1問目 「美味しい朝食」
こちらは2021年4月12日に出題した問題です。
<問題文>
ある朝、男は朝食を食べるやいなや、妻に美味しいと伝えた。
妻は怒って何処かへ行ってしまった。
なぜ?
(ここからが本編)
“人は順応する生き物である”
スマホをネット記事を眺めていたら、そんな見出しが目に入ってきた。
なるほど、振り返ってみればそんな気もする。
最初は何をするにも大変で不安がいっぱいだったものも、時間が経てば慣れてきて、楽とは言えないまでも落ち着いてこなせるようになる。前はこうだったという懐かしさを覚えながらも、今の成長を実感できるのは心地よく、次の目標へ頑張るための心の拠り所だ。
今の目標は、夫にご飯を「美味しい」と言わせてみせることだ。
というのは、別に私の料理が下手だから練習をしているわけではない。
夫からのプロポーズを機に同棲し始めてから、私の作ったご飯を「美味しい」と言ってくれていたし、結婚をしてからも暫くはそう言ってくれていた。
しかし気が付けば、この1年は一度も言ってもらえていない。
これも順応と言うのでしょうか。
最近、私から「美味しいかな?」と聞いても仕事で疲れているのか、返事は「ああ」とか「うん」とかばかり。
普段から家事も手伝ってくれてはいるし、休みの日にお出掛けにも付き合ってくれて、愛してくれていることを実感できることもあるけれど、それでもちょっぴり気になってしまう。
ならば仕方がない。
「言わぬなら 言わせてみせよう 美味しいと」
外食以外は毎日3食、お弁当も抜かりはない。
お昼の料理番組も見逃さず、暇さえあればレシピサイトも眺めるようになった。
自分であれこれ作れるようになってから、惣菜や冷凍食品を買うことも減った。
3ヶ月前から始めた、料理のレシピと作った時の反省点をまとめた大学ノートも昨日から4冊目だ。
そうやって半年頑張ってきたものの、夫は難攻不落のまま。
増えたのは、私のレシピと体重だけだ。
「美味しい」が増えない。
ある日の夕方、夕ご飯も作り終わり夫の帰りを待っていたら、お義母さまがやってきた。
夫と同棲し始めた頃から近所に住んでいて、半年前まではときどき、お互いの作ったおかずを交換することもあり、なにかと気を配ってもらっていた。もう1人のお母さんができたように思っていた。
最近は、おかずの交換はしなくなったけれど、一緒に夕方のスーパーへ行くことなんかはあって、関係も良好だ。
お義母さまが言うには、久しぶりにおかずの交換をしたくて来たそうだ。
というのもこの半年間、一度も交換してなかったのが、やっとできた娘も出て行ってしまったかのようで、ちょっぴり寂しかったらしい。
少しばかり反省した。
「冷めても大丈夫なように作っておいたから、明日の朝でもいいから2人で食べて頂戴。あなたが頑張り屋さんなのは知ってるけれど、たまには手を抜いて休んだっていいのよ」
夕飯のおかずを私の分から少しずつタッパーに移して手渡したとき、そう言った。
視界で夕日が滲む中、私はどういう表情をしていたのだろう。
少し私を抱きしめた後、お義母さまは帰っていった。
夫は相変わらずだったけれど、お義母さまからメッセージアプリで連絡が来ていた。
「お父さんも美味しいって言ってたわよ(*ノ∀`*)」
「料理もすごく上達しちゃって、もうあなたに敵わないんじゃないかしら( ´艸`)」
嬉しかったけれど、やっぱり目の周りが熱くてちょっと天井を見上げた。
次の日の朝。朝ご飯にお義母さまの持ってきたおかずを並べる。
昼のお弁当は縒りを掛けて作ったけれど、朝ご飯はちょっぴり手抜きだ。
いつものように夫は身支度を終えて、リビングに来る。
私より後に起きるけど、朝には強く、あとは朝ご飯を食べて家を出るだけという状態だ。
「「いただきます」」
朝と夕は2人で揃って食べる。
これも同棲し始めてから、ほとんど変わっていないことの1つ。
いつもは食べている夫の姿をジッと見ていたけれど、今日はそんなことはなく、私はお義母さまの作ったおかずを口に運ぶ。
「美味しいな、これ」
夫が、そう口にした。
気がつけば、私の手から箸が転げ落ちていた。夫が私の箸を拾おうとしてくれているのが見えて、そのことに気が付いた。
急いで拾い、両手で握りしめた箸を見つめる。
「あ、そうだ!」
大きな声を奮いだす。
「まだゴミ出してなかったんだ。今日はゴミがいっぱいあるから先に出してこなきゃ」
そんなことを口走る。
「いや、先に朝ご飯食べちゃいなよ。ゴミが沢山あるなら運ぶの手伝うからさ。1人じゃ大変だろうし」
夫は優しい。
「いいよ! 仕事早いんだから、早く食べて行かないとでしょ?」
「大丈夫だよ、それくらい。時間も十分間に合うから。ほら、箸洗ったら席に戻ってきなよ」
今までに一度だって、ご飯の途中で2人のどちらがいなくなったことはない。
「いいから、私のことなんて気にしなくていいから!!」
どんどん語気が強くなってるのがわかる。一旦、落ち着こう。
「ねえ、大丈夫? 俺、なにかした?」
「……大丈夫だよ」
顔を上げて、夫に精一杯の笑顔を向ける。
ああ。
視界で夫が滲む中、私はどういう表情をしているのだろう。
引き留める夫を振り払い、予め用意しておいた1袋のゴミ袋を片手に家を飛び出し、音を立てて玄関の戸を閉めた。
玄関の前。
ゴミ袋を持った手の甲に、ポツリと冷たい雫が落ちた。
慣れというのは恐ろしいもので、新鮮味やありがたみが次第に薄れていくものです。人が成長していく姿というものもまた、間近で見ている人にとっては大変気がつきにくいもの。
たまには、いつも頑張ってくれている人を励ましたり、感謝の気持ちを伝えることも大切と言いたいところですが、伝えどきというのもまた難しいものだと思うんです。
だから、今のうちに伝えておきますね。
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。