36.[1年夏/第一戦] 一組の原動力
緑の原っぱをバックにそびえ立つように、だけど寂しげにぽつんと佇む朱雀門。
夏の日差しはまだまだ厳しくて、陽炎が朱雀門をホンの少しだけぼやけさせる。
その手前に見慣れた制服の女子が6人、そして男子が2人。
8人の仙里高生徒の中でも特に目立つ3人は、あたしが一番見たくなかった”やつら”だった。
いくら陽炎でぼやけて見えてもそれは分かる、あの特徴ある3人は。
歴史的建造物を前に最も相応しくないであろうメイド服の女性を連れた、妙に高貴そうな”お嬢様”、田中陽子。
日差しを浴びて久しぶりにその髪の青白さを曝け出した灰色の”死神”、弓削匠。
そして……その2人とは別のクラス、相変わらず値踏みするようにあたしを見つめる”亜麻色のそよ風”、橘セレスティア。
この3人があたし達より先にゴールに立っていた。
まぁつまり、あたし達は5組と6組に負けたらしい……。
ここからゴールの朱雀門まで、ホンの数十メートルがやけに遠く感じる。
あたしは声も出せず、ただゆっくりと敗北感だけが身体を支配していくのを感じ取っていた。
意外なことに敗北感を表に出したのはあたしじゃなくて後ろの2人だった。
「くっ、弓削もいるのかっ。やっぱり一駅前で降りるべきだった!」
「たっ、田中陽子……。悔しい!」
それがちょっと新鮮にも感じた。
だけどここで立ってる間にも残る3クラスがゴールへと向かっているに違いない。
歩みを止めた2人に振り返りながら、あたしは最後の10メートルの一歩を踏み出した。
「他のクラスが来る前にゴールしちゃお。瑠璃も村松くんも頑張ったよ」
いつもなら2人があたしを諌めてくれるはずなんだけど、今は逆。
あたしの負けず嫌いは自覚があるから良いけど、瑠璃と村松くんのそれは意外ですらあった。
でも、瑠璃の鞄を抱えて汗だくになったのに勝てなかった村松くんの悔しさは、もしかしたらあたしより大きいかもしれない。
そんな村松くんを”してやったり”って顔で見る灰色は、なんていうかその、策士なんじゃないだろうか。
あの余裕さは確かに村松くんじゃなくても悔しがるに違いない、っていうかあたしも悔しいわ……。
もう1人は感情むき出しでお嬢様を睨みながら、口を閉じつつも歯を食いしばって悔しさを露にしてる。
こっちは誰とか言わなくても分かるわよね……そうよ、しばらく放っておいた方が良い恋するメロンよ。
下手に絡むと後々面倒だから近づかないに限るわ。
にしてもお嬢様も大変よね、とんでもないライバルが意図しないうちに現れたんだから。
まぁ大変さで言ったら瑠璃もなんだけど。
恋するメロンと恥らうお嬢様、こりゃ血で血を洗うわよきっと。
肩を落としながら朱雀門の前までやってきたあたし達を出迎えたのはお嬢様。
「村松さん、汗をお拭きになっては如何ですこと?」
っていうかあたし達をじゃなくて村松くんを、が正解ね。
それも敵意むき出しの瑠璃なんてお構いなしでタオルを村松くんに渡すだなんて、お嬢様、あんた完全に恋する乙女よ。
「田中さん! 悪いけど1組はこれから作戦会議よ! 村松くん早く来なさい! 弥生さんもモタモタしないっ!」
鞄なんて放置で村松くんの手を握り、お嬢様の元から引っ張り出そうとする瑠璃。
その顔は夏の暑さにやられたわけでも、日焼けしたわけでもないだろうけど、やっぱり赤かった。
「お、おい! 何だ、どうしたんだ?」
「へいへい。こうなったら瑠璃は止まんないわよ村松くん。諦めなって」
あたしの手は引っ張ろうともしない瑠璃はある意味暴走してるわ。
「どういうことだ、俺にはさっぱり分かんないぞ? おい瑠璃!」
ここにきてようやく瑠璃とすんなり呼べるようになった村松くんだったけど、それが更に事態を悪化させる。
「る、瑠璃?」
右手を瑠璃に握られた村松くんの、今度は左手がお嬢様の手で埋まる。
「お待ちなさい村松さん! 貴方、沢木さんはどういった間柄でいらっしゃいますの!?」
お嬢様も大胆ね、まぁ大胆さならメロンの方が一枚上手みたいだけど。
「見た通りよっ!」
そう言いながら村松くんの腕に自分の胸に押し付ける瑠璃は、やっぱり悪魔にしか見えないわね。
「見て分からないから聞いているのでございますわっ!」
何にしたって、大変なのはその間に立ってる男。
「村松くんはもう一仕事あるみたいね。あたしはそこら辺で見守ってるから、行っといで」
「おいっ高坂っ! 助けてくれよ!」
朱雀門の前で村松くんを賭けて争うお嬢様と瑠璃。
「村松くん!」「村松さん!」
傍から見ても壮絶な争いね……でもちょっと楽しいんだけど。
瑠璃たちの喧騒から抜け出したあたしを待ち受けていたのは、スイカのお姉さんだった。
「あら高坂さん。走ったからかしら、髪が乱れてるわよ?」
しかも目の奥がちょっと濁ってるわよ。
「結い直してあげるからこっちへいらっしゃい?」
ヤバいわこれ、悪魔の微笑と胸の大きさは沢木家の遺伝なのよきっと、
樹里先輩までその顔が出来るだなんて、あたしも油断してたに違いない。
「あ、いえ、えっとー……。ほら、もう第一戦は終わりましたから大丈夫ですよ」
「遠慮しなくて良いのよ、さあ」
これはまずい、このままじゃあたしの貞操は沢木姉妹に奪われてしまう!
