
中の様子を見渡すと、壁に並べられた紙の束、配車表、QRコードが印刷されたものが残っている。
必要な断片だけをスマホで撮り、ポケットに押し込む。
壁のモニターには表の席しか映っていない。
地下の映像は別系統で、切られている。
机の端に無造作にUSBが置かれているが、触れない。
『奥の書庫を抜けると、地下の本筋。軍用の真似事みたいな区画』
無線越しに千景の声が耳に響いた。
『入る。扉を開けたらすぐに動いてみるね』
書庫の棚は背が高く、間隔が狭い。
木口の欠けから、人が通る側を知ることができる。
紙の乾いた匂いと、薬品の甘さがうっすら混じっている。
正面の壁には通気口があり、そこに埃が一方向に撫でられている。
風は向こうから来ているって事は、そこが抜け道みたいだね。
進みながらふと思った。
本当に櫻華流は便利だよね。
武芸十八般すべて得られるはずだけど、忍術等の陰業もあるよね。
確か裏の技術は暗殺とかもあるんだから当然なのかな。
私は本格的には教えてもらってないんだけど、潜入は探偵業で必要になるかもって言われて教えてもらったんだっけ?
当時は、そんなわけあるかぁって反論したんだけど、師匠たちありがとうございますと心の中で感謝をした。
本人たちの前では絶対に言わないけど、でも尊敬はしてる。
そんな事を思いしながら進むと、通路の先に重い鉄の扉が見え近づいた。
鉄の扉が重く、鍵は簡易なものだとすぐにわかった。
カバーを目で追い、接点の位置を確認する。
少し力を加えると、動きが鈍いのがわかった。これで間違いない。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
湿りと金属の匂いが広がり、壁一面に新しい配管が這っていた。
上の部分と比べると、ここはしっかりとした作りだ。
照明は間引き、薄灰色の通路が続いている。
壁際に赤外線のセンサーが設置され、間を光学線が走っている。
埃がばらけ、白い筋が浮かび上がった。
私はポーチから小さな鏡を取り出し、線を壁の鈍い金具へそっと逃がす。
一本が緩んだのを確認し、隣のセンサーが反応を止めた。
『ここから先はパターン固定。投光を落として散らす』
千景の無線が耳に響く。
事故ったからなのかいつもより心配そうな声が私の耳に響いてる。
凜にしろ千景にしろ、心配しすぎ
まぁ先日捕まるわ、車にひかれたりしてるので心配するなっていう方が無理だとは思うけどさぁ
玲奈がいなくて良かったかもしれない。
繰り返し聞かれそうだ
潜入してるのに必要以上の会話してたら危険が増す。
だからこそ、凜も私に話をかけずに、スマホの地図のマップを更新するだけにしてくれてるんだろう。
通路の先には照明がわずかに点滅しており、空気がひんやりとしている。
壁に耳を当て、音を探る。微かな足音が近づいてくるのがわかる。
巡回の靴音は硬く、歩幅が揃っている。
合図で止まり、同じ角度で振り向く。同じ訓練を受けた者同士。
角を曲がる手前で壁に肩を寄せ、鏡を使って先を切る。
床に新しい押し傷が残っている。キャスターの跡ではない。
重いものを引きずったような跡だった。
その跡が示す先に、非常時の通路があることを覚えておきながら、さらに進む。
その先に、金属探知のゲートが現れる。
鳴らせば連鎖する仕組み。壁の保守口に指をかけると、ネジが甘いことに気づく。
中は旧式の端子で、短い橋を渡すことで感度を鈍らせる。
正面のランプが鈍く光り、息を止めたかのように光が浅くなる。
身体を斜めに通し、息音を上げずに進む。
先に広がるのは三叉路。
凛の地図を見ると、左は倉庫、右は発電所、正面が管理区画だった。
右奥からは低い唸り声が聞こえる。
自家発電が動いている音だ。停電になっても施設は動き続ける。
逃げ道が制限されていることを感じ、警戒を強める。
『正面の二つ目の扉、その先に固定熱源。ひとつ小柄。目当ての可能性高い』
的確に教えてくれてるので本当に助かる。
「行く。」
通路を進み、管理区画に差し掛かる。
壁には注意書きが貼られている。その内容はすぐに理解できた。
ありきたりな注意文だった
「許可された者のみ通行可。この先立ち入り禁止。危険区域。進行には注意が必要」
内容を把握した私は、次の行動を考える。
筆圧の強いサインが目に入る。
私はすぐに影から影へと素早く移動した。
角を曲がる前に、鏡で先を確認し、慎重に動き続ける。
床には重い物を押した跡が残っており、先ほどの押し傷と一致している。
二つ目の扉の前に立ち止まり、カード専用の扉を見つめる。
私は枠と壁のわずかな隙間に薄い板を差し込み、扉の金具を慎重に操作する。
押して引き、金具が動くのを確認。
再度試してみると、噛み合いが外れた。
扉を開ける前に一度身を引き、周囲の空気を嗅ぐ。
冷たく、消毒の匂いが強く漂っている。
扉の隙間から少しだけ視線を入れ、室内の様子をうかがった。




