31.科学部の一年生
久々に制服を着て降りるリビング。
制服で朝ご飯食べるのも懐かしく感じる。
いつも暇だったから時間が余計長く感じちゃったのかも。
「おはよう、ちゃんと眠れた?」
お母さんに声を掛けられて、さも当然のように答えるあたし。
「子供じゃないんだから、大丈夫だってば」
ごめんなさい嘘です。
馬鹿娘は年甲斐もなく、小学校低学年以来の寝不足です。
八月十四日、晴れ。
絶好の夏開催日和、って言うのかな?
玄関ではお母さんがあたしを見送ってる。
なんたって馬鹿娘は今日から三泊四日で夏開催。
終業式から今まで何してたんだって? それは追々話すから今日は我慢してよね。
旅行に行くわけじゃないけどやっぱり遠出するんだし、
「お母さん、お土産何が良い?」
あたしはお母さんに聞いた。
「ねぇ、弥生はどこに行くの?」
何言ってるんだろうお母さんは。どこって夏開催に決まってるじゃない!
でも夏開催って……。
「どこだろ」
お母さんは額に手を当てながらがっくりと肩を落としている。
「……あんたのセンスに任せるわ。場所が不明なのにそれ以上言いようがないでしょ?」
その言い分は至極もっともだった。
「それはそうと弥生、充電器はちゃんと持ったか?」
何言ってるんだろうお父さんは。充電器って、何のよ!
「ケータイのだよ。折角買ったんだから」
折角買ったんだからケータイを持っていく、なら分かるわよ?
でもケータイだけじゃなくて、
「何で充電器まで持ってくの?」
あたしがそう口にした途端、高坂家の玄関はセミすら鳴き声を止めるほどの静寂に包まれた。
「ケータイも持ったし、我が家の一人娘もとうとう今時の女子高生になったって思ってたわ。けど、弥生は弥生ね……」
「母さんの言うことも分かる。それはそれで嬉しいことなんだが、確かに悲しさもあるな」
これから三泊四日で家を離れる娘に、両親の送る言葉はあまりに酷い。
けれどそれらの言い分は、やっぱり至極もっともだった。
* * *
例によって白いフィット君で仙里町までやってきたあたし。
運転は当然お父さん。
仙里町にある美空仙里駅、それが夏開催の集合場所だった。
集合時間9時までまだ20分近くある。
駅前に降り立ち、トランクから荷物を取り出していると、
「弥生さんおはよう。久しぶりで恋焦がれちゃったわ」
朝から物騒な発言をするのは、例によって悪魔。
「おはよ瑠璃。んで、あんたまたでっかいの持ってきたわねぇ」
鞄から伸びたキャリーバーを掴み、荷物を引っぱりながらこっちへやってくる瑠璃。
あたしがトランクから出そうとしてるブルーの3ウェイバッグも、一応キャリーは出来るわ。
でも背負える程度のサイズだから、瑠璃が引っ張る薄紫のハードなキャリーバッグに比べると小さめ。
「もうワンサイズ大きくても良かったんだけど、これで妥協したのよ」
「どんだけ荷物持って行く気だったのよ、あんたは」
大体それ以上大きなやつなんて、階段登ぼるのも一苦労するわ。
「対抗戦だもの。いつどこで徒競走が始まっても良いように、キャリーバーがあった方が良いでしょ?」
言われてみれば確かにそうだけど、あんたそれ引っ張って本当に走れるわけ?
