7.[1年春/第一戦] お嬢様の仕業
いよいよ開催されるクラス対抗戦。
公式名『1年次春開催』。
その舞台は、学校だった。
いつも通り登校し席に着くあたし達。
まだ種目は発表されておらず、みんなやや緊張の面持ちで席についている。
これから行われるであろう未知なるイベントに、戸惑いを隠しきれていないのは明らかだった。
やがて時間は8時30分を向かえる。
生徒から『ショトホ』と省略されて呼ばれているショートホームルームの時間。平仮名だと間抜けだから片仮名でね。ちなみに終わりのホームルームは『ホムルム』、なんて言わないわよ?
担任のヒゲ先生……ってヒゲの説明もしてなかったわよね?
彼の名前は竹本武雄。
32歳、担当教科は保健体育よ。
見た目からして保健体育の教師というド本命な顔立ちと体型。
しかし彼は体育会系にしては珍しく『必要時以外は決してジャージでは動き回らない』という妙なこだわりを持っている。
だから今日もスーツ。これはこれで褒めてあげて良いと思うんだけど、どう?
きっとこれでジャージ着てたら『ヒゲジャージ』って呼んでたんだろうなぁ。
まぁ、ヒゲはそんな重要な人物じゃないわよ、多分。
ヒゲの話はさておき……。
いつも通りスーツで身を固めた担任は、プリントが入った篭を手に教室に入ってきた。
その一挙手一投足に細心の注意を払いながら、ヒゲから発せられる言葉を待つ1組生徒30人。
出席を取った後、おもむろに篭からプリントを取り出し、そしてヒゲはゆっくり配り始めた。
1時限目は配られたプリントの説明に充てられた。
でかでかと『1年次春開催スケジュール表』と書かれた2枚組からなるそれ。
1枚目はタイトルのみ、これは表紙だと気持ちを割り切る。
2枚目には明日行われる2戦目の種目と注意点が、面積にして三分の二程度記載されていた。
2ページとも余白にメモを取れという事らしい。はっきり言うわ。
(資源の無駄遣いよ!)
記載されている内容から、明日の2戦目は料理対決。
3日目は例によって運営機密、と言うのは分かった。
料理対決は代表3名が調理をし、残りの27名はサポート……って多すぎて逆に邪魔そう。
開始が13時で、調理終了は16時15分と何故か半端な時間。4時間以上も料理って長いわね。
3戦目は運動着持参、どうやら運動系。これはあたしも活躍できそう。
男子は教室で、女子は体育館更衣室で着替えるようだ。
ちなみに男子の指定運動着は準備が間に合わなかったらしく、2学期になるまで原則自由。
自由って素晴らしい、確かにそうは思うわよ?
けどこれはちょっと気の毒でもある。
1戦毎に順位を出し、1位6点、2位5点、3位4点と続き6位に1点が加算。
3日間3種目の合計得点で、春開催の順位が決定する。
シンプルなように見えて奥が深い、ような気がする。あんま自信ない。
そんな説明を30分ほど受けたあと、ヒゲは大きく1つ咳払いしこう言った。
「では、本日の種目を発表する……。みんな、他のクラスには絶対負けるな!」
何だかんだ言いながらもヒゲはやっぱり体育会系。
勝負事やお祭が好きなんだと思う、あたしと同じで。
けれどそんな呑気なことを考えていられたのは、そこまでだった。
「みんな、筆記用具を出してくれ」
(筆記用具……嫌な予感がする)
「今日の種目は……」
そして種目を聞いたあたしはつぶやいた。
「終わった……」
種目は……『学力診断試験』だった。
クラス毎に平均点を算出、その平均点で競う。
ルールはシンプル、気持ちはブルー。
「えー、採点が終わり結果が発表されるまでしばらくかかる。2戦目と3戦目が終わり、今日の試験の結果が出次第、春開催の順位を発表することになるので、今日がダメでも気を落とさず、明日あさって頑張って欲しい!」
要するに1戦目の学力試験の結果は、3戦目が終わって数日するまで分からないって事ね。
(何この生殺し。試験って時点で、既に死んでるわよ!)
