警告
「ゆうま!!もっとこっち来て!!」
女の子が俺の名前を呼んでいる。その声には切迫感が込められていたが、なぜそっちに行かなければならないのか、俺には理解できなかった。俺には俺のペースがあるのだから、ゆっくりさせてほしい。彼女はいつも俺を急かすが、今日も同じことの繰り返しだと思っていた。
俺がかたくなに自分のペースを守って歩いていると、女の子は顔を青くして焦ったような表情を浮かべ、こちらに向かって走ってきた。その必死さに少し驚いたが、理由は分からない。そして次の瞬間、彼女は俺の腕を思いっきり引いた。小さな体からは想像もつかないほど強い力で、俺は前方へと引っ張られる。
「うわぁ!」
俺は予想外の力に情けない悲鳴を上げた。なぜこんなに強引に引っ張るのか理解できず、抗議の声を上げようとした。しかし、それと同時に、轟音とともに車が勢いよく通りかかった。
「きゃっ!!」
女の子が悲鳴を上げて勢いよく倒れ込む。女の子の手提げバッグと車が接触したようだ。手提げバックは宙高く舞い上がり、中身が四方八方に飛び散った。ノートや筆箱、教科書、小さなキーホルダーが、まるでスローモーションのように空中を舞う。
もし、女の子が俺を引っ張らなかったら、間違いなく俺は轢かれ、彼女の手提げバックのようになっていただろう。その事実が頭に浮かんだ瞬間、背筋に冷たい汗が流れる。彼女は俺を救ってくれたのだ。
女の子は地面に膝をついたまま、涙を浮かべて散らばった荷物を見つめている。その姿を見て、俺の胸は締め付けられるような痛みを感じた。彼女は俺を守るために、自分が危険な目に遭ったのだ。
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夢図書館から目覚めた時、枕元には栞があった。夢の中での出来事が鮮明に脳裏に焼き付いている。
時計を見ると、午前6時を回ったばかりだった。頭は冴えわたっている。美咲の事故……。あの本に書かれていたことは、現実になるのか?美咲が事故に遭う交差点。時間は午前8時10分頃。まだ間に合う。
というか、美咲はまだ起きてもいないはずだ。いつもなら7時半に起きて、慌ただしく朝食をかき込んで家を出る。それが美咲のいつものパターンだ。
俺はリビングで待機し、美咲が家を出るのを阻止するか、せめて黒猫を追いかけるなと忠告しようと決めた。あいつが素直に俺の言うことを聞くかどうかは分からないが、言わないよりはマシだ。
でも、どうやって説明すればいいだろう?「夢で見たから事故に遭う」なんて言っても、美咲は笑って終わりだろう。かといって、適当な理由をでっち上げるのも難しい。
俺は悩みながら、リビングに降りていくことにした。
リビングに降りると、母親が朝食の準備をしていた。キッチンからは、卵焼きの香ばしい匂いと、味噌汁の湯気が漂ってくる。いつもの朝の風景だったが、俺の心臓は既に警鐘を鳴らし続けていた。夢図書館で読んだ美咲の本の内容が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
「あら、ゆうま今日も早いのね。雪でも降るのかしら?」
母さんがふざけて窓から外の天気を見る。外は快晴で、雲一つない青空が広がっていた。しかし、俺の心の中には暗雲が立ち込めていた。
「美咲は?」
「まだ降りてきてないわよ。あの子、いつもギリギリだから」
良かった。まだ、妹は登校していないらしい。ここで朝食を食べて、美咲を待つことにしよう。俺は母さんが用意してくれた朝食をかき込むように食べた。いつもなら味わって食べる卵焼きも、今朝は砂を噛むような感覚だった。
壁掛けの時計を見る。午前7時45分。美咲が通る交差点で事故が起きるのは、確か午前8時10分頃だった。時間はまだある。だが、俺の胸の奥で、不安が膨らみ続けていた。
母さんは俺の様子に気づいたのか、心配そうに声をかけてきた。
「ゆうま、大丈夫?なんだか顔色が悪いわよ。熱でもあるんじゃない?」
「大丈夫だよ、母さん。ちょっと寝不足なだけ」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。本当のことなど言えるはずがない。夢の中の図書館で、妹の未来を読んだなんて。
俺が朝食を食べ終わる頃に、二階から慌ただしい足音が聞こえてきた。美咲が自分の部屋から降りてきた。いつものように、ぎりぎりまで寝坊して、慌てて支度をしている音だ。
「おい、美咲!」
俺の突然の声に、美咲は階段の途中で振り返る。制服のスカートを直しながら、不審そうな顔を向けた。
「何?兄ちゃん、ひきこもりのくせに朝から元気じゃん。」
いつもの小生意気な口調だ。普段なら、この言葉にムッとして言い返すところだが、今はそんなやり取りをしている暇はない。美咲の命がかかっているのだ。
「いいか、よく聞け。今日は、変な黒猫を見ても追いかけるな。それに、交差点を渡るときは、いつも以上に車に気をつけろ。いつも通りじゃない、もっとだ。」
俺は美咲の目を見つめて、できる限り真剣な表情で告げた。美咲は一瞬ポカンとした顔をしたが、すぐに鼻で笑った。
「何それ?兄ちゃん、急にどうしたわけ?昨日の靴を隠したこと根に持ってるんでしょ。だからそんな変なこと言いだしてるんだ?」
そうだった。最近、俺と美咲は些細ないたずら合戦を繰り広げていた。そ
美咲は俺の言葉を全く真剣に受け止めていない。そのままローファーを履き、さっさと玄関のドアを開けてしまった。
最近のいたずら合戦がここで悪い影響をもたらすとは……。俺は歯がゆい思いで美咲を見つめた。
「遅れるからもう行くね!朝から変なこと言わないで!」
美咲の声が遠ざかる。玄関のドアが勢いよく閉まる音が響いた。俺の忠告は、まるで風のように聞き流されてしまった。俺の心臓は、警報のように不吉な音を打ち鳴らしていた。
母さんが心配そうに俺を見ていた。
「ゆうま、美咲に何か用があったの?」
「いや、何でもない」
俺はそう答えながら、時計を確認した。午前8時00分。美咲が交差点に差し掛かるまで、あと十分程度か。
俺はいてもたってもいられなくなり、玄関を飛び出した。向かうは、本に書かれていた事故現場の交差点だ。
くそぉ、手間をかけさせやがって……。
冷たい朝の空気が俺の頬を打った。快晴の空とは裏腹に、俺の心は嵐に包まれていた。