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ウィン・キャロル  作者: 借屍還魂
23/68

小さな証拠

 ずき、と背中が痛み、僕は反射的に体を起こした。仰向けに寝ていた状態から、起き上がろうとして、背中と、腰辺りに痛みが走り思わず呻き声を上げてしまう。

「いたたた…………」

 僕は、青い廊下の真ん中で横になっていたようだ。剣をはじめとした装備品が無くなっていないことを確認して、周囲を見渡す。

「あれ、シャムロック君は…………?」

 あたり周辺を見まわしてみても、一緒に行動していたはずのシャムロック君の姿が見当たらない。一体、何処に行ってしまったのだろうか。

「えっと、確か、黒い、変な生き物に吹き飛ばされて……」

 階段を上ってすぐの場所で女の人を助けようとして、失敗して、吹き飛ばされたところまでは良い。問題は、何処まで吹き飛ばされたのか、である。シャムロック君が近くにいないということは、僕の姿を完全に見失う場所まで吹き飛ばされたのか、今頃、あの黒い生き物と戦っているかのどちらかだろう。

「近くには居そうにないけど、どうしよう……」

 耳を澄ませて周囲の様子を確認してみるが、生き物の呼吸音や移動音、戦闘をしているような音は全く聞こえてこない。全く手掛かりが無い状態だ。此処が何処だか分からない以上、体力を温存すべきだろうか。もう一度床に座ろうとした時だった。

「…………今、誰か、通り過ぎた?」

 目の前に、小さな影が見えた。気がした。僕が向いている方向には曲がり角があることに、今、気付いた。僕は慌てて立ち上がり、ゆっくりと影が見えた方向へと向かう。曲がり角に手を掛け、そっと向こう側を覗くと、今度は、はっきりと次の角を曲がる人影が見えた。

「待って!!」

 僕は今度こそ走り出した。しかし、僕が走って追いかけ始めたことに気付いたのか、目の前の人影も速度を上げる。トットット、と裸足で廊下を蹴る音と、カンカンカン、と硬い金属の靴がぶつかる音が交互に響く。

「ねえ、僕、怪しい者じゃなくて……」

 嘘、僕より早い。本気で走り始めた目の前の影は、騎士になるため、比較的鍛えている僕よりも圧倒的に足が速かった。真面目に走っているのに、全く追いつけないどころか徐々に差をつけられている気がする。僕はこのまま逃げ切られないよう、必死で怪しい者じゃないことを説明する。

「冒険者の、ルート、って、言うんですけど……」

 困っているなら、協力しませんか。と、息を切らせ、半ば叫ぶように言う。すると、ぴたり、と廊下の先にいる影が止まった。完全に信じてくれたかは分からないが、取り敢えず、話を聞いてくれる気になったのだろう。

「あ、止まってくれ、た?」

 良かった。ほっと胸を撫で下ろし、近付こうとすると、影はひょいと角を曲がってしまう。早く来い、ということなのかな。そう思って僕もすぐに角を曲がり、待っているであろう人影を見ようとした、のだが。

「って、あれ、いない!?」

 曲がった廊下の先には、人影一つ、存在しなかった。先程、僕から逃げている時にしていた足音は聞こえなかったから、慌てて走って逃げた、という訳ではないだろう。突如として、消えてしまった。そんな雰囲気だ。

「どこに行っちゃったんだろう?」

 僕はまず、近くの壁を手あたり次第に確認してみた。最初の部屋を見つけた時のように、何かしら仕掛けがあって、それを使ったのかと思ったからだ。しかし、幾ら探しても怪しい箇所は無い。ただの壁である。

「この近く、階段も部屋もなさそうなのに……」

 念のため、床も確認してみたが、やはり、特に何かあるわけではなさそうだ。もしかして、見間違いだったのだろうか。それにしては人影がはっきり見えていたし、逃げる足音だって聞こえていた。と、なると、人を迷わせるような魔物だったのか。

「うーん」

 首を傾げて考えていると、廊下の先から、二つの足音が近付いてきた。僕は無言で剣を構え、相手が角を曲がった瞬間に攻撃できるよう、そっと移動しようとして、ぴたり、と足を止めた。何というか、あまり敵意が無い気がしたのだ。そして次の瞬間。

「ルート!!」

 聞き覚えのある声が、廊下の先から聞こえてきた。

「この声……、シャムロック君?」

 聞き返すと、そうだよ、と返事が返ってきたので静かに剣を納める。丁度剣を鞘に納めたところで、シャムロック君と、先程の女性が角を曲がってきた。顔を確認した途端、シャムロック君は僕に向かって勢いよく走り寄ってきた。

