41.[1年夏/第二戦] 五里霧中
「聞き込みするんやったら素直に駅員さんにしときーね」
「そうやないんやったら地元の人狙うなら若い人の方がええよ。お年寄はやめときーね」
橘さんの妙なアドバイス。
そしてあっという間に居なくなった6組。
唖然とするあたし達は、しばし声を失いお互いの顔を見合う。
そんな中、真っ先に声を取り戻したのは意外にもあたしだった。
「ねぇ灰色。あれってどういう意味だったのさ、分析して見せてよ」
「分析って……まぁお嬢も分かってんだろ?」
少し表情を和らげ、灰色はお嬢様に問いかけた。
「恐らくでございますが、ここに来られる多くの方々は、わたくし達のように観光客なのですわ」
なるほどね。
まぁそーだよねぇ、確かに奈良は観光地だし。
お嬢様は多少探りながらの発言を続け、灰色に成否を問うように言った。
「ですからそういった方に伺っても時間が勿体無い。そういうことでございますわ」
「ああ、時期が時期だ、仕方ねぇな。出来るだけ地元のやつをとっ捕まえるべきだぜ」
そっか、だから若い人の方が良いのね。
夏休みにお寺巡りする若者なんて居ない、とは言わないけど少ないだろうし。
だけど1人納得出来なかったのか、村松くんは神妙な面持ちだった。
「でも地元ってどうやって判断するんだ?」
「だからそれが若……」
あたしは言いかけて村松くんの異変に気付く。
そもそもあたしより先に納得してて良さそうな村松くん。
なのに亜麻色のアドバイスの真意に気付いてないってわけ?
(これ、重症かも……)
信じられなくて村松くんの顔を見つめるあたしは、多分お嬢様と同じ顔をしていたんだろうと思う。
「な、なんだよ高坂に田中さん……」
あたしとお嬢様の視線に晒された村松くんは、未だに気付いてない。
とんでもなく精彩を欠いていることに。
「村松くん、あんた……」
そんな村松くんをフォローするかように、灰色は分析を続ける。
「ジャージの若者とか、娯楽施設みたいな明らかに観光施設じゃねーところにいる人は地元のやつだろ」
灰色の気持ちを汲んで、あたしとお嬢様もそれに続いた。
「お年を召した方は避けた方が無難ですわ」
「……そだね。乗り物乗る時に定期使ってる人もそうだよね」
「なるほど……」
そう納得する今日の村松くんは、言っちゃ悪いけど頼りになりそうにないわ。
っていうかあんまり仕事を押し付けたくない。
ある意味あたしや瑠璃は現状に責任みたいなものがある。
だけど村松くんには一切ない、彼は純粋な被害者なんだから。
それ以上に、ただでさえ完全停止したメンバーがうちのクラスに1人いる。
だから唯一のブレーンとなりうる村松くんには、ここぞと言うとき以外出来るだけ休んでてもらいたい。
「流石『亜麻色のそよ風』だ。言うこと言ったらあっという間にどっか行きやがったぜ」
「それを瞬時に分析したお前たちも、かなり凄いと思うぞ……」
1人感心している村松くんを苦々しい表情でお嬢様は見つめた後、あたし達から逃げるように言う。
「匠さん、時間が惜しいですわ。参りましょう今宮」
「ああ」
「では高坂さん、村松さん、ごきげんよう」
名前も知らないもう1人の5組女子を従えるように、いつもの如く颯爽とお嬢様は去っていった。
「なぁ高坂さん」
だけど弓削くんはその場に止まっている。
そして複雑な表情をしながらあたしをじっと睨んでいた。
その目は何もかもを見透かしているようで、だけど何とかしてくれるんじゃないかって思わせる、不思議な目だった。
「理由は聞かねえが……」
やっぱり、こいつ全部見透かしてる。
どこでどう知ったのかは分かんないけど、数少ない情報からでもこいつなら全て把握してそう。
「今の1組はかなりキテるように、俺には見えるぜ?」
「助言ありがと。あんたの手に掛かるとそんなことまで分析されちゃうわけね」
第一戦のときもそうだったっけ……。
「まぁ……無理すんなよ」
たったそれだけの言葉に、あたしは折れそうになる。
ここで止めてしまいたい。
「1組は第二戦を放棄します」って、そう言いたいくらい……。
そんなあたしの頭を、灰色はいつかみたいに軽くポンと叩いて、
「まぁ、半端な事してると姫野先生に絞られるぜ? じゃあな」
笑いながら言った後、お嬢様の後を追うようにこの場から走り去っていった。