茫然自失としながらあたしはそれを聞いていた。
説明が終わりヒゲが出て行くと、クラスの生徒は次々に席を立ち、試験会場である第一視聴覚室へ向かい始めた。
あたしは席を立てずにいた。
「弥生ちゃん、いこ?」
「ねぇ麻衣? ……殺して……あたしを殺して!」
あたしを迎えに席まで近づいた麻衣に、放心しながら繰り返す。
「や、弥生ちゃん!?」
「あんたに殺されるなら本望よ……殺してっ!
我ながら意味不明。でも言ってる事の半分は本気。
「早まっちゃダメ弥生ちゃん!」
「遅かれ早かれあたしは殺されるわ、お母さんかクラスメイトか、の違いはあるだろうけど。だったら今あんたの手にかかった方がマシよ」
お母さんに叱られる事は間違いないんだから。
しかもこれはクラス対抗戦、あたしの成績はクラスの成績にも響く。
馬鹿の与える悪影響は、普段の試験以上に深刻。
クラスのみんなに怒られるかお母さんに怒られるか、どの道行き着く先に変わりはないじゃないの!
結局、麻衣に引き摺られながら、視聴覚室へ向かう。
こういう時の麻衣はミニマム麻衣とは思えない力を発揮する。
暮れの総決算で、後方に待機したまま沈んでいく1番人気を嘲笑いながら、まんまと逃げ切るくらいに驚きの底力よ。
勝負の前に敗北が決まり肩を落としながら歩くあたしと、それを必死で慰める麻衣。
零夜はクラスの女子に囲まれながらも、何度かこちらを振り返っては「頑張れ」と、声を出さずに言っていた。ように思う。
(あいつもあたしの馬鹿っぷりを知ってるからなぁ)
そして悲劇という名の喜劇が、第一視聴覚室を舞台に繰り広げられた。
主演はもちろん、あたし、高坂弥生。
2時限目。1科目目『英語』
……さっぱり分からない。答案用紙には空白が目立つ。
3時限目。2科目目『国語』
……さっぱり分からない。答案用紙には以下略。
4時限目。3科目目『数学』
……さっぱり分からない。以下略。
もういいでしょ? どうせこの後も1・2時限目と同じなんだから。
教室に戻りお弁当を広げるも、全く味が分からない。
既にあたしはグロッキー。
そして5限開始前、再び向かう視聴覚室へのあたしの足取りは、今朝以上に重かった。
極度の疲労状態で食事を取ったせいで眠気が一気に襲ってきた午後。
5時限目。4科目目『社会』
……眠い。
6時限目。最終科目『理科』
……記憶がない。
社会は主に睡魔と闘う時間、そして睡魔に負けたのが理科。
完全に終わった、色んな意味で完全に。
5科目を終えて教室に帰ってくると、ヒゲがホームルームをはじめた。
それが終わるや、済し崩し的に料理大会の作戦会議が始まる。
あたしは作戦会議に参加する事も適わないほど、昼以上にグロッキーな状態で机に突っ伏していた。
喋る気力はないけど、1戦目で足を引っ張った事は確実だから、せめて話はちゃんと聞いておこう。あたしだってそれくらいの良心はあるわよ!
疲労と良心がせめぎ合ってるあたし。
ふと耳に聞こえてきたのは、明日の料理対決での『料理班3名』を誰にするかっていう会話だった。
「国崎さんは料理部だったわよね?」
きっと料理の代表は麻衣と他の2名で決まりだろう。
あたしは料理なんて出来ないから関係ない。
麻衣も料理班になることを了承するはず。
しかし麻衣の声は中々聞こえなかった。
ふと顔を上げると、麻衣と目が合う。
(1人はやだよぅ。弥生ちゃん一緒に料理作ろ?)
そう言っているように見える麻衣のつぶらな瞳は、あたしを捉えて離さない。あんたはチワワか。
(冗談やめてよ麻衣。あんた、1組が核廃棄物を作ることになっても良いわけ?)
そう視線で訴え首を振るあたし。
麻衣がホントにあたしの親友なら、これ以上あたしを喜劇役者にしないで。
(だよねぇ……)
多分こんな台詞を呟いたんだろう麻衣は、がっくり肩を落として深く溜息をついた。
分かってるでしょ麻衣! あたしが食材を使って生み出せるのは、廃棄物か殺人兵器しかないってことを。
よぉく、これでもかってくらいに!
