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26 .変化

 腑抜けを叩き直された日から6日が過ぎた。

 今日のホームルームで夏開催の代表を決める。


 あたしが参加する気満々なのを知ってるのは瑠璃と村松くんだけ。

 その2人もやる気十分。

 代表の選考は余所よりきっと早く終わるはず。



 お昼休みになりお弁当を開く。

 何時ものようにあたしは瑠璃と麻衣を相手に、おかず交換大会を繰り広げていた。

「こ、高坂さん……お客様です」

 そんなあたしを教室後ろ側の入り口から、眼鏡の本田さんが控えめな声で呼んだ。


 妙に戸惑っている本田さんの肩越しに入り口を見やるとそこには、

「い、今宮さん!?」

 メイドが居た。


「高坂様、お時間をいただけますでしょうか?」

 入り口からあたしへ向かって今宮さんが一言そう告げる。

 ご想像通り、現在1年1組の教室内はおろか、廊下も溢れんばかりに人垣が出来上がっている。

 それもこれも全てこの『今宮楓』と言う名のメイドさんのせいなんだけど。

「急ぎの用事ですか? 見ての通りお弁当食べてるんですけど」

 7月に入ったとはいえ梅雨はまだ明けていない。

 暑さに湿気、不快指数はかなり高いにも拘らず、そんな事は微塵も感じさせない表情で今宮さんは言った。

「いえ、お食事が終わられましたら、シンチレーションまでお越しいただければ」

 教室から廊下からどよめきが巻き起こる。

 廊下の生徒たちは「流石不屈の戦姫だ」だの「あの子は人と違うんだ」と、勝手な事を口々に言う。

 教室のあたしでも廊下の声が聞こえるくらいの大きさなのだから、ヒソヒソ話なんてレベルじゃない。


(……良いわ、言いたいだけ言ってなさいよ!)


「戦姫もここまで来るとちょっと引くな……」

 けど本人を前に堂々と口にした野元へは、英和辞典で制裁を加える事を忘れなかった。

 野元の頭に辞書を落としながら、あたしは今宮さんへ了承の旨を伝える。

「よろしくお願いいたします、では」

 深くお辞儀をする今宮さんに、本日三度目のどよめきが巻き起こった。


 そして頭を上げたメイドさんは、相変わらず人の海を真っ二つに割りながら去っていった。


「麻衣、ご飯零れてる。瑠璃は玉子焼きがスカートの上に落ちてるわよ」

「「え?」」

 2人とも、粗相に気付かないくらい呆然としてたみたい。

 学食で一度経験したはずの2人がこれだもの。

 どうやらこの光景をまともに見守れた人はいないんじゃないだろうか。


(……?)


 いや、1人居た。

 零夜がじっとあたしのほうを見てる。


 周りのみんなが呆気に取られたような顔をしている中、零夜だけがあたしをじっと見ていた。

 麻衣もだけど、零夜も最近は何を考えてるのかさっぱり分かんない。

 何か言いたげな、何かを責めるような、複雑な顔であたしを見ていた。

 零夜の視線に腹を探られているような気がして、教室からすぐに逃げ出したくて。

「用事が出来たからあたし学食でお弁当食べるわ。ごめんね」

 自分のお弁当箱に蓋をして、あたしはお弁当片手に急いで教室を後にした。



 窓際の席にいるのはあたしと今宮さん。

 昼食明けは体育らしいお嬢様は、既に『シンチレーション』には居なかった。

 学食に来たときにはカウンターでランチを食べていた村松くん。

 彼は何故か、瑠璃と2人で入り口側のテーブルに座っていた。

(心配になって見に来てくれるのは嬉しいけど、村松くんを巻き込むのはやめなよ瑠璃)

 そして瑠璃と村松くんは、ヒソヒソ会話を交わしながらじっとこちらを見ていた。


「本日はアッサムのミルクティにいたしました」

「あ、お気遣い無く」

 メイドさんがお茶を運ぶという、テレビ位でしか見た事のないような現実離れした光景。

 2度目とはいえ慣れるわけもない。

「あまり時間もありませんので単刀直入にお話させていただきます」

 メイドさんの一挙手一投足をボーっと眺めていたあたしに、彼女は切り出した。


「田中家ではお嬢様もその姉上も光子様も、あまり自由な行動は許されてらっしゃいません」

 あたしの前にミルクティを置き終わると、トレイを持ちそのまま向かい側の座席に腰掛け、本題に入り始めた今宮さん。

「ですが、光子様はともかく陽子様はああいった性格。高坂様にお会いする前から現状に納得出来ずにおられました」

 今宮さんはテーブルの上で手を組み、じっとそれを見つめながら言った。

(陽子に光子、お嬢様界ってシンプルな名前が流行ってるわけ?)

