45.[1年夏/第二戦] 相反する感情の両立
彼の視線があたしに向けられる。
姫野先生といい橘さんといい、目の前の灰色といい、科学部ってどうしてこうも妙な迫力を持ってるんだろう。
弱々しい村松くんの視線とは対照的で、睨むような射抜くような、責めるような哀れむような複雑な視線。
それは死神のあだ名に相応しい位、寒気がするような迫力。
ただ、そんな境遇に置かれる理由が分からない。
「あたしは何であんたに睨まれてるわけよ」
そんなあたしの疑問に、灰色はゆっくり目を瞑ると大きく溜め息をついた。
「あんたはいつも、俺達の予想をはるかに上回る規模でぶっ飛んでるよな」
予想? ぶっ飛んでる?
「何よそれ……そんな理由で睨まれてたってわけ?」
ただでさえどん底に居るところにこんな訳の分からない話を持ってこられて。
「あんたの予想なんて知ったこっちゃないわよ!」
苛立ちを隠しきれなくなってきたあたしに、灰色は悪戯っぽく笑って見せた。
「まぁそう言うなよ。珍しくお嬢と一致した予想なんだぜ?」
あたしが考えてることなんてお見通しと言わんばかりの笑顔。
「だからそんなの……って」
そして反抗心を一気に削がれる。
「お嬢様と予想が一致?」
「ああ、お嬢も同じ考えだった」
灰色した予想ってどういうものなのか気になる。
だけどそれ以上に気になったのは、瑠璃と似たような立場にあるお嬢様の予想。
彼女がどんな予想をあたしたちに対して抱いているのか、知りたい。
過去の冷静な灰色分析、そして瑠璃に限りなく近い立場のお嬢様が抱く予想。
その二つが合致しているなら、知りたくないと思うほうが無理だ。
灰色が口にする次の句を聞き取るべく、あたしは息を呑んでそれを待つ。
あたしのそんな様子を見た灰色は、村松くんの背中を軽く叩きながら続けた。
「俺もお嬢も、あんた達なら昼までには立ち直ってるだろって考えてたんだがな。けど立ち直ったのは一太だけだった」
そうだ、
結局朝から状況は好転しちゃいない。
なのに灰色の一言でなぜか安堵が広がり始める。
少しだけ光が差したようにすら思える。
それはきっと、純粋な被害者である村松くんが立ち直ってくれてるって、彼の友人である灰色からお墨付きをもらえたからなんだろう。
「……すまん弓削」
だったらこの村松くんの力ない声は一体どういうことなのか。
とても立ち直ってるようには聞こえない。
「……戦姫といい、あっちの女子といい、このまま続けて大丈夫なのか?」
それでも灰色はやはり、あたしや瑠璃の方が村松くんより深刻な状態だと言い切る。
だけど。
優しいながらもストレートな疑問と、弱音を吐けと告げるかのようなその視線に、あたしは大丈夫と言えなくなってる。
俯く瑠璃とそれを睨みつけるお嬢様、その二人を除いた関係者全ての視線があたしに注がれるのが分かる。
名前の分からない5組女子や引率の2人も、事情を知らないはずなのに何故かあたしを見つめる。
なのだから当事者である村松くんが、小さく息を飲みあたしの顔を凝視するのは痛いくらいに分かる。
「高坂様」
気付けば最後の1人、最も部外者でありながら核心を知る彼女があたしに問いかけてきた。
事情をはっきりとは掴んでいない灰色が冷静に分析してくるのも辛いけど、何もかもを知ってそうな今宮さんに心配されるのはもっと辛い。
灰色になら隠し事をしても、当てられるまでの猶予時間がある。
「顔色がよろしくないようにお見受けいたしますが」
「そう……ですか」
