昼飯くらい好きに食わせてくれ!(1)
チャイムが鳴った。眩しいほど明るかったクリーンルーム内は薄暗くなり、各ラインは一斉に仕事の手を止めた。待ちに待った昼休みだ。
社食は人で溢れていた。1番近い3Fの現場の連中はもう席につき、思い思いに昼食を摂っていた。厨房で作った定食を食べる者、家から持ってきた弁当を食べる者、コンビニや会社の購買で買ってきたものを食べる者…人で黙々と食べる者、ある程度の集団を作って食べる者。食事のメニューもスタイルも様々だった。私は定食を求めて厨房の前の列に並ぶことにした。
300円を払い、定番の日替わり定食のトレーを受け取る。今日はまだ余裕があるけど、再来週くらいから経済的にきつくなるから180円のかけうどん生活になる。安いけど煮過ぎて半分溶けかけたようなうどんだ。現場の中にはあれが好きだという人もいるけれど私はちょっと苦手なので、食べるのは給料前のみと決めていた。
少なめに盛ったご飯、キャベツとレモンと鮭フライ、豆腐とわかめの味噌汁なんかを乗せたトレーを持って長テーブルの列を眺め、理想の空席を探した。他人の邪魔にならず邪魔もされず、、悠々ととまではいかなくとも1人の時間を過ごせそうな席。3F組の早いグループは既に食堂を後にするものもいるようだ。右奥の端の方、手前に3つ奥側に4つ空いた席を見つけ、一目散に向かう。
席につきほっとため息をつく。トレーを置いてまずポケットからスマートフォンを出しロック画面で微笑む推しを眺めた。流れるようなスカーレットの髪、タンザナイトの瞳、そしてミルクティー色の肌。推しは今日も美しい。やはり男は二次元に限る。
にやにやしながら箸を掴み、反対の手でスマートフォンを置いてソースを手繰り寄せた。数少ない至福の時間の始まりのはずだった。
***
「あ、こっちこっち!席空いてるわよ!」
SNSを見ていた手を止めて味噌汁を啜り、ご飯を口に入れると急に人の気配を感じた。
「あ、木倉下さんじゃん!いっつも1人で食べてんだ?ご一緒していいよね?」
こちらの答えを聞きもせず、女が私の真向かいに座ったばかりか、後から来た2.人に「C野さんとB沢さんはそちら側に座って」などと私の両隣に座るよう指示まで出していた。
こうして私は瞬く間に計5人に囲まれてしまった。
歳の頃は私と同じかプラマイ3歳〜5歳といったところであろうか?何日か前に同じラインにいたような気がする名前も知らない女だった。
否、彼女が私の名前を知っていたということは、こちらももしかしたら彼女の名前をどこかで聞いていたのかもしれない。しかし全く覚えていなかった。
先週入職したばかりの人間が、今週はいなくなっていたりすることも多い底辺の派遣製造業界に長年いることによって、顔と名前を覚える能力が著しく低下してしまっていたのだ。どうせラインに入ってしまえば白衣に白い帽子、マスクなどのために誰が誰やらわからなくなってしまう。
「あ、ほらこの前ラインで検査やってたA田!忘れちゃった?」
うん忘れた。前述の理由もあって、相当配置がしっくりきた場合を除き、生産ラインの人間は日々変わるのだ。 そして配置がしっくり来たとしても次の日同じ人員が揃う確率は非常に低い。
「その制服Dテック?懐かしいわあ…私も去年までDテックだったんだよね!」
私のグレーの作業服を見て向かいの女が言った。そういえばこいつは水色を基調とした派遣先の制服を着ている。
「Dテック最近また多いですよね?そっちもそうだしあの辺もDテックの島があるし」
「ほんとだよね。Dテックなんか時給めっちゃ安いのに何がいいんだろ?」
斜め右、モスグリーンの制服の女があちこちに指差しながら向かいの女に話しかけ、向かいの女が鼻で笑いながら答える。
Dテックは私の派遣元だ。去年9月、この派遣先で新規の仕事のため100名募集していた頃に入った。何がいいもくそも面接を受けた人間ほぼ採用になったという噂だ。
「へへ…」
言いたいことはたくさんあったがとりあえず笑って誤魔化すことにした。
気づくと辺りはモノを食べる場所とは思えない人工的でフローラルな香りに包まれていた。奴らのうちの誰かが香水でもつけてきてるんだろう。
鮭フライにレモンを搾り、ソースをかける。できるだけ早く定食を片付け、この場を去らねばならないと覚悟を決めた。
