◇4 ワールド・シャットダウン
「恥ずかしいよやっぱり。中学生にもなって浴衣を着てる友達なんて絶対いないし。」
「いつまでもそんなこと言ってないで。男なら潔くしなさい。」
真璃の家は古くからある木造建ての一軒家で長い廊下を挟むように部屋が何個も設けられていた。
その一室の客間であるところの和室には立派な縁側があって、そこから見える大きな庭には赤色の鯉が泳いでいる池があった。
――ふと、リノは思い出していた。何年か前までは、鯉は金魚が大きくなった魚だと勘違いしていて、その間違いが真璃に気付かれた時、小突くように優しく指摘された事を。
渡された浴衣を前に中々踏ん切りがつかない利乃だったが、それに見かねた真璃は利乃のシャツの袖を掴むと強引に脱がせ始めた。悲鳴をあげる利乃に対し真璃の力はどんどん強くなってゆく。
「きゃーーーーーーー!!!」
「女の子みたいな容姿で、女の子みたいな悲鳴をあげるのはよしなさい!!!」
「だってーーーーーー!!!」
「痛くしないから!抵抗すると余計辛いわよ!!」
「きゃーーーーーーー!!!」
数分の間続いた取っ組み合いは真璃の一方的支配的完全勝利に終わり、利乃はゼェゼェと肩で呼吸をするほど疲れ切っていた。
「心配しなくても大丈夫よ。似合ってるから。ん・・・利乃は女の子の服も似合いそう。・・・今度着せてみるか・・・。」
「勘弁・・・して・・・。」
「ねぇ、私はどう?似合う?」
薄い水色を基調に濃い藍色の帯。所々に描かれた花模様。そして吹奏楽部所属にもかかわらず運動部のように引き締まった細長い脚。首元に結われた髪の毛の隙間から白いうなじが見える。
実際、似合わないはずがないと利乃は思ったが、なかなか言葉が出てこなかった。
「いいと、おもう、たぶん。」
――真璃を目の前にすると口から出る言葉は分厚い衣を纏っているようになってしまう。
必死に自分の本心を隠そうと纏った何重もの衣は、身を守るためには便利だが、いざ本当の言葉を言おうとしても口から出すには難しい。重すぎて前に進まないのだ。
「たぶんって・・・まぁいいか。ありがとう。嬉しい。」
少しだけ微笑んだ真璃はそういうと、利乃の一歩先を歩き出した。
「じゃあ、行こうか。」
利乃の抵抗虚しく、浴衣への着替えを済ませた二人は、部屋を後にする。
玄関を目指し廊下を歩いていると左側にある一室から小さな物音が聞こえた。
利乃は物音にピクリと反応すると真璃に尋ねた。
「ねぇ真璃。この部屋から音が。」
「あぁ。その部屋は・・・。」
一瞬、俯き気味になった真璃の表情を利乃は見逃さなかった。
「ごめん!なんでもない!」
「・・・。」
利乃は何かを察したように言葉を飲み込むと、真璃は少し困った顔をして苦笑いを浮かべた。
既に、部屋から物音は聞こえなくなっていた。
花火大会の会場であるところの沿岸には、歩いて十五分程かかる。
そして打ちあがる時間も三十分を切っている。
「急ごう利乃、花火が始まっちゃう!」
「わかってるよー。」
「止まっている時間なんて一秒もないんだから!」
真璃はそういうと利乃が着ているグレーの浴衣の袖を引っ張り、小走りで歩き出す。何かから逃れるように真璃の歩調は少しづつ速くなってゆく。
――利乃は前を歩く真璃の顔を後ろから覗く。
無理矢理に作られた笑顔がどんな物なのかを利乃はよく知っていた。
それは、公生の没後数カ月の奈々の姿を見てだったり、同じ時期にして自分の顔を鏡で見ていた時の経験からくるものだった。
人が作り笑いを浮かべる時は、決まって瞳が何処か遠くを見つめている。
真璃が今見せている表情は、まさに一時期の自分と奈々が浮かべていた表情と同じだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大人が少ないのね。」
