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目を開くと、そこには見慣れない白い天井が広がっていた。広さは自分の六畳の部屋のざっと四倍、二十四畳ほどはあるだろうか。壁も天井も床も、すべてが吸い込まれるような純白で、音もなく静寂に包まれている。まるで病院の待合室のような無機質さだが、それよりも遥かに清潔で、どこか神聖な雰囲気すら漂っていた。


ただ、数メートル先には受付らしき机が置かれ、一人の女の子が座っていた。彼女は俺のことに気づいていないようで、ただひたすらパソコンの画面とにらめっこしている。カタカタとキーボードを叩く音だけが、この静寂な空間に小さく響いていた。


ここはどこなんだ?


最後に覚えているのは、深夜までゲームをして、少し遅い夕飯を食べ、風呂に入り、風呂後に食べようと思っていたアイスが無くなっていて、怒りながらベッドで本を読んでいたことだ。そう、あのアイス事件だ。冷凍庫を開けた瞬間の絶望感を思い出す。楽しみにしていたチョコミントアイスが、跡形もなく消えていたのだ。母親に聞いても知らないと言うし、父親も首を横に振る。一番怪しい妹の美咲は、なぜかその時だけ妙に愛想よく「知らなーい」と言っていた。


もしかしたら、本を読みながら寝落ちしてしまい、今は夢を見ているのかもしれない。そうでなければ、こんな非現実的な白い空間にお目にかかれるはずがない。


他に考えられるとしたら、死後の世界だろうか。アニメやドラマで、死後の世界が真っ白な空間で表現されているのを見たことがあった気がする。でも、死後の世界にしては妙にリアルで、空気の匂いや温度まで感じられる。


「俺、死んだのかな……」


高校を卒業することはできたのだが、次の進路が決まらなかった。自分のやりたいことこれからの目標というものがどうしてもしっくりこなかったのだ。周りの同級生たちは皆、大学に進学したり就職したりと、それぞれの道を歩んでいく。そんな中で俺だけが取り残されたような感覚だった。


とりあえず、大学の受験をしてみたものの、合格することができなかった。勉強が嫌いだったわけではないが、どうにも集中できなかった。試験当日も、なんとなくボーっとしていて、気がついたら時間が過ぎていた。


そのまま、2年。たまにバイトをすることはあったものの、基本的に家でアニメ見たりゲームをして過ごしている。最初の頃は罪悪感もあったが、今では慣れてしまった。家族も特に何も言わなくなったし、このままでいいのかもしれないと思うこともある。


生きている時にまだやりたいことがあるとは思わないけど、もし死んでしまったというのならもっと色々やっておけば良かったなと思った。そんなことを思うことに自分でも驚いた。普段はそんな後悔なんてしないのに。


死んでいる可能性に一抹の不安を感じながら、俺は足早に女の子のいる方へ向かった。とりあえず、受付にいる彼女に、ここがどこなのか尋ねてみよう。


女の子に近づくと、机の上に「受付」と書かれたプレートが目に入った。どうやら、ここは受付らしい。俺が目の前に立っても、彼女はまだパソコンから目を離さない。まるで俺が透明人間になったかのような無視っぷりだ。


俺と同い年くらいだろうか。柔らかい黒髪のボブカットで、前髪は少し長め、目にかかるかかからないかの絶妙なラインで切りそろえられている。丸みを帯びたクラシックな眼鏡の奥に、藍色の瞳が静かな湖面のように落ち着いていた。透き通るような白い肌と細身の体つきは、どこか儚げな印象を受ける。胸元には名札がついており、「司書」とだけ記されていた。


よく見ると、彼女の表情は硬く、口元は不機嫌そうに引き結ばれている。眉間にも小さなしわが寄っていて、明らかに機嫌が悪そうだ。


「あの、すみません。」


俺が声をかけると、司書さんはビクンと体を揺らし、眼鏡をかけ直しながらゆっくりとこちらに顔を向けた。驚いた表情を浮かべた後、鋭い目つきで俺を見てくる。その視線には明らかに敵意のようなものが込められていた。


「……夢図書館へようこそ」


司書さんが、こちらから視線を外し、ぶっきらぼうに話す。声のトーンは事務的で、まるで迷惑な客を相手にしているかのようだった。俺、なんかしたかな?初対面なのに、なぜこんなに冷たくされるのだろう。


コンビニの店員でももうすこし愛想がいいような気がする。まぁ、俺も愛想がいい方ではないので人のことは何も言えない。でも、ここまで露骨に嫌そうな顔をされると、さすがに居心地が悪い。


