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4.伏魔殿の魔女

 教育棟3Fにある第二化学実験室、そして更にその奥に第二化学準備室。

 桃源郷の舞台はこの化学準備室らしい。



 何事も第一印象は大事、うん。

 第二化学準備室の第一印象は……『廃墟』。壊れた部分は一つもないのに何でだろ? 日当たり悪いし埃だらけだし、妙な物悲しさを漂わせてるのよね。

 見るからに『忘れ去られた土地』に存在する科学部部室。

 科学部の行く末に一抹の不安を感じた。



 準備室の扉には『科学部入部希望者面接中、コールまで開けるべからず』と書かれている。


「麻衣と零夜はどーすんの?」

 そういえば2人ともまだ入部先を決めてなかったんだっけ。

 ふとあたしは聞いた。

「僕も受けてみようかな」

「じゃ、じゃあ私も! ライバルが増えちゃうけど弥生ちゃんごめんね?」

「ライバル?」

 入部さえしてしまえばあとは適当に活動した振りをするだけなんだから、ライバルも何もない。

 一緒に同じ部活に入れて喜ぶなら分かるけど。

 そもそも『両親から馬鹿娘って言われてる』あたしと『誰もが認める優等生』の麻衣が、科学部を舞台に争うだなんて考えたくもない。逆立ちしたって勝てるわけないじゃん。

 そんなことを考えていると零夜が細く説明をしてくれた。

「毎年3名の狭き門なんだよ、科学部入部は」

 そして全て解決。

「麻衣! あんたには絶対負けないわ! ついでに零夜も覚悟してなさい!」

 麻衣ごときに負けてなるもんか! 零夜なんてボッコボコにしてやるわ!


 ふと目の前の準備室の扉が開かれ、中から一人の男子生徒が出てきた。

 ネクタイチェック柄の色から想像するに、1年生。

 ええ分かってるわよ。共学化は今年からなんだから、男子は無条件で1年生よっ!


「次。入れ」

 次って事はどうやら彼も面接を受けてたみたい。

 次の面接希望者の入室を促す声が、彼によって閉じられた扉の奥から聞こえた。

 意外な事に女性の声だった。

 けど威圧感十分。

「……弥生ちゃんからどうぞ」

 麻衣に背中を押されるが、斬り込み隊長は優秀な麻衣か零夜がお似合い。

 どうぞ弥生、いやいや麻衣が、いえいえ零夜さんが、ほら弥生。

 などとやりとしていると、

「次! 入れ!」

「ふぁ! ふぁい!」

 こういうとき、叱られ慣れているあたしは間抜けな返事をしてしまう。損な体質よね。


 化学準備室を前に繰り広げられたこの情けないやり取り、それを締めるに相応しいあたしの間の抜けた返事。

 さっきまで面接を受けていたのだろう男子は、そんなあたし達を見て、見開いていた目を細め声を上げずに小さく笑った。


(あぁ、男の子にこんな醜態を晒すだなんて! 弥生、もう生きていけない!)


