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芒はすぐに柊を見つけた。時刻は7時をまわる頃、柊は敷地内にポツリとたたずむ公園のベンチで、一人星空を眺めていた。
芒はやれやれと苦笑する。きっと事情を知らされた彼女は、帰る場所がないと嘆くこともせずに一晩をこの公園で過ごすつもりだったに違いない。柊は芒に気が付くと、表情を変えずに口を開いた。
「こんばんは」
「やあ、ついさっきぶりだね。もう聞いていると思うけど、君の部屋でぼや騒ぎがあったらしい。そこでAクラスの生徒に君を一晩泊めるよう頼んでくれ、と言われたんだけどね。……申し訳ない、断られてしまった」
「それは残念」
そう俯く柊は、しかし少しもそういう声音を見せず、機械的に返答した。芒はまた苦く笑う。
「星が好きなのかい?」
芒はそれに対しての柊の答えに期待はしていなかった。きっと肯定か否定のみで返ってくるに違いない、彼女は言葉にまったくの心情を込めないだろう、と。
しかし柊の返答は芒の予想をいい意味で裏切った。
「……星は嫌い。だって一つ一つがとても綺麗で、まるで……」
芒は彼女の言葉を待った。あの冬木柊が言葉を詰まらせ、あぐねいているのだ。芒はじっと、彼女がその言葉を継ぐのを待った。
「……用件はもう終わり?」
柊は何も言わなかった。ただ、まるで誤魔化すかのように芒を見た。
きっとその先の言葉を、彼女の中のリミッターが制したのだろう。芒はため息をつくと、口を開いた。
「さすがに女の子一人を野宿させるわけにもいかないからね。もしよければ僕の家に泊まるかい?」
芒は屈託のない笑顔を見せる。それは柊に警戒させないための作り物だ。胡散臭く、しかしそれを感じさせない、限りなく本物に近い偽物の笑みだった。
柊は僅かに思考する。
「もちろん、嫌なら断っても構わないけど」
芒がそう付け足すと、柊は首を横にふった。
「それなら、お言葉にあまえて」
「それじゃあ、行こうか」
そうして二人は歩き出した。星が降りそうな夜空の下に無数の足音があったのを、芒は鬱陶しそうに笑った。
◆ ◆ ◆
およそ高校生が一人で住むに相応しくない豪華絢爛な佇まいに、柊は僅かに息を飲んだ。その広い庭付きの一軒家と彼女の住むマンション型寮の値は変わらないだろうというほどに、立派な豪邸がそこにあった。
芒は門を開けると、彼女を中へ誘導する。
「一人で住むには寂しい家だろう」
柊は小さく頷いた。
整えられた園芸、舗装された石畳を通り、屋内に入る。長い廊下をしばらく歩くと、芒は彼女をリビングへと通した。
「冷蔵庫に色々揃えてあるから、好きに取ってくれて構わないよ。寝室はさっき通った廊下に面した部屋ならどれを使っても構わない」
柊はまた小さく頷くが、いっこうに立ち上がる気配はない。芒は呆れ半分で苦く笑った。きっとこの少女は朝までこうして動かないだろう。遠慮や気遣いではなく、彼女は何をするにしても人の手を借りないといけない、止まった状態の車輪ではなく、誰かが動かし始めた車輪でないと手を掛けないだろうとそう感じた。
「お茶でいいかい? ……色々とは言ったけど、僕は炭酸の類いは飲めないものでね。改めてみると、これとコーヒーと果汁飲料しかないようだ」
柊はありがとうと呟くと、芒からお茶の入ったペットボトルを受けとる。それをまじまじと見つめ、芒にチラリと視線を移した。
「どうぞ」
そう促され、ようやくキャップを開ける。
彼女がお茶を飲むのを確認して、芒は口を開いた。
「さて、本題に入ろう。君は白神先生に何を頼まれたんだい?」
柊は律儀にキャップを閉めると、芒を無垢な瞳で見つめる。彼女の心拍数を図るのは大して意味がないと悟っていたが、それでも芒は僅かな鼓動に神経を集中させた。
「おかしな話だろう。仮に君の部屋で本当にボヤ騒ぎがあったとして、寮の空き部屋なんていくらでもある。それなのに白神先生は君をAクラスの寮に泊めさせるよう仕向けた」
柊はなおも芒の言葉を待つ。ゆっくりと刻まれる音、そして呼吸には些細な変化もない。芒は続けた。
「はっきり言って、3学年全てのAクラスの生徒を訪ねても、春に転校してきたばかりで素性も分からない君を泊めてくれる生徒はいない。たらい回しにされた君を、僕は泣く泣く引き取る。これこそが白神先生の狙いなんじゃないかい?」
芒は冷蔵庫から取り出したお茶を一口飲むと、息を吐く。
彼ほどお人好しと言う言葉が合わない人間はそういない。芒は常に合理性を求め、理屈のままに動く。だからこそ、芒は柊の裏で暗躍する白神の存在に勘づき、柊の受け入れ先を受諾する、とそこまでを、白神は想定しているのだ。芒はそう読んでいた。
「僕の監視、あるいは牽制。僕が先生の思惑に気付くことに意味があるんだ。さて、君はどう動くんだい?」
しかし柊はそれを否定した。私は何も知らない、何も聞いていない、と。
芒は張り詰めた空気を入れ替えるように、肩をすくめた。
「君の反応からして、白神先生は本当に何も話してないらしい。疑ってしまって悪かったね。それじゃあ、僕はそろそろ寝るとしよう。何かあったら突き当たりの部屋に―――」
そう言いかけて、芒は玄関の方に視線を動かす。直後、来客の訪問を告げるインターフォンが部屋に響いた。
