6.見解の相違
由佳や麗子と楽しくお喋りしている磨瑚を横目で見遣りながら、藍岳はこんなにも自分と正反対のひとが居るのかと、内心で溜息を漏らした。
(ホンマに、綺麗なひとやな……こんなひとが身近に居ったら、俺もこんなに捻じ曲がらんと、もっと真っ直ぐに育ってたやろか)
しかもただ美しいだけではなく、明るくて、元気で、周りに気を遣いつつ、それでもいいたいことはバシっとしっかりいい切る強気な部分もある。
こんな女性がカノジョだったら、どんなに明るい人生を送ることが出来ただろうか。
実際、入学当初から磨瑚のことは何となく気にはなっていた。
気が付けば、いつの間にか目で追っていたこともあった。
もっと正直にいってしまえば、密かに惚れていた。完全にひと目惚れだった。
しかし、そんなことをいえる筈も無い。相手はクラスどころか校内屈指の美女だ。明るい世界で生きている異次元の住人だ。
だから、磨瑚の方から声をかけてきた時には心底驚いたし、躍り上がりたい気分でもあった。
それでも極力、塩対応に徹した。
彼女からの声掛けはあくまでも場の空気を和ませる為の措置であって、自分に対して気がある訳ではない。
絶対に勘違いするなと、己を戒めた。ここで変に浮かれてしまっては、それこそキモい奴だと敬遠されてしまう。
それ故、隣の席になった時も、美術でお互いに模写をすることになった時も、感情を面に出さない様にと必死に自分を律した。
これ程の美人で、しかも陽キャの側に居る彼女だ。きっとカレシなどとうに居るか、或いはすぐにその辺のイケメンが磨瑚をカノジョとしてしまうだろう。
自分なんぞに出る幕は無い。
先程、磨瑚に暗殺術など行使する訳にはいかぬと自らにいい聞かせたのも、本音の部分をいえば闇の世界から足を洗いたいからではなく、単純に彼女が好きだからだ。
どんな理由があろうとも、絶対に磨瑚に対してだけは、薙楽法忍道など使いたくない。
それが本当のところだった。
(晴澤さんが俺の頼みを聞いてくれて、ホンマに助かった……)
藍岳は、今日はもう何もせずに大人しくしておこうと自らにいい聞かせつつ、ほっとした気分でアイスカフェオレを喉の奥へと流し込んだ。
ところがここで、磨瑚が不意打ちの如き勢いで振り向き、いきなり藍岳に水を向けてきた。
「そいやぁさ雪灘君、部活とか入ってないの? あんだけ絵が上手いんだったらさ、美術部とか漫研とか、どこでも入れんじゃない?」
「いやそんなんもうエエですわ。俺ホンマにひと付き合いなんてまともに出来へんので……」
何とか磨瑚の協力で秘密を隠し通して貰えることになった為か、すっかり気が抜けていた藍岳。
ところがどういう訳か磨瑚のみならず、由佳も麗子も、もっといえば祐希すらも呆然とした顔で藍岳に視線を集めていた。
「どうかしました?」
「え、いや……ってか、雪灘君、関西のひとだった?」
磨瑚が物凄く興味津々といった様子で、その美貌を間近に寄せてきた。由佳と麗子も身を乗り出して、藍岳の黒縁眼鏡に目線をぶつけてくる。
藍岳は訳が分からず、眉間に皺を寄せた。
「何でそんな話が出てくるんですか?」
「だってさっき、めっちゃすんごいナチュラルに、さらっと関西弁話してたけど?」
尚も食い下がる磨瑚に、そんな馬鹿なと藍岳は幾分乾いた笑いを漏らした。
東京に移ってきてからは、極力地元を匂わせない様にと気を張り詰めてきたのだ。
そんなことが、あろう筈が無い――と思っていた藍岳だが、もしかすると何かの拍子で気が抜けて、ぽろっと出ていたかも知れない。
藍岳にとって、京都での生活は完全に黒歴史だ。可能な限り記憶の片隅へと追いやってしまいたい、忌まわしい闇だ。
だから関西弁はなるべく口にしない様にと努めていたのだが、それでも長年身に染みついた方言は、どうしても出てしまうものなのだろうか。
「雪灘って、出身どこ?」
麗子がずばりと切り込んできた。
流石に嘘をつくのは、気が引ける。関東出身だと偽ったところで、変なところで関西弁が出てしまったら、後で辻褄が合わなくなるだろう。
ここは、観念するしかないか。
「えぇと……京都ですけど」
「あぁ~、やっぱそうなんじゃん。アタシてっきり聞き間違いかと思っちまったよ~」
何故か由佳が、めでたしめでたしと変な相槌を打っている。
藍岳は動揺を悟られまいと、極力表情を消してアイスカフェオレのストローを咥えた。
「てかさ、雪灘って割りとこう、良いキャラしてるよな。喧嘩強ぇし、関西弁だし、絵もウメぇし。そんだけ強みあんだからさ、もっと友達居てもおかしくねぇんじゃね?」
祐希が心底不思議そうな面持ちで問いかけてきた。
しかし藍岳は、自分は欠陥人間だからそういうのは無理だとかぶりを振った。
「なぁ~んか、それって勿体無いよねー。うちだったらさ、こんなん出来ちゃうけど俺と友達どう? ってなカンジでぐいぐいイっちゃうけど」
麗子曰く、藍岳ぐらいの色々なスキル持ちなら合コンとかでも良い線イケるとの話だった。
しかしそういう場でも矢張り強者は、明るい陽キャだ。藍岳の様な陰気者の出る幕ではない。
「だったらさぁ、あたし達ともっと一緒に遊ばない? 雪灘君のイイとこ、もっと見つけてあげるからさ」
「あの面倒なひとと揉めんの邪魔臭いんで、やめときます」
この時、藍岳の頭の中には俊也の鬱陶しそうな顔がちらついていた。あんな俺様系イケメンと関わり合いになるのは真っ平御免だった。
「いや、それいっちまったら俺も箱崎苦手だし。アイツさぁ、引っ張ってくれんのは良いんだけど、ちょっと強引っつうか、全部てめぇ基準だから、時々ウゼぇ時あるんだよなぁ」
「あー、今のもっかい頼むわ。アタシが録音して明日、アイツに聞かせとくから」
由佳がスマートフォンの録音アプリを立ち上げて差し出すと、祐希はやめてくれと心底嫌そうな表情を返していた。
(何か色々、見解の相違があんなぁ)
藍岳は内心で小首を傾げた。