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3/12

平和な時代

 その日、養成所の三年生は卒業試験として、スライム焼き直後から開始された三日間の内魔界野営訓練に出ていた。


 魔界と言っても、シナノゴウ王国の中に点在する内魔界と、王国の外に広がる外魔界がある。今回は内魔界だが、魔界での野営は決して油断できない。教師のほかにもベテランの探索者が何人もついて行った。


 しかし、教師達の半数が三年生と一緒に魔界へ出かけてしまったので、残った生徒と教師は半日の座学を終えれば、その日の授業は終わりとなる。

 今日は試験の三日目で、三年生達も夕方には帰って来るだろう。


「毎日、半休でもいいのにねー」

 と、草むらに寝転がったミルッカが言う。

「そんな事言っていると、エサイアス先生にまた怒られるよ。日々鍛錬だよ」

 そう言うロイネは長い棒を手に持ち、一人槍術の練習をしている。

 一応騎士の家系という事もあり、女でも槍の扱いは上手くなければと思っての練習だ。


「先生って言えば酷いんだよー。この間のスライム焼きの時、大魔法級の魔導杖を拾ったのに、取り上げちゃうんだものー」

「まだ根に持っているんだ……。仕方ないでしょ。扱い方を間違えれば危険なモノなんだから」

「そうだけどさー」

「ミルッカも鍛錬しなよー」

 ロイネは一つ一つ動きを意識しながら、素早く棒を振っていった。


「うー、鍛錬しなきゃだよねー」

 と言いつつも、ミルッカは草の上をゴロゴロ。

「エサイアス先生もっ、ちゃんと練習しているミルッカを見たら、大好きになっちゃうかも、知れないねっ」

「だっ、大好き!?」

 がばりと身を起こしたミルッカの勢いが素早くて、ロイネは思わず呆れてしまった。


 ミルッカがエサイアスを大好きなのは知っていたが、ここまでとは予想以上だ。

 そもそも、エサイアスは見るからにいい歳だ。

 対魔王戦争の時は二十代だったはずなので、既に四十歳前後だろう。


「そ、そうなのかな。アタシががんばったら、先生もアタシを好きになってくれそう?」

「た、たぶん……」

 ロイネもつい無責任な事を言ってしまう。


「じゃぁ、アタシも鍛錬する!」

 立ち上がったミルッカは、近くに転がしていた木製の盾と剣を拾って構えた。

「ロイネ、勝負だよ!」

「防具付けていないから危ないよー。それに、私の方が槍だから有利すぎる」

「寸止めすれば大丈夫。それに、アタシが誰よりも強いのは、盾が上手いからだって先生が言ってたもの。ロイネの槍がアタシに届くかな?」

 そこまで言われては、ロイネもむっとしてしまう。


「いいでしょう! その余裕、足元をすくって差し上げますわ!」

「わー! ロイネが本物の騎士様みたい!」

 まだまだ演技半分だが家で習った言葉づかいと、ロイネも槍を手元で回して恰好を付けてみた。流石に恰好付け過ぎな感じになってしまったので、二人して笑ってしまう。


「隙あり!」

「うわっ!?」

 突然の突きに、ミルッカは盾を合わせたがバランスを崩して後ろに倒れてしまった。


「き、騎士のくせに不意打なんて卑怯だよ!」

「あら、ワタクシがいつ騎士だなんて言いまして? ふふふ、魔界じゃ油断は命取りだよ!」

 倒れているミルッカに容赦なく突きを繰り出すが、ミルッカの方も飛び転がる様に地面を跳ねて逃げてしまった。

 少し距離をとれば、立ち上がって剣を構えてしまう。


 本当に素早いが、筋力だけならミルッカよりも男子の方が強い。きっと、動き始めが早いのだろうなとロイネは思った。

「ならっ!」

 こちらも素早く踏み出すと共に槍を突きだす。

 当然ミルッカが防いでくるが、それは予想どおり。盾で防がれた反動で槍を引きながら、ロイネは更に踏み出して、より強力な突きを繰り出した。


 それに対して、ミルッカももう一度盾で受け止める。もらったと思ったロイネだが、接触の衝撃が思っていたタイミングとずれてしまう。

 重い一撃でミルッカを突き飛ばしてやろうと繰り出したため、思わず重心が泳いでしまう。

 

「この間と同じ手はくらわないよ!」

 すかさずミルッカが前に出てくるので、槍を引く時間はない。

 ミルッカの振り下ろす剣に合わせて、ロイネは槍の後段で払い落とす。そのまま、石突きで反撃を試みたが、跳ね上がる盾に弾かれてロイネの腕は伸びてしまった。当然、胴体ががら空きになってしまう。


