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28.メロン色の策謀

 ケータイを買った翌日。


 ――ピピッ、ピピッ……


 終業式の朝。

 あたしは耳慣れない無機質な電子音で起こされた。


 ベッドから這い出て、机の上に置いたそれに近づく。

 そしてチカチカと発光しながら音を出し続けているそれを掴む。

 慣れない手つきで開き、主を確認。


 『愛しのルリ♪』


 思わず手に持ったケータイを壁に投げつけそうになった。

 けど何とか思いとどまる。

(買って1日で壊しそうになるなんて。瑠璃、あんたやっぱり悪魔よ……)

 一晩経っても尚、ケータイに映し出される悪魔の文字。

 それに憤慨しながらあたしは電話に出た。

「おはよ、『いとしのるり』……朝っぱらから何よ、まだ6時半じゃないの」

「朝からそんな言葉を聞けるだなんて嬉しいわ」

 電話の向こうの瑠璃が恍惚とした表情をしてそうで、想像すると朝から背筋が凍る。

「弥生さん、もしかしてまだ寝ていたかしら?」

(えぇぐっすり、起きるまでまだ30分近くあるわよ……)

「そうだったの? ごめんなさい。私もう家を出る時間だったからつい」

 考えていた事を久々に声に出していたらしい。

 人って寝起きはどうしても弱いものなのよ、きっと。

「別にいいわよ。ってか瑠璃ってこんな時間から学校通ってるのね」

 6時半の時点で『家を出る時間』だと言った瑠璃。

 つまり6時半には準備が完了、って事は起きるのはもっと早いはず。

「5時15分よ」

 瑠璃って毎日あたしより1時間半も早く起きてるだなんて、俄かに信じがたい。

「慣れれば平気よ?」

 何故だか分かんないけど、あたしは瑠璃に敬礼しながら言った。

「お勤めご苦労様です」


「……そんなことより、いい?」

 瑠璃の声のトーンが少し落ちて、真剣な声に変わった。

「そのケータイ、今日は持ってこなかった」

 朝っぱらから何の用事かと思えば、瑠璃はいきなり訳の分かんない事を言い出す。

「はぁ? あんた、何言ってんのよ」

「って事にしてほしいの」


 瑠璃の言い分はこう。

 あたしが大っぴらにケータイの存在を周りに触れ込むと、あたし自身が痛い目に合うらしいのだ。

 本当なら買っていないってことにするのが一番、だけどそうもいかない。

 買った事を麻衣に教えている事も、零夜にはまだ教えていないことも、何故か瑠璃はお見通しだった。

 だから登校時にはケータイの話題になるだろう。

 隠して持ってこい、とはその辺りに関係があるらしい。


 瑠璃の言葉はどんどん重く、真剣なものに変わっていた。

「存在を隠さなきゃ、貴女、後悔する事になるわよ?」

「ねぇ瑠璃……それって、忠告?」

 思わずあたしは聞いてしまう。

「助言。かしら」

 助言の意図するところは分からない。

 けれど今のあたしにとって瑠璃は、麻衣や零夜以上に頼りになる存在。

 そんな瑠璃があたしに助言するのだから。

「……分かった。持って行かない」

 あたしは従う事にした。

「ダメよ。持ってきなさい」

 けれど瑠璃はまたしても意味不明な事を言う。


「ちょっと! どっちなのよ!」

「弥生? もう起きてるの?」

 あたしが瑠璃に問いただすのと、お母さんがあたしの部屋の扉を開けるのは、ほぼ同時だった。


 ケータイを片手に朝っぱらから騒ぐ馬鹿娘。

 それを見て、お母さんの顔は徐々に険しくなる。

「電話代の事、忘れてないわよね?」

「あたしから掛けたわけじゃないわよ!」

 と弁解してもお母さんの目は、あたしを一切信じてない。

 何故ならばあたしが馬鹿娘だから。

「相手さんの迷惑にならないよう、早めに切り上げなさい?」

 「分かったわね?」とは口にこそしていない。

 けれど、般若の顔に恐ろしいまでの目でそう告げるお母さん。

(ひ、姫野先生だ。我が家にも魔女が居た)