溜息をつく麻衣。それを訝しむクラスメイト。
そんな情景を見ながらあたしは再び机に突っ伏した。
「弥生ちゃん、大丈夫?」
気付けば周りは既に帰宅の準備を終え、教室から出ているところだった。
眠ってしまったらしい。
「あぁ……大丈夫。んで、料理の代表はどうなったの?
「国崎さんに沢木さん、それと僕」
いつの間に零夜が!? ってあんたが代表って一体どういう風の吹き回しよ。
(ってそうか、麻衣が泣きついたのね)
そう思い麻衣を見ると、やはりそうだったんだろう。
耳まで顔を真っ赤にしているではないか。可愛いのぅ。
「んじゃ、料理は麻衣と零夜に任せたわよ、あと沢木さんって人にも」
「ああ、それは良いんだけど弥生、あんまり油断しない方が良いよ?」
「どういうことよ?」
「サポートが27人なんておかしすぎるよ。きっとその27人にも何かの役目があるはずって僕は思うんだ」
「そうですね……。料理は誰かに任せて、27人は高みの見物っていうのも、あまり対抗戦っぽくないですもんね」
言われてみれば確かにそうだ。
「弥生ちゃん、明日の事を沢木さんと相談してくるからもう少し待っててね? 終わったら一緒に帰ろ?」
「オッケー、行っといで」
そう言うと、麻衣と零夜はあたしの元を離れ、教卓にいる沢木さんであろう人物の所に行った。
そんな2人と1人を、窓際の席からずっと眺めていると、
「そこの貴女、少しお時間はございませんこと?」
気付けば教室後ろ側の出入り口には、見たこともない女子が立っていた。
こげ茶色の髪は胸元までのウエーブロング、端麗な顔立ち。
見た目からしてお嬢様。
見た目お嬢様、プラス口調お嬢様、導かれる答えは生粋のお嬢様。
(天然のお嬢様!? 人工じゃなく!?)
目の前の彼女が養殖物や人工物じゃなけりゃ、1年前の旧仙女で十二分に輝いたはず。それくらい稀に見る、貴重な天然素材。
でも今の仙里は、お嬢様にクラス対抗戦には相応しくないっていうか。
(あんた、学校間違ったんじゃない?)
ああ間違ったのはあたしもよね。なんで仙里に合格したんだろ……。
「お時間、ございますこと?」
「……あんた、誰?」
「これはわたくしとしたことが、自己紹介がまだでしたわね。申し遅れました、わたくし1年5組の田中陽子と申します」
(見るからにお嬢様な田中陽子さん、口調も多分お嬢様。でも名前は凄く普通よね)
「わたくしの名前には触れずにいてくださいますこと? 場合によっては貴女を消すこともありえますの。それはお互い本意ではございませんでしょ?」
口に出ていたらしい。
「分かったわ、名前には触れない。でもあたしを『消す』って、あんた……」
名前はコンプレックスなのね。
確かにまぁ、見た目からすると『麗華』とか『恭子』とかその辺の方が似合いそうだもんね。前者は雰囲気が、後者はゴージャスな姉妹の姉の方ね。
「で、5組の田中陽子『さん』は、あたしに一体何の用なわけ?」
「いえ、用というわけではございませんの。少し顔を拝見させていただこうかと思っただけですわ」
試験で落ち込んでるあたしの顔を拝見したいとは、よっぽどの奇特か、もしくはよっぽどのSね。
「……ガイダンスの名演説、わたくしも心打たれましたわ。高坂弥生さん」
「えっ! な、ななな何であたしの名前知ってんのよ!?」
突然フルネームで呼ばれて、あたしは心底驚いた。
これはとっても嫌な予感がする。
今日の予感は当たるのよね……悪い予感が。
「貴女、1年生の中では有名ですのよ?」
(有名? あぁ、あたしの馬鹿がか。答案が帰ってくる前に、既に浸透し始めたのね……)
「生徒にはアウェーのようなあのガイダンスの場において、力強く観衆を魅了し扇動した貴女が、有名にならないはずがございませんわ」
「そっちかよ!」
ってある意味これも馬鹿の一環よね……。
「決して屈しない強い意志を持つ女性。戦うために仙里へやってきた黒髪の姫君、と」
「あのさ、合ってるのは髪の色だけなんだけど、そこどうなのよ?」
決して屈しないって、んなわけないし。
仙里へ来た理由なんて『家から近い学校だった』とか『制服に憧れてたから』だし。
当然、姫じゃないし。
「それに扇動っていうけど、運営委員を打ち負かしたのはあたしじゃないわよ?」
扇情したのはお嬢様口調の女子とぶっきらぼうな喋り方の男子、って!?
