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46.[1年夏/第二戦] あたしの瑠璃は、ここにいる

「沢木さん、貴女あれしきの事で前後不覚ですの? 失望いたしましたわ」

 濃いブルーに包まれたあたしに、お嬢様の低くて重い言葉が届いてくる。

 昨日の瑠璃ならお嬢様と掴み合いの喧嘩でもしでかしそうな、挑発すら感じさせる言葉の数々。

「もしそうなのでしたら、貴女の想いの程度など知れていますわ」

 ただ、やっぱり瑠璃に言葉はない。


 瑠璃を責めるように言葉を紡ぐお嬢様の表情は分からない。

 だけど張り詰めた緊張感と搾り出すようなお嬢様の声が、その真剣さをあたしに伝えてくれる。

「そんな弱い想いでしかなかったと、そういうことでございましょう?」

 何かを瑠璃に伝えたい、そんな想いが伝わってくる。

 だけど、お嬢様の言葉は瑠璃には届かなかった。


「……う……っておいて」


 今日はじめて聞いた瑠璃の心からの声。

「沢木?」

「瑠璃?」

 村松くんと樹里先輩が、聞き取れなかった瑠璃の言葉を必至に掴もうとする。

 だけどそれは瑠璃の心の扉がガッチリと閉じたことを確認する行為でしかなかった。

 それは決定的な一言。


「もう放っておいてっ!」


 青に遮られたあたしからは、みんなの姿は見えない。

 だけど分かる。見えないからこそ分かる。


 何もかもが終わったんだ。

 誰でもない瑠璃が諦めたんだから。


「それが答えですのね……わかりましたわ」

 瑠璃の叫びに低く返すお嬢様の声は、あたしの心と同じで悲しさが滲み出てる。

 そして樹里先輩や村松くんの心をも代弁してる。


 でも、それすらお嬢様には予定通りだったんだろうか。

 何も出来ないあたしと違って、お嬢様は強かった。

「わたくし、沢木さんを過大評価しすぎていたようですわね」

 感じさせた悲しさを押し隠すに十分なくらい挑発的なお嬢様。


「沢木さん、貴女には関係ございませんが、わたくしまだ諦めておりませんの」


 そして感じる視線。

 タオル一枚挟んでるだけじゃ遮ることは出来ない。

 きっとお嬢様はじっとあたしを見てる。

『ライバルである貴女がこのざまだなんて、どういうことですの?』

 そうお嬢様に叱られている。

 お嬢様の心の声を、その強烈な視線から感じとっていた。


 そしてそれを確信させるお嬢様の言葉。

 瑠璃の反応を気にするわけでもないお嬢様の、自身に言い聞かせるような言葉。

「わたくしの好敵手は『不屈』で有名ですから、少し見習ってみようかと思っておりますのよ?」

 そこには挑発するような言葉の刺々しさはなくなっていた。

 だからこそあたしの耳から心へと染み込んでくる。

 むしろ心底呆れながらも笑っているような。

 話の相手は瑠璃なのに、何故かお嬢様の言葉はあたしの心に届いてくる。


 そして……。

 想像を遥かに超えるお嬢様の不屈さを、あたしは衝撃とともに知ることとなる。



「村松さん、わたくし……貴方のことが好きになりましたの」



 凡そ告白とは真逆に位置するだろうこのシチュエーションで、お嬢様はそう言い切った。


 お嬢様の不屈さはきっと予想のはるか上。

 思わず顔を上げたあたしの頭から、灰色の青いタオルがするっと落ちていく。

 慌ててタオルを掴んだと同時に再び強烈な視線を感じ、そしてお嬢様の強さを目の当たりにする。


(あんた……なんでそこで笑ってられるのよ……)


 お嬢様は村松くんではなく、驚き慌てるあたしを見ていた。

 なのに、衝撃的な告白を受けたはずの村松くんは俯いてて。

「ですが沢木さんには関係ございませんわね、失礼あそばせ」

 瑠璃は瑠璃で、今までにはない真剣な目で村松くんを見てて……。


(どういうことなのよ……なんなのよ、これ)


