朝の通学路はバル●ロス
開いた口がふさがらない。
まさか、まさかだと思った。
「東葉 雅……まさか」
「あら、私って意外と有名ねっ」
「…………いや、確かに考えてみれば同年代だが、名前が一緒というわけで」
「あら、私は称賛してくれたファンの名前も――――叩いた奴らの名前も根強く残ってるわ、聞く?」
東葉は、悲しげな横顔を見せ、すぐさま踵を返すようにして帰路へと―――
「あ、一つ言い忘れてた」
「ん? どうした?」
「私は、あなたを逃がさないから……明日の朝が楽しみねっ!」
去り際に、にっこりと微笑み手を振って彼女は帰っていった。
そこには、先ほどまでの悲しげな表情は微塵も残っていないように感じ取れた。
だが、俺はそんなことよりも、今は”東葉 雅”という名前でいっぱいになっている。
東葉 雅。 その名は、絵描きの界隈でも有名な人物だ。
もちろん、俺は素顔こそ覚えていないが、ほとんどの人は名前・作品・顔。このセットで、彼女のことを覚えているだろう。
ダークホースのように、コミケに参加。
当時、7歳という若さで他の絵描きと並ぶ技術を見せ……さらには、ストーリーでさえも自身で書きあげた。
もちろん、売り場に出たのは、彼女の親……らしいが、その売り上げは尋常ではなかった。
一日目は、そうでもなかったが、購入したユーザーらの度重なる”絶賛の嵐”によって、2日目は昼になる前に、売り切れにしてしまったくらいだ。
だが、その去り際は残酷なものだった。
当時、エロゲーというのはそこまで表面に出ていいものでもなかった。
ましてや、7歳。
彼女は、その事実を告白すると同時に、ネットで叩かれ、世間に叩かれ…………さらには、変な奴らによるストーカー被害にもあい――――
ファンによって期待されていた次回作は、二度と作られることはなかった。
「…………まさか、その本人だったとは」
あの時のニュースは本当にひどいものだった。
記者たちが押し寄せ、ネットではアンチと呼ばれる奴らが根も葉もないうわさ話で、完膚なきまでに叩いて、叩いて叩きまくった。
小さいころながら、その光景を嫌でも覚えている。
…………ましてや、似たような人物を俺は身近に持っているから。
「…………そういえば、明日の朝って何かあったっけか。 嫌な予感がするな」
―――――― 翌朝。
「行ってきまーす」
「あぁ」
いつもの短い挨拶。
俺には、母はいないがこうして、いわゆる厳格な父親がいる。
なぜか今日は、早く起きてしまったので、自然にいつもよりも早く学校へ行くことになった。
いつも学生で賑わう通学路も、30分も早ければ、まったく人がいない。
初めての感覚なので、ゆったりと歩いていると後ろから早足で近づいてくる音を察知する。
「おっはよ!」
「ん? なんだ、お前か」
「なんだとはなんだ、ひどいな君はッ」
「君はって…………」
後ろから、声を掛けてきたのは古馴染みの皆森 千谷だ。
「千谷、今日は朝練じゃないのか?」
「朝練だよ!」
「へぁ? じゃあ、なんでこんな遅い―――」
そこまで言いかけて気づく。
いや、千谷が遅いんじゃなくて、俺が早く来ているだけなのか。
「なーに言ってんのさ、朝練の時間帯だろ? 今は」
「確かにそうだったな、で、お前今何やってんの?」
「んー、なんだと思う?」
千谷は、くるりと回って見せて、自身の姿を見せてくる。
まぁ、一目見てなんとなくはわかっていた。
「テニスか」
「そ、テニス。 橘花は?」
「俺か、俺は……ちょっと早く起きちゃってな」
「あー、橘花って昔から二度寝できないたちだもんねぇ」
千代は、そう言いながら俺の横に並んで歩く。
相変わらずだが、背がちっこいのに、よくもまぁ、ここまで立派に育つものだ。 どこが、とは言わないが。
「…………あのさ、聞きたいことあるんだけど」
「ん? 答えれることならなんだっていいぞ」
「ふーーん」
横目でじろりと、俺を睨む。
どうしたのだろうか、いつもの元気ハツラツさは感じられず、冷淡な雰囲気を感じる。
「じゃあ、聞くけど雅さんと付き合ってるの?」
「…………ん? んんッ!?」
この時、俺は女子の噂話というものの恐ろしさを思い知らされた。
どういうことだ。
俺と、東葉が話していたのは学校の教室内と通学路のみ……どうしてそれがそんな脳内お花畑な解釈になっている。
そしてなぜ、こうもあり得ない噂が――――。
「というか、びっくりしたよ…………まさか、君みたいなのがさ学一の美女と付き合うなんて」
「学一の美女…………? 変態ドS王女の間違いでは」
「えぇ、何それ…………もしかして、オタクトークではぐらかそうとしてない?」
ぎろり。
鋭い、まるで殺気が込められているような冷ややかな視線が俺を刺す。
まずいな、知らなかった。
俺は、あいつがそこまで人気者だったとは…………。
あ、いや、違う界隈では有名人であったのを昨日気が付いたが。
―――――だが、なるほどな。
確かに、それほど学内で有名な人物ならばそういう根も葉もない噂話が出てくるのはわかる。
「って、いや……俺はあいつと付き合った覚えなんぞないぞ」
「付き合ったことはないね。 ふーん、ふーーーーーん」
今度は疑心の目だ。
ほんと、こいつはころころと表情が変わるな。
「でも、結構噂になってるよ」
「な、何が?」
「東葉さんと、橘花が並んで帰ったり放課後意味深な会話をしてたって……これ、どういうこと?」
「あー……いや、それは……」
気まずい。
ここで何か弁明しておかないと、厄介なことに発展するのはなんとなく想像はつく。
だが、弁明をするとなると、自身がエロ絵をSNSなどに裏垢でUPしていることがばれる。
こいつにばれたら……ッ、想像しただけで寒気がする。
「…………何にも言わないんだ。 ま、いいや。 私朝練だからまた放課後ね」
「あぁ、放課後…………放課後? 俺、別にお前と約束は――――って、おい」
一方的な約束を突きつけて、千代は朝あった時と同じく、早足で部室へと向かっていく。
…………本当に、忙しい奴だな。
この時、俺は気が付いていなかった。 忙しいのは千代ではなく――――俺だということに。
――――――教室
朝、もちろん誰もいないはずの教室だ。
無論俺は、元からそのつもりで意気揚々と入ったのだが―――。
「あら、遅いじゃない」
「そこは俺の席なんだが?」
俺の席であるはずの机には、どっさりと……いわゆる計画書が置かれており、そして椅子には東葉が企み顔で座っていた。