「村松くっ……んは、それどころじゃないわね。あ、灰色!」
お嬢様に瑠璃に村松くんは未だに血みどろの争いを続けてるわ。
多分終わりなんてこないわよ、村松くんの腕が千切れでもしない限りは。
となると、もうここで残りの知り合いなんて灰色くらいしかいない。
あたしは一目散に灰色の元へ駆け出した。
と同時に背後からやけにプレッシャーを感じさせる靴音と、
「高坂さん! 遠慮しなくて良いのよ!」
沢木家伝統の『暴走癖』を発動させた樹里先輩の声が、全く遠くない距離から聞こえてくる。
「さあ高坂さん! その黒髪を今度は三つ編みにしましょ!」
そ、それは勘弁してもらいたい……。
亜麻色と談笑してる灰色もあたしの存在に、っていうか多分樹里先輩の物凄いプレッシャーにようやく気付いたらしい。
ちょっと目を離したその隙に、樹里先輩は既にあたしの背後で髪を触り始めてた。
「やめて樹里先輩っ! 助けてよ灰色!」
「タク、ご指名やで」
亜麻色のそよ風が物凄いベタな関西弁だったことに、驚かされ……てる余裕はないわ。
だってこの危険性、亜麻色もしっかり認識してるんだもの。
灰色の背中を押して彼をあたしに突き出しつつ自分はちゃっかり逃げてる辺り、灰色以上の策士ね。
けど今はそれが有り難いわ。
「おいセレス! って、こら戦姫、腕を離せ!」
ここであんたの腕を離したら、明日のあたしはきっとボロ雑巾のようになってるに違いないもん。
奈良までやってきたってのにそんな目に逢うくらいなら……。
「このままなら死んだ方がマシよ! 分かるでしょあんたなら!」
悲痛な叫びが通じたのか、それとも樹里先輩の異常さに気付いたのか、灰色はようやく抵抗をやめた。
っていうか樹里先輩にドン引きしてただけかもしれない。
「科学部のよしみでしょ!」
「こんなもん科学部とは関係ねーだろ!」
と、必死に抵抗していた弓削くんが突然あたしを見て呆然とし始めた。
「……っつか高坂さん、すんげー髪型になってるぜ?」
「ふぇ?」
こういうタイミングでしっかりケータイ使って写真とってあたしに見せる灰色は、きっと現代っ子ね。
でもその気の毒そうな顔は何なのよ。
少し離れたところじゃ無気力な南川先生と場違いなメイドさんがあたしのほう見てるし。
んでちゃっかりそこに亜麻色まで加わってるし。
その3人もやっぱり気の毒そうな顔してるし。
「ほれ」
灰色がケータイをあたしに差し出し、そして画面をしっかり見える高さで構えてくれる。
その小さな画面に映ってるあたしは、
「……ちょちょちょっと! 樹里先輩!」
ホントに三つ編みだった。
「高坂さん、次は何がお好みかしら?」
でも抵抗が無駄な事も抗議が通じない事も、樹里先輩の遠い目を見れば明らか。
「灰色! なんとかしてよ!」
「出来るわけねーだろ!」
「あら、弓削くんの髪の色もいいわね。質感も悪くないわ」
灰色の顔色が見る見るうちに変わっていく、勿論青く。
樹里先輩のターゲットはどうやらあたしじゃなくなったようだ。
ここまで逃げた甲斐があってあたしは解放され……。
「2人纏めて面倒見てあげるわね」
されるわけがないのよ。
「もういやぁぁあぁぁ!」
「叫ぶ前に俺を離せっ!」
こうしてモノトーンの髪色を持つあたしと灰色は、しばし樹里先輩の玩具と化した。
* * *
「村松くん!」「村松さん!」
胸の大きな一年生と如何にもお嬢様風な一年生が、男子の手を取り叫んでる。
「こ、高坂っ! 沢木先輩っ! これ何とかしてくださいっ!」
その男子は少し離れたところで絡まりあう見事な黒髪を持った一年生と、異常な胸の大きさを誇る三年生に助けを請う。
「さぁ高坂さん。お団子にしましょ?」
でも三年生は聞いちゃいなかった。
熱心に黒髪の一年生を鮮やかな手さばきでヘアメイクしていたから。