海岸沿いの会場は数十種類の出店で賑わっていた。和太鼓の重量感ある音がリズムよく響いている。
並行して夏祭りも行われていて、ハッピを着た人も数多く見受けられる。
「確かに。親子連れは多いけれど。」
子供向けとは言えこの町で一年に一度の花火大会だ。元来、老若男女問わず人の群れでごった返しているはずだが。
「・・・全部NVRのせいよ。」
真璃は誰に言うでもなく眼前に広がる海の沖を眺めていた。青黒く不気味な海面がゆらゆらと揺れている。
屋台の自重した明かりが真璃の瞳の中を照らす。
「何か食べようか!真璃は何が食べたい?」
気を使ったわけでは無いが、どこかお祭りの様な賑やかとは言えない真璃の雰囲気を変えようと、利乃は笑顔を見せる。
「んー。利乃が選んだものが良いかな。」
「え、それでいいの?」
「――いい。」
利乃と真璃は海岸にそびえたつ大きな灯台の下に座り、買ってきたりんご飴を二人で食べた。
浴衣を着ているにも関わらず、ふくらはぎが蚊に刺されたようで、とても気になり落ち着かない。
灯台は利乃が生まれた時には、既に街を見守るようどっしりと聳え立っていて、所々老朽化の影響で錆びた匂いが、海風に乗って鼻腔に届く。
「美味しい。りんご飴。」
「――そう?りんごは酸味が無くて甘すぎるし、それに飴を被せたらもっと甘くなっちゃう。」
そう言いながらも、りんご飴をガシガシと食べる真璃の姿に利乃は頬が緩んだ。
「たぶん、今日しか食べれないってことに価値があるんだよ。」
「・・・ふーん。価値ねぇ。――じゃあ今日しか着れない浴衣にも価値があるんじゃないの?」
「まぁ・・・そうだね。」
利乃は口ごもる。
その時、視界の隅、遠くの方で屋台の光ではない何かが光った。
「――ドンッ。」
同時に不規則な重低音が次から次へと鳴り出した。
花火が打ちあがった。
赤。青。黄。緑。金色。点が線になって真っ黒な夜空に花を描く。
遠くからやってくる波が水面に映し出した光を歪め、時折バシャりと音を立てる。
「――ドンッ。ドンッ。ドン。」
絶え間なく打ちあがる花火を利乃と真璃は黙って眺め続けた。
「綺麗・・・これは――NVRの世界でも、空間伝送でも無いのね。」
横顔から見える真璃の瞳には何色もの花火が映っている。
「――うん。職人さんが丸一年をかけて作ってるんだってさ。」
利乃がニュースで見た情報だと花火師は全て手作りで元となる球体を作り上げる。一年という時間をかけて。
「・・・どうしてかな。」
「え?」
「さっきも言ったけど、この会場に大人が少ない理由って、きっとこの花火よりも美しいものをNVRを使えば見る事ができるからよね。」
「・・・どうだろう。」
利乃は少々困った顔を浮かべる。真璃の言葉を聞いてNVRの装着を楽しみにしている自分が少しだけ恥ずかしく感じる。
「――私の前にはこんなに。綺麗で。儚くて。心を突き動かされる光景が広がっているのに・・・。NVRをつけるようになったら、この感動も忘れちゃうのかな。・・・この光景をあんなものって勝手にラベリングして、否定するようになっちゃうのかな。」
真璃はジッと花火を見上げていた。言葉とは裏腹に悲しそうな顔は見せず無表情のまま。
利乃は真璃と同じ方向を見つめたまま言った。
「わからない。僕にはまだわからない。けれど、もしそうなっても大丈夫だよ。――今この瞬間が強い思い出として残るならきっとそれは・・・大丈夫だと思う。」
「・・・なにそれ。適当。」
「未来の事は誰にも分らないからさ。」
真璃は未来に怯えていた。それはきっと、NVRの装着を機に人が変わってしまったお兄さんの影響だろう。
