38.恋は人を……
広間には既にほぼ全員が揃っていた。
さっき夕食を食べた時に使ったテーブルを再び囲み、あたしと瑠璃と村松くんは椅子に腰掛けた。
四人一組のテーブルが6つ、周りの5つはライバル達が囲むそれだ。
運営委員の先生や上級生は端の方に椅子を並べて座っている。
ボクシングのし過ぎで燃え尽きた人のように座っている南川先生は、ちょっと周りから浮いてた。
けど、気持ちは分からないでもない。
ホテルと朱雀門のピストン輸送、荷物が多すぎて4往復の予定が6往復になったらしいのよね。
妙なところで経費削減って事でエアコン止めさせられてたし、気の毒にも程があるわよ……。
そんな南川先生の頭の上には、きっと冷やされているのだろう濡れたタオルが置かれていた。
などと考えていたあたしを現実へ引き戻すのは運営委員の先生。
「皆さん、今日の第一戦、お疲れ様です」
その言葉どおり、仙里高校一年生の夏開催一戦目は本当に疲れた。
最も疲れているのはきっと南川先生だろうけど。
とは言え知らない土地の知らない建物まで手探りで辿りつくなんて、あの炎天下じゃあたしだってもう懲り懲り。
出来れば二戦目以降は室内でやって欲しいくらい。
だけどそうはいかないに決まってるわ。
そりゃそうよ、奈良まで来ておいて室内って意味ないもん。
「第一戦は言わば練習試合みたいなものです。明日が本番だと思ってください」
だけど練習だったなんて言われて納得できるわけがない。
「明日も同じようなことをしてもらいます。それが第二戦となります」
それは隣で唖然としている村松くんも同じらしい。
今日一日、我が組で一番苦労した男の顔には哀愁すら漂ってた。
何のかはあえて言及しないけど加害者である瑠璃もまた、第二戦の不条理さに思わず間抜けな声を出したくらい。
(こんなの付き合ってられないわ!)
我慢できずに立ち上がって抗議しようとしたあたしは、それを許されなかった。
あたしの両肩には、いつの間に背後に忍び寄っていたのか樹里先輩の手が乗っかっていた。
「気持ちは分かるわ。でももう少し静かに聞いててね?」
そして驚くほどの力で押さえつけられ、あたしは再び椅子に腰をおろさせられた。
しかし、第二戦への警戒心も解けぬまま、事態は更に深刻な方向へと進み始めていった。
「第二戦は同時に第三戦も兼ねます」
憮然とした顔で進行を聞いていた1年生がにわかにざわつき始める。
「第二戦と第三戦は同時進行で行いますので、気を抜かないようにしてください」
明日の対抗線はかなり大きなウエイトを占めることは間違いない。
「三日目は自由行動となります。皆さん明日一日頑張りましょう」
具体的なことまでは教えてくれないんだろうけど、とにかく明日の内に二戦消化するってことだけは確かだろう。
(いいじゃない! やってやろうじゃないのよ!)
