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運命

夜の闇が深まり、部屋の中は静寂に包まれていた。窓の外では街灯がぼんやりと光り、時折車の走る音が遠くから聞こえてくる。俺は枕元に置いた栞を意識しながら眠りにつこうとしたが、なかなか寝付くことができずにいた。


月原さくらのことが頭から離れない。あの写真に写っていた彼女の笑顔、そして俺の記憶の欠落。すべてが謎めいていて、答えの見えない迷路に迷い込んだような気分だった。最近は深刻な悩みを抱えることがなく、久しぶりにこんなに眠れない夜を過ごしている。寝たいのに寝られない。この感覚は想像以上に辛く、体も心も重い。


俺は改めて栞を手に取り、じっと見つめた。四葉のクローバーの刺繍が施されたその栞は、薄暗い部屋の中でも不思議とほのかに光って見える。月明かりが差し込む角度のせいかもしれないが、まるで自ら光を放っているかのようだ。この栞には、きっと特別な意味があるのだろう。


誰にこの栞をもらったのだろう。いつ枕の下に入れるようになったのだろう。記憶を辿ろうとしても、その部分だけがぽっかりと抜け落ちている。まるで誰かが意図的に消去したかのように、綺麗に失われている。そんなことを考えながら栞を見つめていると、意識は徐々に遠のいていき、深い眠りの底へと落ちていった。


目覚めると、見慣れた白い空間が広がっていた。夢図書館の受付前に立っている自分がいる。やはり、この栞が「夢図書館に関する持ち物」のようだ。今回は確信を持って言える。あの四葉のクローバーの栞が、俺をこの不思議な図書館へと導いているのだ。


受付カウンターには誰の姿も見えなかった。いつもの司書さん──あの藍色の瞳をした美しい女性はどこにいるのだろう。静まり返った空間に、自分の呼吸音だけが妙に響く。


今日は会えないのだろうか。そう思った時、奥の方から規則正しい足音が聞こえてきた。革靴が大理石の床を踏む音が、静寂の中に響いている。


現れたのは、威厳のある雰囲気を纏った男性だった。年は20代後半から30代前半といったところだろうか。整った顔立ちで、まるで雑誌のモデルのような端正な容貌をしている。全身を黒いスーツで包み、その立ち姿は夢図書館の静謐な雰囲気に完璧に馴染んでいた。細身の眼鏡の奥から、俺をじっと見つめている。その瞳は深い灰色で、まるで何かを知っているかのような神秘的な色を湛えていた。


「いらっしゃいませ」


男性が口を開いた。彼の声は深く、図書館の静寂によく響く。有無を言わせぬ重みがあったが、不思議と威圧感は感じない。むしろ、どこか温かみのある、安心感を与える声だった。胸元には「司書」と書かれた名札がついている。


「今日はどのような本をお求めでしょうか?」


男性は穏やかな口調で尋ねたが、その瞳には探るような光が宿っている。まるで俺のことを以前から知っているかのような、そんな表情だった。俺は一瞬躊躇したが、今日ここに来た目的を告げることにした。


「月原さくらの本を借りたいんです」


俺の言葉に、男性の眉がわずかにぴくりと動いた。それは一瞬の出来事だったが、確実に何かの反応を示していた。しかし、すぐに彼は冷静な表情に戻る。


「月原さくら、ですね。少々お待ちください」


男性はそう言って、ゆったりとした動作で受付のパソコンを操作し始めた。慣れた手つきでキーボードを叩き、画面に映る情報を指で追う。その間、俺は彼の横顔を観察していた。集中している時の表情は真剣で、プロフェッショナルな印象を与える。


数分後、彼は俺の方を向いて、何かを確認するような視線を送ってきた。


「残念ながら、月原さくらさんの本は、現在貸し出し中となっております」


男性の告知に、俺は思わず身を乗り出した。


「貸し出し中?誰が借りているんですか?」


俺の問いに、男性は静かに首を振る。しかし、その表情には申し訳なさそうな色が浮かんでいた。


「申し訳ありませんが、貸し出し状況に関する個人情報は開示できません。それに、あなた自身もご存じのはずですよ。あなた自身の本が、延滞しているようですからね」


男性は意味ありげな言い方をしてきた。


「それよりも、他に本の貸し出しは必要ありませんか?せっかくいらしたのですから」


男性司書の提案に、俺は少し考えた。月原さくらの本は借りられないが、せっかくだ。何か収穫は得ておきたい。それに、最近美咲にいたずらされた恨みもある。少し仕返しをしてやりたい気持ちもあった。


「じゃあ、水瀬美咲の本を貸してください」


そう告げると、男性司書は何も言わずに奥の書架へと向かった。その背中を見送りながら、俺は彼が一体何者なのかと考えていた。普通の司書にしては、あまりにも不可解なことが多すぎる。