なんてことを、車の後ろであーだこーだ言ってれば、流石に車内の2人も気付く。
車から降りてきた2人は、瑠璃と挨拶を交わし始める。
「おや瑠璃さんじゃないか。しばらく弥生を頼みますよ」
「ご無沙汰しております、お父様。お母様でらっしゃいますか? 沢木瑠璃と申します。先日の電話では――」
「あら、この子が瑠璃ちゃん? 初めまして、弥生の母の皐月よ」
玄関でお見送りしてたはずのお母さんが、何故ここにいるのか。
答えは簡単。
「どうせ仙里町まで行くなら買い物しましょうよ、あなた」なんて言いだして、結局お母さんも乗ったわけよ。
でもそのお陰で、車中延々と「この子大丈夫かしら」「どうだろうねぇ……」みたいな会話が繰り返されてたのよね。
だからあたしは開催初日にしてグロッキー。
更には今、悪魔が目の前にいるわけで……。
こうなるともう手のつけようがないわ。
そこへ現れたるは1組最後の1人。
「おはよーさん、高坂。お前んちは家族ぐるみで沢木と交流があるんだな」
村松くん、それはあたしも初耳よ。
「おはよ。でもあれは高坂弥生をネタにした井戸端会議。不本意もいいとこね」
ついでに言うと、朝から村松くんに哀れみの視線を貰うのも、当然不本意よ。
「ところで村松くん。あんた荷物は?」
井戸端三者会談を若干引きながら眺めていた村松くんに、ふと思った疑問をぶつけてみた。
すると村松くんは後ろを向いて、背中に背負ったグレーのデイバッグを見せ付ける。
「それだけ? 男子って良いわよね……」
羨ましさ半分見下し半分のあたしに、結構入るんだってことを妙に必死にアピールする村松くん。
何もあたしに中を見せてまで弁明することないじゃん。別にそこまですることないって。
大体、村松くんの鞄なんてどうでも良いってくらいのものが目の前にあるのよ?
「無理無理、降参」
悪魔が持つ薄紫色のキャリーバッグを指差したあたしに、これ以上無く見事な即答振りを見せる村松くん。
「でもあんた、もし何かあって荷物持ちながら走る事になったら、あれサポートすんのあたし達よ?」
村松くんのデイバッグ、3つくらい入りそうよねあれ……。
「勘弁して欲しいぞ」
それには全面的に同意よ。
げんなりしていた村松くんだったけど、突然あたしをじっと見つめると、
「そうだ、こないだはサンキューな。助かったぞ」
なんて言い出した。
夏休みが1週間ほど経過した頃、村松くんに東美空の食べ物屋さんを紹介したことがある。その時のことを言ってるんだろう。
流石クラス委員長、律儀な男よね。
* * *
夏休みに入って1週間ちょっと過ぎた。
けれど、家でゴロゴロしていることが多かったあたし。
終業式以来、麻衣とは顔を合わせづらくて外出するのも億劫だった。
あたし達はケータイの番号を交換し合ったにも拘らず、連絡を一切取り合っていない。
つまり、麻衣もあたしと同じような気持ちなのかもしれない。
斜向かいの零夜は、朝から晩まで仙里町の進学塾に通ってるらしい。
ケータイの番号は未だに知らない。
待ち遠しい夏開催は、まだ2週間ほど先。
(ギスギスした登下校が無くなった代わりに、夏休みの楽しさも激減しちゃったなぁ)
姫野先生がくれた現国の基礎プリントと睨めっこしながら、リビングでボーっとそんな事を考えていたあたし。
村松くんから電話が掛かってきたのは、そんなある日だった。
「高坂、美味い食べ物屋を教えてくれるか?」
電話を取って第一声がこれだなんて、村松くんが瑠璃に思えてきたわ。
あたしゃ東美空総合案内所かっつーの。
「お前に聞くのが一番手っ取り早いからな。値段はほどほど、出来れば持って帰れるところが良いぞ」
一方的な村松くんに恋するメロンが完全に重なった。
「ちょっとあんた、瑠璃に似てきてるわよ……まぁいいわ。で、今どこにいるのよ」
村松くんが言うには、この暑い中屋外に出て東美空を徘徊中だそうだ。
しかもお昼ご飯にありつくべく商店街にいるらしい。
「おっ、たきざわ大衆食堂って看板が見えるぞ」
村松くんの言う『たきざわ大衆食堂』は学食『カフェシンチレーション』と同じく、東美空に存在するカフェテリア方式のお店。勿論雰囲気は180度違うわよ。
大衆食堂ど真ん中の『たきざわ』と、東美空には相応しくない程にぶっ飛んだ『シンチレーション』を比較する方が間違ってるんだけど。
「そこならあたしもお勧めよ。お持ち帰りは出来ないけど、お魚は絶品だし」
でも味は甲乙付けがたいレベル。サバ味噌……は以前言ったわよね。
「確か役場通りにパン屋があるって言ってたよな。そこも教えてもらえないか?」
春のクラス対抗戦でパン耳を貰ったプルシアンのことね。
でもクラス委員長、役場通りまで分かってて何故あたしに聞くのよ。
暑さで結構参っているらしい村松くんに、プルシアンの詳しい場所を説明したあたし。
「サンキュ。また何か困った事があったら連絡するぞ。じゃ」
「あいよ。日射病に気をつけなよ?」
「お前も課題投げ出すんじゃないぞ?」
あたしが魔女から大量の課題を出されたなんて、どうして村松くんが知ってるわけよ!