「こ、高坂、落ち着け!」
ふと気付けばあたしは立ち上がっていた。
「弥生さん、姉さんを振り切って立ち上がるだなんて……どこにそんな底力が残されてたって言うの!?」
言われて振り返ると、樹里先輩はあたしの椅子の後ろで尻餅をついたような格好でへたり込んでいた。
どうやら久々に無意識的行動が発動していたらしいわ。
驚く村松くんと呆れてる瑠璃にもショックを受けたけど、
「高坂さん……流石戦姫ね。恐るべし……」
まるで恐れるようにあたしを見つめながら震え、ボソッとそう呟いた樹里先輩の一言こそが一番ショックだった。
「ではこれからプリントを配りますので、まずはそれに目を通してください」
あたし達のテーブルへ、プリントを取りに戻った樹里先輩が再びやってくる。
「これからが作戦会議よ。騒ぎ過ぎないようにしなさいね?」
何故かあたしをじっと見る樹里先輩は、だけどあたしと微妙な距離を取っていた。
「では、第二戦第三戦の概要を説明します」
ルールは極めてシンプルだった。
第一戦と同じくクラス代表の3名に引率の教師と上級生を1人ずつ加え、5人一組での行動。
移動も今日と同じでバスや電車などの公共機関と徒歩のみ。
タクシーやヒッチハイク以外なら何でもいいらしい。
スタート地点は明日連れて行ってくれるらしいからまだ分かんないけど、開始時間は9時。
朝っぱらからスタートする上に、終了時間が18時ってのには驚きを通り越して呆れてしまった。
お嬢様には財閥の力を利用してはいけないっていう個人的な制限が掛かってたけど、まぁあの子ならそんなことしないわよね。
部外者であるにも拘らず何故か当たり前のように同席し、そして当たり前のようにお嬢様の横で彼女を見守る今宮さんだったら……何かしでかしそうだけど。
とは言え基本的に2人とも常識はわきまえてる人だから、それを知っているのだろう運営側も厳しくは言わなかった。
そもそもメイド同伴の時点で注意すべきことなのにそれを見逃してるってことは、事前に注意があったんだと思うわ。
じゃなきゃ完全に盲点なんだけど、まぁ今宮さんに限っては、ね……。
あたしが田中家の謎をあれこれ考えているうちに、進行はいつの間にかルール説明から雑談へと変わっていた。
「『南都七大寺』や、世界遺産に登録されている『古都奈良の文化財』。皆さんはご存知ですか?」
運営委員の先生は何か含みのある言い方であたし達へ問いかけた。
当然の事ながらあたしが知っているわけが無い。
「……瑠璃、知ってる?」
あたしの言葉に人差し指を顎へ当てながら考える瑠璃。
「七大寺っていうくらいだもの、法隆寺や東大寺みたいな有名なお寺がそうじゃないかしら」
「さわ……瑠璃、世界遺産の文化財もそれだったはずだぞ」
相変わらず不慣れな呼び方に戸惑いつつも瑠璃に言う村松くん。
どうやら2人ともあんまり詳しいことは知らないらしい。
だけど同じ知らない人でも、考え方一つでこうも建設的な意見を出せるもんなんだね。
なのであたしも無い知恵絞って何とかそれらしい言葉を紡いでみた。
「今日の朱雀門もなのかな?」
「朱雀門かどうかは分からないが、平城宮跡は世界遺産じゃなかったか?」
おっ、ちょっとかすったかも。
なんて事はあたし達に限らず他のクラスでも交わされていたんだろう。
辺りを見渡せば身を乗り出して相談らしきことをしている他のクラスの生徒。
灰色とお嬢様も何やら密談っぽい事をしている。
橘さんは……机に突っ伏してるわ。
「皆さんご静粛に。さて明日の第二戦ですが」
ざわつく広間に運営委員の先生の一際大きな声が響き、再び静寂が訪れた。
「今日と同じように、明日の第二戦、皆さんにはとある目的地へ向かってもらいます」
そしてこう言われ、ようやく第一戦が練習試合だってことの意味が分かった。
今日と同じようなことを二戦目でもやるってことね。
だったら目的地がどこになるのかはとても重要なポイントになる。
静寂は更にその強さを増し、緊張を伴い広間を満たしていった。
「目的地は『南都七大寺』『古都奈良の文化財』です」
だけど……京都駅のコンコースと違い、目的地は今ひとつピンと来ない。
まぁ今日もピンと来なかったと言えばそうなんだけど、今回のはどう言えば良いのか……。
そうね。
(大雑把すぎ!)