 私たちはただただ彼女の一言一言に翻弄されていた。



「村松さん、高坂さん。ではごきげんよう。行きますわよ今宮」

 そう言い残し奈良駅を後にし始めるお嬢様。


 取り残されるあたし達。


 だけど、事はまだ終わっていなかった。




 小さくなっていくお嬢様とは正反対に、俯いた瑠璃の元へと足を進めてくるのは、灰色。


(違う……灰色じゃない、死神ね)


 そして瑠璃の前に立つと、灰色は一段と低い声で言った。

「なぁ沢木さん。あんたが何考えてるんだか知らねーけどな」

 その言葉に瑠璃の顔は村松くんから灰色の方へ、だけど灰色は瑠璃の反応などお構いなしに吐き捨てた。


「あんたウザいよ、心底」


 鋭く切れる灰色の言葉を聞いた瑠璃は驚き、大きく目を見開いた。

 今の瑠璃にその言葉はあまりにも残酷だ。

「個人的な事情で人に迷惑かけて、見ててウザい」

 灰色の言葉に瑠璃の口がわずかに動いた。

 だけどそれもすぐ閉じられる。

 瑠璃の口から発せられる言葉は……やっぱりなかった。


 そんな瑠璃に痺れを切らしたかのように、灰色はあたしの元へと戻り無言であたしの手から奪い取るようにタオルを掴み、言った。

「お前ら……まだやんのか?」

 瑠璃の法を振り返りながら、低く響くようにあたしと村松くんに投げかける灰色の疑問。

 その残酷な問いかけは、"何を"続けるのか、その肝心な部分が抜けている。


 でも"何を"なんてあたし達には言わなくても分かる。

 だから村松くんはただ俯く。


 そんな村松くんを、そして立ち直らない瑠璃を見て、思う。

 苦々しく顔をしかめる樹里先輩を、あたしをじっと見つめる南川先生を見て、決意する。


「棄権……しよっか」


 これ以上続けても、もう無駄なのかも。


 あたしは不屈なんかじゃない、弱くて逃げ回って、投げ出したくて、投げ出して。

 そうやって全部村松くんに重荷を背負わせて。

 これ以上彼に負担なんて掛けられない。


「戦姫不屈伝説もここで幕切れかよ」

「そんな伝説、どうでもいいわ」

「よくねえよ! あんた分かってねえよ。一太! お前何やってんだよ! とっとと教えてやれよ!」

「村松くんを責めないで!」


 もうやめてよ。

 これ以上かき回さないで。


「じゃあここで俺が一太やあんたを責めねーで、誰がいつ責めんだよ」

 ここから先の言葉は全部あたしが受け持つから、だから。

「あたしはいつ誰から責められてもいいわよ! だけど……村松くんや瑠璃は誰にも責めさせないわよ! あたしが全部背負うわよっ!」

「あんた分かってねえよ、あんたが全部背負えるわけねーだろ」

「背負うわよ!」


 今までだって嫌われてきたんだもん。

 これからだって耐えて見せるわよ!


