昇格試験
「リィさん、おはようございます!!」
ダブス湿地帯から帰った翌朝、僕は両手に抱えきれないほどの素材を持って、リィさんのお店の扉を叩いた。もしも素材を採取できたら、開店前の時間に持ってきてほしいと頼まれているのだ。
「おはよう、ルート君。素材、沢山採れたみたいだね」
「はい!!」
扉を叩いて少し待つと、実験着を着たリィさんが顔を出した。手には試験管を持っているので、作業をしていたのかもしれない。僕が慌てて店に入ると、リィさんは試験管を軽く揺らしながら笑った。
「これは今から工房に持って行くだけで、作業を中断してきたわけじゃないよ」
「……そう、なんですね。安心しました」
「今日はルート君が来ると思ってたから、一日実験する予定ではあるけどね」
そう言って歩き出すリィさんを追いかけ、工房へと向かう。工房の作業台の上には、様々な実験道具が所狭しと並べられており、リィさんのやる気が伝わってくる。僕はリィさんに指示された場所に素材を置いてから、奥の小部屋に入る。
「本当は、ルート君が持ってきてくれた素材を一つ一つ確認して、代金を払うのが先だけど、今日は特別。先に、ルート君の装備について話をしよう」
「もしかして……」
リィさんは悪戯っぽく笑って、僕が足元に置いておいた箱を指差した。この箱の中に入っているのは、レギナ・サラマンダーの尾だ。僕が無言で箱を机に置くと、リィさんは僕に一言断ってから、興味津々と言った様子で箱を開けた。
「昨日、レギナ・サラマンダーの魔石が売りに出された話は耳に入ってきてたの。そのうえ、そんな箱を持ってるから、ルート君たちが討伐したんだなと思って」
「この箱、そんなに凄いんですか……?」
「凄いよ。収納空間を広げる魔法が掛かってる保管容器は多いけど、これは、その中でも一番高級なやつじゃないかな? 物凄くいい状態で保存されてる」
この箱は、内部の温度などの状態は勿論、見た目以上の収納もできるという優れものらしい。素材採集を専門にしている冒険者でも持っている人は少なく、今の僕の稼ぎでは絶対に変えないようなお値段だそうだ。
「そ、そんなに高級なものなら、返した方が……」
「多分、ルート君を応援する意味もあって箱をくれたんだと思うし、気にしなくていいと思うよ。オリヴィアは、基本的に採集依頼は受けないし」
「そうなんですか?」
「そうそう。道具も使ってもらった方が良いだろうから、気にせず使って、沢山素材を持って帰ってきてね」
半分くらい、リィさんの要望も入っている気がするが、オリヴィアさんも必要なものなら僕に渡したりしないだろう。いつかこの恩は返すことにして、有難く使わせてもらおう。
「それで、話を戻すけれど、この素材でルート君の装備を作るんでいいかな?」
「はい!! そう思って持って来たんですけど、どんな装備が作れるか、よくわかってなくて……」
昨日の夜、借りていた巻物で調べてみたのだが、そもそもダブス湿地帯にレギナ・サラマンダーが出現したことは無い。詳しい記述は一切なかったため、加工品についてもわからなかったのだ。
「それを説明するのも、錬金術師の仕事だから大丈夫。とはいえ、レギナ・サラマンダーの効果自体は一つしかないから、問題は、何に加工するか、だけなんだよね」
「効果が一つって、どの部位を取ってきても、同じ効果のアイテムができるってことですか?」
「部位によって効果の強さは違うけどね。後、加工しやすさも変わるけど、基本的には同じ。錬金術で素材の特殊効果を取り出す術があるんだけど、それを使って取り出せる効果は同じと言うか……」
その辺りの説明は、錬金術をきちんと理解していないと難しそうだ。僕が必要であろうアイテムに加工できるなら問題ない。細かいことは、一通り説明を聞いてから考えよう。
「レギナ・サラマンダーの素材からは、火炎耐性効果のあるアイテムを作ることができます。とはいえ、本物のサラマンダーとは違い、完全な耐性を得ることはできません。ある程度までの火炎の無効化と、無効化できない威力の火炎を軽減するという効果になります」
「十分凄い気が……」
「それだけ強い魔物ってことだよ。特殊効果だけ取り出す術を使ってもいいけど、ルート君はまだ装備品が完全にそろっているとは言えない状況なので、今回は、グローブかブーツに加工することをお勧めします」
「そうですね……」
