魂印
アルとアレスタは、アルの本来の目的である黒パンを買う為にイフリタルの宿に向かって歩いていた。
「しかし、黒パン生活とはな。本当に貧乏だとは。たしか、両親は商人なんだろう?なんでそんなに切羽詰まってるんだ」
「うちは、両親が殆ど家にいないんだよ」
ん?と、アレスタが顔をしかめながら不思議そうに腕組みをする。
商人といっても種類があるのだ。自分で店を開き商売する者。行商人の様に、彼方此方を行ったり来たりしている者。露店を出して日銭を稼ぐ者。
自分の両親は、行商人だから彼方此方行って家にいないとアレスタに説明する。
「てことは、アルは一人暮らしみたいなもんなのか。大人になったと言っても、まだ15だろう?よく生活出来てるな」
「まぁね。両親が留守にするのは、10歳くらいから多くなってきたから、その頃から大抵の家事は出来るようになったしね」
「そうか。お、銀翼に着いたな。じゃあな、アル。また、機会があったらよろしくな!俺達は、しばらくファスタールに居る予定だから、何かあったら銀翼か冒険者ギルドの受付に言ってくれ」
アレスタは、片手を振りながら銀翼に入って行った。
「さて、さっさと黒パン買って帰ろう。明日の朝は早起きして、新緑樹の雫取りに行かないと」
黒パンが、ある事を祈りながらイフリタルへと向かうのだった。
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翌日の朝は、気持ちの良い快晴でスッキリと目覚める事が出来た。
アルは、いつも通りの軽装に着替えて森へと出かけて行った。
[新緑の森]と、人々から呼ばれているこの森は、比較的に魔物も少なく見晴らしも悪くはないので迷う心配もあまり無い森だ。
何回も採取に訪れているアルにとっては、庭の様なものだ。
新緑樹の雫は、森から出る魔力を朝露が吸収して出来る為、木々の葉に溜まっている事が多い。
アルは、器用に瓶の中に雫を入れていく。
森に着いて大体1時間ほどで、500ml瓶1つ分採取出来た。
(いいベースだ。あと、1瓶分採取出来たら十分だな)
軽く汗ばんできた額を拭い、瓶を袋の中にしまう。
昨日の雨のお陰で、新緑樹の雫は森に豊富にある様だ。
「さてと、もうひと頑張り・・・」
と、自分に言い聞かせようとした時
「ガサガサ」っと近くの茂みが揺れた
(!!!)
一瞬のうちに緊張が走り、アルは息を潜め近くの樹の後ろに隠れて様子を見る
ガサ、、、カサガサ、、、。
音のした方向を警戒しながら覗く。新緑樹の雫を回収するのに夢中になり過ぎた。
アルは静かにナイフを抜き、いつでも動けるように体勢を整える。
カサカサと、音が遠ざかり何者かは森の奥へと消えていった。
「フゥー、行ったか。なんだったんだろう」
ナイフを鞘に納め、弛緩する。夢中になり過ぎると、警戒心が薄くなるクセが自分にはあるらしく、父親にも注意された事もあるのだが、中々治らないみたいだ。
森で危険なのは、魔物だけではない。鹿や猪、時には熊にも遭遇するかもしれない。野生動物の力は、一般の人間なんかより断然強いのだ。職業補正がある人間ならまだしも、自分では到底太刀打ちできないだろう。
アルは気を引き締めて、再び新緑樹の雫を採取していく。
(今みたいな事があると、自衛の為に戦闘職を選んでもいいかもしれないよなぁ。薬師にしようか迷うけど、素材集めには危険が伴うし、第一自分で素材集め出来るのはメリットも大きい。今なら、アレスタ達に着いていけば色々と勉強する事も出来るしなぁ)
そんな事を考えながら、採取を続けていると、あっという間に時間が経ち新緑樹の雫で瓶が満杯になった。
「よし!これだけあれば充分だな」
瓶を袋に入れてみると、ズッシリと肩に重みが掛かる。家に帰って、聖水と一緒に煮込めば浄化水の出来上がりだ。これで、大体300mlくらいの浄化水が出来るだろうから、作れるものも増えるはず。
「また簡単な依頼が出ていれば良いんだけどね。さて、帰って調合の準備しよ」
1ℓ分の雫は重くて、帰るのに少しだけ時間が掛かってしまったが、無事にアルは家まで辿り着いた。
新緑樹の雫と聖水、数種類のハーブ[シナモン、フェンネル、ジンジャー、ペパーミント、カモミール]を用意しておく。
まず、新緑樹の雫500mlを沸騰させない様に煮詰めていく。透明な色から、少しだけ水色に変化してきたら、残りの新緑樹の雫と聖水を少しずつ足していき、最後にハーブを入れ余熱で成分を抽出する為に火を消して鍋蓋をする。
10分くらい経ったら、ハーブを取り除いて冷ます。
胃腸薬が冷めていくうちに、最初は薄かった水色が段々と濃い色になっていく。
触っても大丈夫なくらいまで冷めたら、胃腸薬の出来上がりだ。
大体、200mlの胃腸薬が出来たので、ガラス瓶に移すと10本分作る事が出来た。
「よし!うん、まずまずの出来だな。色も悪くない。明日納品出来そうだ」
胃腸薬を鞄にしまって、テーブルに置く。
フゥ、と息を吐いて椅子に腰掛ける。薬を作り終えたら、もう一つ準備しなくてはいけない事がアルにはあった。
複写してもらった紙を見つめて、心の中で最終確認をする。
決心を固めたアルは、鞄に紙を入れて明日の予定を立てていくのだった。
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翌日、アルはファスタールへと向かい無事に胃腸薬を納品する事が出来た。9個の納品で、銀貨1枚と銅貨8枚の収入になる。
1つ余ってしまった。
代金を受け取り、カウンターを離れようとした時に、受付嬢に呼び止められた。
セミロングの茶髪に青い眼の・・・たしか、ティファって人だっけ?