だけど今宮さん相手だとその時間すらもらえそうになくて、あたしは曖昧に返事をするしかなかった。
灰色の死神と場違いなメイドさんが、あたしに弱音を吐けと言ってくる。
でもあたしが弱音を吐けば、うちのクラスの対抗戦はここで終わってしまう。
心配そうに見つめるお嬢様や今宮さん、一切あたしと目をあわせようとしない瑠璃。
そして瑠璃とあたしをじっと見つめる樹里先輩に、南川先生だってそうだ。
(心配なんて掛けてちゃいけない)
だから心に残るなけなしの元気を決意に変えて、心配性な二人にあたしらしくアピールするのが今考えられる中で最も正しい方法だ。
「大丈夫よ」
でも無理に笑顔を作って口にした言葉には、自分でも驚くほどに、あたしらしさの欠片もなかった。
(もっと頑張らなきゃ)
あたしは知らないうちに瑠璃を傷つけて。
「とてもそうは感じられねーな」
そして今こうやって多くの人に心配を掛けて。
「大丈夫だってば」
さっきよりもっと無理をして、何とか顔に笑顔を。
あたしは何も心配要らないよ。
それを必死に伝えてみせる。
だけど何度決心しても……。
「大丈夫じゃないんだろ?」
固めた気持ちをすぐさま灰色に塗り替えられる。
「無理……してんじゃねぇか?」
更には言葉であたしを誘惑する。
笑顔を作ることも出来なくなったあたしに残されたのは、
「もう……ダメかも」
灰色の誘惑に……降参するしかなかった。
そんなあたしに、誰一人として驚くことは無い。
瑠璃が反応を示さないのは……寂しいけれど元からだ。
村松くんは肩の荷が下りたかのように、少し険しかった表情が解れていだ。
樹里先輩や南川先生は小さく溜め息をついてた。けど咎めるようなことはなかった。
誘導した灰色はあたしが諦める事も予想済みで、そして灰色と同じくらい侮れない人もまたあたしの限界を感じ取ってくれていた。
「もうダメか。そりゃそうだろ」
「ですが、それでよろしいのではございませんか?」
「……だな」
田中家の優秀なメイドさん、そして底の知れない死神に、あたしは隠し事なんてきっと出来ないんだと思う。
哀れむような2人の視線があたしには辛い。
だから二人を直視できなくて、あたしは俯くしかなかった。
「ああ、ったく」
と、突然体が引っ張られる。
顔を上げれば灰色はもう既に背中を向けどこかへ歩き出していて、
「村松様、沢木様、今しばらく高坂様をお借りいたします」
あたしを引っ張りあげたのは今宮さんだった。
今宮さんはあたしの腕を驚くほどの力で引っ張りながら灰色の後を追っていた。
あたしと灰色、クラスから1人ずつ居なくなった1組と5組は共にJR奈良駅で足止めを食らってる。
場の微妙な空気からか、遠目から見て会話らしい会話をしているようにも見えない。
夏の日差しは正午を過ぎ、いよいよその威力を高める。
それがあたしと灰色と今宮さんを、そして少し離れたところにいる村松くんや瑠璃たちを襲う。
(みんな、日陰に入ればいいのに……)
今宮さんに腕を引っ張られながら後ろを振り返ったあたしは、なぜかそんな事を考えていた。
あたしはただ身を任せるだけの抜け殻になりはてた。
「しっかし、暑ぃな……」
丁度日陰になってるところにあったベンチにあたしを座らせた灰色は、鞄から濃いブルーのタオルを取り出すとそれを自分の頭の上に乗せた。
一方あたしと一緒にベンチに座る今宮さんは、あたしの腕を捉えたまま。
「美空や仙里と違い、確かに日差しに厳しさを感じます」
言葉とは裏腹に汗もかかず涼しそうな顔の今宮さん。
あたしを掴むその手は、だけど少しだけ熱を帯びている。