 だけどそんな決心は死神の一言で脆くも崩れ去った。

「あのなぁ、1組の代表はあんただけじゃないんだぜ?」


 ……そうだった。

 灰色に睨まれてる瑠璃も、

「代表の誰かが個人的な事情"で対抗戦投げ出して、そして他の二人もそれに了承して」

「弓削! もういいだろ!」

 灰色を必死に止める村松くんも、クラスのみんなからすれば同じ1組代表。

「あんた以外にだってそれ相応の非難は降り注ぐ、しかも真っ当な、な」

「止めろ弓削!」

 だからあたしが何を言ったって、フォローしきれるわけがない。


 あたしがどれだけ庇おうとも、あたしは二人を護れない……。

「それをあんたが一人で」

 そして灰色はあたしを睨む。

「受け止められるわけねーだろ」


 あたしに返す言葉なんてなかった。




 灰色が去った駅前。


 棄権するって決めたのに、たった一言あいつに言われただけで最後の踏ん切りがつかなくなって、あたしはただ呆然と立ち尽くしていた。


 ふと横を見れば瑠璃もまた、何処を見てるのか分かんないような虚ろな目。

 そして村松くんは……ぐっとこぶしを握り締めながら、肩を震わせて俯いてた。

 樹里先輩も南川先生も、そんなあたし達に掛ける言葉が見つからないのだろう。


 重い空気と沈黙が、この場を包み込んでいた。


 村松くんのことを考えると、やっぱりこのまま対抗戦を続けるのは難しいって思う。

 あたしや瑠璃の個人的な事情で、村松くんには計り知れないほどの重荷や想いが降り注いた……。

 何もしていないはずの村松くんに、たった数分で色んなことが降り注ぎすぎて。


 根源であるあたしが居なければ全て丸く収まる……。


 だけど止めればクラスの期待を裏切ることになる。

 あたしだけじゃなくて、瑠璃も、そして村松くんまでが責められる。

 そんなの受け入れられるわけない。


 だけど……。

「ねぇ瑠璃。灰色はあー言ってたけど」

 これ以上続ければ村松くんも瑠璃も苦しいはず。

「もう対抗戦止めよっか」

 そしてあたしを見たみんなが、写真を撮るあの瞬間みたいに、複雑な表情になる。


 あたしの事情で瑠璃が落ち込んで、瑠璃の事情で村松くんが精彩を欠いて。


(個人的な事情で人様に迷惑かける……か)


「高坂、お前はそれで良いのか?」

 南川先生のいつもの無気力そうな雰囲気は、その目にも言葉にも感じられない。

 だからあたしも南川先生に、真剣に応える。

「良いですよ。ただ……多分もう瑠璃と口聞くことは二度と無いと思うけど」

 今あたしが出来る最大限の、冷静な分析。

「あいつも言ってたとおり、あたしも瑠璃も村松くんも、クラス27人とヒゲの期待背負ってます」

 灰色のそれとは数段落ちるレベルだろうけど、

「途中で棄権しといて二学期になってみんなの前でのうのうと口聞けるほど、あたしも瑠璃も馬鹿じゃないから」

 あたしは瑠璃を、そして自分自身を言葉で追い詰めていった。


「瑠璃、限界だよ」

 何が限界って、そんなの決まってる。

 あたしだ。

 限界なのはあたしなんだ。


 なのに、瑠璃や村松くんがどうとか言い訳作って丸投げして。

「高坂……」

 それを知らない村松くんの泣きそうな顔があたしの胸を締め付けてくる。

「ねえ瑠璃。あたしね、あんたに感謝してる」

 だけど今だけはそれを見なかったことにして、あたしは瑠璃に言葉を投げかけていった。

「だから最後はあんたが決めて。ね?」


 決定権を瑠璃に委ねたあたしは、どこまでも卑怯だった。



 どれくらい時間がたったのか。


 付近をひっきりなしに通り過ぎる車の音も、あたし達を避けるように行きかう人の足音も、何もかもが頭を通り過ぎていく。

 その音すらもが静寂の一部を作り出してて。


 あたし達の誰かが作る音は、何一つなくて。


 数秒にも、数分にも、もしかして一時間以上過ぎたんじゃないかって思うくらい、沈黙が続く。


「瑠璃」


 その静寂を樹里先輩が低い声が破った。


 呼ばれた瑠璃より先にあたしが振り返り、樹里先輩を見て理解する。

 そして少し先の、瑠璃の惨状を予想する。

 ボーっとした表情で樹里先輩の方を振り返った瑠璃は、あたしの予想通りそれをかわし切れずに、

「いい加減にしなさい!」

 乾いた音と同時に大きく横にその身を崩していった。


 敵であるはずのお嬢様達にまで気を使われて、灰色にあんなことまで言われて、それでも尚立ち直れない瑠璃をここに呼び戻せる人なんて、もう身内である樹里先輩しかいなかった。

 村松くんと南川先生は驚き瑠璃の元へ駆け寄る。

「貴女、今日東大寺で何を見たの! 何を感じたの!」

 樹里先輩を瑠璃から引き剥がす南川先生と、瑠璃の元に駆け寄っても何をすればいいのか分からない村松くん。

 だけどあたしは足を進めない。

 あたしが動かないのは、驚いて足が動かなかったからじゃ、決してない。

(誰でもいいから瑠璃をここに呼び戻して……、あたしはもう何も出来ない、したくないよ)