 なーんてあたしが思うわけないじゃん。

 でも流石に恥ずかしいもんは恥ずかしい。確かに死にたいくらいに。

「次! 早く入れっ!」

 しかし自決は許可されなかった。

 意を決して扉のほうを向きなおし、足を踏み出そうとする。

 けど恐怖心から一歩も脚を踏み出せない。

 入学式で居眠りする度胸はあっても、怒られると分かっている場所へ向かうほどの勇気はないわ。

 ここは絶対にユートピアじゃない。地獄って思うんだけどどうよ。

「弥生ちゃん緊張しすぎだよ」

 緊張している、と解釈してくれた麻衣。

「あ……、あぁ、うん」

 そんなあたしを見て、さっきまであたしを笑っていた男子は、ゆっくりとあたしのそばまで来ると、

「中にゃ魔女が座ってっけど、獲って食われるわけじゃねーし、気楽にやんな」

 小声でそう告げた。

「ふぇ?」

 そしてあたしの頭をポンポンと叩くと、そのままこちらを見ずに手を振りながら去っていった。


 その後ろ姿をじっと見つめていると、

「彼の言うとおりだよ、弥生。落ち着いてやれば大丈夫だよ」

 入れ替わるようにそばにやって来た零夜も宥めてくれる。

「頑張って! 弥生ちゃん」

 気がつけば少し緊張がほぐれていた。恐怖心も少し和らいだ。

「麻衣、零夜、サンキュね。あと、さっきの男子も……って居ないか」


(よしっ! やってやろうじゃないの!)


「1年1組、高坂、入ります!」


 気合十分で乗り込んだはよかったけど……。


(うっわ何この空気。桃源郷とは正反対じゃないのよ!)



 廊下と同様、薄暗い室内。

 書類やファイルが積み重なった机。

 天井まで高く聳え立つような薬品棚。

 部屋中に漂う煙草の臭い。


「座れ」

 目の前の女性教師は、感情の篭ってない声で小さくそう告げる。

(確かに魔女ね……)

 カラッカラになった喉を何とか振り絞り返事を返し、目の前にあった折りたたみのパイプ椅子に腰掛けた。

 キィーという独特の音が鳴る。年代物らしい。

 金属の擦れる音は、この不気味さをこれ以上無く演出する。


 腰掛けたあたしを、女性教師はただただじっと見ていた。

 黒いハイネックセーターにデニムのパンツまでは良い。

 その上に纏う白衣は清潔さより、むそろ冷酷さを強調し彼女の迫力を強めている。

 あたしを捉えたまま動かないその目もかなり怖い。妙な動きでもしようものなら射抜かんばかりに、こちらを向いたまま微動だにしない。


(正直、すっげー迫力ね……)


 視線の圧力に耐えかねたあたしは、何か喋らないとと思い口を開いた。

 開いたけれど声を出す前に、

「私は科学部の顧問をしている姫野だ。さて……まずは自己紹介をしてもらおうか」

 会話とはキャッチボール、って言うけどさ、ホントよね。この展開、あまりに一方的過ぎじゃない?

 姫野と名乗ったこの先生は、確実にあたしが口を開くのを待っていた。

 だって口を開いたままで呆然としている間抜けなあたしを、くっくっく、と声に出して笑っているんだもん。

「ん? どうした高坂」

「あ、えっと。い、1年1組、7番、高坂弥生です! しゅっ、出身中学は」

「名前とクラスだけで良い」

 沈黙を破ろうと口を開けば、それより先に喋り始める。

 何とか意識を取り戻して自己紹介を始めれば、それもすぐ遮られる。

 ペースは完全に眼前の姫野先生が握っていた。

「1組の、こうさか、こうさ…かっと、あぁ、あったあった」

 そう言って姫野先生は手元のファイルをめくり、お目当てのページに辿りついたのか、手元のファイルとあたしを見比べるように視線を移動させていた。


 またあの射抜く視線。


 どうしてだろうか、冷や汗が出る。

 と、突然姫野先生はニヤリと笑った。

「ほほう……お前が高坂弥生か。なるほど」

「あたしのこと、ご存知なんですか?」

「あぁ。だがこちらの話だ、お前は気にするな」

 流石にあたしも、気にするなと言われて気にせずやりすごすほど能天気じゃない。

「ん、良いだろう、合格だ」

「はあぁぁぁ!?」

 けれど、大声で叫ぶあたしの、更に斜め上を行くのが姫野先生。

「おめでとう高坂。今日からお前は科学部部員だ」


 面接が始まって約3分、喋り始めてから多分1分も経ってないだろう。

 とにかく、あたしの合格は決定したらしい。

「あの……合格理由はなんなんですか?」

「私の気紛れだ」

「はあぁぁ!?」

 二度目の絶叫が化学準備室をつんざいた。

「何だ不満か? ならば合格を取り消してもよいのだぞ?」

「い、いえ! 滅相もございません! あー科学部部員だーうれしーなー」

 やっぱり辞めます、とは何故か言えなかったあたし。

(何よあの男子! 完全に獲って食われてるわよあたし!)