「全然見つからないから、心配した」

「そうなの? 心配かけてごめんね」

 走り寄る、というよりは突進された、というべきか。勢いよく来たシャムロック君を受け止めると、シャムロック君は深々と溜息を吐いた。どうやら、かなり探し回ってくれたらしい。

「本当。あれから探したけど、人の気配が全然無くて。吹き飛ばされたのに、何で上の階に来てるの?」

「上の階?」

「此処、さっきの階より、一つ上」

「そうなの?」

 シャムロック君が言うには、此処は、僕があの黒い生物に吹き飛ばされた階ではなく、それより一つ上の階にいるらしい。因みに、階段からもそれなりに離れており、どう考えても先程の場所から吹き飛ばされただけでは来れそうにない程に離れているそうだ。

「そう。急に上から足音が聞こえてきて、びっくりした」

 シャムロック君たちは最初、僕が吹き飛ばされていった方向を中心に探してくれたらしい。だが、吹き飛ばされた方向どころか階をくまなく探しても手掛かりすら見つからなかったところに、丁度真上から足音が聞こえてきたらしい。多分、僕が謎の人影を追いかけ始めたくらいの足音だろう。

 そして、上から聞こえてきた足音を頼りに此処まで来てくれた、ということだ。合流できたのは嬉しいが、一つだけ、不思議なことがある。

「全然、移動した記憶は無いんだけど……」

 僕が意識を取り戻したのはつい先程である。人影を追って移動したものの、途中で階段を利用した記憶は無い。走っていて夢中だったので断言はできないが、廊下が傾いている、ということもないはずだ。首を傾げると、シャムロック君も可笑しいな、というように首を傾げた。

「そうでしたら、恐らく、何者かがルートさんを移動させた、ということになりますね」

「あ、さっきの……」

 割って入ってきた女性の声に振り向くと、シャムロック君の後ろに立っていた長髪の女性が軽く頭を下げた。

「ご挨拶が遅くなりました。先程は助けていただきありがとうございました。私は、セリ、と申します」

「セリさん。僕はルートです。よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いいたします」

 近くで見ると、女性、というより少女というべき歳だろうか。僕よりちょっと上の歳に見える。無事に助けることができて良かった。お互いに挨拶を済ませたところで、情報を共有することにした。僕達との共通点が分かれば、脱出の手掛かりになるかもしれないからだ。

「セリさんは、どうして此処に?」

「私、漁師の妻でして。夫が海から帰ってこなかったもので、様子を見に行って、気付いたら此処に」

「旦那さんが? それは心配ですね」

「ええ」

 因みに、セリさんは漁師の妻とはいっても、普段は全く海に近付かないらしい。家で待っていてくれればいい、と旦那さんが全て一人で作業をしているそうだ。まあ、結婚してすぐなら、旦那さんも楽をさせようと張り切っているのだろう。

「普段なら、漁が終わればすぐに帰ってくるのに、昨日は幾ら待っても戻ってこなくて。最近、海で事故が多いと聞きますし、何か、あったのではないかと思って……」

「それで、セリさんも海に入っちゃったんですか?」

「ええ。予備の船の場所は知っていましたし、私、泳ぎは得意ですから」

 結婚してからは海に近付いていないが、それまでは毎日のように海で泳いでいたという。もし、船に何かがあっても海岸まで戻る自信があったので、一人で捜索に乗り出したのだろう。

「近くに夫の両親もいますし、事前に子供にも伝えてから海に入りました」

 他の人に声を掛けてから来ているなら安心だ、と思った瞬間、予想外の言葉が放たれた。

「お子さんがいらっしゃるんですか?」

「はい。もう八つになります」

「…………正直、新婚さんなのかと思ってました」

「あら、ありがとうございます」

 うふふ、とセリさんは口元に手を当てて微笑んだ。その笑顔は若々しく、とてもじゃないが八歳の子供がいる年齢には見えない。

「クロー達より年上に見えない……」

「そうだね」

 貴族と違って平民は成人扱いされる年が速いとはいえ、結婚するのは十五を過ぎてからだ。子供が八歳ということは、セリさんは少なくとも二十三歳以上ということになるが、どう見ても僕達と同じくらいにしか見えない。

「ただ、夫はなかなか見つからなくて、子供の食事のこともありますので、家に帰ろうとしたら、海面に浮いているものがあって……」

「まさか」

「つい、手を伸ばしてしまったのです。そして、気付いたら此処に」

「僕達と大体一緒か……」

 海に入った理由は違うが、此処に来てしまった原因は同じようである。明確過ぎる共通点に、僕は溜息を吐いた。逆に、違う点があるのだろうか。ちらり、とシャムロック君の方を見る。

