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43.[1年夏/第二戦] 一瞬の油断

「で、高坂、どこに行くんだ」

「猿沢池に戻って、近鉄奈良駅から来た道を道なりに奥へ進めば一の鳥居に着くらしいので、春日大社へ向かいます」


 時刻は10時。


 3つ目の目的地となる春日大社へは、メモによると近鉄奈良駅から徒歩で20分ちょっと。

 つまり駅から近かった猿沢池からも、ほぼそれくらい掛かることになる。

 でも一の鳥居までの距離は随分と短く記載されていた。


 腑に落ちないながらも、あたし達は元興寺から元来た道を猿沢池まで引き返し、そして今度は近鉄奈良駅から猿沢池へと来た道の更に奥へと足を進めた。


 緑に囲まれた道を進んでいくと、程なくして道は結構な通行料のある車道と交差する。

 そしてその車道に面し、奥の緑を守るように凛と立つ鳥居が姿を現した。


 時間にしておよそ5分。

 猿沢池からたった5分で鳥居を見つけてしまったあたし達。


 だけど猿沢池と同じで、今ひとつ実感が湧かない。

「鳥居はあるが春日大社らしきものは見当たらないぞ」

 そう村松くんが言うように鳥居しかなかったのだ。


 春日大社の一の鳥居って言うくらいなんだから、近くに神社らしいものがあってもいいはずなのに。

「だね。でもメモにはここが一の鳥居って書いてるんだけどなぁ……」

 写真を撮ってる観光客らしき人もいるし、資料のカラーコピーにも鳥居しか写ってない。

 だから多分ここなんだろう、けど今ひとつ自信がない。


 そんな不安を吹き飛ばしたのは、ようやく彼らしい活躍を見せはじめた村松くん。

「おい高坂、この交差点の名前、『一の鳥居前』らしいぞ」

「へ?」

 指差す村松くんが告げたように、交差点の信号には確かに『一の鳥居前』と書かれていた。

 そして信号を渡り改めて鳥居の近くまで寄ると、傍らに立て札があり、そこにもしっかりと一の鳥居と書いてある。


「で、一の鳥居はこれで良いのか?」

「はい、そうみたいです」

 デジカメのレンズ越しに鳥居を見上げる南川先生は、予想以上に生き生きとしていた。

 カメラを取り上げるのも躊躇われるほど。

 だけどそうもいかない。

「ここで写真撮りますので先生、カメラを」

 貸してください、と言い切る前に先生は暴走する。

「ああ、なら高坂はそこに立て。そして写真は村松、お前が撮れ」

 生き生きとした南川先生を止められる人は、最早誰も居なかった。


 早くも恒例になりつつある、この記念撮影、兼、目的地撮影。

 そして同じく恒例になった、カメラを構えた人が顔をしかめるその姿。


 写真を撮ろうとした村松くんは……やっぱりと言うか、想像通りやけに躊躇った。

 大きく息を吸いレンズを覗いては、シャッターを切る前にレンズから目を離し、そして深く呼吸を繰り返す。

「これ……キツイぞ」

 何がキツイのかは分からないんだけど、ただ、村松くんが冗談抜きでキツそうにしてるのは分かった。


 そして村松くんの顔色は、写真を撮っただけで一気に悪くなっていた。


 撮り終わった村松くんはあたしをじっと見ながら言う。

「高坂……すまん」

 樹里先輩に続き、村松くんまでがほぼ同じ内容を口にする理由。


 あたしには分かんなかった。


 ただ、謝らなきゃいけないのはあたしなんじゃないかって、何故かそう思った。



 3箇所目、春日大社一の鳥居の撮影を終えたあたし達は次の目的地を探す。


 4箇所目をメモから検討するあたしと村松くんに、南川先生がカメラを覗きながら問いかけてきた。

「ちなみに高坂、春日大社はどこにあるんだ?」

 確かに鳥居を見てしまった以上、春日大社も気になる。

「この奥の参堂を歩いて……途中の道を左に曲がれば東大寺に着くそうですけど、そのまま真っ直ぐ行けば春日大社に着くみたいですね」

 だけどそこには今回、用はない。

「残念だ、機会があれば一度は境内を拝んでおきたかったが」

 南川先生って神社仏閣マニアなんだろうか?

