48.[1年夏/第二戦] 皆の思いはただ一つ
クールに去る南川先生とそれに付き従う村松くんを見送ったあと、あたし達は駅舎近くの日陰に移動した。
日陰とはいえまだまだ暑さは厳しい。
けど日向に居るよりも随分と涼しく感じる。
そんな涼しさに幾分気分が和らいで、あたしは独り言のようにそれを口にした。
「灰色と今宮さんが言ってた」
「言ってたって何をかしら?」
「好きとか嫌いとか、近くに居たいとか離れたいとか」
思わず瑠璃が息を呑むのが分かる。
だけど伝えなきゃいけない。
「そういう真逆にあるような感情ってね、時々両立するんだってさ」
あたしの言葉に身に覚えがあったのか、瑠璃は目をまん丸にする。
そしてあたしの言葉を補うように、後ろから樹里先輩の言葉が加わった。
「それを葛藤と呼ぶのよ」
葛藤。
あたしのせいで葛藤して、瑠璃は一人苦しんだ。
そしてそれを見て村松くんが、やっぱり一人で苦しんだ。
だから謝らなきゃいけない。
だけどそれは許されなかった。
「瑠璃……ふがっ!」
誰かに口をふさがれた、しかも思いっきり不意打ちで。
破壊力抜群のスイカが背中越しに感じられ、そしてその持ち主があたしを拘束する。
「もうそれ以上は必要ないのよ高坂さん」
再び目をまん丸にして驚いた瑠璃は、あたしの口を塞ぐ樹里先輩をじっと見つめる。
「それより瑠璃の話を聞くこと。貴女が一番すべきなのはこれね」
そして姉がそう促すと、瑠璃は一つ小さな溜息を吐き出した。
「私、昨日あんなことがあって……もう何も考えられなかったわ。なのにいつも折れずに走り続ける貴女は、今日も変わらず不屈の戦姫。それを見て嫉妬した。だけど弥生さんを嫌いになるなんて出来なかった」
溜息と一緒に迷いも吐き出したのか、瑠璃は俯き加減で独白を始める。
樹里先輩の拘束はいつの間にか緩められてて、やがて後ろから包み込むような柔らかい抱擁に変わっていた。
「瑠璃、貴女は『不屈の戦姫』である高坂さんを、誰よりも好んでいたんですものね」
「そうね姉さん。……そう、だからこそ弥生さんに嫉妬する自分に嫌気が差して」
瑠璃はあたしのことを全部嫌いになったわけじゃなかったんだ。
……あいつらが言ったとおり、どこかであたしのこと好きでいてくれたんだ。
あたしにはそれだけで、本当に十分なのに。
「貴女を落ち込ませる自分が情けなくて、だけどそれを止めることが出来なくて……」
そこまで言うと、瑠璃は言葉を詰まらせた。
今でもなおその葛藤が瑠璃の心を縛り付けてる。
だったらなおさら、あたしがそれを解かなきゃいけない。
「良いんだよそれで。好きと嫌いが一緒でも別に良いんだって灰色も今宮さんも言ってたよ。だからそんな事で苦しまなくていいんだよ瑠璃」
樹里先輩の優しい眼差しが、あたしの言ってることは間違ってないって後押ししてくれる。
「あたしも思うもん。誰だってそういう風に悩むことはあるんだよ」
「そうよ、瑠璃」
「大体ね、あんたがどんな事を思ってたって、あたしはあんたが大好きなんだから。そこんとこ忘れないように、ね」
瑠璃を縛り付けるものがすべて外れたかどうかは分かんない。
「ええ、忘れるわけないじゃない。忘れないわ、一生ね」
だけど力強くそう返してくれた瑠璃は、あたしの知ってる強い沢木瑠璃だった。
「それと……お嬢様や弓削くんは、葛藤する私を周りがどう見てるのか、教えてくれたわ」
「そだね。にしてもあんなお嬢様、初めて見たわ」
「何言ってるのよ弥生さん。『灰色の死神』はともかく『不屈のお嬢様』は貴女が生み出したのよ?」
瑠璃の呆れ混じりな表情をあたしが傍観してると、樹里先輩がやっぱり言葉を補足してくれる。
「『生粋のお嬢様』が戦姫と出会って『不屈のお嬢様』に進化しはじめたのかしらね」
あ……そっか、そういうことだったんだ。
学食でお嬢様が言ってた。
『……羨望しているのですわ、貴女という人に』
それをあたしが焚きつけて。
『わたくし、不肖ながら不屈の戦姫の好敵手に立候補させていただきますわ!』
ついさっき、言ってた。
『わたくしの好敵手は不屈で有名ですから』