ただでさえそれがどこなのか分かんなくて瑠璃達と揉めたってのに、どれか限定してくれなきゃ分かんないわよ。
なんて思ってたあたしは甘かった。
「皆さんに行っていただく場所は……それら、全てです」
いや、ちょっとは覚悟してたのかもしれない。
「皆さんには明日一日、南都七大寺や奈良の文化財を探し、写真を撮ってきてもらいます」
意外だって感想より、ガッカリした方が強かったくらいだもん。
「そしてその写真の枚数で順位を競っていただきます」
半ば諦めにも似た溜息は、決してあたし1人だけが吐いたわけではなかった。
隣で考え込む瑠璃や唸って悩む村松くんもきっとあたしと同じように、今日以上の先行きの暗さを感じたに違いない。
その後詳しい説明が始まった。
けど結局長ったらしい話の半分も聞かなかったあたしは、その内容を村松くんと瑠璃に投げ出した。
頭を抱えて悩む村松くんは、すぐ向こうのテーブルで突っ伏している橘さんや髪を掻き毟りながら悩む弓削くんと似た雰囲気を醸し出している。
そこに瑠璃が加わらなかったことは意外だったけど、苦悩する村松くんの横顔をじっと眺めていたから満更でもないらしい。
ただそれは弓削くんの横からずっとこっちを見つめるお嬢様にも言えることで、明日は明日でまた血生臭い争いが繰り広げられるんじゃないかとちょっと心配でもある。
(「恋は人を変える」って聞いたことあるけど、ホントなのね)
瑠璃もお嬢様も、その目はまさに恋する乙女だった。
* * *
説明会が終わり、あたし達1年生は広間から退出を始めた。
椅子から立ち上がり背伸びするあたしに声が掛かったのはその時だった。
「で、高坂。お前もう裏切るなよ」
くたびれた様子の村松くんはまだ椅子に座ったまま、さっき亜麻色がしてたように完全に机に突っ伏してる。
そんな村松くんを瑠璃が優しい笑顔で見つめているのは……気のせいじゃないはず。
でも瑠璃は理解しているんだろうか、村松くんがこの話題に戻れば必然的にあんたも渦中に混じる事を。
大体、第二戦の話じゃなくてそっちに乗っかってくるなんて、あたしには予想外よ。
まぁ明日と言う決定事項を前に現実逃避を試みる村松くんの気持ちは、説明会の内容から何となく理解できた。
内容って言ってもあたしはほとんど聞いてないけど。
とは言えやっぱりその話題に触れてくるのは自爆だと思うんだけどどうよ。
村松くんにしても瑠璃にしても、もう少しシャキっとしなきゃダメよ?
気合を入れてあげるため、あたしは言った。
「村松くん、さっき言ってたわよね。あんた好きな子いるんでしょ?」
効果はてき面だった。
だってぐったりしてた村松くんの姿勢がいきなりピンと伸びたもの。
「お、俺か!?」
ただ、それ以上に瑠璃の姿勢が伸びてるのは……触れないでおいてあげよう。
「俺は、その、さ……さ」
だけど背筋が伸びたのは2人だけじゃない、あたしもそうだ。
村松くんの搾り出したような一言に、あたしは文字通り心臓が止まるかと思った。
だってここから先の村松くんの一言一句は重要な意味を持つ上に、「さ」自体かなり際どいラインなんだもの。
「ちょっと村松くん。こんなところじゃなんだからロビーで詳しく話を聞かせて頂戴!」
そしてその際どいラインに立つ張本人にとっては、あたし以上に重要な局面を迎えていることは間違いない。
だけど……。
瑠璃に引っ張られながらロビーへ向かう村松くんの表情は決して照れや動揺じゃなかった。
むしろ困惑気味ですらあった。
意中の相手にここまでされて動揺しないわけが無い。
むしろ困るって事は……。
(村松くん、あんたのその続きって……「わ」「き」とはいかないのね……)
瑠璃を追うあたしの足は、疲れのせいではない重さを感じさせた。
「それで村松くん、さっきの続きを教えてもらって良いかしら?」
ロビーに場所を移して村松くんへの尋問が始まった。
でも何故か尋問官は瑠璃でもあたしでもなく、樹里先輩だった。
気が気じゃない瑠璃は勿論、その続きを聞くのに二の足を踏み始めてるあたしよりは適役かもしれない。
それにしても瑠璃、ホントにこの続き聞いて良いの?