お嬢様は立ち直っているってのに瑠璃未だに消沈。
村松くんは精彩を欠いてるし。
2人の異変は傍から見ても明らかで、南川先生と弓削くんも察するくらい。
事態はかなり深刻かもしれない。
「よし、高坂! どうする!?」
気合が少しだけ入ったように見える村松くんのそれすら、あたしには空回りにしか思えない。
(どうすりゃいいのよ……)
とにかく聞き込みしかない。
「南川先生、付いてきてください!」
「あ、ああ」
動き回るのはあたしの役。
「村松くんは樹里先輩から見える範囲で案内板か何か探してきて! 観光案内がベストよ!」
「わ、分かった!」
村松くんにはその分近くで何か手がかりを見つけてもらわなきゃ。
そして瑠璃は……樹里先輩の近くに置いておこう。
出来れば村松くんが動き回る姿を見て、立ち直ってもらいたい。
「……いいわ瑠璃。あんたはもう少し休んでな」
多分少なくとも今日一日は、この状態なんだろう。
俯いたまま何一つ反応を返してこない瑠璃は、昨日の薄紫の鞄以上にあたし達の行動を制限する足枷。
それに瑠璃自身が気付けないなら、あたし達は負ける。
もう勝ち負けなんてどうでも良いのかもしれない。
あれほど生き生きとしていた瑠璃が嘘のように、一切の活動を止めるだなんて。
こんな瑠璃、見たくない。
こんな瑠璃にしたあたしを、あたしが許せそうにない。
ただ、一縷の望みに掛けたい気持ちは、昨日の夜から変わってないから。
「楽になったらいずれ動いてもらうからね。その時はきっちり借りを返してもらうわよ?」
あたしは茶化すように声を掛け、南川先生に目線を送った。
そして頷いた先生と共に、聞き込みに向かうべくその場を後にした。
でも分かってる。
言葉こそ前向きなそれを瑠璃に言ったけど。
返事を聞く必要なんて無い。
だって返してもらう機会なんて、瑠璃がいつもの瑠璃を取り戻す機会なんて、訪れそうにないもの。
あたしが知ってる昨日までの沢木瑠璃は、もうそこ居ないのかもしれない。
あたしは聞き込み、村松くんは周辺の案内板を調査。
そして瑠璃は……とにかく樹里先輩に見ててもらうしかない。
今のあたし達にはこれがベストなんだって思う。
でもあたしと一緒に近鉄奈良駅地下構内を走る南川先生は、この役割分担に納得していなかった。
「高坂、言っちゃ何だが」
そう言って立ち止まった先生は、役割分担じゃなくてもっと違うことに納得してないんだと思う。
「先生の言いたいことなら分かってます」
だってずっと瑠璃と樹里先輩のほうを気にしてるから。
「今が夏開催じゃなきゃあたしだって放っておかない」
「そんなに対抗戦が大事か? お前なら友人を取ると思ったが」
「違います。解決する為には今を全力で頑張るしかないんです」
あたしの言葉に南川先生は意外そうな顔をしてた。
「瑠璃だって今はクラスの代表だから、個人を優先する瑠璃ならきっと瑠璃の思う瑠璃にはなれないから」
「良く分からんが……分かった高坂」
あたしも自分で言っててよく分かってないのかも。
「とにかくお前も無理はするな」
「あたしなら大丈夫です。頑丈に出来てますし」
「自分で自分の事を大丈夫と言う奴に限って、そうじゃないことが多い。とだけ言っておこう」
南川先生の心配の対象は瑠璃からあたしに変わったみたい。
「……ありがとうございます」
普段は無気力無関心を決め込む南川先生も、今日は凄く先生してるって思った。
構内に人影はそれほどないけど、東美空に比べれば多い方。
と、あたし達の目の前を制服姿の男女5〜6人が通り過ぎた。
とにかく聞かなきゃ話は始まらないんだから、手辺り次第に聞いていくだけよ。
「あ、あのっ! すいませんちょっと良いですか?」
あたしは目的地が書いてあるプリントを片手に、彼らにその場所を聞いた。
「それ貸してもろてええ?」
6人の団体さんの内の1人があたしからプリントを受け取り、そして団体さんの中で会議が始まる。
あたしと南川先生はほぼ放置。
「うぐいすの滝なんか聞いたことある? 俺知らんで?」
「あーそれ多分奥山やわ。春日大社の奥から歩いて1時間ってとこやったはず」
「遠いなぁ……せやけど法隆寺も結構遠いやんね、まぁ奥山よりよっぽど近いけど」
「法隆寺やったら行こと思たら1時間もあれば行けるやろ」