――真璃のお兄さんは中学を卒業し、NVRをつけた数日後、何かに取り憑かれたかのようにパソコンを使った作業に没頭し始めた。NVRの影響である事は間違いないらしいのだが、部屋の中で何をしているのかを妹の真璃や両親も知る事が出来ず、ただ部屋に閉じこもっているらしい。
利乃が先程までいた真璃の家で聴いた物音。それに疑問を持った時に見せた、困ったような真璃の表情。
兄の部屋と推測できる場所から、人がいる気配は感じた――。
「・・・ねぇ利乃。もしも実は今、私がNVRをつけていて、尚且つNVRで作られた花火の方が綺麗だよ。なんて言ったら・・・怒る?」
「・・・どういうこと?」
真璃の咄嗟の一言に利乃は理解が追い付かなかった。
「私の今までの言動が全部嘘で、NVRを持った私が、実はNVRに比べたら現実の花火なんて大したことないよって言ったら・・・。」
「NVRは中学校を卒業しないと貰えないんだ。それくらい僕だって知っているよ。」
「それもデタラメだとしたら?」
「ありえないよ。国が決めているんだから。それに真璃がそんな事するはずがない。する意味が無いもの。」
――だって、NVRの影響で変わってしまった兄が実際に存在していて、酷く傷ついている真璃がここにいるのは、紛れもない事実なのだから。
「・・・そう。ありがと」
真璃はそういうと、花火を見上げた後、利乃に向き直って続けた。
「でもー。もしかしたら入ってるかもしれないよー?NVRのコンタクトレンズ。ほら、よーく見て。」
真璃は自分の顔面を利乃に近づけ、右手を伸ばす。頬は熱を出した時のように赤々としている。りんごのように赤く、飴のように艶やかに。
瞬間、目をつぶった利乃の前髪を真璃の手がかきあげた。
「よく見て、本当に入ってない?コンタクト。」
利乃が目を開けると吐息がかかる距離に真璃の顔があった。
「ちょっと!まりっ!どうしたの!?「見て!!本当・・・に・・・入ってない。。。?」
深くグラデーションがかった真璃の眼にはNVRのコンタクトレンズは入っていなかったが、代わりに涙が湧いていた。引き込まれそうな澄んだ瞳。
利乃の心拍数は徐々に落ち着いてゆく。真璃の浮かべた涙の理由を考えた。
「――入ってないよ。僕も真璃も見ているのは同じ。現実の世界だ。」
「・・・そっか。ありがとう。」
いつのまにか盛大に打ちあがる何十連発もの花火は終わっていた。
辺りの静けさに波の音がやけに際立って聴こえた。
「フィナーレ見れなかったね。」
「うん。」
「来年のお楽しみ。」
「そうだね。」
暗闇の中もう一度空が光った。
「一発残っていたのか。」
今までのとは比べられない程の大きな重低音が響いた。
――瞬間、強力な風が利乃と真璃を襲った。
風の圧力で前髪がすごい勢いでかきあげる。
サイレンの音が鳴る。
聞いた事のない高音が胸の奥を不快な気持ちにさせてくる。まるで授業の一環で戦争映画を見た時のような。
海岸から走り出す住人達。砂浜に足を取られ転倒する人々。
どこからともなく叫び声が聞こえる。
「「――にげろー!いえがくずれるぞー!!!」」
利乃が後ろを振り向いた時には海岸沿いの家は赤い森のように炎で燃えていた。火が夜空を照らす。温風が肌をかすめて勢いよく通り抜け、利乃は気持ち悪さを感じた。
「燃えている・・・木々が!町が!!まり!!!にげよう!!!花火の火が飛び散ったのかもしれない!!町が燃えている!!」
「・・・うん。」
真璃は立ち止まったまま、燃え盛る家を。町を。眺めていた。
「まり!!!!!」
――自分では大声を出しているつもりだが、自分の声が聞こえない。建物が崩れる音。住民の絶望した狂声に全ての音が掻き消されてゆく。」
「――真璃・・・。」
二人で見た最後の景色は、世界が終わる瞬間だった