 という感想は、まだ全然冷めていないミルクティと共に喉の奥に流し込む。


「旦那様には申し訳ありませんが、お嬢様には田中家から離れていただきたいのです。お嬢様を変える存在である高坂様に、勝手ながら全てを委ねる他ないのです」

 頭を上げた彼女の、カチューシャみたいなリボンみたいなのが、ふわふわと揺れる。

 そんな可愛い光景とは対照的に、あたしの目をじっと見つめる彼女は真剣だった。

「もう少し勇気をもたれれば、お嬢様は田中家のしがらみから自力で抜け出せる方。改めて高坂様、どうかお嬢様をよろしくお願いいたします」

 使用人として、赤の他人に主人を任せるのはやはり屈辱なのだろうか。

 今宮さんの顔は苦痛に歪んでいた。


「委ねるって言われても、あたしは何もしませんよ?」

 更に顔を歪ませる今宮さんに、あたしは続けた。

 気持ちは確かに受け取った。

 あたしはあの子をライバルだって思ってる。それは今宮さんにお願いされなくても前から変わらない。

「陽子お嬢様の気持ち一つ、ですからね」

 けどやっぱり、全てはお嬢様次第なんだもの。

 自分を強くする存在がライバルでも、強くなろうとする意志は自分でしか生み出せない。

「お嬢様が田中家から離れなきゃいけない理由は分かんないけど、あの子が親に敷かれたレールに沿って人生を歩んでいくなんて、あたしにゃ到底思えない」

「そうで、ございますね……」

 納得したような、でもまだ不満なような、そんな表情を浮かべ今宮さんは薄く微笑んだ。

 そんな彼女にあたしは、少し声色を上げて言った。


「それにさ、あの子の事そんなに嫌いじゃないですよ? あたしはあたしで色々あって、女子からはあんまり良いように見られないみたいだから、そういうの抜きにして付き合える女子って、貴重だから」

