魔法と魔術
「ちょっと!!」
サラマンダーが大きく声を上げると同時に、水の玉をさらに覆いつくすような火柱が上がる。じゅうっ、と大きな音がして、巨大な幼体よりも大きかったはずの水の玉は一瞬で見る影もなくなってしまった。
「…………流石に水で囲っただけでは蒸発させられるか」
だが、とクローさんが小さく呟く。一瞬でも意識が逸れ、隙ができたことは確かである。僕は既に剣を構え直し、隊長さんと目を合わせると同時に走り出した。
「行くぞルート!!」
「はい!!」
僕と隊長さんが同時に動き出せば、サラマンダーの意識は当然、隊長さんの方に向く。なので、僕は隊長さんの体で隠れる様な位置取りを意識しながら走る。更にクローさんが僕を隠すように魔法を使えば、相手から僕を見ることは不可能に近い。
「貴方も動きなさい!! 次の女王は役目があるのだから!!」
僕の動きが見えないことに焦ったのか、サラマンダーは女王アリに向かって叫んだ。僕は魔力が殆どないので、魔力を頼って探すことも難しいのだろう。それならば、女王アリに幼体を守らせた方が良い、と判断したようだ。
「隠す気が無いな」
「もう知られていることを隠し立てしても仕方がないでしょう」
クローさんは更に相手の意識を逸らすためか、挑発するような口調でサラマンダーに話しかける。クローさんの思惑を考える余裕はないようで、サラマンダーは燃えるような瞳でクローさんを睨み付けながら女王アリに指示を出す。
「ほら、上位種である魔族からの命令よ。次の女王を守りなさい!!」
「…………リュノ、そいつの足止めをしろ。ルートは幼体にとどめを刺せ」
隊長さんが幼体のもとに向かおうとしたサラマンダーの目の前に立つ。流石に、隊長さんを一瞬で倒したりすることは無理らしい、サラマンダーは足を止め、口の端を歪めた。僕は指示通り、足を止めず幼体の近付く、が。
「で、でも、女王アリが……」
女王アリの方が、幼体と近い位置にいる。全力で幼体に斬りかかっても、横から女王アリに攻撃されると倒しきるのは無理だ。女王アリの動きも気にしながら近づくのはちょっと難しい、と言おうとした、が。
「心配ない」
「え」
何故か、女王アリは全く動く気配が無かった。
「どうして動かないの!?」
「シャムロック、エンチャント。ルート、早く決めろ」
焦るサラマンダーの声。だが、隊長さんによって身動きが取れなくなっている彼女が僕に対して魔法を使うよりも先に、僕の剣に水色の光が集まってきた。シャムロック君のエンチャントだ。
「は、はい!!」
ちょっと怖いが、幼体を倒すなら今しかない。僕に気付いたのか、大きな口を開けて顎で挟み込もうとしてくる幼体の攻撃を避け、剣をしっかり握って走る勢いそのまま横に薙いだ。勢いそのまま幼体の横も通り過ぎて振り返る。
がくり、と、幼体の体を支えていた脚の一本が折れ曲がる。一か所でもバランスが崩れてしまえば、後は一瞬だ。どさり、と大きな音を立てて幼体の体は完全に地面に倒れ、そして、全く動かなくなった。
「貴方の子でしょう!! どうして……」
倒れた幼体を見て、サラマンダーが悲鳴に近い声を上げた。クローさんは思ったよりも早かったな、と小さく呟いた後、サラマンダーの方を見て溜息を吐いた。
「命令している相手が、女王アリだからだ」
「命令されるのが気に食わないってこと? 幾ら溶岩アリの中では女王個体でも、完全に上位である魔族に敵わないことくらいは理解しているはずじゃ……」
クローさんは誰がそんなことを言った、と呆れたような表情になった。正直、僕も女王アリには女王というプライドがあったのかな、と思ったのだが、そういう訳ではないらしい。どういうことなんだろう、とクローさんを見ると、深く溜息を吐いてから説明を始めてくれた。
「現在の女王は、この群れを率いているのは次の女王であるその幼体ではない。そこで動かないでいる女王の方だ」
「でも、後数日もすれば成体に……」