 どこかで見た事があると思ったら、有無を言わせない共通点に行き当たる。

 いつぞやの姫野先生に勝るとも劣らないプレッシャーだった。

「って事だから瑠璃、悪いけど続きは学校で!」

 人を射殺すに十分な視線を背中に感じ、瑠璃に早口で告げて電話を切ろうとした。


「ええ。それより、お母様に伝えておいてくれるかしら。ご迷惑をお掛けしましたって」

 瑠璃ってこういう時に限って、常識があるんだか無いんだか分かんないのよね。

 お父さんのときと言い……でも瑠璃? その伝言は伝えられないわ。

「あたしには荷が重過ぎるわよ瑠璃」

 電話口で慌てる瑠璃を余所に、

「おかーさぁん? 瑠璃が言いたい事あるってさ」

 じっとあたしを睨んでいたお母さんへ、瑠璃という格好の餌を投げつけたあたし。

「瑠璃? その子もしかして昨日お父さんが言ってた子?」

 お母さんの目の色が変わった。

(あれ? その目もどこかで見たことあるような……)


「ちょっと弥生さんっ!?」

 電話の向こうで瑠璃が狼狽してる。

 見えないけど手に取るように分かるわ。

「瑠璃が直接言ってよ。馬鹿娘が言ったって絶対信じてくれないんだから」


 そう瑠璃に告げたあと、あたしはケータイをお母さんに渡してリビングへ降りた。

 っていうか逃げた。



「お父さんおはよ」

 馬鹿娘が普段より20分も早く、しかもパジャマのまま降りてきた上に、馬鹿娘を見に行ったはずのお母さんが降りてこない。

 だからだろう、お父さんは少し怪訝そうな顔であたしに聞いてきた。

「おや弥生じゃないか。今日は早いね。それより母さんはどうしたんだ?」

 瑠璃と異常なまでに打ち溶け合っていたお父さんなら話は早い。

「あたしの部屋で瑠璃と電話してる」

「ああ、昨日の瑠璃さんか。母さんも話したがってたからなぁ……」

 確かに食卓で瑠璃の話題になったとき、お母さんも興味深々だった。

 妙な方向へ話が進まないかって、あたしは戦々恐々だったけど。

「寝る前も随分と瑠璃さんの事を聞いてきたんだよ」

 そう言いながら遠い目をしているお父さん。

「お父さんのその目……」

 そして一致する父幸雄が見せる目と、さっきのあれ。

(瑠璃って名前を聞いたときのお母さんと一緒じゃないのよ!)

「ちょっと! おかーさん!?」

「や、弥生?」

 2階へ向けて大声を出すあたしに、お父さんは驚いていた。

 けれどそんなこと構ってられない。


 慌てて部屋に戻ったあたしを待っていたのは、想像通りの光景だった。

「えぇもう喜んで。遠慮なんてしないで、いつでもいらっしゃいね?」

 朝からご機嫌なお母さん。

 きっと電話の向こうの瑠璃も同じなんだろう。

(もう言わなくても分かるわ……。瑠璃ちゃん、お母様、って呼び合う仲になったんでしょあんた達!)

「おかーさん! なに長話してんのよ!」

 慌ててケータイを引っ手繰るとそのまま、

「瑠璃もとっとと学校に行きなさい!」

 一言叫んであたしはケータイを切った。


「瑠璃ちゃんのお泊り、いつが良いかしらねぇ……」

 お母さんの意識は完全に夏休みの方向へ飛んでってる。

 きっとその光景の中には、瑠璃が一緒にいるに違いない。

(瑠璃め……どういう懐柔術もってるのよ!)


「絶対ダメよ! お泊りなんてあたし認めないわよ!」

 高坂家の三分の二を魅了しつつある瑠璃の底知れなさ。

 瑠璃の悪魔っぷりは微笑だけじゃない。


 尋常じゃないわ、あたしが感じてるこれは戦慄よ!