『少し見習ってみようかと思っておりますのよ?』
(あんた、見習うどころじゃないわよ)
頭の中のお嬢様にあたしは溜息混じりにそう呟く。
「手強いライバルになりそうよねえ……」
そう口にしつつももう一方で思う。
あたしのせいでお嬢様があんな風になれたんだとしたら、
「でも何だろ…それはそれで悪い気はしない、かな?」
なんて考えちゃうあたしも、すっかり不屈を気に入りつつあるのかも。
「高坂さんは本当に周りに色々な影響を与える存在ね」
「私も村松くんも、もしかしたら姉さんだって、きっとお嬢様と同じくらい刺激を受けた存在じゃないかしら」
あたしの横にはいつの間にか瑠璃が肩を寄せていて、
「瑠璃、良い友人を持ったわね。良いわねえ、これぞ青春! かしら?」
あたし達の肩を樹里先輩が抱き寄せて、一件落着と言わんばかりに微笑んだ。
だからあたしも瑠璃も、それに続いて心から笑った。
「やっぱり弥生さんは笑顔が一番ね」
「あたしさぁ、そんなに酷い顔してた?」
「してたわよ」
うーん、確かにテンションはだだ下がりだったけど。
「カメラを通して貴女を見たら……今にも倒れそうに見えたんだもの。姉さんもでしょ?」
「ええそうね。写真を撮るにはどうしても高坂さんを直視しなきゃいけなかったから、余計にね」
「弥生さん、無理してたんじゃない?」
してたのかなぁ。
してたんだろうなぁ……。
でも『してた』とは面と向かっていえないわよ流石に。
「どうなんだろ、分かんない」
だからさらっと誤魔化してみせる。
「何時もより冴えてたかな、とは思うんだけど」
「その分無理してたのよ。その上今もそうやって無理に心配掛けないようにしてるじゃない」
すっかりばれてた。
心底疲れたって顔をしてる樹里先輩がそれを言葉にする。
「そんな高坂さんを直視するのが辛かったのよ」
「それもこれも、私が弥生さんをそうさせたから」
姉に続けと妹も。
だからあたしも譲らない。
「違うよ。あたしが佐々岡さんとあんな風になったから、だから」
そして繰り返されるこの話題。
どこかで一度断ち切らなきゃいけないんだけど、それが出来ない。
「でも『物は考えよう』よね。その佐々岡さんって子と高坂さんがいがみ合ったからこそ、瑠璃と村松くんは今こういう距離に近づけたってことだものね」
「姉さん! 元も子もない言い方しないで!」
「あら? でも事実でしょ?」
「もっと他の言い方にして頂戴!」
こういうときってやっぱり人生経験が物を言うんだと思うのよ。
流石スイカのお姉さん、さっきみたいなのをまたぶり返すとこだったわ。
かなり踏み込んだ話題変更だけど、そこは目をつぶることにしてさ。
にしても瑠璃が言い込まれるなんて見てて不思議だわ。
樹里先輩は留まることを知らないし、瑠璃は顔を真っ赤にしてるし。
「良い事を知ることも出来たし、良い物も見せてもらったし」
「姉さん!」
なんかお姉さんって……良いなあ。
あたしは一人っ子だから余計にそう思っちゃうのかも。
なんて事を考えてちょっと寂しくなっちゃったあたしにも、姉の温かさが届けられる。
「高坂さんは瑠璃のことを好きでいてくれた。以前の貴女達三人が……ようやく戻ってきた」
そう言いながら、樹里先輩はあたしと瑠璃の手をつなぎあわせるように、自らの両手で引き寄せた。
「良い事で良い物、でしょう?」
「樹里先輩……」
「貴女達二人がいつも通りなのが、きっと彼にとっても一番やりやすいはずね」
雨降って地固まったんだからと付け加える樹里先輩は、村松くんの事まで気にかけてくれてた。
「二人とももう細かいことは気にしないのよ? いい?」
どこまでもあたし達のことを見通してる樹里先輩。
きっとごめんなさいって言うと怒られそう。
だから言わない。
その代わり南川先生のときと同じように、一杯の気持ちを感謝の言葉に乗せた。
「樹里先輩、ありがとうございました」
「……ありがとう姉さん」
「私がそんなこと言われるくらいならまず、高坂さんがその言葉を受けるべきなのよ?」
「へ?」
