昼飯くらい好きに食わせてくれ!(3)
連休初日である金曜は世間的に平日だったのでハローワークに行った。PCでつらつらと求人票を眺め、ため息をつく。あるのはハロワ常連と言ってもいいような、いつも募集している企業ばかりだった。
土曜は図書館と書店に行った。少しでも己のスペックを上げようと、資格本のコーナーをうろつく。とろい自分には実技のある試験は難しいに違いない。ITパスポートってどうなんだろうな、と思った。しかしどれもこれも受験料やテキスト代が高い。
日曜と月曜は家でぼんやりすることにした。溜まったテレビの録画を消化して、SNSや動画アプリを眺める。休日の時間は光速で過ぎていき、今は月曜の午後12時である。
秋口とはいえまだまだ35℃近い暑さだ。しかも日曜に降った大雨のせいで湿気が酷い。
意を決してそうめんを茹でることにした。
そうめんの本当のうまさは茹でた者にしかわからないと思う。
ぐらぐらと煮えたぎる鍋に乾麺を散らし、熱気にむせ湯気を睨みつつ麺の一本一本がほぐれるよう鍋の中をかき混ぜ、あちあちと叫びつつ茹で上がった麺を流水で洗う。涼むという行為に反するいくつかの作業を経てそうめんは完成するのだ。
蕎麦猪口《そばちょこ》に投げ入れた氷がからん…と涼しげな音を立てる。ストレートめんつゆを注ぎ、チューブ入りのおろし生姜を添えて地獄のような作業は終焉した。
蕎麦猪口におろし生姜を溶き一口分のそうめんを漬け、するすると音を立ててそうめんをすする。
熱や蒸気と闘い勝利した者だけが味わえる至福の涼味に感動した。ストレートめんつゆを一口だけ飲む、口に広がる鰹出汁の香りと程よい塩気。あらゆる生命の源は海にあることを思い出させる味だった。
聞こえてくるのは部屋のエアコンの音と外のツクツクボウシ。
久しぶりによう知らん人の悪口も、自分有能自慢も聞こえない理想の昼を過ごした。快適だった。
***
食事を終え、食器を片付けた後にSNSを開いた。傍らにアイスコーヒーを置き、これまた休日ならではの小さな贅沢である。
平日の13時なのでタイムラインは少し閑散としている。今呟いているのはサービス業と思われる平日休みの人々と主婦と学生さん、あと自動ツイートのBOTさんがメインだ。
つぶやきのメインは大体昼ご飯のことやくそ暑い天気のこと、あとやっぱり推しについての熱い妄想話や自作イラストの掲載だ。
様々なタッチで描かれた「伯爵」ことステファノ・ヴィアーゴ卿を眺めてはイイネを押して目を細める。私の推し、スマートフォンのロック画面に鎮座する赤髪碧眼のイケメンである。
ステファノ・ヴィアーゴ卿は欧州のとある国の貴族にしてバンド「Tom planet」でドラムスと作詞を担当している。
天性のリズム感と反射神経、良家の高い教育に裏打ちされた幅広い語彙から紡ぎ出される歌詞に定評のあるキャラクターだ。
「Tom planet」を含む4組のバンドの内1組を選んで応援、ライブ観客動員数や楽曲のダウンロード回数、アルバム売上枚数などを競うアプリゲームに私ははまっていた。
「伯爵今日もかっこいいなあ」とため息をつきながらTLを辿っうていくと、不穏な空リプにぶち当たった。
「あんなマナーを知らない人間に作品を語られたくない」
「私の絵のクオリティが低いのは私が一番よく知っている。それでも精一杯楽しんで描いてるのに馬鹿にするなんて最低」
「今さっきすごい不愉快なDMをもらったので速攻ブロックしました」
なんだろう。私自身は絵を描いても無断転載すらされない弱小アカウントなのでオープンに細々と呟いているだけなのだけれども、結構な神絵師の皆さんも次々鍵垢になったりしているのでとても気になり、神絵師さんのうち比較的親しくしてくださってる方にDMで何があったのか伺ってみた。
「荒らし垢」が出現してるらしい。
「伯爵」にはよく2人組で語られるキャラがいる。
「Tom planet」のライバルに当たるバンド、「明け方はMURASAKI」のボーカル&キーボード竜飛岡蓮介ことタピくんだ。
動画配信サイトから人気に火がついた、タピくんの父親と先代ヴィアーゴ卿はかつて親交があった。
それによって子供の頃の伯爵とタピくん自身も幼馴染の間柄だったのだが、タピくんの帰国と両親の離婚その他諸々の事情により15年ほど連絡が途絶えていた。
我が国に留学生としてやってきた伯爵がバンドを結成し、メジャーデビューを果たすことによってライバルとして再会した…そんな設定である。
この2人…通称「伯タピ」の人気は非常に高く、彼らのためだけに同人イベントが開催されるほどだ。
ところで、タピくんは伯爵以外に2人1組で語られることの多い人物がいる。「明け方はMURASAKI」のベーシストで元ボカロPの胡桃坂柊悟くんだ。
柊悟くんは、帰国後急激な生活の変化について行けなくなり、引きこもりになってしまったタピくんに寄り添いつつ才能を見出し、遂にはタピくんの心を開くきっかけとなった青年で、タピくんのメジャーデビューの際、「柊悟と一緒じゃないと嫌だ」と言わしめた、やはり彼と2人だけの同人イベントが開催されるほどの人気を誇っている人物である。
余談だがタピくんを本名の下の名前である「蓮介」と呼ぶ登場人物は伯爵と柊悟くんの2人だけ。柊悟くんはタピくんと同い年だが伯爵はタピくんの1つ年下である。
SNSなどでは伯爵とタピくんの組み合わせが好きなファンを「伯タピ」とよんでいるのに、柊悟くんとタピくんの組み合わせを「柊タピ」などと呼んでいるが、この「柊タピ」界隈の人間の中で最近「伯タピ」界隈を荒らしてくる輩がいるらしいのだ。
「伯タピ」沼の人々をヴィアーゴ卿ファーストネーム「ステファノ」をから「捨てタピ」と呼び、二次創作イラストや小説にケチをつけて来る、ヴィアーゴ卿本人のことを金にモノを言わせるいけすかない奴、年下のくせに生意気、結局顔がいいだけのタピくんのストーカーじゃん…等々罵倒してくる、などの悪行三昧を働いているそうである。
挙げ句伯爵の担当声優さんのSNSまで飛び火していて、最近急にヴィアーゴ卿の中の人、椚 龍翔くんが突然SNSを閉鎖したのもこいつらが原因らしい。
幸か不幸か私のところにはまだ何の影響もないのだが、念の為神絵師さんに教えていただいたいくつかのアカウントをあらかじめブロックすることにした。面倒臭い現実の世界から自分自身を切り離し、癒されるためにやっているはずのSNSでさらに面倒臭いことを起こすのは本当にやめてほしいと思った。