「あっ!」

 盾の下からは、剣を構えたミルッカが飛び出してくるのが見えた。完全にやられてしまった。

 しかし、ミルッカは剣と盾を手放すと、両腕を広げてロイネに抱き着いてくる。


「うごっ!」

 勢いのあるタックルに、ロイネはうめき声と共に槍を手放し、ミルッカと共に地面へ転がって決まった。

 あぁ、また負けてしまったと、ロイネは草の上で少し悔しく思う。

 ロイネのお腹に抱き着いたミルッカは、楽しそうに息を弾ませていた。


「アタシの勝だね。今日のおやつは、ロイネのおごりだね」

「そんな事言うと、座学のテストで私が勝ったらミルッカにおごらせるよ」

「えっ! 座学の方が教科多いじゃん!」

 体を起こしたミルッカが不満そうに言っていた。


「ふふふ」

「じゃぁ、おやつは我慢する……代わりに」

 そう言うと、ミルッカが再びロイネに抱きついてくる。

 ロイネの耳元に顔を寄せて、ミルッカがささやいた。

「ロイネ。……ずっと一緒にいて」

 ぎゅっと力を込めるミルッカの手が、まるで母親にすがり付く子供の様だった。


 ミルッカが両親を喪ったのは1歳の時だ。顔も知らなければ、その温もりも覚えていないだろう。物心ついた時には、生協で男ばかりの探索者達に育てられていた。

 そこで、度々父親に連れられて来たロイネと出会い、すぐに仲良くなった。

 それを思うと、ロイネはミルッカの頭を抱きかかえる。


「いいよ。ずっと一緒にいてあげる」

 例え、養成所を卒業して探索者になっても、ロイネはミルッカと一緒に仕事が出来たら素晴らしいなと思っていた。

 一番の親友だから、いつまでも、一緒にいてやりたかった。


「ロイネ……」

「なぁに」

「ケッコンして」

「…………殴るわよ?」

 ちょっとマジメになると、すぐ冗談を言うのはミルッカの悪い癖だ。

 それでも、そんな事を言っては笑いあう事はロイネも好きだった。


 ミルッカは良く悪戯をするけれども、それで誰かが困っているのを楽しむような子ではない。ミルッカの興味が、大人達をヒヤヒヤさせる内容ではあったが。

 ロイネの知る限り、ミルッカは誰よりも優しい子だ。


 ロイネの家、シュネーヴォイクト家には度々子供を連れてくる大人達がいた。

 けれど、どの大人も英雄騎士との繋がりが欲しくて、あわよくば一人娘のロイネと自分の娘、息子を仲良くさせようと言う狙いだったのだろう。

 ロイネ自身は事情を知らず、ただいろんな子が遊びに来るなとしか思っていなかった。それでも段々と、そんな子供たちの言葉が少しおかしいと思うようにもなっていった。


 少なくない子が、自分と一緒にいれば贅沢が出来るよとか、自分の親はお金持ちだからシュネーヴォイクト家の高名と合わせれば、裕福に暮らせるよと言う。

 今にして思えば、当時のシュネーヴォイクト家に名誉はあっても財産はあまり多くなかった。


 魔王討伐の褒賞は大半を生協の創設につぎ込んでしまったので、家は祖父の代から続く屋敷。別荘はあるが、へんぴな場所に小さい物があるだけだ。

 やって来ていた大人達は爵位を持たない商人だったり、貴族ではあるが対魔王戦でずっと後方に引きこもっていて名声を上げられなかった者達だった。


 誰もが、大人も子供もロイネの気を引こうとしていたが、誰もロイネなど見ていなかった。その後ろにある、ロイネの父親が打ち立てた名声を見ていたのだ。

 それに気が付いた時、ロイネは拗ねてしまった。

 それこそ人間全部が嫌いになる程に、盛大に拗ねてしまった。


 あれ以来、誰が来ても部屋に引きこもり、ロイネは二度と他の子供とは遊ぼうとはしなかった。

 そんなロイネを見かねて、父親は良く旅行に連れ出す様にした。

 その一つが生協へ様子を見に行った時だった。

 

 今までの子供たちとは全く違う、ロイネをロイネとして見てくれたミルッカに出会ったのだ。ロイネは初めて会ったその時から、ミルッカを好きになっていた。

 ミルッカには絶対に恥ずかしくて言えないが、ミルッカが養成所に通うと知った時、ロイネは父親に駄々をこねて困らせてまで養成所に行くと言い張ったりもした。


 ロイネの父親も、いろいろ思うところがあったのだろう。最初こそ、爵位持ちの娘があえて危険な探索者になる事には反対していたが、最後はロイネの熱意を通り越して執念に負けた様だった。