そして哀れな黒髪の戦姫は普段のストレートヘアではなく、臨戦態勢時のポニーテールを後ろで纏められ見事なシニヨンにされていた。
「やめてぇぇえぇぇ!」
そんなシニヨン戦姫は死神にしがみ付き抵抗する。
「戦姫はとにかく俺の腕を離せ!」
戦姫を振りほどく事も出来ず、かと言って上級生を諌める事も出来ない死神。
もしかすると彼が一番哀れなのかもしれない。
”亜麻色のそよ風”こと橘セレスティアは、一足早く離脱したために辛うじて喧騒を免れ、それを眺めていた。
しかし生贄として差し出した灰色の死神に降り注ぐ災難は、ややもすれば自らにも訪れていたかもしれない。
そう考えると痛いほどの熱射を浴びているにも拘らず、背筋に寒気を感じずにはいられなかった。
とは言え傍観者になってしまえば、目の前の阿鼻叫喚はただただ呆れるほかない光景でもある。
「トシ先生。1組って、いっつもこうなん?」
セレスティアの隣には同じように呆れながら、先ほどまで1組を引率してた男性教員、南川敏幸が立っていた。
「橘は知らなかったのか。ならしっかり見ておけ」
しかし言葉とは正反対で、夏の暑さなど関係ないかのように騒ぐ6人の生徒を前に、彼の顔はウンザリと言った表情。
そもそも”無気力教師”や”脱力系”などと揶揄される敏幸、ハナっから関わる気など毛頭ないのだがた。
「これが奴らの力の源らしい」
「陽子お嬢様も高坂様から大きな力を受ける人物の一人かもしれません」
そんな2人の会話に、突然音も無く背後から現れたメイドが加わる。
「それはええ事なん?」
「悪いことではありません。ですが、我々の苦労は増えるかと思われます」
田中家給仕である今宮楓もまた、敏幸と同じく言葉と表情が一致しない人物だった。
こちらは敏幸とは違い無気力ではないものの、喜怒哀楽が欠けたような無表情振り。
大人2人のオブラートに包んだポジティブ発言に呆れつつ、セレスティアは投げやりに言った。
「せやけどあの騒ぎっぷりって、お世辞にも褒められたもんとちゃうよーに思うんですけど」
「奇遇だな、俺もそう思う」
「お嬢様も高坂様やそのご友人に感化されておられますから」
だが溜息をつく3人とも、やはり本音は同じらしい。
”村松一太を巡る女の争い”や”黒髪の戦姫、危機的状況”を前に、彼らは呆れかえる他なかったのだ。
「今宮さん、貴女も大変ですね……」
「南川先生こそ」
そして互いの苦労を労わりあう敏幸と楓。
それをよそに、美空仙里駅出発前に弥生が見せた不屈振りの謎が解け始めたセレスティアは思わず漏らす。
「戦姫が立ち直った理由、分かった気ぃする」
セレスティアの呟いた一言で大人2人は弥生を見つめながらそれぞれ口にした。
「確かに高坂様は学期末辺りで急に大人しくなられました……」
「姫野先生からも聞いていたが……。そうか、立ち直ったか」
そして慈しむように微笑みながら言った。
「言われてみればそうかもしれんな」
「で、ございますね」
亜麻色の髪をそよ風に漂わせながら、セレスティアはポツリ漏らした。
「ええなぁ……」
立ち直った戦姫がなのか、敏幸や楓にまで気に掛けられているからなのか、それはセレスティア自身にも分からなかった。
少し寂しそうに戦姫を見つめるセレスティアに、楓は優しく微笑んだ。
「橘様も参加なさったらよろしいのでは?」
無表情な中に少しばかり悪戯めいた意志を感じさせる楓に、セレスティアは一瞬驚いた。
それは彼女の助言なのかもしれない。
けれど……。
「あんなんに参加してもーたら、なんぼ身体あっても間に合わへんもん」
魅力的な助言ではあるが、お手上げのポーズで呆れるセレスティアのそれももっともな話。
「だろうな」
「高坂様のバイタリティの高さにはいつも驚かされます」
そしてポーズこそ取らないもののやはり呆れている敏幸と楓。