「……やれやれ、こんな時間の来客はあまり歓迎できるものじゃないだろう。申し訳ないけど、僕の寝室に隠れて息を潜めておいてくれないかい。絶対に、僕がいいと言うまで出てきて来ないでほしいんだ」
そう言うと、芒はその方向を指差した。柊は神妙な面持ちで頷く。
「やれやれ、どうか無事に嵐が過ぎてくれるといいけど」
そうして、思い足取りで芒は玄関へ向かった。
◆ ◆ ◆
「夜分遅くに申し訳ありません。どうしても芒くんの顔が見たくなったもので」
白い髪に白い肌、そして血のように赤い瞳の少女を芒はよく知っていた。雪園流千花は2年Aクラスの生徒で、芒の幼馴染みでもあった。
すれ違う誰もが振り返るほどに整った容姿を持ち、触れると崩れそうなほど華奢な体躯、今にも消えてしまいそうな儚く憂い気な表情からまるで初雪のようだと例えられる少女は、一方で嫉妬深く、極度の人見知りでかつ被害妄想の激しい、ある意味でAクラスに相応しい破綻した性格をしていた。
「久しぶりだね、流千花。1週間ぶりぐらいかい?」
「10日と6時間と23分と51秒振りです、芒くん。あなたに会えない時間は私にとって、何よりの苦痛でした……」
そう言うと、流千花は芒に抱きつく。芒はそれを受け入れると、絹のような髪を優しく撫でた。
「朝にも夜にも弱い君がこうして僕を訪ねてきた、ということは、何か用事があるんじゃないかい」
芒は流千花を優しく引き離すと、不満げな表情を浮かべる流千花を諭すようにそう問いかけた。
「ええ、実は……。立ち話もなんですので、久方ぶりに芒くんの部屋にでも入れてもらえないでしょうか」
芒はややあって首を振る。それは演技だ。すぐにそれを拒否すると、聡い彼女はきっとすぐに何かを察するだろう。
「僕の部屋は実験の真っ最中でね。僕はもちろん誰も入れることはできないんだ」
「そうですか……」
そう憂鬱気に視線を落とすが、その一瞬、流千花の抉るような雰囲気を芒は見逃さなかった。
……もっとも、芒は当に気付いていた。抱擁を交わしたあの僅かな時間、流千花の心拍数の変化、鼻のひくつき、そして探るような視線の動き。それは例えるならマーキングをした自身の縄張りに、何者かの気配を感じた生物の行動だ。
「女の匂い」
リビングへと通すなり、流千花はそう呟いた。飲みかけのペットボトル、明らかに長さの違う髪の毛等、それに繋がる要素は何一つない。しかし彼女はそう察して、鋭い視線を芒に向けた。
といっても、彼女の表情は恐らく芒にしか見せないであろう満面の笑みだが。
「私というものがありながら……。でも仕方のないことです。芒くんは昔から女の子にモテモテでしたものね。最近も、冬木柊とかいう転校生に……」
芒は彼女の言葉を制すると、首をふった。
「僕はこれまで、君を除いて女の子に好意を寄せられた覚えは一度もないけどね」
「ええ、だってそいつらは……」
流千花はそう言いかけて、口をつぐんだ。
「話を戻しましょう。なぜ私が芒くんを訪ねてきたか、でしたね」
◆ ◆ ◆
芒が雪園流千花の人間性を垣間見たのは、2人が小学生の頃だった。芒には当時仲のよかった男子生徒がいた。芒にとって彼と過ごす時間は、幼馴染みである流千花との時間よりも楽で、気兼ねなく、そして有意義なものだった。男子生徒はクラスの中心的な人物で、取り敢えず彼の側にいれば大抵の面倒事は彼が片付けてくれた。
だがそれを、流千花は快く思っていなかった。自分の芒を取られた、とそう感じていたのだ。
男子生徒は死んだ。表向きは事故死だが、芒は流千花が関係しているとすぐに気付いた。
「これでまた二人で帰れますね」
流千花はそう言って笑った。芒も同じように笑った。
彼女は利用できる、芒もまた、破綻した性格の持ち主だった。
◆ ◆ ◆
「実は、こんなものが届いていまして……」
流千花は上着のポケットからクシャクシャに丸めた紙を取り出すと、机の上に広げて見せた。
「紫京部隊から、明日登校するように、と」
紫京部隊といえば、白神が芒を足止める際に口にした組織の名である。Aクラスの生徒を対象に賭けをして、多額の利益を得る正体不明の組織だが、その招待状ともとれる手紙が流千花の元に届いたらしい。
芒は表情を歪めてそれを見つめた。
「私、不安でとても寝付けなくて……。噂に聞いた通りだと、先日紫京部隊に襲われた1年生の生徒が、大怪我の末に亡くなった、と……」
流千花は頬を赤らめ、瞳を潤ませ芒を伺う。
雪園流千花は彼と同じく『特異魔法』の習得者であるが、彼女の場合、それはとても戦闘向きとはいえない。加えて、彼女の身体能力はどれをとってしても平均以下で、もし紫京部隊に襲われたなら和紙を破るも同然、その命が初雪のように消えるのは必至といえよう。
「……そうだね。明日は僕も登校しよう」
「ありがとうございます。では時間も遅いですし、せっかくなのでこのまま芒くんの家に泊まって―――」
「それは出来ない」
芒はそう即答した。冗談半分、本気半分に残念がると、流千花はゆっくりと立ち上がる。芒も彼女を押し出すように玄関へ誘導すると、入り込む外気に襲われた。
「まだ少し肌寒いな」
「北の方では、まだ雪が残っている季節ですからね」
そう交わし、芒は流千花を見送る。扉が閉まりきる直前、流千花は刺すように呟いた。
「やっぱりここにいた」