「それは企業秘密だ、んじゃな」
逃げるように村松くんは電話を切った。
ツーッ、ツーッという無機質な音が耳に届き、あたしも電話を切る。
そして思った。
ケータイって、思ったより楽しいって。
* * *
楽しいって思ったのは、暇を持て余していたからか。
それとも折角買ってもらったケータイが活用されたからだったのか。
何にしても、お礼を言われるほどの事はしてない。
「いいわよ、ケータイ使えて楽しかったし。それより、美味しかったでしょ?」
「ああ、たきざわもプルシアンも侮れないな。弓削も大満足してたぞ」
村松くんは親指を立てて満足度をアピールしてるけど、あたしはちょっと驚いた。
意外な人物の名前が挙がったから。
「弓削って、科学部の弓削くん? ねね、どんな人なの?」
「あいつも寮生、っつかお前ら科学部だろ……」
「科学部って部活しないもん。まぁ全くしないわけじゃないか」
魔女の課題を部活に含めるなら、きっと仙里高の部活の中でも一二を争うハードさだけど。
「あいつ、姫野先生から膨大な課題を課せられてるぞ」
村松くんの決定的な一言で、”きっと”が”絶対”に変わったわ。
科学部は”絶対”仙里高校の中で一番ハードな部活よ!
「高坂も魔女には苦労してんだな……」
村松くんと遭遇してから僅か5分、本日二度目の哀れみ視線を受けるあたしって……。
「あいつも夏開催出るはずだし、そのうち遭遇するはずだぞ」
「そーなの? んじゃ一度くらいは顔を拝んどこっと」
集合時間の9時になって、夏開催参加者が一箇所に集まりだした。
みんな制服だから一目瞭然だけど。
延々と井戸端会議を続けていた瑠璃と馬鹿親。
それを何とか引き離し、あたし達1組代表もその集団に混じる。
「皆さんおはようございます」
運営委員の上級生らしき人が挨拶しはじめて、いよいよ夏開催が到来した事を感じさせる。
今日はあのスイカお姉さんは不在のようだ、と思い辺りを見渡すと、
(……絶対何かの縁があるわよね)
相変わらずのスイカっぷりを披露する上級生のお姉さん発見。
傍らのメロンと比較しても、やっぱりその迫力は人一倍よ。
ちらっと5組を見ると、勿論お嬢様もいた。
あたしの方をじっと見ながら不適に笑うお嬢様。そこに学食での儚さなんてもう無い。
気合十分のお嬢様に負けじと、あたしも口元をつり上げて笑い返す。
お嬢様の横にいた灰色クンまでが、あたしへ挑発的な笑いを返していた。
でも5組の最後の1人は女子だった。
お嬢様に灰色くん、残り1人は女子。
(さっき村松くんは弓削くんが夏開催に出るって言ってたわよね?)