「…そうそう、Dテックって言えばさあ、あいつ今日うちのラインなんだよね。もうとろくて嫌んなっちゃう!」
「あー江鈴木…あいつ今日そっちなんだ」
「それはそれは御愁傷様だわ」
「お疲れさま」
どうやら前3人の間で話題が変わったようだ。私のよく知らない人間の、あまり好きになれない種類の話をしている。
「あいつ昨日うちらのラインだったんだけどさあ、あんまりにも遅くてもう…1個完成させるのに5分かかってんのよ?だからもうちょっと早くしてくれっつったら今度は爪折ればっか作ってさあ…ほんともう思い出すだけで頭にくる!」
「確かに去年の秋頃から新製品対応でめちゃめちゃ残業だの休出だの増えたけど、そこまで人要る?っていう感じだよね。社員食堂だって人で溢れて、座るのにちょっと待ったりしなきゃならないくらいなんだもの…人増やしすぎなんじゃないかしらねえ」
私の両側の2人も同じ話題に加わった。続く話を聞いていると江鈴木さんとかいう人は私の2ヶ月後、11月の追加募集の時に入った人のようだ。
私とて聖人君子ではないので気に入らないやつの悪口を言うことも少なからずある。気分次第で方針の変わるクソ上司とか、女と男で態度の変わる古株正社員とかの悪口だったら喜んで乗っただろう。
しかしこの手の…できない同僚や後輩なんかの悪口は嫌いだ。自分自身仕事が要領よくできる部類だと思ったことがないからだ。
この中には私と同じラインで仕事をしたことのある奴も何人かいたらしい。自分がいない時のこの5人の自分についての評価を想像してゾッとし、早くこの場を離れたい一心で昼食を掻き込んだ。
揚げたての鮭フライのパン粉が口の中に刺さり、少なめのはずのご飯は中々減らず、味噌汁の豆腐は唇に堰き止められもたついた。
「木倉下さんもライン一緒になったことある?江鈴木」
「…ないですね」
てか誰だよそれ。そんな話題をこっちに振ってくんじゃねえよ。と思いつつ手短に返事をし、昼食の摂取に集中する。
「会えばわかると思いますよ。背中を丸めて気持ち悪い歩き方したすっごいとろい人だから」
私の右に座った、くすんだピンク色の制服を着た少し年嵩の女が嫌な笑い方をしながら言った。
さっきから感じる人工フローラルの出どころはこいつのようだ。
「そ、そうすか…じゃ、すいません私、これから電話しなきゃなんないとこあったんでもう行きますね」
昼食がようやく片付いたので、トレーを持ち、そそくさと席を立った。
歩き方を見れば一目瞭然だと思うが、私も親などから猫背を指摘されがちな人間だ。猫背を気にしている人間の前で気持ち悪い歩き方とかよく言いやがるな。江鈴木さんとやらは微塵も存じ上げないが、きっとこの人工フローラルババアの100万分の1も気持ち悪くなんかないんだろう。顔も知らない仲間のことを思いやるような気持ちで、私は江鈴木さんに同情した。
社員食堂のある福利厚生棟を出て渡り廊下を歩く。生産ライン棟に入るとすぐ、派遣社員用のタイムカード置き場にたどり着きそっとため息をついた。
明日はあいつらなどに捕まらず、快適なぼっちランチを決めるぞと心に誓いつつ、Dテックのカードが並んでいる辺りを上から眺める。下3分の1ほどのところに「江鈴木さよな」さんのタイムカードがあった。私のタイムカードの少し下だ。
この人か…と思い現場に戻ろうとすると、よろよろとした癖のある歩き方の若い女の子がやって来て、タイムレコーダーを押す。
「お疲れ様です」
条件反射的に声をかけると驚いたようにこちらを見た。小柄でどちらかと言うと痩せ型の青白い顔の子だった。一重瞼の垂れ目が普通にしてても少し悲しそうに見える。小鼻の脇が赤い。先ほどまで本当に泣いていたのかもしれなかった。カードを元の位置に戻して少し小走りになる。怯えさせてしまったかもしれないと後悔した。
彼女が去った後、赤一列だったタイムカードの江鈴木さんの分だけが青い面を見せていた。
あれが江鈴木さんだったのだ。
午後から何か用事があったのか。あるいは具合でも悪かったのだろうか。いくら心身健康でも毎日あんな連中と仕事してたら患いつくのも当然だ。追い詰められ過ぎてこの工場にいる人間全員、敵にしか見えなくなってしまったからおそらく挨拶も返そうと思えなかったんだろうな…そう思いつつ、私も自分が今いる生産ラインのある現場によろよろと戻り、退社時間まで午後の仕事に勤しんだ。
長くなってしまいましたがまだまだ続きます。