「迷走続けるこのチームを一人で支えてたのは、間違いなく高坂さん、貴女でしょう?」
一人で支えてたらきっと、もっと早い段階で折れてた。
開始直後に折れかかってたんだもん。
それを南川先生にまで気づかれてて。
「あたしも瑠璃と一緒で、みんなに支えてもらえたから、ここまで来られたんです」
「村松くんに姉さん、そして南川先生」
「特に南川先生には強く支えてもらったのかもしれないね。あんなにアグレッシブな南川先生なんて、あたし見たことなかったし」
「そうね……でもそのせいで南川先生は」
「沢木姉、その話はあとだ」
渦中の本人が樹里先輩の話を遮った。
それもかなり真剣な顔つきで、息も少し切らせている。
「村松、急げ」
南川先生からちょっと遅れて、村松くんもあたし達の元へと帰ってきた。
先生と違いかなり息切れしている村松くんは、だけど休むことなくあたし達の目の前を通り過ぎる。
「戦姫に触発された! ついて来てくれ!」
そしてすれ違い際にそう言い残し、突然駅の中へ飛び込んでいった。
更には南川先生がそれに続いて駅へと駆けていく。
「弥生さん、姉さん! 何してるの、行くわよ!」
一足早く駆け出した瑠璃の一声で我に返り、あたしと樹里先輩も彼らの後を追った。
村松くんは切符売り場で運賃表を眺めていた。
「今が四十分、法隆寺は、大阪方面へ三駅。法隆寺駅、あったぞ!」
息を切らし呟く村松くんの声に、あたしは改札口近くの時計に目をやる。
十二時四十分。
大安寺から駅前に戻ってきたのが十二時丁度だから、四十分が経過したことになる。
思ってたより時間は経過してない。
てっきり一時間や二時間は過ぎてんだと思ってた。
だから安心した。
でも何で安心したんだろ。
何の心配をしてたんだろ。
「高坂、沢木、聞いてくれ」
答えは村松くんが知っていた。
「俺達は既に興福寺、元興寺、春日大社一の鳥居に東大寺南大門、そして大安寺まで写真に収めてる」
村松くんは息を整えながら、真剣な表情であたし達に説明を始めた。
「なあこれって、色々あったけど……意外と悪くない位置につけてんじゃないか?」
確かに色々あった。
一時は勝負を投げ出しそうにもなった。
だけどあたし達はどん底から立て直して、戦いの場に戻ることを選択した。
体も心もボロボロになったけど、でも勝負するって決めたのはあたし。
「ここでゆっくりご飯を食べてそのアドバンテージを無駄にしたくない。そういうことね?」
「ああ……どうせやるなら勝負にも拘りたい」
それに乗っかるって言ったのは二人。
「強行軍ね。私は賛成よ」
「すまん高坂。無茶を承知の上で、今まで以上の無茶を頼みたい」
その上まだ勝機が残されてるかもしれない。
あたし達の進むべき一歩は、あたしに託された。
でも分かってないね村松くんは。
「村松くん……あんた何で」
「ああ分かってるぞ! こんな状況でいきなり勝負事に徹しろってのが無茶な事も分かってる!」
「あんたやっぱり分かってないじゃん」
「勝負に拘ること、これが護り手として今一番やるべきことだって俺は思うんだ!」
そんな村松くんを見て、あたしは沸々と怒りが湧いてくる。
あたしは村松くんへと更に歩みを進める。
そして言ってやる。
「呆れた……だったら村松くんさ。何でそういう事を申し訳なさそうに言うかなあ」
「え?」
「は?」
あんた、分かってるんだったらそもそもあたしに聞く必要なんてないのよ。
まだ勝負は分からない、むしろ結構良い線いってる。
だったらあたしが何て答えるかも想像付きそうなもんよ。
分かっちゃいないね、村松くんは。
「護り手ならそれくらい知っておきなさいよ。やるからには勝ちに行く、諦める必要なんてない。こういう場面であたしが何て言うかくらいさ」
ぽかんと口を開けながらあたしを見つめてた村松くんは、再び舞い戻りそして言う。
「『やってやるわよ! やってやろうじゃないのよ!』……か?」
そうよ。
想いを背負ってんだもん。
護り手があたしの元に返ってきたんだもん。
まだまだ射程圏内から外れてないかもしれないんだもん。
これで燃えなくて何が『不屈の戦姫』よ!