「場所だけ?」

 来た原因は一緒だが、目が覚めた場所だけが違うのではないか、ということだろう。

「どうだろう。セリさんは、最初からあの階にいたんですか? 僕達は下の階から移動してきたんですけど」

「はい。急に見慣れない場所にいて、どうにかして帰ろうと歩いていたら、あの生き物に出会ってしまって……」

「逃げている途中に、僕達と出会った、ということでいいですか?」

「ええ」

 僕達がいた階段に気付いていなかった時点で察しは付いていたが、セリさんは暫く廊下を歩いていただけで、部屋や階段と言ったものは一切見つけられなかったらしい。延々と同じ廊下が続くことに違和感を覚えるより前に、あの生き物に見つかり、逃げ始めてすぐに僕達が助けに来た、という。

「ということは、セリさんが連れて来られてから、僕達が来るまでに時間は空いてないのかな?」

「でも、海では見かけなかった」

「確かに」

 連れて来られてから気絶していた時間が長かった、と考えることもできるが、セリさんと出会った階もぐるぐると回る仕組みになっているとすれば、気絶している間にあの生き物に見つかっているはずだ。転がっている間は気付かれない、ということもないだろうし、僕達と同じくらいの時間に来たと考えた方が自然だろう。

「セリさん、何時頃、海に出たんですか?」

「えっと、昼の……」

「僕達は昼過ぎ位から海に行ったんですよ」

「昼の、食事を準備しに帰ろうとしたところだったので、朝の早い時間から海に出ていました」

 昼の準備に帰ろうとした、ということは、僕達がラグダエグに到着する頃には既に海の中に来ていた、ということになる。若干、僕達が来るまで時間が空いているように思えるが、どうなのだろう。

「旦那さんを最後に見たのは……」

「昨日の夜明け前に漁に出掛けた姿を見たのが最後です。夕方になっても戻ってこないから、他の漁師さんに話を聞いたら、船が戻ってきてないと」

「そうですか。それは、心配ですね」

 旦那さんを最後に見てから、丸一日以上経過している。船は無く、誰も旦那さんを見かけた人もいなかったらしい。

「はい。家中を探して、何か、夫の手掛かりは無いかと探したのですが、いつも通り海に出たとしか思えなくて。そう言えば、部屋の片付けもせずに海に出てしまったような……」

「慌ててたんですか?」

「ええ、居ても立っても居られなくなってしまって……」

「だから上着を着ていなかったんですね。朝から海に出るには、軽装だと思ったんですけど。寒くないですか?」

 セリさんが着ているのは、至って一般的な服だ。昼間ならそのまま外に出ても問題は無いだろうが、冷え込む朝晩や、日差しの入らない室内で過ごすには少々薄い。この場所は海中なのもあって、微妙に寒いので今のままでは辛いだろう。そう思って訪ねてみると、セリさんは困ったように笑った。

「え、あ、あの時は必死で……、此処に来てからも、あの大きな生き物に追いかけられていたから、気にしていなかったみたい」

「良ければ、僕の外套を貸しますよ?」

「い、いえ。大丈夫です。ありがとうございます」

 今は着ていないが、冒険者として外套は持ち歩いている。寒いようなら貸そうと思ったのだが、やんわりと断られた。僕はそうですか、と外套をしまいつつ、今後の方針について確認をする。

「これからどうしましょうか。此処で救助を待ちますか?」

「え?」

「ルート?」

 そう提案すると、セリさんも、シャムロック君も目を丸くして僕の方を見た。何を言っているのか理解できない、という目だ。僕は真面目に提案しているのだが、何か変な点でもあっただろか。

「どうして二人とも不思議そうな顔するの?」

「だ、だって、どうにかして此処から出ないといけないでしょう?」

「そ、そうだよ」

 確かに、此処から脱出する必要はある。しかし、あの生物に僕の剣が通用しないと判明した以上、下手に動き回れないことは、シャムロック君も理解しているはずである。それに、全く根拠が無く救助を待とうと言っている訳ではない。

「セリさんと、旦那さんが行方不明になっていることは伝わっているんですよね?」

「そう、ですけど、救助が来るとは限らな……」

 確かに、セリさんと旦那さんが行方不明なだけでは、救助活動が行われてもこの場所に助けが来る確率は低かっただろう。しかし、今は状況が違う。何と言っても、僕達もこの場所にいるのだから。

「なら、暫く時間が経てば家族の人が領主館に連絡するはずです。そしたら、聖騎士様にも話が行く。そこから、聖騎士様はクローさん達にも連絡するだろうから……」

 子供を預けてきたのなら、旦那さんの実家が報告するだろう。そうすれば、いずれ話は領主館まで届く。領主館には聖騎士様が滞在していて、僕達が海に向かったことは把握している。そうなると、僕達が海から戻ってきていないことにも気付いてくれるだろう。