「ミルッカが男の子だったら……考えてあげたかも」

「え? なに?」

「うんん。何でもない」

「ねぇ、ロイネ。香水変えた? いい匂い」

 そう言うと、ミルッカが髪の毛に顔を押し付けてきていた。

 残念ながら香水をつけた覚えはない。それどころか、さっき汗をかいたばかりだ。


「ちょっと、やめ、……やめてって。匂いをかがないでよっ!」

 押し返そうとしたが、体勢的にミルッカの力が強くてされるがままになってしまった。

 折角いい気持に浸っていたのに台無しである。


「ミルッカ……それ以上やると私泣くからね?」

 ロイネが本当に涙を浮かべはじめたので、ミルッカは慌てて体を離した。

「ご、ごめん。やり過ぎました……」

「あんまりだよ……。ミルッカはもっと女の子としての慎みを持つべきよ」

「うん。今度、先生に教えてもらう」

「それは止めなさい……」


 仕方のない事だが、養成所には女性の教官が居ないので、ミルッカはそう言う事を覚える機会がなかったのだろう。先輩探索者には女性も居たが、ロイネの知る限り、例外なくサバイバルな方々だったはずだ。


「そろそろオヤツにもどるー?」

 立ち上がったミルッカが空を見る。

 東の空には弧を描く巨大な光の川が見えている。あまりに大きいので、半分は地平線の向こうに沈んでいる。太陽の光に比べたら弱い光のそれは、ポーラの川と呼ばれていた。

 常に太陽を中心にした円を描いているので、ポーラの川を見れば大体の時間が分かる。今は東の空に半ばまで登ってきているので、午後三時ぐらいだろう。


「もうこんな時間だったんだ」

 ロイネもそう言うと、街に帰ろうかと立ち上がった。

 ふと気が付くと、にわかに街の方が騒がしくなっている。ロイネ達の居る場所は、街を囲む防壁の外なので、高さ四メートルの丸太防壁に遮られて街の様子は見えない。


 なんだろうかと思っていると、今度は煙が上がり始めた。まだ夕飯時には早いので、少し時間はずれな煙だった。場所的には、養成所がある方向だろう。

「もしかして、オヤツのケーキでも焼いているのかな」

 ミルッカがすぐ食べ物に結びつけるから、ロイネは苦笑する。

 でも、と思い直した。


「そっか、三年生の試験が終わるからそのお祝いかも知れないね」

「先に少し分けてもらえないかなー」

「それはどうかなー」

 そんな事を言いながら、二人は防壁門の方へ迂回しながら歩いて行った。




「……え?」

「………………」

 ミルッカとロイネは、茫然と立ち止まってしまった。

 目の前では街の人達が慌てふためいて右往左往している。

 火事が起きていたのだ。


 それは養成所と図書館、それに下宿所、更には少し離れた場所にあった生協の事務所からも火が上がっている。街の人達は(おけ)に水を汲んで火事を消そうとしたり、もう手遅れになった家屋は破壊して、火災が広がるのを食い止めようとしていた。


「え、え? 火事? なんで?」

「まって、ミルッカ!」

 ロイネが止めるのも聞かずに、ミルッカはまだ火が回っていない養成所の倉庫の方へ走って行った。だれか、生協の誰かがいないかと、ミルッカは中に飛び込んでいく。


「ミルッカ待って!」

 後を追って倉庫の中に入ったロイネは、やっとミルッカの手をつかまえる。

「ロイネ! まだ、まだ誰か中にいるかもしれない! 助けないと!」

「ダメっ! 一緒に逃げて!」

「どうして! 助けないと!」

「違う、これは違うの!」

 これがただの火事じゃない事を感じ取ったロイネは、必死にミルッカを引っ張った。


 その時、倉庫の奥から道具が崩れる音がする。

 誰かがいたと走り出そうとするミルッカを、ロイネは体に抱きついて必死に押しとどめた。

 そして、その誰かが窓から差し込む光の中まで出てくる。


「なんだ? ガキかぁ?」

「だ、誰だ、おまえっ!」

 驚いたようにミルッカは叫んでいたが、ロイネは最悪な予想が当たったと顔を強張らせる。それは、外で消火活動をしている人々の足元で、血の流れた跡があったからだ。少なくない量が、人が死んでいてもおかしくない血が、消火の水と混ざり合っていた。