あんたにとってあんまり好ましい答えじゃないかもしれないのに。
そして村松くんはまた同じ言葉を繰り返していた。
「さ……さ」
さっきから「さ」しか言わない村松くんは、二度「さ」を繰り返してはそこで言い渋る。
けどその二回の「さ」が徐々に間隔を狭めていくにつれ、あたしの頭の中にある人物が浮かび上がっていく。
「ねぇ村松くん、もしかしてあんた……」
今まで直感直感って揶揄されたり時には自分でそれを持ち出してたけど、今ほど直感が当たって欲しくないって思ったことは無い。
だって村松くんがは躊躇って繰り返してる「さ」って、それぞれに分けての「さ」じゃなくて、繋げて意味のある「さ」なんじゃない?
あたしは村松くんの顔をじっと見つめながら反応を窺い、そして意を決して聞いた。
「……そのあとに続くのって」
もしそうなら「ささ」の後に続くだろうその人って、あたしの天敵になる彼女だったりするはず。
そんな予想を裏付けるように、やっぱり村松くんは苦虫を噛み潰したような渋い顔。
決定的、そしてあたしと同じくらい瑠璃にとっても決定的な答えになる。
心構えが出来てない分、瑠璃の方がショックが大きいかもしれない。
でも、ここで終わらせちゃいけないのよ、ごめん瑠璃。
ごめん、村松くん。
「『おか』、だよね」
あたしの言葉は正解だったんだろう、村松くんはじっとあたしの目を見つめたまま、苦しげな表情をしていた。
まだ上手く理解出来ていないのか、瑠璃はあたしの言葉と村松くんの言葉を繋げて口にする。
「さ……さ、おか……ささおか?」
そして瑠璃の顔は一気に青褪めていった。
「……ああ、佐々岡だ」
だけど村松くんは否定してくれなかった。
「そっか、何か……ごめん村松くん」
あたしが村松くんに謝ったのは、無理に意中の人を言わせたからではなくて、
「確かに俺は佐々岡に惹かれてたけど、だからって高坂に謝られるようなことなんてないぞ?」
村松くんはそう言ってくれるけど、佐々岡さんにとってあたしは天敵だから。
なのに彼女に気がある村松くんは、妙な流れであたしに近づくことになった。
そんな村松くんをきっと佐々岡さんは疎ましく思うことはあっても好意を持つなんて考えられない。
「ごめん……」
あたしは謝るしかなかった。
「村松くん。貴方今『惹かれてた』って言ったわよね?」
天敵の名前に気落ちしたあたしと、夢から一気に現実へと引き戻され打ちひしがれる瑠璃を余所に、1人蚊帳の外にいる樹里先輩が村松くんの言葉にあった一つの疑問を鋭く突いた。
「だったら今はそうじゃないって事かしら?」
「えぇまあ……学期末のあいつ見てると百年の恋も一気に冷めた。って感じですね」
学期末の佐々岡さんは……あたしに対して常に敵意をむき出しにしていた。
言葉には表わさなくても、目がそう訴えていた。
瑠璃はいち早くそれを見抜いていたみたいだけど、もしかしたらその線で村松くんを引きこんだんだろうか。
どっちにしてあたしが居なきゃ、村松くんが冷める事もなかったんじゃないかって、思う。
「ごめん……」
多分、あたしのせい、だよね。
「謝るなって。俺もあんな佐々岡見たことないし、ある意味良かったって思ってるぞ」
村松くんは笑ってそう言ってくれたけれど、でも笑顔に力は無かった。
そして村松くんはあたし達に話をしてくれた。
佐々岡さんとは小学校時代からの友人で、同じく小学校時代からの片思いであること。
「あいつは昔から、何でも一番じゃないと気が済まない奴だったからな……」
佐々岡さんが零夜のことを好きなのを、入学した時から知ってたこと。
7月に入ってから佐々岡さんの相談に1度乗ったことがあること。
「まぁ……お前と佐々岡の関係は、どっかでボタンを掛け違った。ただそれだけなんだと思ったんだがなあ」
ボタンを掛け違った……。
村松くんが言った一言で、あたしは思い出した。
多分瑠璃は同じことを、あたしよりもっと早くに思い出してたに違いない。
青褪めていたのはそのせいだったのだろう。
だったらこれから村松くんへ伝える話は、きっと瑠璃にとって良くない話になる。
「村松くん、夏休みのことなんだけど」
あたしの一言に瑠璃の身体が一瞬強張ったのが分かった。