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紫微綾の事件簿1 鎖の記憶  作者:
1章 栄の夜に沈むQR

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3章 深淵からの脱出 3

 (金山 白波探偵事務所 深夜)


 白波探偵事務所の扉を開ける。

リビングに入ると、トリプルモニターの青い光が目に刺さった。

画面の明かりだけが部屋を照らしていて、天井灯は落ちている。

机の上では黒いケーブルがいくつも絡み、差し込み口の赤い点が点滅している。

こういうのは普通仕事部屋に置くものだと思うのだけど、凜に昔聴いたら、いちいち 部屋に戻るのが面倒と部屋が二つしかないかららしい。

一つが寝室になるからおのずと、この部屋しかなくなるわけだった。


 紙袋の口が開きっぱなしで、空になったコーヒーカップが二つ、輪染わじみを残して転がっていた。

革ジャンの乾いた匂いと、機械の熱気が混ざった空気。——ここは凛の巣だ、といつも思う。



「シャワー浴びな。血と汗で臭う」

 凛は椅子に腰を滑らせ、視線を画面に固定したまま言う。

指先でタブレットを軽く叩き、接続の確認をしている。


「はいはい、了解」

 私はコートの重みを外し、ハンガーへ服をかけた。

袖口についた黒い点——さっきの現場のすすが乾いて落ちずに残っている。

靴を脱ぐと、足裏に床の微かなざらつき。

奥の簡易シャワールームへ向かう。

白いタイル、樹脂パネル、冷たいLEDの光。換気扇の低い音が一定に続いている。



 三十八度に合わせて、まず手首で熱を確かめてから肩に当てる。

水が皮膚を伝って、包帯の跡の周りで少し跳ねる。

傷口の近くは、触れなくてもじん、と熱い。

深く吸って、吐く。

柑橘のボディソープを一押し、掌で泡立て、うなじから肩へ円を描くように洗う。硝煙の匂いが薄れていき、代わりにさっぱりした香りが残る。

銀髪が水を含んで重くなり、首にぴたりと貼りつく。

鏡の曇りを手の甲で拭うと、赤い目がこちらをまっすぐ見返した。

疲れと意地が半分ずつ。まぶたの縁に湯気がかかって、視界が一瞬やわらぐ。


 短く流して水を止める。タオルで水気を押さえながら、肩の位置を確かめる。

痛みの芯はまだあるが、痛みは少し収まった気がする。


 壁のフックに掛かっている私の予備の黒Tシャツとスウェットを着る。

コットンの手触りは柔らかいのに、布地はしっかりしている。

応急箱から消毒綿と包帯を取り、鏡を見ながら巻き直す。

テープの端を指先で押さえて、ずれないように角度を微調整。

肩をひと呼吸ぶん回して、固定具合を確かめた。

こういう応急手当はかなり慣れたものだった。


 あの事件が起きて少し経ったぐらいに、自分の弱さや悔しさ、どうにかできる力を欲しかった私は、あの人のつてを頼って櫻華流古武術を知り、そこの門下生となったのだけど、最初の数年間は、今でもそうだけど、怪我なんて当たり前だったので、おのずとこういうことが自然とできるようになっていった。