小さく輪を作りながら相談する団体さん達と、それをただ呆気に取られながらボーっと見つめるあたしと南川先生。
「近場やと大仏さんと猿沢池に春日大社ってとこやろか」
「元興寺もやろ、奈良町やし」
「ほなちょっとまとめよか」
何だかよく分かんないうちに団体さんは取り出したルーズリーフに何かを書いていった。
「唐招提寺はええねんけど、薬師寺の勝俣池ってどこにあるん?」
「あんた西ノ京とちゃうかったっけ?」
「多分大池のことや思うわ。薬師寺で池も一緒に写すんやったら、そこしか無いはずやし」
目的地の名前が出てくるんだけど、それ以外は地域の違いもあってかあたしには聞き取れなかった。
ものの10分ほど放置されたあたし達に、団体さんの女の子から声が掛かった。
「はい。お待たせさん」
そして手渡されたルーズリーフ2枚には、小さな文字がびっしりと……。
「うちらもあんま時間ないから詳しくは教えてあげられへんけど、その紙に知ってることほとんど書いといたから」
「あ、ありがとうございます!」
「何やよー分からへんけど、頑張りーやー?」
手を振りながら橘さんが上がっていった階段を登っていく団体さん。
あたしも力一杯両手を振り返し、感謝を伝える。
勿論受け取ったルーズリーフは南川先生に持っててもらった。
「高坂……」
その南川先生は、ルーズリーフに目を落としながら、唖然とした表情であたしを呼んだ。
「お前はどんな逆境でも必ず何とかする能力を持っているのか?」
そして訳の分からない事を言う。
「そんなのあったら今頃瑠璃が聞き込みしてます」
「だな……今のは聞かなかった事にしてくれ。だがあの団体に聞いたのは正解だ」
先生はあたしにルーズリーフの一枚を突きつけた。
「うわ……何この回遊プラン……」
そこには11箇所の目的地についての情報がびっしりと書かれていた。
最寄の駅、そこから徒歩での距離、目的地から直通で通ってるバス路線。
しかもここ近鉄奈良駅の周辺にあるらしい4つの目的地に関しては、手書きの地図まで付いている。
唯一記載されていないのは春日山原生林うぐいすの滝。
でも確かそこは片道1時間ほど掛かるって聞いたような……。
だったらまずは、
「猿沢池と興福寺五重塔、かな」
近場から潰していくに限るわ。
遠くなら移動中どうしても対抗戦以外のことを考えてしまうから。
次々に目的地を見つけた方が少しでも気が楽になるはず。
「先生、戻ります」
あたしは南川先生に短くそう告げると、瑠璃と樹里先輩の元へと駆け戻った。
一人付近で情報を探していた村松くんも、いくつかそれらしい案内板を見つけたらしい。
「あるにはあったんだが、頭に叩き込んで移動するには情報量が多すぎたぞ」
けど、結局あたしが貰ったルーズリーフの情報と似たり寄ったり。
「奈良公園の東大寺と春日大社、興福寺から潰していこう」
「うん。あとは元興寺もだね。最初は興福寺かなぁ」
「このカラーコピーを見る限りじゃ、興福寺じゃなく猿沢池が目的地と思った方が良さそうだな」
村松くんが気付いたとおり、興福寺五重塔はただ建物を写真に収めれば良いだけではなかった。
猿沢池を手前に、そして奥に五重塔らしき建物を捉える形で写真に撮らなきゃいけない。
「ここからは猿沢池が一番近いし、じゃあ興福寺を第一目標にしよっか」
ルーズリーフにある情報だと猿沢池と興福寺は広い道を挟むらしく、あたし達は猿沢池を先に目指す事にした。
「そこの階段上がって右にある商店街を通り過ぎたら、今度は左に曲がればい良いみたい」
「言われても頭に入ってこないぞ……高坂、とりあえずナビを頼むぞ」
村松くんの声に返事をしたあたしとは対照的に、相変わらず瑠璃から声は聞こえない。
樹里先輩も困ったような顔を変えていなかった。
短い時間では瑠璃に変化を期待することは無理だったようだ。
「瑠璃、良いわね?」
あたしの問いかけに小さく首を縦に振る僅かな反応。
それは、瑠璃から得られる最低限の意思表示。
今日の瑠璃とはこんなやり方でしか、コミュニケーションを取る事が出来そうにない。
そう思うと開始してすぐだけど、早くも辞めてしまいたくなってくる。
隣で苦しげな表情を見せる村松くんも、同じことを考えているのだろうか。
9時30分。
瑠璃の小さな動きを確認したあたしと村松くんは、重い足を前へと進め始めた。