「魔族と違って魔物は複雑な思考回路を持たない。どのような理由であれ、成体にならずに死ぬのならそこまでだ」
「あ、もしかして」
成程、理解できた。根本的な考え方が、僕達と溶岩アリでは異なるのだ。アリは、次の女王を育てる際は他の働きアリ達とは違い、特別な栄養を与えて育てる。だが、そこにあるのは次の女王に対する親心のようなものではなく、ただ、種を残すための本能だ。
「自分が先に死んだとしても成体になるなんて考えは、今の女王にはない。女王アリが幼体を守らないのは、そいつが死ぬなら別の卵を次の女王として育てる必要があるからだ」
「体内魔力量は圧倒的に次の女王の方が……」
「そうかもしれないな。だが、今の女王は、今現在の群れを率いる必要がある。不確定要素のために身を挺す必要なんてないだろう」
「だから、動かずに……」
次の女王アリがどれだけ育っていても関係が無い。先程倒された幼体が駄目なら、次の卵を育てて女王にする。単純に、そういう生態なのだ。だから、次の女王を守りなさい、という命令に違反したわけではない。今の女王である自身の身を守ることこそが、次の女王を産むために最優先することだった、というだけだ。
「『目の前にいる幼体を守りなさい』と言わなかったのが失敗だな」
「そんな……」
次の女王、という単語の捉え方の違い。クローさんはそれが分かっていたから、女王アリが動かないことを予想できていたのだ。がっくりと項垂れるサラマンダーを横目で見ながら、クローさんは僕の方に歩いて来た。
「そもそも、溶岩アリの活動範囲が広がったのも、単なる火山の活発化が原因ではないだろう。幾らサラマンダーとはいえ、存在するだけで火山の活動に影響する程の魔力は無いはずだ」
そう言いながら、僕に先程まで幼体がいた方を見るよう指示する。倒してからの時間を考えると、そろそろ魔石になっている頃だ。急いで幼体がいたあたりの場所まで戻ると、今迄に見たことが無い大きさの石が転がっていた。
「す、すごい大きい魔石になったんですけど……」
「溶岩アリの平均的なサイズとは桁違いだな。他に変わった点は?」
「他ですか?」
普通は手のひらに収まるくらいのサイズなのに、両手で抱えないと持てない時点で十分変わっていると思うのだが。気合を入れて石、というか、岩に近い魔石を転がすと、裏側に複雑な模様のようなものが見えた。
「あ、何と言うか、細かく何かが書いてあるような……。これ、もしかして、魔法陣ですか?」
「予想通りだな」
「クローさん、これって……」
「察しが良いな、ルート。恐らくだが、次の女王になる予定だった役割と関係があるだろう」
今迄の魔石には、魔法陣なんてものは書かれていなかった。ということは、この魔法陣こそが、サラマンダーが必死になって幼体を守ろうとした理由なのだろう。それはクローさんも同じ意見のようだ。でも、この魔法陣、嫌な感じがするというか。
「ぼ、僕、この模様、何となく見覚えがあるような気が……」
「シャムロックはどうだ?」
クローさんが言うので、少し持ち上げてシャムロック君にも見えるようにする。
「ある」
「おい、どういうことだ」
「少しは考えろ。竜騎士団隊長だろう」
隊長さんに見覚えが無いのは当然だろう。僕達がその魔法陣を見た現場にはいあわせていないのだから、書物で見ていない限りは知らない筈だ。
「三人の記憶にあって、魔族がわざわざ出向いてきてやることで、次の女王にやらせようとしていたことだろう……?」
隊長さんは少し考えて、そして慌てたようにクローさんの方を向いた。
「おい、まさか。魔界と繋げるための……」
「だろうな。魔族である本人が直接魔法陣を使わなかったのか、次の女王を育成していたのか、等の疑問点は残るが、最終的な目的は間違いではないだろう」
「そうですね。確か、セリさんは……」
セルキーであるセリさんは、自分が魔界と繋ぐ道を作る魔法を発動させる予定だと言っていたはずだ。そう考えると、サラマンダーという子供でも知っているような火を代表する精霊が魔法を発動できないとは思えない。