今となってはいい思い出?だと思いながら終わらせた。


 ドアを開けると、温度の違う空気がふわっと肌に触れた。

リビングに戻ると、凛はソファの端に座り、片手に缶ビール、もう片方でトラックボールを転がしている。


 モニターには、千景がドローンで回収したというQRコードの紙片の拡大。紙の繊維まで見える大きさで、白と黒の格子の外側に、薄い縁と角の癖がはっきり映っている。


「千景、仕事早いな」

 私はソファに腰を落とす。クッションがゆっくり沈み、背中を受け止める。凛が無言で缶を一本、こちらに差し出した。


「けが人にそれを渡すの?」

 笑いながら言ってはいるが、ちゃっかりそれを受け取った。

プルタブを引く。プシュッっと小さな音が、室内の静けさを切り分ける。

最初の一口で喉の奥まで冷たさが降りていき、体の中のざわつきが少しだけ落ちる。

開放された事と、シャワーを終えた暖かさなのか、いつもよりおいしく感じた。


「解析の元は、一時的な“置き場”経由。痕跡はすぐ消える作り。位置は向こうに飛ぶ仕掛け。——OK-2は“女の子向けの上位コース”で間違いない」


 凛は画面から目を離さずに言って、人差し指でモニターの角を示す。

私は身を乗り出し、拡大された紙に目を近づけた。

白い面の四隅のうち、一つだけ角がわずかに潰れている。

強く押し当てた時の癖。斜めに伸びる薄い光の筋は、はがして、また貼った跡。

のりの層が光を跳ね返している。

素早い作業に慣れている手の動きが、紙の端にうっすら残っている。

凜にしろ千景にしろよくこれでわかるなぁと思う。

私はこういうのは一切合切わからなかった。



「OK-3……五十万スタートの仕事。十六の舞に、何をさせるつもり?」

 私は、缶を傾けながら、凜にそう伝えた。

金属の縁が唇に触れ、冷たさが舌から喉へ落ちるのに、胃のあたりは冷えない。

十年前の断片が、乾いたトゲみたいに指先の皮膚の内側に引っかかったままだ。


「千景が新栄のクラブ『シャドウ』に絞ってる。詳しいところは明日になるらしい」

凛はタブレットを膝に置き直し、革ジャンの袖を肘までまくった。

手首の内側に一本、薄い古傷。彼女はそれを気にしない。


「玲奈は?」


「お仕事中。無線で同僚とやり取りしながら報告書を書いてるらしい。

メールで愚痴ってきてた。内部の話は、気にしてた」


 私は肩をそっと回す。包帯の締まりはちょうどいい。突くような痛みはあるが、動きは戻ってきた。


「刑事さんも楽じゃないな。——よし、私もシャワー行く。お前も寝るならソファベッド広げとけ」

 凛が立ち上がる。

床材が小さく鳴り、シャワールームのドアが閉まる音。

少しして、水の音が始まった。


 私は缶をテーブルの輪染みの少ない場所に置き、再び画面へ。QRの格子は私には読めないが、私が信用する二人がそういうのなら正しいのだろう。

明日は、貼ってありそうな場所を探す所かな


 今夜は休もう。

舞や少年少女たちの行方は気になるが、ここで動いたら消耗するだけ

今回の事は組織も痛手を負ったはずだ。

ボスが痛手を喰らい、クラブの手入れが始まるだろう。

今日は、それでいい。

そう言い聞かせると、胸の中で続いていた悔しさが、少しだけ遠のいた。


 サイドテーブルから小さな救急箱を引いて、包帯の端をもう一度だけ押さえる。貼り足したテープがしっかり馴染むのを待つ間、換気扇の低い音と、モニターのファンの回転が背景になっていく。部屋の温度は一定。窓の外は見えないが、雨はもう弱まっているのかもしれない。


無駄と知りながら集中して千景から贈られてきたものを見ていたら、 シャワールームの水の音が止んだ。

タオルの擦れる音。凛が戻ってきて、肩にタオルをひっかけたまま、私の視線の先をのぞき込む。


「どう?」

「私がこんなデジタルの物わかるわけない、これだけ拡大されてたらわかるかなっとは思ったけど、無理無理」


「了解。今夜は保存だけして寝るよ」

私の降参の言葉を聞いて凜は微笑をしていた。


「異議なし」

私も痛めつけられたから寝て体を休めないといけない


 凛はキーボードに手を置き、データをいくつかの場所に分けて保存する。

机の端に置いた小さな記録装置のランプが、規則正しく点滅を続けた。終わったところで、彼女は折りたたみのソファベッドに手をかける。


「引き出すよ」


「お願い」

金具が二段で止まり、布地がこすれて小さく鳴く。凛が片手でシーツを広げ、皺を手の甲でならす。私は反対側の角を持って、布の目を合わせた。

枕を出す引き出しを開けると、色の違うカバーが二つ。

私は暖色のほうを選び、凛が無言でもう一つを取る。


 私は寝転がり、天井のシミを見つめる。


「ねえ、凛。なんで探偵やってるの?」


凛のPCスキルとか見てると探偵より、企業でPC関連の事をした方がいい稼ぎになるだろうに、探偵のスキルで使うにはもったいないと思ったので、いい機会だから聴いてみた。


 凛が隣に寝転がり、缶ビールを手に天井を見上げる。


「昔、姉貴が似た組織にやられた。助けられなかった。

だから、誰かが同じ目に遭わないように、かな。お前と違って、俺はデータで戦うけどな」


 彼女の声は軽いが、どこか重い。


「意外と熱いじゃん。」

私は笑い、肩を軽くぶつける。

彼女の体温が近く、割り切りの関係なのに、心が温まる。


「お前こそ、10年前のあれ、引きずりすぎ。気持ちはわかるけどな。もっと自信持てもいいんじゃない。20人相手に立ち回ったらしいじゃん。」

凛が私の銀髪を摘まみ、からかう。


「多分20人はいなかったと思う。結局捕まったし、師匠にバレたら、地獄の修行が待っている。」

私は苦笑し、目を閉じた。


 舞の行方、少年少女たちの事、組織、安田の死が頭をざわつくが、とりあえずは休もう。

今日は良く動いたと思う。

凜の身体の暖かさで私の心身は心地よさとまどろみを感じていた


「明日の朝、蜂蜜パン食うか? お前の事務所の定番だろ。」

ふいに凛が笑い、そう語りかけて、缶をテーブルに置く。


「いいね。たっぷり蜂蜜で。」

蜂蜜かけの食パンはすごく美味しいのだから

私は目を閉じたまま答える。

換気扇の音が子守唄になり、眠りに落ちた。


(白波探偵事務所・朝8:00)


 朝日がブラインドの隙間から差し込み、モニターの青い光と混じる。

私はソファベッドで目を覚まし、隣で凛が寝息を立てる。


 革ジャンが床に落ち、黒髪が無防備に広がる。

珍しい寝顔にクスッと笑う。

私は朝が弱いからいつも寝顔を見られる方だからなんだか得した気分だ。


 キッチンで食パンをトースターに入れ、蜂蜜をたっぷり塗る。

インスタントコーヒーの湯気を吸い、朝のルーティンに心が落ち着く。


 モニターに千景からのメッセージが来ていた。

『QR解析、11時頃完了。OK-3のルート特定中。舞の足取り、クラブ『シャドウ』に繋がる可能性。詳細後で。』


 凛が目をこすりながら起きてきた、

「お、朝メシ? 気が利くじゃん」


「お客に朝食の準備させるな」


「家主の許可なく勝手にやってるんだろ、とがめないけどな」


 私はパンを渡し、コーヒーを淹れる。


「今日は千景のデータ待ち。昼まで、頭整理することに決めた。」

こんなに早く結果が出るとは思わなかったので、昨日の深夜考えてた足で稼ぐことは一端は保留にした。


「だな。シャワー浴びてくるわ」

凛が立ち上がり、背中を見送りながら、私は蜂蜜パンをかじり、金山の街を眺める。


 雨上がりの空が清々しく、戦いは続くけど、この瞬間、周囲のバックアップのおかげが心から力があふれてくる感じがした。



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