でも何故かこの炎天下の中だというのに、今宮さんから伝わる熱さに心が安らいだ。
それがこの身を襲う寒気のせいだと気付くのに時間は掛からなかった。
「んで、1組の通夜の原因、大方あの沢木って女子が落ち込んでるからなんだろ?」
振り返った灰色が核心に触れはじめる。
「……うん。村松くんはさっきまで全然空回りだったし、瑠璃に至ってはもうボロボロ。元気なのはあたしだけよ」
「いや、一番はあんただろ」
そっか……瑠璃よりあたしのほうがボロボロなんだ……。
「でも、あたしがボロボロなのは自業自得だから」
もっと上手く付き合えた。
もっと上手く振舞えた。
もっと上手く距離を取れた……はずなのに。
「自業自得、でございますか?」
気付けばあたしのせいで瑠璃はあんなだし、村松くんはそんなあたし達に巻き込まれて。
「あたしが居なけりゃ瑠璃はあんな風にならなかった、だから」
そう答えると灰色は首を傾げながら、遠くの瑠璃と目の前に居るあたしを見比べる。
「俺が一太から聞いた話とは随分違うんだが。春開催で戦姫に助けられて以来、沢木って子はあんたにベタ惚れ、って聞いたぜ?」
べた惚れ……か。
確かに昔はそうだったかもしれない。
「けど、きっと今は違う。むしろ恨まれてるよ」
たった数ヶ月前の出来事が懐かしくて、あの頃に帰りたくて、あたしは俯いてしまう。
腕にあった掴まれてる感触がなくなった。
と同時に今度は膝においていた手に今宮さんの手が添えられる。
「わたくしは沢木様の胸のうちまでは存じ上げません。ですがあのお姿……むしろ」
俯くあたしに言い聞かせるように、だけど独り言のようにメイドさんは言いかけて、止めた。
その次の言葉が気になって、あたしは思わず顔を上げた。
そして灰色と目が合う。
「悩んでんじゃねーのか? あの子はあの子で」
更に続けて灰色が呟いた。
その一言にあたしは灰色を凝視する。
何故だか分からないけれど、灰色が得意げな顔をしていた。
「瑠璃が……悩んでる?」
その不思議な表情に見とれていると、今度は今宮さんが答えてくれる。
「自らを攻撃する相手を、避けること。自らが好んで止まない相手を、構うこと」
「誰かに近づこうとすること。でもやっぱ近づきたくねえって思うこと」
二人はあたしに言い聞かせる。
「相反するように思われる2つの感情ですが、時として両立する事もございます」
そして今宮さんは優しく微笑みながら言った。
何だろう……難しくてよく分かんない。
だけど、だけどすごく大事な事を聞いてる気がする。
「『高坂弥生という女性が居なければ』という感情は、今の沢木様なら、あってもおかしくはありません」
今宮さんのその言葉が胸に突き刺さる。
でも今宮さんだからこそ不思議な温かみを持ってて、
「だけどあの子は戦姫との縁を切れはしない」
そして死神なんて呼ばれてる灰色の言葉にも、あたしを責めるような鋭さは感じられなくて……。
「ねえ灰色……それって」
「でなけりゃあんな顔しねぇよ。嫌いならもっと露骨に表情に出るだろ普通。大体それはあんたが一番よく知ってんじゃねぇのか?」
「じゃあ瑠璃は、あたしを恨みながら、だけどまだ……」
「今までの関係を壊したくない。きっとそう思ってらっしゃいます」
嘘だ……そんなの信じられない。
瑠璃がそんな事考えてるなんて。
「高坂様が今思われている沢木様への感情は、沢木様にも必ず存在いたします」
あたしは瑠璃のこと、大好きだよ。
だったら瑠璃もあたしの事を大好きで居てくれる、そういうことなの……?