 シャムロック君の表情が、ぱっと明るくなった。

「クローが見つけてくれる」

「そう」

 シャムロック君とクローさん、サシャさんの三人は、お互いの位置を魔力で把握することができる。シャムロック君の姿が無いと分かれば、クローさん達は探しに来てくれるだろう。今のシャムロック君の表情を見る限り、多少距離が離れていても魔力自体は感知することができる様なので大丈夫だ。

「そんな筈が……。こんな、海の中まで探しに来られるような魔術師が、このラグダエグには……」

 セリさんの呟きに、僕は笑顔で返した。

「大丈夫ですよ。クローさんは王都でも腕利きの魔導士ですから」

「王都……?」

「はい。僕達、王都から来ている冒険者なので」

「そう、ですか」

 この街には、冒険者組合が無い。基本的には領主の兵だけで十分なのだろう。必要ないから街に腕利きの魔導士がいない。だからそんな魔導士の存在を信じられない。だが、安心してほしい。クローさん達の実力は確かなものである。

 僕は、できる限り柔らかく微笑んで、セリさんに言った。

「はい。ですから、そろそろ、諦めて欲しいです」

「…………何のことでしょう?」

 瞬間、空気が張り詰めたのが分かった。でも、そのくらいで怯んでいては冒険者何てやっていられない。僕は笑顔を崩さずに続ける。

「誤魔化すこと、です」

「どうして、そう考えたのですか?」

 それは、殆ど認めているような発言である。僕はシャムロック君とセリさんの間に移動しながら、最初からおかしかったですよ、と告げた。

「何者かが僕を移動させた、って言いましたけど、普通、あの生き物がやったと思いませんか?」

 まず一つ目、合流してすぐの発言。あの時点で僕は警戒していた。

「確かに。魔物には、巣に獲物を持ち帰る習性があるものも多いから……」

「そう言っている時点で、あの生物以外に何かがいることを知ってるんじゃないかと思って」

「ただの言い間違いでしょう? 気が動転していただけかも」

 まあ、そう言われてしまえばそれまでだ。だが、他にも不審な点は沢山あったので理由の説明に困ることは無い。

「後は、まあ、見た目はともかく、こんなに寒い場所なのに平気そうなのと、船を見かけなかったこと、後はそもそも、海に出ることができたこと、ですかね?」

「船はともかく、最後の理由は?」

「普通、船って船着場から出ますよね?」

 予備の船を使ったにしても、船着場に行かない、というのは考えにくい。そして、朝早く出たと言っても、人を探すなら日が昇り、周囲が見えるようになってから行動を始めたはずだ。その時間帯になれば、海辺にいた誰か一人くらいには姿を見られているはずだ。

「あ、キッドさん」

「そう。救助活動をしているキッドさんは、船の出入りは確認してる筈。そんなキッドさんが、行方不明の旦那さんを探しに行く女の人を放っておくとは思えない」

 救助活動は自分の仕事、と言っていたし、初対面の僕達にもお節介を焼くような人だ。街に暮らしている人が相手なら、声を掛けない訳がない。

「それに、僕達は近くに船を見かけてない。セリさんの体格から考えて、早々遠くまで船を漕げるはずがない。なら、セリさんが攫われた後の船が、僕達が移動した範囲内というか、海岸から見えないのはおかしい」

 セリさんが見た目以上に力があるとしても、昼の支度のために帰る途中だった、と言っていたのだ。どの程度戻ったのか知らないが、昼までに戻れるような距離にいたはずである。そのことと、僕達が海に行くまでの時間を考えると、船を見かけなかったのは変だ。

「つまり……」

「セリさんは海に入る時に船なんて、使ってないですよね?」

 じ、と見つめると、セリさんは深い溜息を吐いた。だが、すぐに笑顔を作り直し、優しく微笑みかけてくる。

「…………船は、夫が乗って出て行ってしまっているのだから、自分で泳ぐしかないでしょう? 泳ぐときには邪魔だから、上着も着ていなかっただけ」

「泳いで行って見つけたとして、もう一人を抱えて戻って来られるんですか?」

「それは……」

 言い訳としては不十分である。中々認める気が無いようだが、次で最後である。僕が、この場所に来て、真っ先に思ったこと。人間なら誰しも抱く感情を根拠としているものだ。

「そもそも、海の中にいることを理解しているのに、シャムロック君から離れている時点で怪しいですよ。普通、いつ呼吸ができなくなるか怖くて、どう見ても魔導士のシャムロック君を頼りませんか?」

 呼吸ができなくなったらどうしよう。その恐怖感を抱いていないということは、目の前にいるセリさんは、多分、いや、ほぼ確実に、人間ではないのだろう。


次回更新は3月3日17時予定です。

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