素材として持ち帰ることができたのは、斬り落とした尾の一部だけだ。鎧などを作るには少々大きさが足りないだろう。僕は腰のベルトに引っ掛けておいたグローブを手に取り、見る。剣の練習を始めたころ、適当な動物の皮で作った簡単なものだ。グローブは消耗品なので、あまり思い入れもない。
「…………装備を変えるなら、グローブの方かな」
「そうだね。レギナ・サラマンダーの皮は魔力を通せば状態が回復するから、手入れも簡単になると思うよ」
「凄いですね」
「魔物の素材を使った製品の特徴だよ。でも、素材を持って帰る方が面倒だからって金属製の武具を使う人の方が多いけどね」
魔物の素材を使ったアイテムは、魔力を通すことである程度の損傷を回復できるらしい。冒険者からすれば有難い効果だとは思うが、入手困難なので金属製の武具を使っている人の方が圧倒的に多いという。
「効果によっては加工しても実用性がなかったりするけど……」
「火炎耐性があるグローブは、使い道が多い気がします」
単純に、火を吹くような相手だった場合、剣を手放さずに戦うことができるというのは大きい。他にも、高温の素材を採取する必要がある時など、使い道は色々とあるだろう。
「リィさん、加工、お願いできますか?」
「勿論。昨日、話を聞いた時点である程度準備をしておいたから、すぐに作れるよ」
グローブを作るだけなら、一時間も掛からないという。言いながら、既に作業を始めたリィさんの隣に移動する。手元を覗き込もうとすると、無言で手を見られたので、差し出すと、型紙のようなものを当てられた。何度か型紙と手を見比べた後、赤い線で型紙に修正を入れ、リィさんは再び作業に戻る。
「フルオーダーメイドって、どのくらい掛かるんだろ……」
僕の手の形に合わせてもらっているので、使い心地は圧倒的に良くなるだろうが、ちょっと値段が心配である。ぽつりと呟くと、リィさんが大丈夫だよ、と笑った。
「今回取ってきてもらった素材で十分支払える額だから。それに、Eランク冒険者に比べてDランク冒険者は一回の依頼で支払われる額も多いし、今回、レギナ・サラマンダーを倒したんなら追加報酬も貰えるかもしれないよ」
「追加報酬?」
「本来、ダブス湿地帯にレギナ・サラマンダーは出ないからね。他の冒険者の安全を守ることにもなるから、組合からじゃなくて、国から追加報酬が出るの」
冒険者の数を減らすわけにはいかないので、冒険者ランクや依頼難易度を設定し、無理のない活動を呼び掛けているのだ。そんな中、低ランクの活動地域に高ランクの魔物が出たとなれば大きな損害が出る恐れもある。そう言った被害を防いだ、ということで追加報酬が支払われるらしい。
「今回、Bランクパーティのオリヴィアが、Dランク冒険者が良く行くダブス湿地帯にいたのも、異変がないかの確認だったんだと思うよ」
「成程……」
定期的な安全確認の途中に、レギナ・サラマンダーと遭遇したらしい。そう思うと、今回、僕がレギナ・サラマンダーを倒せたのは本当に幸運だったのだろう。
「そういえば、レギナ・サラマンダーを討伐したなら、Cランク昇格くらいできると思うんだけど、どうなの?」
「あ!!」
そう言われて、僕は思い出した。ランク昇格ができそうだったら教えるから、出掛ける前に受付に寄るように、と、アンリさんに言われていたのだ。今はまだ、どのお店も空いていない時間帯で、活動を始めている冒険者も少ない時間帯なので大丈夫だろうか。
「す、すみません、僕、組合の方に戻らないと……」
「気にしないで。完成したら、今回の代金と一緒に届けておくから」
「ありがとうございます!!」
一刻も早く組合の方に戻らなくては。僕はリィさんに頭を下げてから、真っすぐに扉に向かって駆け出した。
「あ、アンリさん、すみません、寄るの、すっかり忘れてて……」
「ルート!! よかった、丁度話が纏まったところなの」
勢いよく組合に入ると、受付カウンターの奥からアンリさんが顔を覗かせた。どうやら間に合ったらしい。手招きされたので受付に近付くと、入り口からは死角になっていた場所に人影があることに気付いた。
「ルート、おはよう」
「おはよう、シャムロック君。クローさんとサシャさんも、おはようございます」
「……ああ」
「おはよう」