相変わらず日光を浴びると妙に灰色掛かって見える髪。
笑って細めているけど、薄めの髪色のせいか、真っ黒な瞳も妙に印象的。
あたしに向けた笑いは挑発的で子供っぽいけど、顔立ちはむしろ中性的にも見える。
死神こと弓削匠とは、もしかするとあの灰色くんなんだろうか。
中世的で少年っぽい灰色が、五区で村松くんを葬り去った死神……。
「ねぇ村松くん。死神ってまさか……」
それに戦況を冷静に分析する灰色くんが、学力試験でダントツの最下位だなんて、あんまり結びつかないんだけど。
「ああ、あいつそんな呼ばれ方してたっけな」
「やっぱ灰色が死神なんだ……」
同じ科学部なのに全く面識が無いのも、ちょっと考えもんだなぁ……。
弓削くん話題に踏み込もうとする村松くんだったけど、あたしはそれを軽い返事で遮った。。
何故なら、感じたから。
入学式と終業式で感じたあの視線を。
あたしは村松くんに返事を返した後、さっと後ろを振り返った。
そこに居たのは、入学式で麻衣が言っていた金髪の女子。
他の人とは違う圧倒的な存在感を示す彼女こそが、視線の主だと確信した。
あたしが振り向いても、あたしを見つめる青い眼は微動だにしなかったから。
お嬢様のそれに勝るとも劣らない、視線に込めた力強い意志。
佐々岡さんや麻衣から感じる嫉妬はなく、けれどあたしに何かを訴えかける。
面識は全く無いはずなのに、何故か妙に気になる存在だった。
(6組に知り合いなんていないのに……)
何故彼女はあたしをじっと見ているんだろう。
いや、6組に知り合いが、いた。
知らないけど知ってる人が、6組に1人いた。
彼女を見つめたまま、あたしは瑠璃に尋ねた。
「ねぇ瑠璃。あれって科学部の――」
「ええ。橘セレスティア、亜麻色のそよ風よ」
なるほど、亜麻色のそよ風とは上手く言ったものだ。
あたしより少し長い腰辺りまで伸びた癖の無いストレートの髪は薄い金色で、そよ風にたなびいてキラキラと輝く。
真っ白な肌なんてお人形さんみたいだし、目もクリっとしてて、笑ったりなんかしたらきっと可愛いんだろう。
何より、麻衣みたいにちょっぴりミニマムなところがまた可愛く見せてるのかも。
確かにあの存在なら、そよ風みたく周りに心地よさを届けてくれそう。
でもあたしに届くそれは、『そよ風』っていうには少し強い気もするんだけど。
名前と変なあだ名、更には所属部活まで知っている。
けれど本人を知らない、そんな科学部部員。
橘セレスティアに弓削匠、未だに交流の無い科学部の同胞達。
対抗戦の場では不気味なことこの上ない2人。
だけど、いつか話をしてみたい。
「早速ですが目的地までのチケットを配ります」
そんなあたしの気持ちを、運営委員の一言が綺麗さっぱり洗い流していった。
上級生のお姉さんはじめ、運営役の人たちがクラスリーダーに封筒を手渡し始めた。
未だに開催場所を教えてくれないけれど、クラスのリーダーに配られる切符で場所をある程度絞り込めるはず。
あたしと瑠璃は封筒の中身を確かめるべく、村松くんの元へ近づいた。
少し渋い顔をした村松くんは、中身を取り出しあたし達へそれを見せ付ける。
チケットはJRの切符。
そこには簡潔に『美空仙里 → 京都市内』と記載されていた。
「京都……想像してたより遠いわね」
「移動だけで5時間は潰れるぞ。一戦目は明日以降だな」
京都までの道のりにうんざりしたのだろう2人。
「でも楽しみよね。あたしなんてもう、うずうずしてるわよ」
さっきまで浮かない表情をしていた護り手たちも、あたしの顔を見て気を持ち直したのか、
「弥生さんがいれば退屈しないで済みそうね」
「流石不屈の戦姫だな。沢木、俺たちも気合入れなおすぞ」
夏の暑さなんて吹き飛ぶ位の気合を、表情に漲らせていた。
* * *
不屈の戦姫高坂弥生、その護り手の沢木瑠璃と村松一太。
3人が円陣を組み、真ん中で右手を重ねながら小さく気合を入れる。
そのただならぬ気合の入れ方に、他のクラスも何事かと1組を振り返る。
お嬢様こと田中陽子、死神こと弓削匠。
そして亜麻色のそよ風、橘セレスティア。
三者それぞれが真剣な面持ちで、戦姫とその護り手をじっと見つめる。
お嬢様を沢木瑠璃が、大きな胸を更に張り出しながら、挑発するように見つめ返す。
何時になく不敵な笑みを、村松一太が弓削匠へと向ける。
そして不屈の戦姫は、亜麻色のそよ風と視線を交し合っていた。
「あんた達、分かってるわね? ……あいつら纏めて返り討ちよっ」
小声で呟いた戦姫に、その護り手が小さく頷き返す。
聞こえるはずの無いその宣戦布告。
けれど、離れた場所で見つめていた3人も確かに感じ取った。
(高坂さん。わたくしは絶対に貴女を越えて見せますわっ!)
(一太に戦姫か、こりゃあ退屈せずに済みそうだなっ!)
お嬢様と死神は、宣戦布告に真っ向から立ち向かう。
しかし亜麻色のそよ風だけは、
(終業式の後……戦姫に何があったん?)
戦姫が見せる並々ならぬ気合に驚いていた……。