「んで、あれだけ心配してる一太と、一太を温存してるあんたの間にゃ信頼関係が成立してる」
それは理解してるよ、村松くんには心配かけっぱなし。
なのに彼は絶対にあたしを見捨てない。
加害者であるはずのあたしが断言できるくらいに。
「弓削様が仰ることをふまえるのなら、村松様と沢木様にも同じような関係が成立いたします」
「……え?」
「一太の言うことがホントなら、だけどな」
それって……。
「ど、どういうことよ!?」
「高坂様、それが葛藤というものなのです」
今宮さんの言葉に大きく頷いた灰色は、実に清々しい笑顔で言った。
「一太もあの子も、あんたの護り手なんだろ?」
困ったように頭をかきむしりながら、でもそれを心底楽しんだような表情の灰色は、
「まぁ科学部のよしみだ。セレスにばっか良い格好させるのも癪だしな」
「へ?」
「楓さん、あとはよろしく」
いつの間にか立ちあがっていた今宮さんへ言う。
「かしこまりました」
今宮さんは今宮さんで、一切無駄のない動きで踵を返しお嬢様のほうへと歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 何はじめようってんのよ」
呼び止めたあたしへ振り返る今宮さんは、とても優しい顔だった。
「高坂様、今しばらく事態をご静観くださいませ」
そして再び歩みだした今宮さんの背中を見つめながら、
「しばらく休んでろ」
灰色はあたしの頭に手を置くと力を込めて押し込んできた。
意外に強いその力のせいであたしはベンチから立ち上がる事も出来ず、お嬢様の元へと向かう今宮さんをただ見送るしかなくなった。
あたしと同じくメイドの背中を眼で追ってた灰色が言う。
「そろそろ他人に押し付けちまえって。あんたばっか頑張る必要なんかねえよ」
突然の優しさに胸の中で燻っていた泣き出したい感情が、押し出されるかのように喉の奥から上がってくる。
「一太もあの女子も、自分は戦姫の護り手なんだって自分で言ったんだ」
あたしの頭に置いた彼の手からゆっくりと力が抜けていく。
「なら、護り手としてのあいつらの顛末を、あんたはただ見守っりゃいいんだよ。どっちに転ぼうとも、な」
そして優しい手があたしの頭を小さく掻き撫でた。
1分も立たないうちに今宮さんが戻ってくる。
「弓削様、高坂様、お待たせいたしました。では皆様と合流いたしましょう」
そしてあたしと灰色をみんなの元に連れ帰る。
そこでは既に、困惑する村松くんや樹里先輩を余所に事が始まっていた。
「貴女、戦姫の護り手などと自称する割には、随分と打たれ弱い方ですのね」
いやに挑発的な言葉が耳に入る。
朦朧とした表情で見つながら、それを受け止める瑠璃。
そんな瑠璃を見た瞬間、あたしの胸が締め付けられて息の仕方も忘れそうになる。
だから思わず目を背ける。
お嬢様と瑠璃。
二人を直視できないあたしの頭には、だけど二人の姿が離れない。
お嬢様。
彼女のそれは立ち直るってのとはまた違うのかもしれない。
だけど昨夜肩を抱かれながらロビーを後にしたお嬢様ではないのだけは確かだ。
だからこそ、立ち直った田中陽子の口から飛び出す一言一言に、瑠璃への敵意や侮蔑が感じられる。
昨日の彼女ではない田中陽子が、睨むように瑠璃をじっと見つめる。
そして、おもむろに口を開いて……、
「高坂さんや村松さん以上に重症に見えましてよ?」
誰が見ても重症な瑠璃を揶揄する。
「これほどの重症ですもの。何でしたら田中家掛かりつけの医師でもお呼してさしあげましてよ?」
鋭い目線で責めるようなお嬢様は、重症だと判っていて尚言葉でじわじわと責め続ける。
「何を言ってもだんまり……ですこと? 興も醒めますわね」
それでも、同じような立場にあるはずの瑠璃は、お嬢様の挑発に近い行動に全く反応を示さない。
「確かに衝撃は大きかったと思いますわ。わたくしもそうでしたもの」
今宮さんに支えられながら部屋に戻っていった昨日のお嬢様の姿。
お嬢様に言葉で責められながら、生気の感じられないような目の瑠璃。
似たような立場にあるはずの対照的な二人のはずなのに。
対極の状態にある二人があたしを気落ちさせていく。
あたしが居なければこんな事にならなかったんじゃないかって、そう思うと。
「あたしなんて……いなきゃよかったのよ」
小さく、あたしは呟いていた。
と、突然あたしの視界が真っ青になる。
そうじゃない、何かがあたしの頭に被せられて視界が遮られたんだ。
灰色の持っていたタオル。
「顔、隠しとけよ。汗臭いだろうけど我慢してくれ」
上からすっぽり包まれたあたしの頭に、タオル越しに再び灰色のだろう手が添えられる。
「悪けどもう少しだけ言わせてやってくれ、お嬢も溜まってんだ」
そして今度は小さくポンポンと頭を叩く。
嫌な考えや悲しい気持ちを、その衝撃が追い出してくれる。
「……うん」
だけどあたしの中で巻き起こる負の連鎖が留まることはなかった。
涙は出ない、出ないけれど顔は見せたくない。
そんなあたしの葛藤を灰色が察してくれる。
何も出来ないあたしには、灰色の気遣いが……ただただありがたかった。