 瑠璃を最後まで信じたいからなのか、ただ卑怯だからなのか。

 そのどちらもが正解で、間違いなんだろう。


 頬を押さえたまま虚ろな目であたしを見つめる瑠璃。

 そして思う。


 このまま続けたら瑠璃はきっと足手まといにしかならなくて、村松くんとの間には大きく溝を残したままになる。

 そんなの嫌だ。


 このまま止めたらあたしはずっとこれを引きずったまま、二学期から学校生活を過ごしていくことになる。

 それも嫌だ。


 何とかしたい。


 せめて瑠璃だけでも。

 あたしじゃ背負いきれないって灰色は言ったけど、でも何とかしなきゃいけないのよ。

 足りない頭でひたすら考える、あたしに今出来ること。


 瑠璃に触れることにためらってる村松くんを見る。

 弱弱しくあたしを見つめる瑠璃と再び目が合う。


 あった。


「ねぇ瑠璃、あたし嘘ついた」

 卑怯なあたしが隠してる、ホントの気持ち。

「限界なのは瑠璃でも村松くんでもなくて、あたしだった。ごめん」

 せめてそれを、瑠璃に聞いてもらいたい。


「それとね、もしあんたが止めるって言ってもさ」

 弱々しくて虚ろで今までとは別人にしかみえない瑠璃。

「だからって今後ずっと口を聞かない、なんて……きっと出来ない」

 崩れ落ちてボロボロになってる目の前の彼女だって沢木瑠璃。

 どんな沢木瑠璃だって、瑠璃に違いないんだ。

「だってあたしにとって沢木瑠璃って……凄く大切な人だから」


 そう……大切な人に変わりないんだよ。


 ふと、何かがあたしの右手に当たる。

 あたしはそれを知ってるから、ちょっぴり懐かしさを感じる。

 頼り甲斐があって、シャイで、今一番の被害者のはずの彼がくれる優しさに。


(そっか、あたし泣いてるんだね)


 その優しさは勿論瑠璃にも向けられてて、さっきあたしが灰色にされたように彼女の頭に真っ白なタオルが被せられる。

 白に遮られた目の前の彼女の表情を、あたしは見るべきではないと彼は判断したんだ。

 だけどその白が、あたしと瑠璃の関係を一度リセットしてくれる。


 これでいい。


 瑠璃の顔を見て想いが変わっちゃわないうちに。

「でも勘違いしないでよ、あたしが好きなのは今の瑠璃じゃなくて」

 沢木瑠璃であろう白いタオルを頭から被った人に向けて言う。

「いつも暴走して、とんでもない事言い出して……」

 短い期間だけど今まで一緒に過ごしてきた事を思い出しながら言う。

「だけど強くて優しい沢木瑠璃」

 あたしの中にいる沢木瑠璃は、強くて優しい沢木瑠璃。

 じゃあ今目の前に居るこの人は誰なのか、自分自身に言い聞かせながら、眼前の女性を同定する。


 だけど、そんな事考える必要なんてなかったんだ。


 ようやく気付いたよ。


 あたしを振り回しながらも、あたしを導いてくれた。

 思い返せば、高校生活に瑠璃は欠かせない存在になっていた。


 それに……。

「瑠璃が居なきゃきっとあたし、夏を迎える前に学校辞めてたかもしんない」

 だからこそ瑠璃を失ってしまうのが怖くて、目の前の沢木瑠璃はどの沢木瑠璃かなんてあたしは考えてたんだ。


 でも、どの沢木瑠璃も沢木瑠璃に変わりないんだ。

「だから瑠璃がどんな答えを出してもさ、あたしは瑠璃を大切な人だって思う」

 この人はどんな瑠璃かなんて事、もう考えたりしない。


 いつもあたしの事を心から心配してくれた。

 あたしの気持ちをあたしより理解してくれてた。

 嫌われはじめたあたしの事を、それでも今まで大好きで居てくれた。


「あたしが瑠璃のことをどんなに嫌な奴って思っても、逆にあたしが瑠璃にどんだけ嫌われても」


 色んな事から助けてくれて。

 馬鹿なあたしに優しくて。


 ちょっぴり変な、だけど今あたしが寄りかかれる一番の同級生。


「あたしにとって沢木瑠璃は大切な人」


 大切な人、沢木瑠璃。


「それは絶対変わんないから」


 そう、それだけは変わらない。



(……見つけたよ、瑠璃)



 あたしは大好きだった彼女に歩み寄り、そして大切だった彼女の前で少し屈む。


「うん……あたしの中のあんた、ようやく見つけたよ。今までありがとね、瑠璃」


 そして今でも大好きで大切な彼女の頭を、そっとそっと抱きしめた。


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