     * * *


 一学期も今日で終わり。

 これと言った話題も無く、沈黙が続く登校時間。

「国崎さんや神園くんには『買ってすぐ無くしちゃったら困るから』とでも言えば納得するわ」

 なんて言ってた瑠璃だけど、彼女の心配は無駄に終わった。

 何故なら、あたしがケータイを買ったことを麻衣は触れなかったから。

 瑠璃の助言もあったし、めんどくさいからあたしもその方が良かった。


 けれど会話なく登校するのは、話しながらよりも酷く疲れる。

(今日が終われば夏休み。暫くこんな重苦しい登校から解放されるわよ)

 そう思うと少しだけ気が楽になった。

 同時に、そんなことを考えている自分に嫌気が差していた。



 今朝方、高坂家に混乱をもたらした戦慄のメロンは既に登校していた。

 教室に入ったあたしに、瑠璃は駆け寄ってくる。

 大きなメロンを2つほど揺らしながら問いかけてきた瑠璃。

「弥生さんケータイ持ってこなかったの?」

 助言どおり隠し続けてきたのに、助言の主がいきなりネタをばらしてどうすんのよ。


 そう思い瑠璃を見ると、只ならぬ気配を感じた。

 思わず「持ってきたわよ」と言いそうだったあたしは、瑠璃の顔を見て躊躇っってしまう。

「電話したのに弥生さんのケータイ、電源切ってるんだもの」

 瑠璃の目は「私に合わせろ」と無言で訴えているように見えた。

 ――後悔する事になるわよ?

 頭の中にリフレインする今朝の真剣な声。

「まぁほら、落としたら大変だしね」

 だからあたしは瑠璃の芝居に合わせることにした。


 そんなあたし達の『仕組まれた会話』に食いついたのは零夜だった。

「弥生、ケータイ買ったのか。だったら番号を教えておいてくれないかい?」

 視界の端に居た麻衣の顔が一瞬険しくなるのが見てとれる。

(隠して持って来い、じゃないと後悔する事になる。って……このことだったわけね)

 きっと瑠璃の助言は麻衣の事だったんだろう。

 何となくそんな気がした。

「覚えてないわよそんなの」

 番号を教える事に躊躇いを覚え、あたしはそれっぽい返事で誤魔化した。

「そうか……じゃあ沢木さん、弥生のケータイ番号を教えてくれないか?」

 しつこく電話番号を聞く零夜は、普段とは違い穏やかさの欠片も見当たらない。

「まずは本人の了承を得てからじゃないかしら? ねぇ弥生さん」

 瑠璃の対応を見て確信に変わった。

 間違いなく瑠璃は、あたしと零夜、あたしと麻衣の間の溝を認知してる。


「家も近いんだったら必要ないと思いますけど……」

「ケータイって、近所だから不必要って事はないよ」

 妙に寂しそうな麻衣と、妙に頑なな零夜。

 麻衣の事を考えると、ケータイの番号を教えるのを躊躇う。

 けれど零夜に教えないのはかえって不自然。

「まぁ……交換しておいて損はないと思うわ。ただ、弥生さんが他の女子生徒に神園君の番号を教えまわったりしなければ、だけど」

 零夜の番号を知ることで少なからず不都合がある、と瑠璃は言うのだから、あたしにも逃げ道が出来る。

 さっきまで頭の中で揺れていた葛藤を、瑠璃は呆気なく解決してくれた。

 瑠璃が居てくれて、瑠璃の助言があって本当に助かった、って思った。

(瑠璃、ありがと……)

 あたしは瑠璃の目を見ながら心の中で感謝した。

(お礼は高くつくわよ?)