「ここに居るって事は、生協のガキだよな?」

 男は鎧を身に付け、右手には剣を肩に担ぎ、左手はどこから持ってきたのかソーセージを食べている。明らかに強盗か何かの類だ。

 そして、その鎧には返り血が付いていた。

「おまえっ! 何をした!」

 ミルッカが叫んで木剣を抜いた時、ロイネはとっさにミルッカを蹴り飛ばしていた。


 反動で倒れる二人の間を、鋼の剣が勢いよく落ちる。石畳に跳ね返って火花を散らした。

「ちっ。避けんなよめんどくせぇ」

 剣を戻した男は、だらしなく食べカスをこぼしながらミルッカの方へ歩き出す。

「うわあぁぁ!」

 急いで立ち上がったミルッカは、振り下ろされる剣を盾で防ごうとした。

 しかし、男の重い剣を前に木製の盾はあっけなく砕け散って、危うくミルッカの腕も斬られそうになる。


 慌てて下がっても、その先は養成所に続く廊下。ずっと奥では燃え盛る火災が退路を塞いでいた。

「ほらほら、逃げないと殺しちゃうよ? ヒヒヒ」

 剣を見せびらかしながら、男は楽しむようにミルッカをゆっくりと追いつめて行く。


 ミルッカも何とか戦おうと前に出れば、唸るような剣が襲ってきて、剣を合わせれば木剣は大きく傷つく。これでは、何度も打ち合せる前に、木剣が砕けてしまう。

「俺ぁ優しいから選ばせてやるよ。後ろの炎で焼け死ぬのと、俺に切り殺されるのどっちが良い?」

「っ!?」

 その目を見て、ミルッカは思い出していた。

 この男は、あの時出会った傭兵と同じ目をしていると。

 人を殺す事に慣れ過ぎてしまった、そんな人間の目だった。


 ダメだった。

 盾も剣もない、技術も足りない、体格も違いすぎる。

 殺される!

 あまりの恐怖か、それとも背後から流れてくる煙のせいか、ミルッカは息が苦しくて喘いでしまっていた。


「ミルッカ、避けて!」

 ロイネの声だった、その直後。

「いてっ!」

 男が声を漏らすと、足元に包丁が落ちる。

 ロイネが投げつけたのだろう。

 しかし、男の方は平然と床に落ちた包丁を眺めただけだった。


「いってーな。鎧の隙間に入って少し切っちまったじゃねーか」

 男はミルッカの事など無視して、ゆっくりと後ろに振り向いて行く。

 その時、ミルッカは薄暗い倉庫の中に、紫色の光が微かに広がっているのを見た。その意味がすぐ分かれば、即座に廊下にふせる。


「あ、やべぇ」

 振り向いた男は、廊下の真ん中で一言声をもらす。

 慌てて腰の盾に手を伸ばしていた。


「このぉ!」

 ロイネがレバーを引いた瞬間、魔導杖に組み込まれた雷槍陣が発動。

 空気を引き裂く破裂音と共に、光の槍が撃ちだされた。

 一瞬にして飛んで行った雷の槍は、防御魔法の発動が間に合わなかった男の盾を貫き、その先にあった腹を穿っていた。男はチェインメイルを着込んでいたが、鋭く細い雷は、その鎖の一つを焼き切っていく。


「うぐっ……」

 男が膝をつく頃には、腹には血が広がっていった。腹部を貫かれた人間は、まず助からない。ロイネは、初めて人を殺してしまう事に、手に、足に震えが広がってくる。


「やり、やがって……」

「ロイネ!」

 驚いたロイネが魔導杖を手放すと、ミルッカが立ちあがる。

「こいつ、まだ生きている!」

「ミルッカ! 逃げよう!」

 剣を構えたミルッカを、ロイネは必死に呼んだ。

 今は、こんな嫌な場所からすぐに逃げたかった。

 ロイネの言葉に、ミルッカも男を油断なく見ながらもこちらに来てくれる。


「て、てめぇら生協は……もう、お終いだ。へ、ざまぁ……みろ」

 瀕死の男が嫌な笑みを浮かべて、そう言っていた。

 どういう意味かなんて、ロイネは考えたくなかった。

「終わらないよ! 生協は、絶対に終わらせない!」

 ミルッカが強く言い返していた。

 けれど、その言葉が若干震えているのに、ロイネも気が付いてしまう。

 とても怖い事が起きていると、ミルッカにも分かってきているのだ。


「ロイネっ。ちょっと待って」

 そう言うと、ミルッカは倉庫の奥へ走って行った。

 そして、崩れた道具類をかき分けると、その奥にあった保管庫の口をあらわにした。ダイヤル式のそれを、ミルッカは慣れた手つきで合わせて開錠する。

「いつの間に……」

 ロイネが若干呆れていれば、ミルッカは中に仕舞ってあった魔導杖を引っ張り出してきた。


 それは、市販されている魔導杖とは作りからして違う、魔界から持ち出された人工遺物(アーティファクト)だった。円盤型の魔導陣もなく、つるりとした表面は継ぎ目すら見えない金属で出来ている。失われた古代技術の塊だ。