「大好きな観光は今度にしてください」

 村松くんに突っ込まれるほどだから、先生の執着はちょっと目を引いている。

「ああ、仕方あるまい。お前達に必要なのは観光ではなく写真を撮る事だからな」

「そうですよ先生」

 そしてあたしも村松くんに続いて先生をたしなめた。


 そんなあたしを見て、南川先生は意味深な笑みを見せ、

「今回は高坂の写真で我慢しておくとするよ」

 教育委員会が聞いてたら卒倒ものの台詞を口にしたのだ。


 無気力かと思えば、妙に張り切ったり。

 やたらとお寺や神社に興味を持ってたり。

 そして興味の対象はあたしだと堂々と口にする。

 そんな南川先生がよく分からない人なのは、第一戦から変わってない。

 ただ……「高坂の写真で我慢しておく」って台詞の割には、先生の言葉が嫌らしく聞こえなかった。


 不思議だった。



 鳥居を潜り、左右を緑に挟まれながらあたし達は道を更に奥へと進む。

 4箇所目の目的地である東大寺は、鳥居を潜ったこの道の途中で交わるバス路線を、今度は左に進めばいいらしい。


 現在10時20分。


 第二戦開始からまだ1時間半も経ってないってのに、既に4箇所目に向かうことになるなんて。

 最悪のコンディションにしては上出来ですらある。

 こんなの予想すらしてなかった。

 まぁあたし達が奮闘してると言うよりは、ごく至近距離に重要文化財が密集しているのが原因だろう。

 そっちの方が予想外。


 奈良って奥が深い、恐るべし奈良。


 そして先頭を歩く南川先生の更にその先を、あたし達と同じ方向に歩いていく彼ら。

「うおっ!」

 村松くんが驚くのも無理はないわ、あたしも内心びくびくしてるもの。

「し、鹿だぞ……」

「野放しなんだ……ちょっと怖いかも」

 ここに来てやたらと見かける鹿もまた、あたし達には予想外の存在だった。

「奈良は鹿でも有名だからな」

 何食わぬ顔でそう説明する南川先生。


「高坂、そのメモは早くしまえ。油断しているととんでもない事になる」

「え? は、はぁ……」

 今ひとつ納得していないあたしに、今度は樹里先輩が発破をかけてくる。

「高坂さん早くしまいなさい。あなたのそれ、向こうにいる鹿がじっと見てるわ」

 言われた方向には鹿がトリオでつっ立って、あたしをじっと見つめてた。

 そしてあたしが慌ててメモを折りたたみ、村松くんのデイバッグに突っ込んだら、

「……諦めたんだな……向こう行ったみたいだぞ」

 まさに獲物を失ったかのように立ち去っていった。

「油断も隙もありゃしないわね……」


「ああ、やつら鹿は紙なら何でも食べるからな」

「えっ?」

 南川先生がお寺に続き今度は鹿の解説を始める。

「お前が持っているルーズリーフだろうが、観光用のパンフレットだろうが」

 そしてここでややタメを作った南川先生は、

「……土産屋に支払おうと取り出した紙幣だろうが、な」

 思い出したくも無かった過去の出来事を苦々しく語るかのように、重い声で言った。


(先生……昔そんなことがあったんだね……)


 鹿って奥が深い、恐るべし鹿。


 慌てて財布を確認する村松くんや、思わず身体を振るわせた樹里先輩が印象的だった。



 4箇所目の目的地、東大寺は一の鳥居から15分ほど歩いたところにあった。

 あたし達5人は、恐らく東大寺の敷地内なんだろう場所で一旦足を止める。


 時刻は10時35分。


「観光客が一気に増えたな」

 南川先生はカメラから目を離し、辺りのご年配の集団が作る人垣を見渡していた。

「何気に鹿も増えているような気がするぞ……」

 村松くんは背負っていたデイバッグを身体の前で抱えるようしながら、何故か鹿に怯えてる。

 樹里先輩も瑠璃や先輩に近づいてくる鹿に困惑していた。

「観光客目当てなんじゃないかしら……」


 なるほど。

 だったら村松くんみたいに鞄抱えてびくびくしてると田舎者丸出しで余計に狙われるじゃん。

 まぁ多分一番田舎者なのはあたしなんだろうけど。


 ただ樹里先輩が心配するように、今日一番危なそうなのはあたしじゃなくて、

「瑠璃、しっかりしなさい。ボーっとしてると鹿に襲われるわよ?」

 心ここにあらずな瑠璃だろう。

 手をしっかり握りながら妹を気遣う樹里先輩の姿は、見ていて痛々しいくらいだった。

 でも肝心の妹からの返事は、やっぱり無い。


 時間が経つにつれ顔色を悪くしていく瑠璃と、どんどん息苦しくなるあたし。

 僅かながらに普段の斬れを取り戻しつつある村松くんには悪いけれど、そろそろ1組は限界なのかもしれない。

「おい高坂、朱雀門みたいなのがあるぞ。あれが南大門か?」

 そして村松くんがやる気になればなるほど、あたしと瑠璃の普段が失われていくようで。


「だと思う。けどまだ分かんないね」


 目の前の南大門らしき建造物は、村松くんが言うとおり朱雀門を髣髴とさせる。

 そして昨日その前で騒ぎ立てた記憶までもが呼び戻される。

 あたしはもう何を聞いてもネガティブなことしか考えられなくなっていた……。


「南大門には金剛力士像があると聞くが、行って確認すれば分かるのではないか?」

「南川先生、あまりヒントを与えないで下さい!」

 相変わらず口の軽い南川先生と、責任感の強い樹里先輩。

「ああすまん。だが、歴史に触れる機会を対抗戦などで潰してしまうのが少々癪でな」

「それは……分かる気がしますけど」

 だけど一部意見が一致する部分があるみたい。


 そんなやり取りに痺れを切らしたのか、

「高坂、ちゃんと確認しに行くぞ!」

 村松くんはあたしの手を取り、引っ張るようにして南大門らしき方へと駆け出した。

「ちょ、ちょっと待ってってば!」

 あたしは不意をつかれ、つんのめりながらも何とか村松くんの牽引に負けないよう足を出した。


 そして気付く。

(油断した……)

