◇3 日常
「お母さん。どうしたんだろうね。あんな風に誕生日を祝ってくれるのは毎年の事だけれど・・・最後のは少し驚いちゃった。もちろん嬉しかったけどね。」
利乃と奈々は並んで歩いていた。
乾いた地面の続く先には蜃気楼が発生し目先をぼやぼやと歪ませる。太陽光の熱をコンクリートが吸収し、日陰と日なたのコントラストがまるでモノクロのように映した。
海岸の方へと伸びた長い坂道を下ってゆく。遥か彼方まで広がっているキラキラ輝く海面が規則正しく揺れていて、光の粒子が飛び交っているように見える。
「そうだな。僕も驚いた。なにかいい事でもあったのかな。」
「んー。そうだといいけど。」
奈々は右手を空へとかざす。頭上に生い茂った膨大な木々から、田舎町特有の贅沢な木漏れ日が二人を包み込んだ。
「あ、お兄ちゃん。話変わるけどさ・・・あと二年だね。」
――二年。
「・・・二年か。実感したわけじゃないけれど、今日僕と奈々は歳を一つとった・・・。でもまぁ。NVRを使えるようになるまでは、まだ二年もあるのか。そう思うとまだまだ先のように感じる。」
「私なんてまだ三年もあるよ。いいなぁ、お兄ちゃんは。」
奈々は溜息を吐き出すと、額に滲んだ汗を拭った。
――NVR
――空間伝送が蔓延る街並み。
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VRの進化系であるNVR
ゴーグル型の端末であるVRを装着すると、360度作られた映像の世界に入り込めるというのは、既に数年前の話で、最先端のNVRというものは特殊なコンタクトレンズの事だ。
そのコンタクトレンズをつけると人間が現実世界に空間伝送で作り出した世界を見ることができるようになる。
作り出した建物。オブジェ。自然。
つまりファンタジー映画のような世界が現実世界に重ねられたように映る。
絵が書かれた紙(現実世界)の上に透明な紙に描かれた絵(映画の中の世界)を被せたような例がよく使われる。
空間伝送というのは高速通信のおかげで映像を映し出すことが容易にできるという事だ。
当初の用途としては、遠く離れた相手を自分の前に映し出すことで、まるで直接会ったようにコミュニケーションが取れるという使用理念が存在していた。
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「実際のところ、まだなにもわからないよ。」
利乃がそういうのは、スマートフォンや噂からの知識だけの解釈であって、実際にはNVRの経験が無いからだ。
「わからないほうがいいのかもね。期待したらしただけNVRをつけた時の感動を味わえそうだもん。」
NVRの装着は義務教育を終えてからで、中学校を卒業すると自動的に国から支給される事になっている。
個人の細胞に合わせて作られた専用のコンタクトレンズがあるらしく、他人の物を装着しても起動せず、反応すらしない。
よって、小中校生が付けることは自動的に不可能なのだ。
なので大概の小中校生の認識として空間伝送の世界は幻のように、蜃気楼のように存在しているという空想でしかない。
それでも興味を煽るのは、現実からの解離という心理が大きいのだろう。
ファンタジーゲームのような、異世界のような世界が現実に広がっているという妄想が想像力を掻き立てるのだ。
誰しもが憧れるゲームや映画の中の世界――。
「じゃあ、気を付けてな。僕こっちだから。」
「え?なんで?会場は真っすぐだよ。」
真璃と別れるいつもの場所に着いた時に見せた、不自然な利乃の表情を奈々は見逃さなかったようで、何かに感づいたように口角をあげニヤリと笑った。
「そういうことかー。ふーん。でもさー、デートって待ち合わせが相場じゃない?お兄ちゃんわかってないなー。」
「デートじゃない。そしてそんな常識は知らない。」
「そーですかー。けど、本当に仲が良いよね二人とも。はやく、付き合っちゃえば良いのに。」
「子供は黙ってなさい。」
「む!子供って・・・。貯金できないお兄ちゃんの方がよっぽど子供だと思いますー!ま、いいや。じゃ、真璃さんによろしく!」
「・・・。」
「あ、会場で見かけても声かけないから安心して。」
そういうと奈々は駆け足で去っていった。
「あんまり、遅くなるなよー!」
「お兄ちゃんもねー!」
その後ろ姿を見るたび日々成長してゆく奈々の身体は、幼少期の面影を少しづつ消し去ってゆく。
公正が亡くなった直後の奈々とは、別人のように最近は笑顔を見せられるようになり、利乃は改めて奈々の心境の変化を感じた。
利乃も自らの足で歩き出す。
真璃の家へ向かって。