 先日のスライム焼きの時に拾われた特級遺物だろう。


「これだけでも持って行かなきゃ」

「ミルッカ、行こう……」

 いよいよ煙が入り込んでくるのを見てロイネが促せば、二人は倉庫から外に抜け出した。


 通りの表まで戻ってくると、なぜかさっきまで消火活動をしていた住民の姿が見えなくなっている。

「いたぞー!」

 声に振り向けば、通りの先で鎧を着こんだ傭兵の一団が叫んでいた。

 住民は、傭兵達を見て逃げ出していたのだろう。


「ミルッカ!」

 ロイネはミルッカの手を引いて、必死に走った。

 とにかく、今はあの傭兵達から逃げなければいけない。

 けど、どこに?


 生協の事務所は街中にいくつかあるが、一番近い事務所からは火がでて、今声を上げた傭兵達もそっちから来ていた。きっと、他の事務所も襲われているはずだ。

 今撃った雷槍撃の音を聞きつけて来るなら、きっと、街中は傭兵だらけだろう。

 街にいたら逃げ場はない。


「ミルッカ、外に逃げるよ!」

「外って、でも、どこに?」

「もう少ししたら三年生が戻って来るはず! 魔界の境目に隠れて、先生たちが戻って来るのを待とう!」

「わ、わかった!」


 防壁門の所までもどってくると、門を守っている守衛がおろおろしているのが見えた。きっと、あの人達は助けてくれないとロイネは思う。

 街の防衛隊よりも、傭兵団の方が遥かに人数も人員の質も良い。

 それこそ、勝負にならない。

 

「この事を、先生達に伝えないと」

 そう思っているのに、ロイネは息苦しさで走る足がとても重かった。

 人間を、殺してしまった。

 お前らはもう終わりだと、呪いを受けてしまった。

 言葉が、恐怖が、罪悪感がロイネの胸を締め付けて脚を鈍らせてくる。


「あっ――」

 突然、ロイネは脚をもつれさせて地面に倒れてしまった。

「ロイネ!?」

 ミルッカがあまりに悲壮な顔をするので、ロイネが自分の足を見れば左の太ももには矢が刺さっていた。撃たれたのだと、後から気が付いてしまう。


 またすぐ横で石を弾く音がすれば、二人の近くで矢が跳ねていた。

 後ろからは、傭兵達の声が聞こえている。

「ロイネ、いま――」

「ミルッカ! 走って!」

 ジワリと、左足から痛みが這い上がってくる。

 しかし、ロイネにとって最も怖い事はミルッカまで一緒に捕まる事だ。

 傭兵達は殺すつもりでやってきている。このままでは、ミルッカまで殺されてしまう!

 だから――、


「走って! 走って先生達に伝えて!」

「で、でも」

「行けえぇぇ!」

 ロイネの渾身の叫びに、驚いたミルッカは涙を落としながら、それでも魔導杖を抱えて走り出した。その後ろ姿を見送りながら、振り向くなとロイネは願っていた。

 ミルッカだけは、生き残って欲しかった。

 あんなに素敵な子は、きっとこの世界のどこにもいないと、ロイネは、そう思っていたから。


 以前、ロイネが父に聞いた事があった。

『魔王が倒されて、平和になったのにどうして探索者を集めて、生協を作るの?』

 ロイネの父は言った。

『平和な時代になったから、これから人間同士が争い始める。生協は、同じ過ちを繰り返さない為に、どうしても必要な存在になるのだよ』

 その意味が、ロイネにはずっと分からなかった。


 そして、いまさら分かってしまった。

 熱い左足の痛みに呻くロイネを、追い付いてきた傭兵の一人が髪の毛を掴みあげる。

 ひっぱり上げられたロイネは、町の空に広がる黒い煙を見上げていた。


 あぁ、こんなにいい天気なのに、世界が暗い。

 エサイアス先生は一つ間違えていた。

 欲深な人間は、昼を望んでいない。いつでも夜にしようとチャンスをうかがっていたのだと。それをさせない為の生協だったのに、力を付ける前に潰されてしまった。

 色々な事が悔しくて、怖くて、ロイネは何も考えられなくなっていく。

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