12月28日
辺境地方国、カツレツ市内、真実ジャーナル社オフィスにて
アナスタシア・バンドナと同じインターネット新聞を手掛ける企業である『真実ジャーナル』に勤務していたエリザベス・トリーチナは一昨日から連絡がつかない同期のアナスタシアを心配していた。
会社に遅刻することや、仮病を使うことは当たり前の風潮がこの国にはあるが、真実ジャーナルではこの様なことをする者は少なかった。
特に、アナスタシアは勤勉であり今まで遅刻したことすらないし、体調が悪く休むときはきちんと連絡をしてきていた。
そんな真面目な彼女が無断で会社を休み、連絡すらしてこないなんてあり得ないことだった。
アナスタシアが気掛かりで、デスクワークの進展も著しく悪い。
アナスタシアの現在扱っているデモがらみというネタのこともあり、アナスタシア身に何かあったのではないだろうかとつい勘ぐってしまう。
実際、『真実ジャーナル』の敵は少なくない。インターネット上での規制がないことをいいことに辺境地方国の役人の不正や汚職に関すること、財閥同士の裏取引、ゴシップとあらゆる分野に首を突っ込み、誰の指図も受けずに発信しているからである。それは恨まれるであろう。無言電話はしょっちゅうで、時には銃弾だって撃ち込まれたこともあった。
もしかすると、アナスタシアは反政府活動を行う過激派や敵対する個人または集団に捕まったのかもしれない。エリザベスにはそうとしか思えなかった。
そんなことをグダグダと考えているといつの間にかに日もくれようとしていた。無心でいると時間が過ぎるのが早いなと得体もないことをエリザベスが考えていたその時であった。真実ジャーナルの電話がなった。
「もしもし、真実ジャーナルです。」
電話は今年の春に真実ジャーナルに入社した新人の若い男がとった。電話番をすることは新人の仕事である。
「警察のかたですか?どういった用件でしょうか?…はい、アナスタシア・バンドンはウチの社員です!…ちょっと待ってください…!」
新人の興奮して大きくなった声も相まってアナスタシアの名前が新人の口からでるとオフィス中の視線が新人に集まった。
新人は重大な内容だと判断し、電話をハンズフリーモードにして会話がオフィス内に聞こえるようにした。
「はい、だいじょうぶです、ええ!続きをお願いします!アナスタシアは見つかったのですか!?」
『はい、アナスタシア・バンドナさんは見つかりました。現在はカツレツ市内の病院で治療を受けています。』
電話からは少し甲高い男の声が聞こえてきた。
「どういうことですか!?アナスタシアはっ!アナスタシアは無事なのでしょうか!?容態は!?」
『…アナスタシアさんは全身を殴られたような跡やその他暴行された形跡があり、意識不明の重体で発見されました。我々に言えるのはここまでです。
私が電話をかけた理由はアナスタシアさんの最近の行動を知りたくて電話をかけました。電話ではあれですしお伺いしたいと思っているのですがいつがいいですか?できれば社長とアナスタシアの直属の上司、同僚、部下といった方に話をききたいのですが。』
オフィスはアナスタシアが暴行されたということで騒然となった。
「そんなことはどうだっていい!なぜアナスタシアがそんな目に会わなくてはならなかったのですか!?」
新人が叫ぶ。
『落ち着いて下さい。今調査中です。だからこそあなたたちにも事情聴取をお願いしているんです。それと…あーと、今回の事件は非常にデリケートであるんで、詳しい内容はご家族に連絡して許可をとってからにしてください。アナスタシアさんのご家族の連絡先、ご存知ですよね?』
警官が新人をなだめようとするが、おそらく無理であろう。エリザベスはジャーナリストであるから、このような場面を何回も見てきた。人は自分や身内のこととなると興奮してしまうものだ。だからこそベテランのエリザベスは新人から受話器を引ったくった。
「お電話代わらせていただきました。アナスタシアの同僚のエリザベスです。用件は私が伺わせてもらいます。」
『ああ、カツレツ市警察署の捜査1課で刑事をしてますイーソーと申します。よろしくお願いします。』
「早速本題に入らせていただきまして、聴取の件なのですがこちらで調整をしたあとに、こちらから連絡をいれるということでよろしいでしょうか?」
『はい、大丈夫ですよ。なるべく早い日時でお願いしますよ。』
「わかりました。では後程連絡しますので、これで失礼します。」
エリザベスは早々に電話を切ってしまった。
「アナスタシアの家族の連絡先はわかる?」
エリザベスは一刻も早くアナスタシアと連絡をとりたかった。アナスタシアが心配なのである。
「それなら、ファイリングしてそこの棚にあると思います。」
オフィスの中から声があがる。
エリザベスは棚から目的のファイルをすぐに見つけ、そこに記載されていた連絡先に電話した。
「もしもし、アナスタシアさんのご家族の方ですか?私はアナスタシアさんの職場の同僚のエリザベスです。先ほど警察からアナスタシアさんが病院に運ばれたと連絡がありました。ぜひお見舞いに伺いたいのですが。よろしいでしょうか?」