ここは夢図書館というのか。その名前の通りなら、とりあえず、俺はまだ死んではいないということなのだろう。


「は、初めてここに来たんですけど、ここはどこなんでしょうか?もしかして、もう死後の世界とかですか?」


久しぶりに家族以外の人間と話すのもあり、緊張で自分の声が震えているのがわかる。司書さんは俺の質問を聞くと、明らかにうんざりした表情を浮かべた。


「……ここは死後の世界ではなくて、**夢の世界**。」


司書は、端的に説明をする。その声には、「こんな基本的なことも分からないのか」という呆れが込められていた。


「ちょっと質問なんですけど、夢ならすぐにでも起きれば現実に戻れるってことですか?」


「そう。起きれば今すぐにでも、退室できます。」


司書さんの答えは素っ気なく、まるで早く帰ってほしいと言わんばかりだった。俺がそんなに邪魔なのだろうか。


「なるほど。じゃあ、ここでは何ができるんですか?図書館と言ってたけど、見たところ本も何もないし、白い空間に司書さんがいるだけなんですけど……。」


司書さんは俺の質問を聞くと、深いため息をついた。はぁーと、まるで世界で一番面倒くさいことを頼まれたかのような表情を浮かべる。そして、机の下をごそごそとし始めた。その動作一つ一つが、「本当に面倒くさい」と語っていた。


「……では、夢図書館のご説明をします。」


司書さんは受付の引き出しから、折り畳まれたパンフレットを取り出した。パンフレットを俺に差し出す動作も、どこか投げやりだった。


「こちらのパンフレットをご覧ください。これをもとに夢図書館のご説明をさせていただきますね。ここには、個人の過去や未来について書かれた本があります。その本の閲覧や貸し出しを行っています。また、夢図書館へ来るためには、**『真夜中から夜明けの時間に、夢図書館に関する持ち物を頭の近くに置いて寝る』**というのが条件になります。」


司書さんは手元のパンフレットを見ながら、説明してくれる。ただし、その説明は完全に棒読みで、何度も同じことを説明させられてうんざりしているのが伝わってきた。たしかに最後の記憶はベッドに寝っ転がって読書をしていたことだ。その次の瞬間、夢図書館にいたのだから、本当に夢の中なのかもしれない。


「えっ、というか、過去や未来についての本があるんですか?」


「はい。」


あいかわらず素っ気ない返事だ。もう少し詳しく説明してくれてもいいのに。


「すごい図書館ですね。」


「……はい。でも、あくまで夢ですので、起きてから内容を覚えていられるかという問題があります。また、本を読める時間にも制限があります。」


司書さんの説明は最低限で、まるで時間の無駄だと言わんばかりだった。俺がそんなに気に食わないのだろうか。


なるほど。普段の夢も、起きたら覚えている時と忘れている時があるもんな。夢の内容をしっかりと覚えていられれば、未来を変えることもできるというわけか。


「そして、読める本は**一回のご利用につき一冊だけ**です。読みたい本があったら教えてください」


司書さんは俺を見ずに言った。明らかに早く決めろと急かしているようだった。


なるほど、気になる人の名前を上げればいいのか。でも、今俺がかかわっているのは家族だけだし、そんなに興味ないしな……。というか、自分の本を読んでこれから何があるか見れば色々できる幅が広がるんじゃないか?


「じゃ、司書さん。俺、水瀬悠馬の本を貸してください。」


俺がそう伝えると、司書さんの表情が一瞬、険しくなった。そして、パソコンのキーボードをカタカタと叩き始めた。その手つきは、いつもより少し荒っぽかった。


「……貸し出し中みたいですね。」


司書さんが事務的に話す。しかし、その声には明らかに冷たさが増していた。俺の本なんかを誰が借りるんだ?俺のことを好きな人が借りてたりするのだろうか。いや、引きこもり生活を四年も続けていて、誰とも交流がないのだから、そんなことがあるはずもない。


「僕の本いつ返却されるとか、誰が借りたかとかわかりますか?」


「誰が借りたかは守秘義務がありますので、お教えできません。」


司書さんの答えは冷たく、明らかに教える気がないのが伝わってきた。


人の本を貸し出しているのに、貸し出した人がわからないというのは、この図書館の守秘義務とはどういうルールなのだろう。そう思ったものの、ルールなら従うしかない。


「いつ返却されるかとかわかりますか?」


司書さんはパソコンを操作する。どうやら調べてくれるらしい。しかし、その操作も明らかに面倒くさそうだった。


「……9年前に借りられて以来、延滞しています。」


司書さんは怒ったように話す。その怒りは延滞している人に向けられているはずなのに、なぜか俺にも向けられているような気がした。9年も延滞してれば、図書館側からしたら怒るのも当然だろうが、俺に当たられても困る。


「そうなんですね。じゃあ他の人の本を借りようかな。」


と言いつつ、誰の本を借りようか考えた。身近な人の方が面白いだろう。でも、最近家族としか関わっていないし……。あ、そうだ。夜に食べようと思っていたアイスが誰が食べたのかとか、わかるんじゃないか?


