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 すると、青色のスポーツバックの中には、まず叶の着替えが入っていた。それは、下着と、靴下と、青色のパジャマと、青色のゆったりとした部屋着ジャージのようだった。それに財布と生徒手帳と小さなメモ帳。……そして、携帯電話が入っていた。(叶の携帯電話は少し古いタイプの緑色をした携帯電話だった)財布の中身はからっぽで、生徒手帳には硬い顔をした叶の写真と高校の名前があった。その高校の名前に叶は聞き覚えがなかった。メモ帳は確認すると真っ白だった。

 それにすべてではないけれど、勉強道具も入っていた。古典と英語と数学の教科書とノート。それに筆記用具が入っていた。(そこまで確認したところで、まだ、全部を確認したわけじゃないけど、叶は一旦、携帯電話が見つかったので、スポーツバックの中身を確認するのをそこでやめた。入ってはいないとは思ったけど、もしかしたら、そのバックの中には、『高校生のバックの中に入っていたら、おかしなものや、あるいは、絶対に祈には見られたくないもの』が入っている可能性もあったからだ)

 叶はそれらを一つずつ(自分の下着以外)祈に見せてから、(祈はいちいち、うんうん、とうなずいていた)最後に緑色の携帯電話をバックの中から取り出した。

「あ、あるじゃん! 携帯電話。よかったね。これでいろんなことがわかるんじゃない!?」祈は言う。

「……うん。そうだね」スポーツバックのチャックを閉めながら、叶は言う。

 でも、残念ながら、(叶は密かに、それを望んでいたのだけど)そうはならなかった。

 叶が画面を覗き込もうとしている祈の視線を避けながら、携帯の中に入っているデータを確認してみると、そこには、なんの記録も入っていなかった。

 携帯は、真っ白だった。

 データは全部、消えていた。(あるいは、最初から、なにも登録されていなかったのかもしれないけれど、自宅や、学校、あるいは、自分の番号も登録されていなかったので、おそらく、消えたしまった、もしくは、記憶喪失になる前の叶自身が消去したのだと思った)

 携帯も、叶と同じようにその記憶をなくしていた。

「なんだ。なにも登録されてないじゃん。叶くん、友達誰もいないんだね。残念な子だね」叶の肩にぽんと手をおいて、本当に残念だね、と言うような顔をして、祈は言う。

 そんな祈のことを無視して、(無視されて、祈はむっとした顔をする)叶は携帯のメモリー(記憶)を一応、全部確認していく。

 それは確かに、ゼロだった。

 なにもない。

 そう思った。

 でも、そうやって、メモリーを探っていくと、その最後のところに、一つだけ、ぽつんとその『言葉』はあった。

 ……『さようなら』。

 さようなら。

 確かに叶の携帯電話の中には、そんな言葉があった。

 さようなら。

 ……さようなら、か。

 これは誰に向けてのさようなら、なんだろう?

 きっと、僕自身が残した最後のメッセージだと思う。これは、僕自身に向けてのメッセージだろうか? それとも、……記憶をなくす前の僕に向けてのメッセージだろうか? それとも、そうじゃなくて、僕が忘れてしまった、あるいは失ってしまった、あらゆるものに対しての、(きっと、祈の言うもっと大切なこと、に対しての)さようなら、だろうか?

「どうしたの? やっぱり、なにか見つかったの?」

 じっと真剣な顔で、携帯電話の画面を見ている叶を見て、期待をした顔で祈が聞く。

「いや、なんにもない。本当に全部消えちゃっているみたいだ」

 そう言って、叶は祈を見て、小さく笑った。

 それから叶は携帯電話を自分の高校の制服の(赤い紐が入っていないほうの)ズボンのポケットの中にしまった。

 ズボンのポケットの中に携帯電話をしまう前に、叶はそのさようなら、のメッセージを携帯電話の記憶の中から削除した。

 二人はまた手をつないで、草原の中にある小さな土色の道の上を歩き始めた。

 叶の携帯の電源は、このとき、すでにもうほとんど残っていなかった。

 叶が祈と一緒に、祈の家の前に到着したときには、叶のポケットの中にある緑色の携帯電話の電源は人知れず、ゼロになった。(スポーツバックの中に携帯の充電器は入っていないようだった)

 そして、携帯電話は永遠に、叶のポケットの中で沈黙した。

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