『ええ、もちろんです。私たちもあなた方に話したいことがありますので。病院でお待ちしています。』
こうしてエリザベスはアナスタシアが運ばれた病院の連絡先を聞き出し急ぎ向かうこととなった。
~~
アナスタシアのいる病院へ向かう車内にて
すっかり日が落ちた暗闇の中、両脇を白樺に挟まれた閑散とした道路を一台の白いセダンが泥水をはねあげながら走り抜けていく。
エリザベスはセダンの助手席に座っていた。アナスタシアへの見舞いにエリザベスだけでは行かせられないので副編集長がエリザベスに同行することにしたのである。
車の中の空気は重く、副編集長も口数が多いわけではないので会話はほとんどない。
「アナは大丈夫でしょうか…」
そんな中、エリザベスがぼそりと呟く。
「実際に会ってみないことにはわからないが、正直、覚悟はしておくべきだろう。」
副編集長の言葉は残酷であるが、これは真にエリザベスを想っての回答である。エリザベスも本当のところはアナスタシアがどのような目にあったのか予想はしていた。
「そんなアナ私は何て声をかければいいのでしょうか?」
「それはエリザベス君が考えることだ。私には分からない。だが絶対にアナスタシア君に何があったのかは聞いてはならん。」
副編集長は続ける。
「…こんな取り返しのつかないことになると分かっていたらアナスタシア君にデモ活動の取材を任せなかったのだがな。今となってはもう手遅れなのだが。
私こそアナスタシア君にかける言葉が見つからないよ。彼女はきっと編集長や私を恨んでいるだろう。」
「それは違います。私たちは取材の内容と危険性を承知して働いています。私たちは好きでこの仕事をしてるのです。断じて副編集長のせいではありません。アナが副編集長を恨んでいるとしたら筋違いです。」
「…そういってもらえると助かるよ。」
副編集長は仏頂面で呟いた。
車はエンジン音を響かせ、白樺が生い茂る道を抜け、雪に覆われた田園地帯に差し掛かった。辺りには明かりが全くなく、車のライトのみがどこまでも続く長い道を闇を切り裂き照らし出していく。
しばらく二人の間には会話がなかった。まるで雪と暗闇に音を吸い込まれていようだとエリザベスはロマンチックなことを考えていた。
「アナは大丈夫でしょうか?」
エリザベスはまた繰り返した。
「きっと大丈夫だ。」
車は田園地帯を抜け、遠くに病院のある街が見えてきた。
~~
サンクト・クロス病院にて
病院内のロビーの壁際に備え付けられているベンチには、『真実ジャーナル』の副編集長とアナスタシアの両親が深刻な顔をして座っていた。
「アナスタシアはなぜ、この様な目にあってしまったのでしょうか?」
アナスタシアの父親が口火をきった。
「私には、何とも分かりません。」
副編集長が答える。
「アナスタシアは危険なことを調べていて、それに巻き込まれたのではないのですか?」
「分かりません。今後の警察の発表を待たないことには…。」
「お前、何か隠しているだろ?アナスタシアは何を調べていたんだ?」
アナスタシアの父親が詰問すると、副編集長は観念して答えた。
「アナスタシアさんはカツレツ市での反政府デモを調べていました。」
「それは危険なのか?危険なのだったらアナスタシアの安全は確保されていたんだろうな?」
アナスタシアの父親も首都での騒ぎは実際に見たわけではないが、耳にはしている。
「すべては自己責任です。勤務中はともかく退社後までは社員一人一人の安全が確保されているかまでは確認していません。」
ここでアナスタシアの父親のパンチが副編集長に炸裂し、副編集長は床に倒れ混む。
「ふざけるな!社員一人も守れないなら最初からアナにこんなことを調べさせるな!」
副編集長は立ち上がると、お返しとばかりに、いきなりアナスタシアの父親を何度も何度もおもいきり殴り付ける。
「それならっ、最初からっ、入社っ、させるなっ!」
副編集長はなおもアナスタシアの父親を殴り続ける。
「そんなにアナが大切なら首輪でも付けてお前の家の庭にでも繋げとけばよかったんだっ!自由にはなあ、責任が伴うんだよっ!」
ここでアナスタシアの病室にいたエリザベスが物音に気付きロビーに顔を出す。
「何をやっているんですか!?二人とも止めてください!」
副編集長とアナスタシアの父親がもみあっているのを見たエリザベスはあわてて止めに入る。
「止めてくれるな娘さん。俺はこいつを許せないんだ!」
「その通りだ。対話による解決はこいつとは無理なようだ。」
アナスタシアの父親と副編集長はなおも互いに掴みかかろうとするので、エリザベスは二人の間に入り、やっとのことで押し止める。
「いい加減にしてください。ここは病院ですよ!副編集長、今日はもう出直しましょう。アナスタシアのお父さんもよろしいですね。私たちは今日のところは帰らせていただきます。詳しい話は落ち着いたら聞かせてください。では。」
そういうと、エリザベスは副編集長を強引にセダンまで引っ張っていき、帰路につくのであった。