受付にいたのは、見慣れた三人組だった。先程、アンリさんは話が纏まった、と言っていたので、次の依頼はこの三人と一緒に行くことになるのだろうか。
「じゃあ、もう一回最初から説明するね。まず、ルートについてですが、昨日レギナ・サラマンダーを討伐したことで、Cランク昇格の目途が立ちました」
「良かったね」
「Bランク相当の魔物だからな。オリヴィアと二人で倒したなら、昇格の話は出るだろう」
だが、気になるのが、昇格できます、ではなく、昇格の目途が立ちました、という言葉だ。つまり、目途が立っただけで、今すぐに昇格はできないということだろう。僕が無言でアンリさんの顔を見ると、無言で微笑みを返された。
「きちんと話を聞けるのは大切だよ、ルート。お察しの通り、Cランク昇格はすぐにはできないよ」
「ですよね……。最初の時みたいに、クローさん達に引率してもらう感じですか?」
尋ねると、アンリさんはその通り、と頷いた。
「討伐依頼の時とは違って、今回は引率ではなくて試験監督になるんだけど、大体同じ感じかな。今回はルートだけじゃなくて、シャムロックもCランク昇格依頼を受けるから、二人の採点係ってことになるよ」
「シャムロック君、まだDランクだったんだ……」
「中々、受ける機会が無くて」
意外だが、僕と同じでDランクだったらしい。昇格試験を受ける許可自体はかなり前から降りていたらしいが、丁度いい依頼が無かったので今迄昇格していなかったらしい。今回、あっさりと昇格の段取りが整った僕は運が良いのだろう。
「今回も、クローが試験官で良いんだよね?」
「……普通、身内には昇格の試験官をさせないと思うのですが」
アンリさんが確認すると、不機嫌そうな、低い声でクローさんが答えた。一般的には、知り合いの昇格試験を担当することは無いらしい。ランクが上がれば依頼の達成料も多くなるため、不正な昇格をしようとする人もいるからだ。
「クローは、身内だからって採点基準を甘くしないから大丈夫。逆に、身内だからこそ厳しめに採点するだろうからね。甘くなる分には問題だけど、厳しくなる分は、まあ、大した問題にならない」
「…………わかりました。受けます」
「ありがとう。なら、依頼の内容を説明するね」
今回の依頼は、物資輸送中の護衛だ。何でも、王都から西に向かった場所にある火山地帯で訓練を行っている竜騎士団まで、追加の食料や消耗品を持って行くらしい。依頼主は王宮に仕えている貴族の一人で、輸送団の代表としてその家の一人娘が一緒に行動するらしい。
「王都付近は普段から冒険者が活動しているから魔物も少ないけど、火山地帯は殆ど人が行かないからね。道中、食料品を守りつつ、更に貴族のご令嬢を守って進むのは中々に大変だと思うよ」
「……火山地帯、というのは、リカンウェア火山ではないですよね?」
「クロー、よく知ってるね。そこだよ」
アンリさんが頷くと、クローさんが眉間に指先を当てた。サシャさんも微妙な表情を浮かべている。どうやら、一筋縄ではいかない場所のようだ。
「竜騎士団の訓練には丁度いいかもしれませんが、ご令嬢が行くような場所ではないでしょう」
「あ、大丈夫。ご令嬢と言っても、国内でも有数の武闘派貴族、カークランド家のお嬢様だから。一応、彼女の護衛役も別にいるから、余程のことがない限り平気だよ」
「……それなら戦力的には安心ですが、別の問題が」
そういうと、クローさんは僕とシャムロック君を交互に見た。どうしたのだろう、と首を傾げると、深々と溜息を吐かれた。
「サシャはそのためですか?」
「試験監督の他にも物資管理役も必要だから、主な仕事はそっちかな。多分、そういうことはクローの方が得意でしょ?」
「…………そうですね」
クローさんが頷くと、アンリさんは細かい依頼内容が書かれた紙を手渡した。続いて、僕とシャムロック君、サシャさんにも一枚ずつ、役割や依頼内容が書かれた紙を渡してくれる。護衛依頼の出発は明日で、朝一番に城門前で待ち合わせることになっているようだ。今日は三人と一緒に依頼の準備をすることになるのだろう。
「貴族のお嬢様の護衛をするのも、騎士団に物資を届けるのも、ルートにとってはいい経験になると思うから、頑張ってね」
「はい!! 頑張ります!!」
「じゃあ、残りの説明はクローに頼んでいい?」
クローさんが小さく頷くと、アンリさんは別の仕事があるのだろう、カウンターの奥へと戻っていった。僕はクローさんに手招きされ、階段の方へと向かう。クローさんの部屋で詳しい説明をしてくれるのだろうか。