 取り消しても良い、という言葉とは裏腹にそれを許さない異様な雰囲気。

 姫野先生は何故かそんな魔力を持っていた。

「感情の篭っていない喜びなど、聞きたくもないぞ、高坂」

 そんなこと言われたって何がなんだかさっぱり分からない。っていうか気紛れで合格なんて納得がいかない。

 きちんと確かめておきたくて、あたしは真面目に聞きなおそうとした。

「お前のような面白い奴を探していた。ただそれだけだ、それ以外の理由はない」

 またしても遮られるあたしの言葉。

 姫野先生の声のトーンは明らかに替わってた。

 先生も真剣だ。

「お、面白い……ですか」

 でも真剣な顔で『面白い奴』と言われても、褒められた気がしない。っていうか納得できるわけがない。


「ああそうだ、面白い、だ。今年は橘に弓削、そして高坂か……豊作だな」

 あたし以外にも面白い奴が2人いたらしい。

 顔も見た事もない橘さんと弓削さん。

 あたしは妙な親近感を2人に感じた。3人で仲良くやっていけるだろう。あたし達は一蓮托生。橘さんも弓削さんも、きっと同じ思いを抱いてくれているはず。

 これからは3人で……。


(3人!? 思い出した! 科学部って毎年3名以下しか採らないんだった


「あ、あの、もう3人決定したって事ですか? 科学部って毎年3名しか部員を募集しないって聞いたんですけど」

 恐る恐る聞いたあたしに、首を縦に振った姫野先生。

「あ、あの……もう2人ほど面接を希望してる奴がいるんですけど」

「必要ない」

 一蹴。

「……神園と国崎であろう?」

(え? なんで零夜と麻衣が面接に来るって知ってるのよ!)

「橘や弓削に比べれば、神園など何の面白味もない」

 いくら腐れ縁とはいえ人としてはよく出来ている零夜を、ここまでコケ降ろす人をあたしは見た事がない。

(桃源郷だと思って飛び込んだら、鬼が座ってたわ……伏魔殿じゃん)

「まぁよい、神園達には私からきちんと言っておこう」

 とはいえこの人に常識が通用しない事は、今までのやり取りで分かっていた事。

 零夜の処遇がさっきの評価より悪くないことであたしは安心した。

 口が悪いだけなのだろう。

 あまり追求せず話を進めた方が無難ね、早くここから脱出する方が先決よ。


「それで、今後の部活の予定はどうなってるんですか?」

 こんな場所、次回の部活の事を聞いたらさっさとおさらばだ。

「そうだな……活動はしばらくない。恐らく次回は3月の卒業式が終わってからだ。場所はここ。いいか?」

「さ、3月って? 来年ですか!?」

 斜め上もここまで来ると表彰ものだ。

「いや、お前が卒業する頃だから、最低でも3年後だ」

「はあぁぁあぁぁ!?」

 3度目の絶叫。あたしが叫ぶのと同時に、姫野先生は自分の両耳を指で塞いだ。

「なんだ、お前は科学部の実情を何も知らんのか」

「いえ、年に数回程度しか活動しない……とは聞いてましたけど」

「メインとなる活動はもう終わった、それだけだ」

「あたしには何がなんやらさっぱりなんですけど」

 『メイン活動が終わったので、卒業したらここに来い』って、こんな部活、誰が理解できるのよ。


「科学部部員として何かあったら私のところに来ればいい。顧問として答えてやる。それが臨時の部活動だ」

「あのー……何かあったら、って、何があるんですか?」

「逆だ。ここに来たければ何か用事を作れ」

「意味が分かりませんって。真面目に答えてください!」

「折角受かったというのに……まったく、探究心の強い奴だな高坂は。仕方ない、高坂に分かりやすく纏めてやろう。そうだな……科学部を一言で言うなら……姫野絵美相談所だ」