「あの、、、何か御用でしょうか?」
知らない女性に話しかけられると、意味もなく緊張するのは何故なのだろう。
「よかった。アル君に依頼?と言うか、お願いがありまして。実はですね、近々冒険者認定試験がありまして、前回の反省も踏まえて傷薬を用意しておこうってなったみたいで、ウチに話がきましてね。冒険者ギルドのギルカスって人が、傷薬ならアル君の作った物を使いたいらしいんですよ。納品期日は、3日後までになってしまうんですけど、、、出来ますか?あ、もちろん急な依頼ですので素材は提供致しますし、報酬も銀貨4枚と高めですよ」
ニッコリと微笑みながらティファが言う。
(銀貨4枚か。個数にもよるけど、今はお金が欲しいしな。受けて損はないし大丈夫か)
「作る量にもよりますが、幾つぐらいをお考えですか?」
「そうですねぇ〜、今回の選定は5人らしいので最低でも5個は欲しいですね。」
「それくらいなら大丈夫そうですね。1日待ってもらえれば作れますよ」
「助かります!!ギルカスさんも喜びますよ。今、素材をお持ちいたしますね」
ティファさんはそう言うと、カウンター奥から小さな鞄を持ってきた。
「お待たせしました。こちらが傷薬の素材になります。依頼期日は、3日後までですのでよろしくお願いしますね」
「分かりました。なるべく早く持ってきます」
素材の入った鞄を肩掛けにして、ギルドを出る。ちなみに、ギルドの鞄は返しておいた。入っていた素材は、薬を入れていた鞄に余裕で入る量だったので移し変えてもらった。
商業ギルドを後にしたアルは、そのまま協会に向かった。
教会前に着くと、シスターが扉の前で落ち着かない様子でウロウロしていた。
「あの、シスター。どうかなされましたか?」
このままでは協会に入れないので、そっと声を掛けたつもりだったのだが、シスターは、「ひゃう」っと声を上げて固まってしまった。
(えぇ〜。こんな時どうすりゃいいの?)
声を掛けたはよいものの、想像していなかったリアクションを取られてしまいアルが固まっていると
「あぁ、ビックリしました。なんでもございませんよ。こほん、失礼致しました。我が協会になにか御用でしょうか」
硬直していたシスターが我に返り、少し恥ずかしそうに用件を聞いてくれた。
「あの、司祭様は、、、マルクス様はいらっしゃいますか?職業の魂印をして頂きたくて」
アルがシスターにそう言うと、またシスターはビックリしてアルに問い質してきた。
「魂印ですか。失礼ですが、器持ちの方であれば証明出来るような物をお持ちですか?」
「あ、はい。祝福の儀の時に写してもらった紙があります」
「失礼ですが、私が拝見しても大丈夫ですか?」
アルは、シスターがなぜそんなに警戒しているのかが分からなかったが、職業が書いてある紙をシスターに見せた。
「確かに、鑑定者名はマルクス様のサインですね。鑑定紙も本物のようですし問題ありませんね。」
シスターは、そう言ってアルに鑑定紙を返し、マルクス様を呼んでくるので教会内で少しお待ちくださいと言い、去って行った。
教会の中に入ると、色とりどりのステンドグラスから光の柱が教会内に差し込んでいて神秘的な雰囲気に満ちている気がする。
祝福の儀を受ける時に教会には来たが、あの時は色々と考え事をしていたので周りを見る余裕なんてなかった。
一番前の長椅子に座り、女神像を見上げる。
手を組み慈愛に溢れるような笑顔で自分を見守っていてくれているみたいに感じる。
(どうか、この選択が間違っていませんように)
「きっと大丈夫ですよ。」
女神様に祈っていたら、いつのまにかマルクス様が来ていた。どうやら、自分でも気が付かないうちに集中していたようだ。
「アル君は、自分の知らないところで多くの人達を助けていますから。きっと、女神様も君の選択を祝福してくださいます」
「そうだといいんですけど」
もう一度、女神様を見ると先程まで日陰で暗かった顔に陽光が差し、とても美しく輝いて見えた。
「さ、アル君。この前鑑定した部屋で魂印をするから行こうか」
鑑定室に着いて、椅子に座る。反対側にマルクスも座りアルから鑑定紙を受け取りデーブルに置く。
「さて、アル君。君には5つの選択肢がある。この中から2つ職業を選ぶ訳だが、もう心は決まっているんだね?」
マルクスは、アルに最後の確認をする。
アルはもう決心はついているので、力強く返事をして、2つの職業を告げた。
「結構。では、これより魂印を始める」
マルクスは、女神へ祝詞を唱え始めた。しばらくすると、アルの身体が暑くなってきた様に感じる。
「女神エウクレアの導きにより、アル・グラッゼに新たなる道を示したまえ。」
頬を伝う汗が、流れて膝の上に落ちる。暑い身体のさらに奥。魂と呼ばれる身体にはないはずの部分が熱く熱く燃え盛る様に感じる。
流れる汗が止まらない。
時間の感覚が麻痺しているみたいで、魂印が始まってどのくらいの時間が経っているのかも曖昧になっていく。
「どうか、この者の未来に栄光と名誉を。迷わず守り火に帰れる様に」
「光あれ」と、マルクス様の祝詞が終わると同時に、不思議なことに身体から暑さが引いていった。