表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掃除  作者: ぬん
5/10

放課後

その日、太陽は出ていた。 けれど、光はどこか白く霞み、世界が少しだけ“音を吸い込んだように”静かだった。


教室の空気も、普段よりよどんでいた。 何かが起きる前の、湿った匂い。 人間が本能で感じ取る、「変化の前兆」。


澤野優太は、いつものように座っていた。 ノートは開かれているが、ペンは進まない。 ページの隅に、爪の跡が残っている。


目は何も見ていないようでいて、すべてを捉えていた。


大翔「なぁ、お前、ほんとに気持ち悪いんだよな」


声がした。 三輪大翔だ。


大翔「ノート取ってるフリして、ずっと女子の足見てんじゃねーの? なあ? 佐伯〜〜〜?」


大翔の言葉に、佐伯凛音が笑う。


凛音「うわ、それ最悪〜〜。ほんと無理〜。きもちわる〜〜い」


彼女の声は、軽やかだった。 羽のように宙を舞い、刃のように鋭く胸を刺す。


凛音「……これさ、ガチで先生に相談した方がいいかも〜。『私、盗撮されてるかも』って」


笑いながら、凛音は優太の机をコン、と叩いた。


凛音「でもね、優太くん? 盗撮とかじゃなくても、そういう“目”って、ほんと女の子嫌がるの。わかる? それって“性加害”って言うんだよ」


机の上に置かれていたノートが、凛音の指に弾かれ、床に落ちた。


静かな音だった。 でも、その音が、優太の中の何かを確実に引き裂いた。


彼は立ち上がった。 無言で、音もなく、ただ体を起こした。


教室に残っていた生徒はすでに数人だけ。 その中で、誰も動かない。 いや、誰も“動けなかった”。

凛音は一歩、優太に近づいた。


凛音「なに? 黙ってたら全部許されると思ってんの?」


その瞬間。


“何か”が音を立てて崩れた。

優太の手が動いた。 机の脇に隠していた袋から、銀色の金属が光を反射する。


次の瞬間、凛音の声が止まった。


凛音「……あ――」


腹部への一撃。 刃ではない。鈍器だった。 凛音の体が後ろへ倒れ、机の角に後頭部をぶつけた。


凛「…えっ……あっ……」


その言葉も、途切れた。 次に響いたのは、何かが床に落ちるような音。 そして、足元に広がる濃い赤。

誰かが息を呑んだ。 教室の中の酸素が、突然足りなくなった気がした。


誰も、動かなかった。


優太だけが、静かに凛音を見下ろしていた。 まるで“正解を確認している”ような目で。


十分後。


三輪大翔が戻ってきたとき、教室にはもう凛音の姿はなかった。 だが、床には血が残っていた。


大翔「……おい……な、なに、これ……おい……っ」


優太は、大翔の後ろから近づいた。 手にはまだ、先ほどの金属の塊が握られている。


大翔「おい、やめ――やめろって! 冗談だって! なあっ!」


その叫びは、校舎の外には届かなかった。


優太の口から、初めて言葉が出た。 それは、ずっと温め続けていた硫酸のように、低く、濁っていた。

大翔は唇を震わせた。 何かを言おうとするが、言葉にならない。


優太「お前も、同じになる」


その言葉に、大翔は首を小刻みに振った。


そして――言った。


大翔「 か、海斗だよ、あいつが全部やろうって……俺は、俺は止めたのに……!」


その瞬間、優太は手の中の凶器を下ろした。

代わりに、声をかけた。


大翔「……ついてこい」


その言葉の裏には、選択肢などなかった。


河川敷。夕暮れ。


大翔の遺体が地面に横たわる。 その口は、何かを言いかけたまま止まっていた。


その横で、優太はスコップを握りしめていた。 そして、その隣には――遥がいた。


遥「……やっちゃったんだね」


彼女は静かに言った。


遥「でも、私は怒ってないよ」


優太は何も言わない。

遥はゆっくりとスコップを手に取る。 手に土がついても、気にしない。 服が汚れても、気にしない。


遥「……もう全員に、“仕返し”する?」


その問いに、優太は小さく、こくんと頷いた。

遥は微笑んだ。


遥「じゃあ、急がないとね」


ふたりは無言で、地面を掘り続けた。 土の中に沈んでいくのは、罪ではなく――痛みだった。


手を繋いで歩く帰り道。 夕焼けはもう沈みかけていた。


そして二人の顔は、あまりにも清々しく、静かに笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