一番怪しいのは妹の美咲だ。でも、問いただしたけど、しらばっくれていた。けどその顔がなんか怪しかった。次点で父親。でも、父親はまだその時リビングにいてドラマを酒飲みながらドラマを見ていたから、多分違う。


「じゃあ、水瀬美咲の本をお願いします。」


そう話すと、司書さんは「……かしこまりました。」と言って、再びパソコンを操作する。その「かしこまりました」も、心がこもっていなかった。


「水瀬美咲さんの本は貸し出しができます。この図書館で読んでいきますか?それとも持ち帰りますか?」


ここで読んでいくか、持ち帰るかの選択肢があるらしい。どちらでもよさそうに感じるが、どうしようか。そう悩んでいると、司書さんが矢継ぎ早に説明を加える。


「あ、でも持ち帰りの際は気を付けてくださいね。**返却期間を過ぎてしまうと、ペナルティ**があります。」


司書さんは表情を変えず言う。しかし、その声には何か含みがあるような気がした。まるで、「あなたみたいな人は絶対に延滞する」と言わんばかりだった。


「そんなルールもあるんですね。じゃあ、最初だしここで読みます。」


俺は少し冷や汗をかきながら答えた。司書さんの冷たい視線が、俺を見透かしているような気がしたからだ。


司書さんが「本を持ってきますね」と受付の奥の白い壁を押すと、壁が扉のように音もなく開いた。司書さんが奥へと入ると、壁の扉が閉まる。そこには何もなかったかのように、ただ白い壁が立ちはだかっていた。


しばらくすると、また白い壁が扉のように開いた。そこから、司書さんは一冊の本を抱え出てくる。


「こちらが、水瀬美咲さんの本です。図書館では読める時間に制限があるので、読みたいところだけを読むのがオススメですよ。」


と本を受付の上に置きながら、説明された。その説明も相変わらず事務的で、俺への配慮は感じられなかった。


「その時間はどのくらいになるんですか?」


「個人差があるので、なんとも言えないのですが、短くて10分。長くて1時間になります。」


俺は急いで「水瀬美咲」の本を受け取った。意外と本を読める時間が短い。司書さんは俺が本を受け取ると、すぐに次の作業に移ろうとした。


「俺はどこでこの本を読んだらいいですか?」


「……では、私についてきてください。」


司書さんはそう言って、受付から出て、俺を案内した。その足取りは早く、まるで早く案内を終わらせたいかのようだった。司書さんは右側の壁を両手で押すと、扉のように開いた。その中には、白い机と椅子が二列で十個、均等に並べられていた。


「こちらが閲覧室になります。席は自由ですので、お好きな場所をご利用ください。退室時間になりましたら、声をかけさせていただきますね。」


「わかりました。ありがとうございます。」


俺がお礼を言っても、司書さんは特に返事をせず、そそくさと閲覧室から出て行った。まるで俺と一緒にいることが苦痛だったかのように。


俺のほかにも閲覧室を利用している人がいて、二か所ほど席が埋まっていた。なぜか、その人たちの顔ははっきりと見えず、性別すら曖昧だ。この人たちも夢を見て、この図書館に来ていたりするのだろうか。


そんなことを思いつつ、俺は空いている席に着いた。「水瀬美咲」の本はハードカバーの単行本くらいの大きさで、表紙にはでかでかと「水瀬美咲」と書かれていた。


一ページ目を開くと、目次があった。2008年から2090年まで日付がずらりと並べられており、その下にページ数が書いてある。次のページをめくった。


2025年3月3日(月)


今日の深夜、冷蔵庫にアイスを見つけた。


多分、兄貴のだとは思うけど、名前を書いていないからいいよね。


ちょうど兄貴もお風呂に入り始めたから、これはチャンス。


急いでアイスを部屋に持っていった。蓋を開けて、一口。ひんやりとろけるような甘さが口いっぱいに広がって、最高に幸せな気分になった。


気づいたら全部食べちゃってた。


その後、兄貴にアイスを知らないか聞かれたけど、しらばっくれちゃった。でも、美味しいものは仕方ないよね。



俺は本を閉じ、深い溜息をついた。


やっぱり美咲だったのか……。まさか、冷蔵庫の奥に隠してあった俺のアイスをなぜ見つけられたんだ?そして、妹の本でこんなに早く解決するとは……。夢図書館、恐るべし。


妹のことだから、たぶんまた同じことをするだろう。


「どうしてやろうかな……。今度アイス買ってきたら、あいつの嫌いな抹茶アイスに中身を変えとこうかな……」


俺はそっと決意した。美咲は抹茶が大嫌いだから、一口食べれば悲鳴を上げるだろう。そうすれば、昨日食べたアイスの犯人を問い詰めることができるわけだ。われながらナイスなアイデアである。


その時、彼女がどんな顔をするか想像すると、少しだけ気分が晴れた。


「退室の時間です」


司書さんから声がかかった気がした。


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