 背後から突き刺さってくる強烈な視線に。

(だよね……ごめん)

 引っ張られながらも振り返ると、一瞬見えた瑠璃の顔は寒気がするほどに顰められていた。

(あたしも無防備だった……)

 そして瑠璃の目は、まさに零夜のお母さんのそれだった。

(ごめん……瑠璃)


 もう、景色も何も、見えなかった。



 想像以上に厚みのある門を通り抜けるその最中、左右には力強く大きな木像が1体ずつ、まるで番人のように門の内部にそびえたっていた。

 間違いなく金剛力士像。

「仁王様のイメージどおりだな……ここまでくると逆に感嘆だぞ」

 村松くんの言うとおり、仁王様、って感じがする。

「うん。迫力満点……だね」


 でもそれ以上の感情がもう湧いてこない。

 相変わらず横からは瑠璃だろう視線を感じる。


「村松、そろそろ」

 ようやくあたし達に追いついたらしい南川先生は、少し息を切らしながらこちらにカメラを見せる。

「あ、南川先生。ここが南大門で間違いないみたいなので写真を」

 そして先生からカメラを受け取ろうとした村松くんは、気付いていない。

 あたしも南川先生の視線を感じてようやく気付いたくらいだった。


「いや村松、それは分かっているが、いつまで手を繋いでいるんだ?」


「あっ! わ、悪い高坂っ!」

 慌てて手を離す村松くんはちょっと顔を赤くしていた、

「あたしも、ごめん」


 瑠璃の突き刺さる視線の理由はこれだったはずなのに。

 それに気付いていたはずなのに。


「……謝んなくて良いよ、あたしも気付かなかったし。ごめん……」


 一番気をつけなきゃいけないはずだったのに。

 ずっと繋ぎっぱなしだった事にすらもう気付くことが出来なくなっていた自分に、嫌気が差した。


 そしてもう瑠璃の顔を見るのすら怖くなって、あたしは俯くしかなかった。


 だけどあたしの行動は、何も知らない村松くんを心配させてしまう。

「……高坂? お前大丈夫か?」

 そして村松くんがあたしにその優しさを向ければ向けるほど、視線を感じ息苦しくなる。



 そんなあたし達を見てか、まるで話を打ち切るかのように言った南川先生。

「高坂」

 深く追求しないように見えて、かなりの部分を把握してそうにすら思える。

 だから出来るだけ表情を穏やかにするように頑張りながら、あたしも南川先生の計らいに乗った。

 そしてその先の言葉はもう分かってる。

「……どこに立てば良いんですか?」

 何とか気力を振り絞って言ったこの一言に、先生はちょっと意外そうな顔をしていた。


 南川先生はあたしに南大門の近くに立たせた。

 恒例になりつつある目的地撮影と言う名のあたしの撮影会。

 今回のカメラマンは……瑠璃だった。


 今までの3箇所で見せたそれぞれのカメラマンと同じく、やっぱり瑠璃も躊躇った。

 カメラを構えては顔を顰め、溜め息を付いてはカメラ越しに再びあたしを見つめる瑠璃。

 そして1人捨て置かれたあたしの周りを鹿がうろうろし始める。

「は、早く撮って! このままじゃあたし鹿に襲われるから!」

 いくら神聖な動物だって、こんな間近に迫られちゃ怖いもんは怖い。

 だけどそれ以上に……。


「大人しくしていれば襲われることもないだろう。だが沢木妹も早く撮ってやれ」

 南川先生も何だかんだ言ってやっぱり教師なんだなぁ、って思う。

 あたしが早くしてほしいって叫んでる理由が、鹿に襲われそうだから、ってだけじゃないのも気付いてるんじゃないだろうか。

 だって鹿よりももっと怖いのは……。


 カメラ越しとは言え、瑠璃から感じる視線があたしには苦痛だった。

 そして顔色がどんどんと土気色になっていく瑠璃の変化が怖かった。


 5分ほど膠着状態が続いたろうか。

 ようやくシャッター音が聞こえた頃には、あたしも瑠璃も汗だく。

 瑠璃……多分シャッターを切る時、目を瞑ってた。


(あたしを見ることがそんなに苦痛なんだ……)


 そしてそんな瑠璃の苦しむ姿を見るのが、あたしには苦痛で。

 暑さのせいでかいたわけじゃない汗が、背中を伝っていくのが分かる。


 その理由がそっくりそのまま瑠璃にも当て嵌まるのなら、もう対抗戦なんてやめたほうがいい……。


 カメラを南川先生に返す瑠璃は、もう虫の息と言っていいほどで、樹里先輩に支えられていた。

 そんな瑠璃が俯き加減で小さく口を動かす。


 樹里先輩や村松くんがそうだったからだろうか。


 読唇術なんて出来ないけど、あたしにはその動きが、

「ごめん……なさい」

 そう言っているように、見えた。


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