しかし3人は高坂弥生やその周りに呆れてこそいるが、馬鹿にするような素振りは一切見せなかった。
そして3人とも表情はほころんでいた。
「高坂様は何故か自然と人を惹きつける方ですから」
呟いた楓の一言がセレスティアの胸にすんなりと入り、そしてストント落ちていく。
入学式、セレスティアの琴線を掻き立てる黒髪の一年生がいた。
彼女こそが高坂弥生だった。
知らないうちに同じ科学部の部員になっていて、対抗戦では不屈の戦姫と称された彼女。
事実対抗戦では1組のムードメーカーとなり1位の立役者となった彼女の姿を、セレスティアは自然と目で追っていた。
他の生徒とは違う戦姫独特の雰囲気に、もしかしたら自分もまた惹きつけられていたのだろうか。
セレスティアはそんなことを考えていた。
「だがその点で言えば橘も負けてはいないだろ?」
「橘様のお噂も耳にしております。学校内では戦姫と真正面からぶつかり合える唯一無二の存在だと聞いておりますが」
恵まれた戦姫が羨ましいと感じることはあるが、それに真っ向から立ち向かっていくほど自分は強くない。
人を惹きつける”不屈の戦姫”に比べて”亜麻色のそよ風”と言われる自分の髪の色は、それが原因で人から敬遠される。
そんな自分があの戦姫と同等の評価などされたところで、素直に喜べやしない。
「真正面ねぇ……。科学部以外に何の接点もあらへんのに。喋ったことすらないねんで?」
自身の対照的な立場に、セレスティアは自嘲した。
しかし鼻で笑いながら言ったセレスティアの言葉に、敏幸が彼女の頭に手を置きながら声を返す。
「にしては、随分と高坂のことを気にしているな」
セレスティアは一瞬彼が何を言っているのか、分からなかった。
しかし接点が薄いにも拘らず常に目で追い続け、そして羨望に近い感情を彼女に抱く自分に気付くまで、さほど時間は掛からなかった。
「……戦姫もその周りも、『いっつも楽しそう』やなぁ、って思う」
高坂弥生に関わる人物、特に沢木瑠璃と村松一太は、常に彼女の周りの喧騒に巻き込まれつつも晴れやかな表情を見せていた。
事実、今も生き生きとしているくらいだ。
「高坂様は内に秘めるタイプの方ではないようです。ですからお嬢様も含め周りにもそれが影響するのでしょうね」
そして7月に入りその輪にお嬢様田中陽子が加わった。
無理に高飛車なお嬢様をを装っているように見えた田中陽子もまた、戦姫と関わりを持つようになってから実に明るくなったように見える。
そしてあろうことか、目の前で灰色の死神もまた彼女に巻き込まれている。
普段の彼が見せる諦観ムードはなく、口数が増え彼らしくない人間らしい言動を見せているのだから。
「橘様がお感じになられたように、高坂様は人を惹きつける何かを持っていらっしゃいます」
楓の語り掛けに続き、敏幸はセレスティアの髪をくしゃくしゃと撫でながら、実に教師らしくて彼らしくない言葉をセレスティアに投げかける。
「そしてお前も惹きつけられたんだな。なら一の輪に一歩足を踏み入れてみたらどうだ?」
「お嬢様のように世界が変わるやもしれませんよ?」
敏幸や楓の言うように、輪に加われば自分も変われるのだろうか。
セレスティアの鼓動は少しずつ速まっていった。
「……うん。ほな行ってくる」
そして思い切ってそう口にしたセレスティアの頭を、敏幸が優しく叩く。
「だが無理はするな。相手はあの1組だからな」
「橘様、どうぞご無事で」
どうやらあの輪に加わるにはそれ相応の体力や精神力が必要らしい。
「あいよー」
セレスティアは苦笑いしながら、けれど実に晴れ晴れしい表情で歩み始めた。
その歩みの先には騒がしい黒髪の一年生が待っている。
いや、待っているのはそれだけじゃないのかもしれない。
欲しかった何かを見つけたからだろうか。
いつの間にかセレスティアの歩みは駆け足に変わっていた。