「むしろそのお嬢様口調! あん時の女子は間違いなくあんたでしょ!」
「貴女は決して屈しない戦う姫君、そう『不屈の戦姫』と」
完全に無視……話聞いてる?
「そんなくだらないあだ名、勝手につけないでよ! こっちは目の前の事で精一杯なの!」
「あら、わたくしがつけた名前ではございませんもの。苦情は別の方にお願いしていただきたいですわ」
「じゃあ誰がつけたのよ……」
「さぁ……わたくしも小耳に挟んだだけですわ。噂の元など存じ上げませんもの」
さぁ……って……。
「で、何? その『不屈の戦姫』であるあたしに『お嬢様』はそんな事を言う為に、わざわざ5組から1組まで来たってわけ?」
「あら。まだ見ぬ時の人の顔を、この目で確認したいと思う。これは人として当然の欲望ではございません? 特別貴女に用があったわけではございませんわ」
お嬢様もゴシップには興味があるらしい。
しかしそんな庶民派お嬢様と仲良くして何の得があるというのか。
どちらかというと、今現在彼女に振り回されているあたしには、損こそあっても得など何一つない。
ならば、とっとと帰ってもらうに限る。
「とにかく帰れっ! 今すぐ帰れっ!」
「まぁ、気の強い方ですこと。今日のところはこれくらいでお許しして差し上げますわ。では、またお逢いいたしましょう。ごきげんよう」
「来んな! 絶対来んな! もう二度と来んなーっ!」
優雅に手を振りながら去っていく田中陽子お嬢様。
憎らしいくらいに歩き方が様になってる。流石お嬢様よね……。
(っていうかあの子は本当に、いわゆるお嬢様なの?)
結局分かんなかったんだけど……実際のところどうなんだろ。
「不屈の戦姫、か」
声に振り向くと教室に沢木さんらしき姿はなく、あたし以外に教室に残っていたのは麻衣と零夜だけだった。
明日の作戦会議は終わったんだろう。
あたしに近づきながら2人は言った。
「陽子さんも上手い事言うよね? 弥生ちゃんにピッタリ」
(好き勝手な事言いやがってこの秀才コンビ)
何だってあたしがこんな呼ばれ方しなきゃいけないわけよ。
「気を取り直して明日は頑張ろう弥生、不屈の戦姫なんだから」
「不屈の戦姫っぷりを、他のクラスに見せ付けなきゃね弥生ちゃん」
あたしを苛めて遊ぶ2人。
「既に屈したわよっ! 今日色んなものにねっ!」
拝啓お母さん。
まず一言、ごめんなさい。
馬鹿娘は多分、さっきの試験で化けの皮を剥がされるでしょう。
あんたは出来る子、そう言って抱きしめてくれた日が遠く感じられる今日この頃。
娘が学校で
「あの子ホントはすっごい頭悪いらしいわよ?」
「『不屈の戦姫』だなんて聞いて呆れるわね!」
と、後ろ指差される日がとうとうやってきたようです。
覚悟は出来ていらっしゃいますでしょうか?
あたしは出来てません。
なんだかよく分かんないうちに付けられてた『不屈の戦姫』なんて大層な名前も、出来るだけ早く返上したいと思います。
いつかこうなる日が来るとは分かっていました。
ですが、いざその日が来ると、人って弱いなぁ、と改めて感じてしまいます。
神様、助けてください。
心の中で母に謝罪文を書くあたしに、2人は笑いながら言う。
「次の試験は頑張ろう弥生、『不屈の戦姫』なんだから」
「ちゃんとお勉強しようね、『不屈の戦姫』の弥生ちゃん」
「もういやっ、神様! 神様あぁぁあぁぁ!」
オチの恒例となったあたしの叫びが、今日も響き渡った。