十九話
冷めきった紅茶にサマンサとロンが顔を歪めた時であった。部屋に執事が現れ、そしてやっとミラとエヴァンの準備が整った事を知らた。
「・・・やっとなの?」
「はぁ・・本当に・・・」
ただ部屋の中で時計の針の音だけを聞いて過ごすと言うのは、苦痛でしょうがなかった様子で、サマンサとロンは苛立たしげに表情を歪めている。
しかし、ミラとエヴァンが姿を現した瞬間に、二人は苛立ちを一瞬忘れ、呆然とその姿を見つめることとなった。
美しく、気品あふれるドレスを身に纏うミラは、以前のミラとは別人であった。その為、サマンサは目を見開き、ロンは頬を赤らめている。
そしてエヴァンの姿にもサマンサは驚いていた。噂とは全く違う。そう思うと、幸せそうな姿の姉に、サマンサの心は嫉妬に歪んでいく。
自分は姉がいなくなってから嫌なことが続いているというのに、不幸になっているはずの姉が幸せそうにしている。
しかも姉の横にいる戦場の悪魔と呼ばれる人は噂よりも遥かに素敵な人に見えて、それも腹立たしい。
「・・・お姉様。」
優しくエヴァンにエスコートされ、ソファへと腰掛けたミラは挨拶をしようと口を開きかけたのだが、先にサマンサが口を開き、冷たい口調で言った。
「お姉様、幸せそうね。」
挨拶を飛ばしたその言葉に、ミラは目を丸くし、そして横にいるエヴァンに視線を向け、それからサマンサに視線を戻すと、にっこりとほほ笑んで頷いた。
「ええ。そうね・・私・・・幸せだわ。」
実家にいた時には味わえなかった幸福な時間。ミラをアンシェスター家は受け入れてくれた。そしてエヴァンはミラに安心を与えてくれる。
その姉の言葉に、サマンサは苛立ちから立ち上がると言った。
「良いご身分ね!私が・・・私がこんなに苦しんでいるのに!」
突然のその言葉にミラは目を丸くし、ぼたぼたと涙を流すサマンサの背をロンは優しくさする。サマンサは泣きながら声を荒げた。
「お姉様の仕業なんでしょう!?私、社交界で・・公爵家にふさわしくないとか、姉を辺境へ追いやった悪女とか、そんな風に呼ばれているんだから!!!」
「そうだぞ。ミラ、お前、サマンサを落とし入れる為に、仲の良い貴婦人方にサマンサの悪口を言っていたのだろう?サマンサは今泣いて過ごしているんだぞ!詫びろ!」
一体何が何だか分からない。ミラが困惑した様子でいると、エヴァンが口を開いた。
「失礼だが、ローレン嬢、シェザー殿。挨拶も出来ないのか?」
睨みつけられたサマンサとロンは目を丸くし、エヴァンを見た。エヴァンは低い声で言葉を続けていく。
「事前の知らせもなく、我がアンシェスター家への訪問、ミラの家族と元婚約者とはいえ・・我が家を馬鹿にしているのか?」
「え・・そ、そんなつもりは。」
涙を引っ込めたサマンサはロンの後ろへとさっと隠れる。盾とされたロンは顔を青ざめさせながら首を横に振った。
「いや、アンシェスター殿にはどうこうというわけではなく・・その・・・ミラに話があって。」
「軽々しく人の婚約者を名前で呼び捨てにしないでいただきたい。」
「す、すみません。」
「それにミラの前によく顔が出せたな。・・これほど素晴らしい女性に婚約破棄という汚名をきせ、その上、のこのこ現れるなど、正気とは思えない。」
「なっ!?それは、ミラが!」
エヴァンはロンをギロリと睨み付ける。
「それ以上口を開くな。」
怒気のこもった声でそう言われ、ロンは頬を引きつらせた。エヴァンは驚いているミラに微笑を向けると、言葉を続ける。
「はっきりと言っておく。ミラはまもなく私の妻となる大切な人だ。彼女を傷つけると言うならば、私にも考えがある。」
ロンの後ろに隠れていたサマンサは唇を噛むと顔出して言った。
「わ・・私はお姉様と話をしているのです!」
「はぁ。分かった分かった。ミラ、大丈夫かい?」
