33 ……君は、(……あるいは、僕は、さ)この世界に、きっと、きちんとさ、……生きていていいんだよ。
……君は、(……あるいは、僕は、さ)この世界に、きっと、きちんとさ、……生きていていいんだよ。
……時間は、本当にあっという間に過ぎていくね。……一日も、一年もあっという間だった。……きっと君がいないからだね。
祈は手際よく、てきぱきと料理をしている叶の大きな背中を、ぼんやりとリビングから持ってきた背もたれのある立派な椅子に座りながら、じっと見つめていた。
祈りは椅子を前後、逆にして、背もたれのあるほうを体の前に向けて、その背もたれの上に腕と頭を乗せながら、なにも言わずに、黙ったまま、そこにおとなしく座っている。
叶はときどき、そんな背中の視線を感じて、後ろを向くと、祈と目があって、二人はお互いににっこりと幸せそうな表情で笑った。
お風呂上がりの祈は、その頭にカチューシャのようにして、青色と白色のしましまのタオルを巻いていた。動物の耳のようにも見えるタオルだ。
そんな祈を見て、叶は少し前に、森の中で見た野生のうさぎや、あるいは、木の枝の上にいた二匹のりすの姿を思い出した。
二人のいる空間には、優しい音楽が、とても耳に心地よい音量で流れている。叶が祈にお願いをして、レコードをかけてもらったのだ。
祈の家の古いレコードコレクションと、レコードセットは、やはりかなり高価なものだったらしく、その音は本当に素晴らしいものだった。(保存状態もすごくよかった)
レコードの選曲もいい。
選曲は、祈に任せた。(祈は、叶に選んで欲しかったらしく、一人で、うんうんと唸りながら、かなり悩んでいた)
祈は古いレコードにあまり詳しくなかった。このレコードセットは、この家の本来の持ち主である人が、『この場所に残していった、大切なもの』なんだそうだ。
この家の本来の持ち主は、どうやら、祈の親戚のおじさんのようだった。
その親戚のおじさんは、残念なことに、数年前に、……もう、亡くなってしまっているらしい。
つまり、このレコードは、祈の親戚のおじさんの『形見の品』のようなものだった。
「おじさん。すごくレコード好きだったの。古い音楽が大好きだったんだと思う」とどこか懐かしい人を思い出すような顔をして、祈は言った。
「いつも優しい顔をしている温和な人で、よく、この部屋でレコードを聞いていた。冬にくることが多かったから、暖炉の炎の前でさ、誰かと一緒にゆったりと大好きな古いレコードの音楽を聞きながら、やっぱり大好きな本を読んでいるおじさんの姿を今も思い出したりするんだ」
祈は言う。
叶が祈を見ると、祈りはぼんやりと、もうそこにはいなくなってしまったはずのおじさんの姿を、今もそこにおじさんがいるかのようにして、じっと、椅子の上から、リビングのもう一つの椅子が置いてある場所にその顔を向けて、なんだかすごく子供っぽい表情をしていた。
祈は、結局、悩んだ末に、運頼みのようにして、適当にレコードを選んだようだった。
でも、その曲は(偶然にも)とても、優しい声の女性の人が歌っている、静かな曲で、(まるで、静かな雨上がりの午後の森林の中を、誰かと一緒に、ゆっくりと歩いているような気分になる曲だった)僕たちの初めての夕食の時間にぴったりの曲だと叶は思った。(それは素晴らしい選曲だった)
「この家は、そのおじさんから祈がもらったの?」叶は言う。(個人的なことについては、詮索しないつもりだったのだけど、つい聞いてしまった)
「ううん。違うよ。この家は今、私は『仮の家主』として、一時的に住まわせてもらっているだけなの。この家の管理をする代わりに、少しの間なら、一人で、ここに住んでいいって言われたんだ」祈は言った。
「そうなんだ」叶は言う。(思わず、誰に? と余計なことを聞きそうになってしまった)
「でも、いくつかおじさんから、もらったものもあるんだよ。このレコードがそうなの。この古いレコードのコレクションと立派なレコードセットは、私がおじさんから正式に譲り受けたものなんだ。きちんとした私の所有物なんだよ」と叶を見て、にっこりと嬉しそうに笑いながら、少しだけ自慢そうな顔をして祈は言った。
「まあ、私は、あんまり古いレコードにも、立派なレコードセットにも、古い音楽にも、綺麗な音質にも、興味はないんだけどね」と祈は言った。




