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叶が祈の家のトイレのドアから外に出ると、そこに祈の姿はなかった。すると、すぐに、「叶くん? 外にでた?」と祈の声が上のほうから聞こえた。
先ほどの言った通り、祈は先に二階に移動をしているようだ。
「うん。すぐ行く」叶は言う。
みると、階段の上のところから、祈は顔を出して、階段の下にる叶のことをじっと見ていた。
叶は一人で、階段を上がって、二階にまで、ゆっくりと移動をする。
叶が足を動かすたびに、その小さなヒノキで作られている木の階段は、ぎいぎい、と音を立てた。
二階に上がると、そこには祈がいた。
叶が二階に上がってくると、祈は叶を見て、にっこりと幸せそうな顔で微笑んだ。
小さなヒノキの階段の先には、小さな通路があって、その通路の横には木のドアが二つ、並んでいた。ドアのある反対側の壁には、小さな四角い窓があった。
叶が二階まで上がってくると、祈はスイッチを押して階段のある部屋の電気を消した。
また、世界は真っ暗になった。
真っ暗な世界の中で、がちゃっとドアが開く音がした。
それから部屋の中に明かりが灯って、世界がまた、明るくなった。
そこには長方形の形をした、ものの少ない、本当に綺麗な部屋があった。
ベットが一つ、大きなタンスが一つ。そして、小さな机が一つ、青色のカーテンのかかっている窓が一つ。
ベットの上には白い毛布がきちんとたたんで置いてあった。
天井には、明かりの灯っている古い電燈が一つあった。
ほかに、ものはなにもない。
……確かに、すごく綺麗だけど、誰かが住んでいると言う感じのしない、生活の匂いのしない、抜け殻のような部屋だった。(でも、ベットや机、タンスなどが揃っているということは、この部屋にはきっと誰かが住んでいたのだろう。それはやっぱり、祈のおじさんだろうか?)
そんなことを叶は思った。
祈は、その部屋の木のドアの横に立っていた。
そこからじっと、ドアの前からその部屋の中を観察している叶のことを見つめていた。
「ここが叶くんの部屋だよ。元は、おじさんの寝室だった部屋。それで、奥のドアが私の部屋なんだ。元は、おじさんの奥さんの寝室だった部屋。簡単にだけど、もう部屋の準備はしておいたから、すぐにでも寝られるよ」と手前のドアの前で、祈は言った。(叶は顔には出さなかったけど、勝手に、なんとなくだけど、祈のおじさんは独身だと思っていたので、奥さんがいると聞いて、少し驚いた)
「本当に? ありがとう」祈を見て、叶は言う。
それから、祈はいつ、部屋の準備をしたのだろう? と叶は思った。僕がお風呂に入っているときだろうか? (時間的におそらくそうだろう、と叶は思った)
「部屋の説明とかいる?」
「ううん。大丈夫だと思う」と叶は言う。
「わかった」祈は言う。
それから、祈はゆっくりと歩いて、奥のドアの前まで移動をした。
「……じゃあ、おやすみなさい。叶くん。また明日ね」と祈は言った。
「うん。おやすみ。祈。また明日」と叶は言った。
でも、そう言っておやすみを言い終わったあとも、二人は、部屋の中に入らずに、叶の部屋から溢れるかすかな光しかない、薄暗い通路の中に立ったままだった。
……二人はじっとお互いの顔を見つめている。
家の外では、今も降り続いている、ざーという強い雨の降る音が聞こえている。
……それは、とても静かな時間だった。
「眠る前に、なにか少しだけ、お話しして」と祈は言った。
少し考えてから、叶は「おじさんは結婚をしていたんだね。夫婦でこの家で暮らしていたんだ」と祈に言った。
祈は「そうだよ。ずっと二人で暮らしていた。とても幸せそうだった。二人の間に、子供はいなかったけど、二人とも本当の子供みたいに私に優しくしてくれた」と祈は言った。
「おじさんの奥さんはどんな人だったの?」叶は言った。
「とても優しい人だったよ。美人で、笑顔が素敵で、森のこととか、草や花や動物のこととか、家の家事のことか、なんでもよく知っていて、それから、……まるで私の本当のお母さんみたいだった」と祈は言った。
「おじさんのことを愛していた?」
「うん。すごく愛していた。おじさんも奥さんのことをすごく愛していたし、奥さんもおじさんのことをすごく、愛していた。そんな理想的な夫婦だった」と祈は言った。
そこで、叶は言葉を話さなくなった。
祈も話をしなくなった。
沈黙の中で、叶は、まだ見たことのないおじさんとおじさんの奥さんが二人で仲良く、この家の中で暮らしている風景を思い浮かべていた。(それは、本当に幸せそうな風景だった。二人は叶の想像の中で、一緒に料理をしたり、炎の灯った暖炉の前で本を読んだり、古いレコードを聞いたりしていた)
やがて、祈は奥のドアを開けて、それから「おやすみなさい。今夜は、いい夢が見られるといいね」ともう一度、おやすみなさいを叶に言って、それから祈は自分の部屋の中に移動をした。
そして、奥の部屋のドアは、ぱたん、と言う音がして閉まった。
叶はそんな光景をぼんやりと見てから、「おやすみ。祈。君こそ、……幸せな夢を」と小さな声でもう一度、おやすみを祈に言ってから、祈の用意してくれた、元はおじさんの寝室である、今は自分の部屋の中に移動をした。