 瑠璃の顔はそう言っているように見えた。


「どうせあれでしょ? 王子様の電話番号はコバンザメが知ってるらしいとか言って、あたしんとこに大挙として押し寄せてくるってんでしょ? めんどくさいわよそんなの」

 心で感謝して、瑠璃の作ってくれたシナリオどおりに、あたしも芝居を再開する。

「でしょうね。神園くん絡みになると女子の声も大きいもの」

 言いながらも瑠璃は教室を見渡し、ふとその視点を一箇所に留めた。

 その先には佐々岡さん。

 瑠璃は明らかに彼女を牽制していた。

 どこまでお見通しなんだろ、沢木瑠璃と言う女性は。

 けれど、見透かされているはずなのに、何故か嫌な気はしなかった。


「零夜。そういう事だから、また機会があったら教えてもらうって事で良いわね?」

 佐々岡さんも零夜も、これなら納得してくれるだろう。

「だったらしなきゃ良いと思うんですけど……」

「何かあったときのためだし、知っておいた方が良いんだよ」

 2人の頑なな言動は相変わらずだった。


 チャイムが鳴り、ヒゲが教室に入ってくる。

 と同時に、

「今弥生さんの手元にないんだから、いずれって事で良いんじゃないかしら?」

 瑠璃の一言で何とかこの場はおさまった。


 終業式のため、ヒゲの誘導で講堂へ移動を始めたあたし達。


 席を立つのも億劫になるほど、あたしの気分は重かった。

 普段なら麻衣と一緒に行動するのだけれど、ケータイの一件で近づきづらい。

「国崎さん、少し弥生さんを借りるわね?」

 近くでそんな声が聞こえた。

 瑠璃が気を利かせてくれたのだろうか。

 あたしと瑠璃の顔を見比べたあと、麻衣は笑ったような泣いたような顔を見せながら教室から出ていった。


 麻衣を見送ったあたしと瑠璃は、そのまま教室に残り小さく声を交わした。

「今日のお昼ご飯、予定入ってるかしら?」

「今日、は、カップラーメン……」

 情けないやら恥ずかしいやら、歯切れの悪いあたし。

 学校が半日で終わる平日は、お母さんも家にいないから自動的にあたしが自炊。

 なんて出来るわけないから結局レトルトや外食ってパターン。

 そんなあたしに、意味深な笑顔を作りながら瑠璃は言った。

「そう、だったらお昼一緒にどう?」

 今朝の忠告にしてもさっきの言動にしても、瑠璃がどこまで知っているのかが気になっていた。

 とことん瑠璃と話をしてみたい。

「良いわよ。で、どこで何食べるのよ」

「続きは放課後ね。さっきみたいに私に合わせて頂戴?」

 そんなあたしの肩を透かすように、瑠璃はまたしても煙に巻いた。

(さっきみたいに、ってことはつまり、もう一芝居打つって事ね……)

「いいわ。とことん乗ってやるわよ」

 ここまで来たらあたしも後には引けない。

「良い返事よ。戦姫はやっぱりそうじゃなくっちゃ」

 心底楽しそうに笑う瑠璃。


「今朝は心配したのよ? 昨日、私と別れた後に何かあったんでしょ?」

「何かって……何のことよ」

 心当たりはある。

 昨日と言うべきか今日と言うべきか悩む時間帯に。

「ま、それも追々に。それじゃ講堂に行きましょ」

 あたしの手を取り、引っ張るようにして教室を出る瑠璃。

「る、瑠璃! 鍵カギ!」

 教室を最後に出ることになったあたし達。

 だから自然と、鍵を掛け職員室へ戻しに行く役目になっていた。


「あら、楽しすぎて鍵の事なんて忘れてたわ」

「相変わらずマイペースよね……瑠璃って」


 瑠璃は黒板の横に掛けてある教室の鍵を手に取り、そして廊下に出ると鍵を掛け、職員室へと歩き始めた。

 ずっとあたしの手を放さずに。


「戦姫を独り占めだなんて、そう簡単には許されないもの。役得だわ」

 瑠璃はやっぱり瑠璃だった。


 だけど、いつもなら叫んで嘆きたくなる状況も、今日は違った。


 普段どおりの瑠璃が、何故だかとても心強く思えた。

 瑠璃に握られている手が、何故だかとても心地良かった。


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