「出現する魔物の情報共有とかですか?」
「違う。魔物の知識も重要だが、もっと根本的な問題がある」
「あ、装備品の確認ですか? 火山地帯ってことは、暑いですよね。後は、熱に強い装備品とかも必要そうですし」
「それは依頼主が準備してくれる」
なら、どんな問題があるというのだろうか。戸惑っていると、クローさんに早く部屋に入るよう急かされる。部屋の片隅に置かれた大きな鞄以外に、全く物が置かれていない。椅子の数も人数分ないので、どうしようかと思っていると、クローさんは自身の鞄を立て、その上に腰掛けた。
「最初に、依頼の日程を確認しておく。明朝、城門前で依頼主及び物資輸送隊と合流。そのまま王都から出立し、目的地であるリカンウェア火山を目指す。此処までは理解しているか?」
「うん」
「大丈夫です」
先程、アンリさんから貰った書類にも書かれていたことだ。僕とシャムロック君が頷くと、クローさんは低い声で問いかけてきた。
「この時点で、現時点のお前たちでは解決できない問題がある。何だかわかるか?」
僕は押し黙った。道中の魔物知識がないことは問題ではないだろう。Cランク昇格試験ではあるが、あまりにも太刀打ちできないような魔物が出現する地域に行くとは思えない。と、なると、問題は戦闘面ではなく、もっと他の部分。護衛経験がないことや、物資輸送の段取りを把握していないことだろうか。
「……シャムロック君、護衛依頼を受けたことある?」
「商隊の護衛は、何回か」
なら、護衛経験や、物資輸送が問題ではない。出立後に問題がないのなら、考えるべき問題点は、出立前にある。そこまで考えて、僕はあることに気が付いた。
「……商人の護衛はしたことがあっても、貴族の護衛はしたことがない?」
「うん。クローと、サシャの二人で護衛に行ったことはある筈だけど」
これが答えではないか。勢いよくクローさんの方を見ると、小さく頷かれた。僕達が、真っ先に解決しなくてはいけないこと。それは、貴族に対する礼儀作法を知らない、と言うことだ。
「……王都に住む貴族、それも、冒険者に依頼を寄こすような貴族は多少、礼儀作法がなっていなくても見逃してくれる。が、それはあくまでも、温厚な相手だけだ。貴族相手の依頼が増えてくるCランク以上を目指すなら、挨拶くらいは完璧にこなせる必要がある」
「特に、ルート君は騎士を目指すなら、この機に完璧にしておいた方が良いと思って」
「はい。よろしくお願いします」
礼儀作法に関しては、相手を不快にさせない必要最低限しか教わっていない。じいちゃんは騎士団に入れば自然と身につく、とか言っていたが、早めに身に着けておくに越したことは無いだろう。頭を下げて教えを乞うと、クローさんが無言で立ち上がった。
「……頭の下げ方からやった方が良いな。最悪の場合、頭を下げて待機しておけばいい」
「そんなに駄目ですか……?」
「知らないことはできない。当然だろう。時間が足りなくならないように、優先順位をつけているだけだ」
まずは目上に対する挨拶をする場合からだな、とクローさんは平坦な声で言い、僕の背中に手を当てた。徐々に姿勢が矯正されていくが、その度に普段使わない部位が伸び、うまくバランスを保てない。
「取り敢えず、その姿勢を暫く保てるようになれ。それができたら、挨拶の手順を通しで見せる」
「は、はい……」
姿勢を保つ練習をしている間に、魔物の知識や目的地までの道順を口頭で説明してくれるらしい。無駄な時間を過ごす気は一切ない、というクローさんの意思が伝わってくる。僕は気合を入れ直し、全身に意識を集中させたのだった。
「基本の動きは身についている。後は、堂々と、相手に敬意を忘れなければ大丈夫だろう」
「はい!! ありがとうございます」
翌朝、集合時間ギリギリまで練習していた僕は、何とかクローさんの合格を貰うことができた。昨日の夕方に届いた火炎耐性グローブも身に着け、準備は万端だ。
「頑張るぞ!!」
憧れの騎士団に会うこともできる依頼だ。完璧にこなして、Cランク昇格して見せる。決意を新たに、僕は集合場所へ向かって歩き出した。扉を開けた瞬間、城門の方が騒がしいことに、この時の僕は違和感を抱かなかったのだった。
次回更新は11月4日17時予定です。