6.日常へ
朝、目が覚めた私は実に爽やかな気分だった。
ぐっすり眠れたし、悪夢も見なかった。顔のむくみもない。今日は勝てる気がする。
ダイニングには、蒸し野菜たっぷりの朝食が並んでいた。ほうれん草、カボチャ、パプリカ、それにアカンサス風の豆スープ。胃に優しいし、彩りも完璧。まさに女神の食卓。
「ふふっ、今日は何だかいい一日になりそう」
そう呟いた矢先、部屋にネストルが入ってきた。手には何かを抱えている。
「殿下、朝刊と……ああ、はい。今日も届いております。今朝のスポーツ紙です」
私は豆スープをすすりながら、受け取った紙面を広げた。
――次の瞬間、鼻からスープを吹きそうになる。
《皇女、ついに夜の街デビュー!? パンティ姫、魔都に降臨》
《風俗街で自分探しか? 目撃者「殿下は熱心に看板を見つめていた」》
「ふざけんなああああああああ!!」
爽やかだった朝が秒で崩壊した。
私は新聞を丸めてネストルに投げつけた。彼はそれを見事にキャッチして肩をすくめる。
「いやぁ、ちゃんと目撃されてましたねえ。記者の執念ってすごい。俺、あんなに囲まれたの初めてっす」
「どこの変態記者よ!風俗街で自分探しって、間違っちゃいないけど……違う、違う、そもそも語彙どうなってんの!?日本はもうだめです……」
「殿下、日本じゃなくて東亜です!よく間違えられますけど、日本って何ですか?」
「今はそんなことどうでいいから、くそっ、奴らますます悪質ね……」
私はふぅーっと深呼吸して、トマトを一口噛む。
……怒ってても野菜は美味しい。野菜に罪はない。
「……で、今日は何があるんだっけ?」
「はい、午前中は転入予定の『東亜帝都高等学校』の校長先生と担任の先生にご挨拶。警備体制の確認も兼ねています」
「なるほど、私の身辺警護に支障が出ないか事前にすり合わせね。合理的だわ」
「午後は少年野球の試合観戦です。地域の子どもたちとの交流が目的だとか」
「へぇ……河川敷でってこと?意外と庶民的な……」
「ま、スカートで行かないほうが無難かもしれませんけど?」
「……フラグ立てないでよね?」
午前の訪問先は、まるでドラマに出てくるような歴史ある高校だった。煉瓦造りの本館に、手入れの行き届いた校庭。
校長は柔和な老紳士で、担任になる先生はちょっと神経質そうな眼鏡をかけた男性教師。事務的な挨拶のあと、警備チームとの簡易打ち合わせを終えて、昼過ぎには校舎を後にした。
そして午後――私は河川敷で、観客に混ざって少年野球の試合を観戦していた。
野球なんて何年ぶりだろう。帽子がぶかぶかの子が走る姿は、見ているだけでほっこりする。
帝国でも球技はあるけど、こういう雰囲気は日本――じゃなかった、東亜ならでは。
……と思っていた矢先。
私の背後から、ひょいっと手が伸び――
――ふわっ。
「へへっ、お姉さんパンツ丸見えだよ」
無邪気な声が耳元で聞こえた。
私はゆっくりと振り返る。
そこには、前歯の抜けた少年。悪びれもせず、にっこり笑っていた。
周囲の空気が凍る中、私は――
「坊や、そういうことをすると、大人になったとき困るわよ?」
にっこり。
笑顔のまま、上品に、しかしハッキリと諭した。
少年は目を丸くしたあと、真っ赤になって逃げていった。観客席がどっと笑いに包まれた。
……だが。
翌日。例のスポーツ紙は、こう書き立てた。
《パンティ姫、今度は球場でお披露目!?》
《少年のいたずらに微笑返し? 少年の性癖崩壊》
「もう……この国のスポーツ紙、滅ぼしていい?」