エヴァンにそう言われ、ミラはくすりと笑って頷いた。エヴァンと言う心強い味方がいるから、笑って対応できそうである。
ロンはすでにエヴァンの視線に萎縮し、縮こまっている。こんな人だったかなとミラは苦笑するしかなく、婚約破棄となりよかったと心底思った。
そして、結局自分はこれまでちゃんとサマンサと向き合っていなかったことにようやく気がつけた。今ならちゃんとサマンサと向き合える気がする。
「サマンサ。」
「お、お姉様。私はお姉様に怒っているだから!」
真っ赤な瞳でそう言うサマンサに、ミラはハッキリと言った。
「サマンサ。何故貴方が社交界でそう言われるか、分かる?」
「そ、それはお姉様が。」
「いいえ。違うわ。この際だからハッキリと言うけれど、貴方は公爵家令嬢としての礼儀やマナーがなっていないわ。だから、そんな噂が立つの。原因は、貴方自身よ。」
「なっなんですって!?」
顔を真っ赤にするサマンサに、ミラは冷静に、はっきりと、妹の為に言った。
「貴方は公爵家を継ぐのでしょう?なら、ちゃんとなさい。同年代とだけ付き合うのではなく、婦人方ともしっかりと付き合い、その上でしっかりと礼節丁寧に、そうすればきっとそんな噂すぐに消えるわ。」
「お、お姉様に何が分かるのよ!私、本当に大変なんだから!皆私を馬鹿にするのよ!」
「それは貴方が馬鹿にされるような態度でいるからでしょう。ろくに学びもせず、怠惰にすごせばそうなるのは道理。しゃんとなさい。公爵家には、もう、貴方しかいないのよ。サマンサ・・・貴方、言ったわよね。幸せになるって。貴方は周りに恵まれているわ。色んな人に愛されている。だから自信を持って。貴方なら出来るはずよ。私よりも、幸せになるのでしょう?」
挑戦的なミラの言葉に、サマンサは目を見開き、そして黙り込むとゆっくりと顔を上げた。
小さな頃は仲の良い姉妹だった。そしてサマンサはずっと姉に甘えていた。怒られるのはいつも姉。自分は悪い事をしても、怒られない事を、ずっと当たり前のように思っていた。
その考えを、ぴしゃりと否定される。
「甘えないでサマンサ。もう私は、貴方を庇ったりしないわ。私は私の人生を生きる。私のこれからの道に貴方はいない。」
突き放されたその言葉を聞いて、サマンサは唇を噛んだ。これまでずっと他人に庇ってもらって生きてきた。けれど社交界では誰も庇ってくれなくて、逆恨みをした。自分が悪いと認めたくなかった。
姉の幸せに、嫉妬した。
姉にあたればすっきりすると思った。けれど違った。
サマンサは手をぎゅっと握ると、自分の過ちに初めて気がつき、頭を下げた。
「・・申し訳ありませんでした。お姉様・・・」
「・・サマンサ。」
この時になってようやく、全ては自分の行いが、自身に帰ってきただけだと気づく。
「突然の訪問も、申し訳ありませんでした。・・アンシェスター様にも、ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。」
「謝罪を受け取ろう。」
サマンサは小さく息を吐くと、顔をあげていった。
「・・頑張ってみます。お姉様、ありがとう。これで失礼いたします。ロン様、いきましょう。」
サマンサはロンの手を引いてその場を後にする。その背を見送ってミラは大きくため息をついた。
エヴァンはにっこりとほほ笑む。
「姉妹っていうのも大変なものなんだな。」
ミラは頷いた。
「ええ。」
ずっと姉として奪われてばかりだった。けれど、もう、何も奪われたくはない。だからこそ、線引きをした。姉として、妹に伝えるべきことは伝えた。
「後は、あの子次第ですわ。」
エヴァンはそんなミラの頭を優しく撫でた。その優しく大きな手に、ミラは自分の居場所はここだと、改めて思うのであった。