「ひめのえみそうだんじょ?」

「姫野絵美とは私の名前だ。そしてここは相談所。先ほども言ったろう。私にとって面白いやつが部員、部員は顧問に相談事を持ちかける事が出来る。そしてそれをもって部活動とする」

「はぁ……で、その相談事を聞いてもらう為に、毎年何人も面接に来ちゃあ、先生のお眼鏡に適う3人以外は泣いて帰っていく、ってことですか? あたしそんなつもりで面接を受けたわけじゃないんですけど」

「上級生は姫野相談所としての科学部に入部を希望しているようだな。だが……高坂、お前のような新入生は内容も分からずやってくるようだぞ。帰宅部と勘違いして、な」

 言いながらニヤリと笑う姫野先生。

「あ、あは、あははははは……」

 見透かされてるじゃん! 飛んだ赤っ恥よ!

「でも、どうして部員じゃないとダメなんですか?」

「基本的には担当しているクラスと部員以外で遊ぶつもりはないのでな。厳選しておきたいのだよ」

「厳選されてまで遊ばれたくないです!」

「まぁそう怒るな。単位はちゃんとくれてやるから」



 結局あたしは科学部部員として認められてしまい、面接は打ち切られた。

 到底納得いかない結果ながらも、どこかの部に所属するという当初の予定は達成したわけだし、運命と思い受け入れよう。

 そう思いながら準備室から出てきた疲労困憊のあたしを、麻衣と零夜が出迎えた。

「弥生ちゃん、どうだった? おっきな叫び声が何度も聞こえたけど」

「ああうん……合格、だって、さ」

 心配そうな顔で聞いてきた麻衣に、かすれた声で返事をしたあたし。

 そんな様子を気にしてか零夜は、

「それにしては嬉しくなさそうだね。せっかく理想郷に辿りついたのに」

 などと過去の夢を掘り返した。

 悪夢のやり取りを思い出したあたしは、怒鳴るように叫んで言い返す。

「理想郷なんてそんな良いもんじゃないわ! ここは伏魔殿よ! ふ・く・ま・で・ん!」


「その伏魔殿に自ら乗り込んできて、部員にしてくれと面接を受けたのは誰だったかな? 高坂」


(いっ! いつの間に!?)

 慌てて振り返ると『本年度部員募集終了』の張り紙を、準備室横の掲示板に押しピンで留める姫野先生。

「少しは喜んでもらいたいものだな、高い倍率を突破したのだから」

「わーい、合格、うれしーなー、やったー」

「高坂、なんなら毎日部活動をしてくれても構わんのだぞ?」

「い、いえっ! 結構です!」

 あたし達のやり取りを見た麻衣と零夜は、口をあけて呆然としていた。


「ところで神園、済まんが見ての通り、科学部の本年度部員募集は高坂で終わったのだが」

 口を尖らせて不満気にしているあたしをよそに、姫野先生は零夜に声を掛けた。

「いえ、僕たちも付き添いで来ただけですから、お気遣いありがとうございます」

「そうか、すまんな、国崎もそれでいいか?」

 突然問いかけられた麻衣は頷いて返事をするのがやっとだった。


「そうだ、高坂」

「はい、何でしょうか?」

「式典での居眠りはいただけんな、気をつけるように」

「え! 見てたんですか! あ、麻衣! 入学式の時の白衣の先生って、もしかして!?」

 あたしは麻衣を振り返る。

 麻衣は全てを察してくれたのか、大きく頷いた。


「終業式は厳重な監視下にあると覚悟しておけ」


 伏魔殿の魔女に何もかもを見透かされ、思わずその場にへたりこむ。

 半分魂が抜けているあたしを、麻衣が困ったように慰めてくれた。


「あたしの平穏な高校生活を返してーっ!」


 人気のない廊下に、あたしの絶叫がこだました。


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