しばらくして、彼は一冊の小さな本を手に戻ってきた。表紙には、見慣れた妹の名前が金色の文字で刻まれている。受け取ると、ひんやりとした感触が手のひらに伝わった。


「持ち帰りますか?それともここで読んでいきますか?」


男性司書が丁寧に聞いてくる。


「ここで読んでいきます」


俺はそう答え、閲覧室に移動した。木製の重厚なテーブルと革張りの椅子が配置された読書スペースは、まさに図書館らしい落ち着いた雰囲気を醸し出している。


席に着き、本を開いた。どんな未来が書いてあるのか、どういういたずらをしてやれるか、期待に胸を膨らませる。美咲の困った顔を想像しながらページをめくった。しかし、読み進めるうちに、俺の表情は次第に凍りついていった。


本に記されていたのは、明日の出来事だった。


---


2025年3月6日(木)


いつも通り、朝の支度をすませて家を出た。春の暖かい陽射しが頬に心地よく、桜のつぼみも膨らみ始めている。いつもより足取りが軽やか。新学期への期待もあって、なんだか今日は良いことがありそうな予感がする。


通学路を歩いていると、角の向こうから「にゃーん」という可愛い鳴き声が聞こえてきた。猫が好きな私は、思わず足を向けてしまう。


角を曲がると、小さな黒猫がいた。真っ黒な毛並みで、首に赤いリボンをつけている。とても可愛くて、思わず立ち止まってしまった。登校の時間にも余裕があったし、少しだけ黒猫と遊ぶことにした。


道端に落ちていた猫じゃらしを拾って、黒猫をあやしていると、時間を忘れてしまった。猫の愛らしい仕草に夢中になり、ついつい長居してしまう。気がつくと、もう8時10分。急がないと遅刻してしまう。


慌てて走り出した。いつもなら注意深く左右を確認する交差点も、今日は急いでいたから、そのまま勢いよく飛び出してしまった。


ブレーキの音が響いた。


次に気が付いたときは病院のベッドの上だった。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも心配そうな顔で私を囲んでいる。みんな目を赤く腫らしている。お医者さんが深刻な表情で説明してくれた内容によると、腰椎を損傷しており、長期的に歩行困難の可能性があるとのこと。


最悪。私の人生、終わった。夢だった陸上部での活動も、友達との遊びも、すべてが奪われてしまう。


---


信じられない。俺は何度も日付と時間を確認した。明日、美咲が交通事故に遭う?それも、歩けなくなるような大怪我を?こんなリアルで恐ろしい予知が、妹の本に記されているなんて。これが夢図書館の力なのか。もしこれが現実になったら、美咲は、そして家族はどうなってしまうのか。


いたずらどころではない。俺は動揺しながらも、事故の詳しい状況を頭の中で整理した。本には「通学路の黒猫」「遊びすぎてしまい、交差点を勢いよく飛び出した」とあった。時刻は朝8時15分頃。場所はいつもの通学路にある交差点。原因は黒猫との触れ合いで時間を忘れ、急いで走り出したこと。


「これは……」


俺は声にならない声で呟いた。


「何か気になることでもありましたか?」


突然背後から声をかけられ、俺は振り返った。いつの間にか男性司書が近くに立っている。その存在に気づかなかった自分の集中力に驚く。


「これ、本当に起こることなんですか?」


俺の切迫した質問に、男性司書は深刻な表情で頷いた。


「夢図書館の本に書かれていることは、高い確率で現実となります。ここに記された未来は、ほぼ確実に起こると考えてください。しかし……」


彼は一度言葉を切り、俺の目をしっかりと見つめた。


「運命は変えることができます。あなたが適切に行動すれば、未来を変えることも可能です。過去にも、この図書館の本を参考にして運命を変えた人たちがいます」


彼の言葉に、俺は希望の光を感じた。美咲を救えるかもしれない。


「でも、どうやって?」


「単純です。事故の原因を取り除けばよいのです。明日の朝、妹さんが黒猫に出会わないよう、あるいは時間に余裕を持って行動できるよう、あなたが工夫すればよいでしょう」


確かに、それは理にかなっている。美咲を早く起こすか、一緒に登校するか、黒猫を事前に発見しておくか。方法はいくつか思い浮かぶ。


「しかし、運命を変えるということは、それなりの代償も伴います。自然の流れを変えることは、時として予想もしない結果を招くことがあります。ここで退出のお時間となりました。気をつけてくださいね、ゆうま君」


男性司書の警告を胸に、俺は本を閉じた。代償──それが何を意味するのかは分からないが、美咲の安全には代えられない。明日は絶対に事故を防いでみせる。


意識が薄れていく中で、俺は強く心に誓った。


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