 高校に入り、瑠璃という新しい親友も出来た。

 けれどやっぱり、佐々岡さんをはじめとした女子の視線は痛い。

 だから真正面からぶつかり合える田中陽子は、親友と同じくらいかけがえのない存在。


「ご苦労……なされてますものね」

 まるで全てを知っているかのように、今宮さんはあたしに同情した。

「まぁ、ね」

 きっと目の前のメイドさんは、あたしが中学時代、女子に敬遠されていたことを知っているのだろう。

 そしてこの先、再びそうなっていくだろう、ってことも。


「よろしければ、またお嬢様とお食事を共にして頂けませんか?」

 だからきっとお嬢様にではなくあたしへの、彼女なりの慰めなのかもしれない。

 それを素直に受けることにしたあたしの、更に一歩踏み込んだ提案。

「だったら、今度はうちのクラスの子も連れてきて良いですか?」

 それを聞いた今宮さんは、少し驚いた表情を浮かべた後、

「ええ、是非にでも」

 今度はとても嬉しそうに微笑んだ。



 結局お弁当は食べ損ねたけれど、食欲も湧かなかったので大して気にならなかった。

 瑠璃と村松くんは少し心配そうな顔をしていたけど、何も聞かないでいてくれた。

 今のあたしには2人のさりげない気遣いが、この上なくありがたかった。


 短い付き合いの中であたしの望むものをくれる、瑠璃と村松くん。

 長い付き合いにも拘らず徐々に本音が分からなくなっている、麻衣と零夜。


 対照的なこの二組を前に、あたしの心は少しずつ揺れ始めていたのかもしれない。


     * * *


 予定通りホームルームでヒゲは代表を募った。


「と言うことだ」

 8月の14日から17日までの4日間、三泊四日。

 費用はほぼ全て学校が負担、参加する生徒が出すお金は個人的な買い物くらい。

 服装は仙里の夏服、運動着は必要ないものの動きやすい靴が必要。

 そして相変わらず場所は教えてくれない。

 ヒントも1300から増やす気はないらしい。


「立候補はいるか? まぁ条件が条件だ、あんまり期待してないが」

 そりゃそうよ、こんな条件で行きたいなんて思う人は滅多にいないもの。

「「「はい!」」」

 大きく声を張り上げ、天井へ向かいピンと手を上げる3人。

 当然それは沢木瑠璃と村松一太、そしてあたし。

「……お前ら、本気か?」

「「「はい!」」」

 難航するだろうと思われていた代表選考も、蓋を開ければ立候補が3人という展開。

 むしろ、やる気十分なあたし達にクラスのみんなは驚きを通り越して引き始めてるくらい。

 麻衣と零夜には内緒にしての参加。

 たから、2人ともビックリしてたっけ。


「じゃあ我がクラスは高坂、沢木、そして村松を代表に送るぞ。みんなそれで良いな?」

 クラスのほぼ全員が同意し、拍手で歓迎されたあたし達。

「頼んだぜ一太! 戦姫! 沢木さん!」

「高坂さん、沢木さん、村松くん、頑張って!」

 クラスから声援をもらうあたし達代表3人。


 余所がどうかは分かんないけど、うちのクラスは開始僅か2分で選考が終わった。


「リーダーは村松で良いな? 頼むぞ村松」

 頼み込むようにヒゲは村松くんへ言った。

「高坂はいつ暴走するか分からんからな」

「ちょっと! 暴走ってどういう意味ですか!?」

「お前には駅伝九区の伝説がある。我々教員も心臓が止まるかと思ったんだからな?」

 あたしに対するヒゲの信頼は低いらしい。

「しかし高坂、俺はお前には期待しとるんだよ。何たって第一戦じゃ戦姫は」

「わーっ! わーわーっ! それ以上は言っちゃダメ!」

 180人中178位の成績を持ち出されると何も言えないわよ……。


「どころで村松、分かっているな?」

 ヒゲの問いかけに、息を呑みながら小さくはいと答える村松くん。

 何故だろうか村松くんのその顔は悲壮感に満ちていた。

「高坂以上に怖いのは、戦姫を眼前にした沢木だ。お前に全てを託すぞ、村松!」

 あたし以上に瑠璃の信頼は低かった。

 成績が張り出された日、クラスをカオスに叩き落した瑠璃。

 勿論ヒゲもその被害者の1人、きっとその光景を思い出していたんだろう。

「頼む! 村松、お前だけが1組の希望なんだ!」

「お願いね村松くん!」

「頼むぜ一太!」

 ヒゲに止まらずクラス中の妙な期待を、その身に背負う村松くん。

 それを背負わせているはずのあたしですら、微妙に気の毒に感じたくらい。


「大丈夫よ? 私と弥生さんが手を組めば何も恐れるものはないわっ!」

 あたしですら分かったと言うのに、張本人である瑠璃だけは分かっていなかった。


「高坂。お前何とかしてくれよ……」

「村松くん、それが出来たら苦労なんてしないわよ」

 あたし達の会話を聞いて、クラス30人とヒゲを加えた全員が溜息をついた。


 勿論、瑠璃を除いて。



 ホームルームが終わると、零夜は急ぐようにあたしの席へ詰め寄ってきた。

「どうして参加するんだい? この間は面倒だって言ってたじゃないか」

 そして参加の経緯をしつこく聞いてきた。

「参加したいのよ。何か文句あるわけ? それとも出ちゃいけないわけ?」

 言葉に詰まる零夜。

「それに忘れてただけよ、元々あたしは参加しなきゃいけなかったのよ」

「忘れてたって何をだい?」


 お嬢様との約束。


 きっとそれに気付いてた麻衣。

 だからあたしが行かないなんて言ったのを見て、悲しそうな顔をしたんだ。

「麻衣、ごめんね。気付かなくて」

「……え?」

 零夜から少し遅れすぐ傍まで来ていた麻衣。

「知らない振りしなくても良いよ」

「え……」

 学食でのあたしの宣言、それを麻衣も聞いていた。

 だからこそ、あたしが宣言とは全く反対の方向へ進むのを憂んでいたんだろう。

「まぁ、忘れてたあたしも馬鹿だったけどさ。そうよね、お嬢様との約束だったもの」


「え? あ、ああ、うん、そう、そうだよ!」


(あれ……麻衣?)


「弥生ちゃん忘れちゃダメだよー」

 忘れていたのはむしろ麻衣なのだろうか。

 今の狼狽っぷりはそれを物語ってる。

 お嬢様との約束を忘れたあたしに、悲しい目をしていたんじゃなかったんだろうか?

 いつぞや佐々岡さんが見せた悲しげな目と、目の前で慌てている麻衣の目がダブる。


(麻衣も、そういう目で見るようになったってわけ……?)


 そう思うと、無性に悲しくなってきた。


「ごめんごめん! いやさぁ、すっかり忘れちゃってさ。麻衣の分も頑張ってくるから!」

 頭の中に描いた最悪のシナリオを、空テンションで振り切って明るく努める。

「ちゃんと頑張ってきてよ? 弥生ちゃん」

 麻衣の真意が分からない……あたしは嫌われてるんだろうか。

(そんなこと、あるわけないじゃない。何考えてるのよあたしは)


「零夜さんと2人、東美空から祈ってるからね」

「サンキュー! やってくるわよ、あたしは!」


 何度打ち消そうとしても、あたしの中に灯った疑念は消えなかった。


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