「細かい上下関係は知らないが、魔力量だけで考えると火の精霊が圧倒的に上だ。できない訳ではないだろう」
「自分でできないんじゃなくて、自分ではやらないってことですよね。それって……」
やらない理由がある、ということに他ならない。魔力の消耗が激しい、とか、そう言った理由ではなく、もっと別の理由が。
「魔力だけでは魔法陣は発動しないのだろう」
「でも、それは魔法とは……」
魔法は、純粋な魔力のみで発動するもののはずだ。別のものが必要になるなら、それは魔法とは呼ばれない。
「ああ。魔法ではなく、魔術といわれる分野だな。魔力のみを使用する魔法とは違い、魔術を行使する際には別の制約が掛かる。それは魔力の質であったり、血統であったりといった個人的な要素によるものもあるが……」
クローさんの発言を引き継ぎ、隊長さんが言う。
「圧倒的に多いのは、術者に代償を求める黒魔術、だろう」
「詳しいな。流石は騎士団と言ったところか」
代償が必要なら自分で使いたくないと思うのは理解できるが、それよりも、魔術に関して隊長さんが詳しかったことが驚きだ。そして、クローさんが驚いていないことも驚きである。
「え、騎士団だと詳しいんですか?」
「知らないのか? 魔術は国によって使用を禁じられている。基本的に魔法に関しては魔導士塔が管理しているが、魔術を行使した容疑者の確保を騎士団が行う場合もある」
「だから、入団してからすぐに魔術の特徴とかは叩き込まれるんだよ。正直、殆どの場合は魔導士塔が対応するし、本気で指定対象の魔術を使う奴なんていないが……」
「え、そうなんですか」
「本物は寿命や体の一部、魂そのものを代償として求める場合が多いからな。多くの場合は怪しい本に書いてあった紛い物を試した馬鹿が捕まるだけだ。そういう手法の場合は、代償も血液だったり魔石だったりと手軽なものも多いからな」
「そ、そうなんですね……」
騎士になるためには、結構勉強することが多いらしい。とはいえ、騎士になったら嫌でも捕縛の際に知ることになるので自然と覚えらえるらしいが。
「その場合も悪魔と契約したり、死霊に体を乗っ取られたりする危険性はあるから試すなよ」
「試しませんよ!?」
そんな恐ろしいこと、頼まれてもやりたくない。隊長さんとそんなことを話していると、クローさんが手を叩いて話を戻す。
「ということで脱線したが、恐らくだが魔界と此方を繋げようとすると、術者の命は無くなるのだろう。発動自体は十分な魔力と正しい魔法陣さえあればできることから、まだ卵の状態の溶岩アリに魔法陣を刻み込み、豊富な魔力を与えていた、という所か」
「クロー、お前凄いな。魔導士塔に就職したらどうだ?」
「馬鹿言うな」
折角戻したのにすぐに脱線しそうである。二人共、意外と大道芸人も向いている気がする。僕はそうっとシャムロック君の隣に戻りながらサラマンダーを横目で見る。結構喋っていた気がするのだが、幼体を倒されたショックからか動かないままである。
「あれだけの魔力量まで育てるには相当の労力がかかったはずだ。溶岩アリが異常に増え、活動範囲を広げていたのは育てるための魔力を大量に必要としたからだな?」
クローさんが話しかけると、流石にサラマンダーが反応した。ぎろりとクローさんを睨み付ける。
「そうよ。それが……」
「そして、お前が何故必死に次の女王アリを守ろうとしたのかも予想は付く。もしも次の女王による魔法陣の発動に失敗した場合は……」
クローさんは、今迄のような氷の槍や水の玉ではなく、黒く、大きな鎌をいつの間にか持っていた。サラマンダーの背後に立ち、ぴたりと刃を首筋に当てて、言う。
「お前が発動させるように命じられているのだろう?」
それはさせられないな、と低い声で言うと同時に、鎌が動いた。
次回更新は4月30日17時予定です。