「やっぱあんた、最高よ!」
村松くんの肩をべしべしと叩きながら、あたしは最大級の賛辞を贈った。
こうなればあとはトントン拍子。
「村松、残りは何分だ?」
「十三時〇七分、JR難波行き普通。残り二十分程度です」
しかも南川先生と村松くんの間では既にかなり煮詰めていたみたいで。
「ならばそこのコンビニで食料を調達。軽く補給したのち速やかに次の目的地へ移動する。これで異論はないな?」
「もちろん!」
「ええ!」
気づけばあたしと瑠璃は即答していた。
そして村松くんと南川先生が一点を見つめる。
「あとは沢木姉、お前次第だが」
五人のうち四人までが強行軍を選んでる。
樹里先輩が何と言おうと、午後からのハードスケジュールは決まったようなもの。
だから最後に樹里先輩からも一言許可をもらうだけ。
そんな風に考えてたあたしは、樹里先輩の意外な言葉に驚かされた。
「南川先生まで高坂さん達の側につくだなんて、そんなの卑怯です! 私だって妹のクラスが……担当のクラスが勝ってほしい、そう思ってます。でも私と先生は付き添いだから貴方達の手助けは出来ない」
「え、えっとー……どういうこと?」
とてもじゃないけどあたしの頭じゃ追いつかない。
でも瑠璃はしっかり理解してるみたいだし、
「姉さん、それは私達のことを全面的にバックアップしてくれるって捉えていいのね?」
「そういうことだぞ、きっと」
村松くんも戸惑うような様子はないし。
やっぱり分かんない。
分かんないけど、
「俺も沢木姉も、お前達の担当に決まった時点で多少の無茶や非常識は覚悟している」
「でもそんな無茶する貴方達が、出来るなら一位になってほしい。そう思ってるわ」
樹里先輩と南川先生が午前中よりも数倍、乗り気なのだけは分かる。
「俺や沢木姉に出来ることは、お前達の足枷にならないようにすること」
「足枷……?」
「分かりやすく言えば……高坂、お前は好き勝手にやれ。それに対して俺や沢木姉は極力邪魔にならないようにする」
「瑠璃も村松くんもよ。引率役に余計な気を遣わずに貴女達のやりたいようにやりなさい」
「俺も沢木姉も、何も言わずついていく。どこまでも、な」
これ以上ない想いがあたし達に届いてくる。
言葉に乗せて、先生と樹里先輩の熱い気持ちが。
そっか……そうだったんだ。
背負ってたのはクラスの想いだけじゃなかったんだね。
目の前の二人がくれる凄く熱い想い。
傍からずっと送り続けられてたその想いのおかげで、あたし達は何とかここまで辿り着けたんだね。
もしかしたらお嬢様や灰色や亜麻色のそよ風の、ライバルとしての想いだって気づいてないだけで、いつの間にかこの身に受け止めてたのかもしれない。
うん、そうだよ。
きっとそうだ。
そうに違いない。
だったら、もう迷うことなんてない。
「行こう、村松くんの言ってた電車で、法隆寺に」
想いに応えるために。
「ええ、午前の失態は午後で取り戻しましょう」
自らの汚名を返上するために。
「そうだな……そして勝つぞ」
そして勝利をこの手に掴むために。