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25.腑抜けの戦姫

 鬱陶しかった梅雨が最後の粘りを見せる、そんな7月初旬。

 霧雨煙る週明けは、調子の上がらない月曜日をより一層気だるいものにする。


 午前中で帰宅する上級生。

 教室から嫉妬に似た眼差しでそれを見送るあたし。


(羨ましいような、羨ましくないような……でもいいなぁ)



 この時期恒例の行事といえば期末試験。

 でも仙里の1年生には全く縁のない話だった。

 あたし達1年生は、クラス対抗戦の関係で年2回の定期試験。

 試験は10月上旬と3月上旬、夏休み前に聳え立つ最後の山は免れている。

 春の第一戦『学力診断試験』が定期試験に含まれていなかったのは大きな誤算だったけど。

 まぁ、それでも年3回ならまだ許容範囲よ。


 上級生の猛烈な試験勉強と、それによって巻き起こる独特の緊張感。


 あたしはそんな緊張感とは一切無縁なまま、楽しい楽しい夏休みに思いを馳せていた。


 試験のないあたし達1年生は通常営業で6限の授業を受け、そしてホームルームを迎える。

 ワイシャツが妙に爽やかなヒゲは、いつぞやの『カゴ』を持って教室に入ってきた。

 きっとあの中には『対抗戦スケジュール表』が入っているはず。

(余白十分のあれよね)

 それはつまり、クラス対抗戦の実施を意味する。

 全部あたしは勝手な想像よ?

「あー、プリントを見れば分かるように、夏開催は各クラス代表3人が県外で行う事になった。その日程が8月の14日から17日までの4日間、三泊四日だ」

 ホントにそうだった。


 県外と言う大雑把な場所に、誰かが質問する。

「それは言えん。場所のヒントは1300だが……」

 1300に明確な解答を持てた人は教室には居なかった。

 麻衣も零夜も瑠璃も分かんないなら、あたしが分かるはずがない。

「その日空いている者の中から3名、代表を務めて県外に飛んでもらいたい。3人集まらなければ我がクラスは棄権ということになるな。折角春を1位で抜けたんだ、棄権は避けたいところが」


 クラスから代表が3名だけで、夏休みに三泊四日。

 県外の場所は秘密で、ヒントは1300だけ。

 この条件に教室はざわつき始めた。


 そんな教室の空気を読めない、明らかに場違いな質問をする人物が1人。

「センセー、出ない人はいいけど、出る人の夏休み分はどうなるんですかー?」

 空気が読めないと言えば勿論あたしよ。

 だって夏休み4日間を無駄にするなんて、有り得ないじゃない!


「流石に休みを増やすとはいかんが、春のMVP並に手当てが出るぞ」

 春のMVPといえば、駆け抜ける衝撃中川慶太くんが獲得したあの”5000円分の商店街商品券”!

「おーけー分かったわ! 出てやろうじゃないの!」

 思わず立ち上がるくらい魅力的な手当てじゃないのよ!

 そんなあたしをヒゲは呆れた目で見ながら言った。

「……高坂、まずは親御さんとよーく相談して、な?」

「えっ!? あっ、はい……」

 そうよね、泊まりでで県外だもん。あたしだけで決めて良いことじゃなかった。

 けど商品券は捨てがたいわ、お母さんを説得しなきゃ。

「まぁ高坂だけでなく、みんなも一度親御さんと相談してスケジュールを確認してくれ。来週の月曜もう一度この話をするから、その時に代表を決めるぞ」

「「「「はーい」」」」



 その日の帰り、部活がない零夜も含めた3人で帰路につく。

 話題は勿論『夏開催』。

「零夜はどう? 出られそうなの?」

「どうかな。部活と塾講習があるし、多分無理だろうね。母さんが許してくれないだろうし」

 そりゃそうだ、あの零夜スキーなお母様が、こんなイベント許可するわけがない。

「麻衣は?」

「わ、私も……パスかなぁ」

(あんた、零夜が行くって言ったら自分も立候補してたでしょ。まぁ麻衣らしいわよね)

 こういう麻衣は分かりやすくて良いんだけどなぁ。


「弥生はどうするんだい?」

 今度は零夜があたしに聞いてきた。

「さっきは行く気満々だったよね弥生ちゃん」

 行っても良いけど、めんどくさそうだしなぁ。

「うーん、多分パスかなぁ。夏休み補償手当てに釣られたけど、やっぱめんどくさいもん。まぁお父さんもお母さんも、行っていいとは言うだろうけどさ」

 夏の暑い中どこ連れてかれるのか分からないのはちょっと躊躇う。

 それに2人も行かないなら余計に不安になってしまう。

「そっか、弥生もパスか……」

 軽く微笑んだ零夜。

 零夜を見る麻衣は……少し悲しそうだった。


 けれど、麻衣の悲しげな顔は一瞬で、何事もなかったかのように笑顔に戻ると、

「そっかー、じゃあ3人ともパスだね」

 いつもどおりの麻衣でそう言った。


 麻衣の悲しそうな顔が何だったのかは、あたしには分からなかった。

 あの図書館以来、麻衣のことが何一つ分からなくなっていた。



 バス停で麻衣と別れ、零夜とは家の前で別れる。

 途中こそ会話はあったけど、最近はあまり話さなくなっていた。


 帰宅後。

 キッチンで夕食の準備をしていたお母さんに、8月の予定を聞いた。

「そうねぇ、お盆も家でゴロゴロしてるんじゃないかしら。菊花が来るかもしれないけど、私から実家に足を運ぶ予定はないわね。お父さんもきっと家でのんびりするはずよ」

 毎年我が家はこうだったっけ。聞くまでもなかったかも。

 概ね良好な返事をもらえそうだし、ついでだから聞いておこうと思い、あたしは対抗戦の説明をした。

「あら、それじゃお泊りなのね?」

「うん。んでクラスから3人だけの参加なんだけど、もし誰も行かないようなら、あたし参加しても大丈夫かなって思って」

「県外ってどこなの? 費用は? 代表って他の子は誰なの?」

「代表はこれから決めるとこ。場所は県外って事しか分かんない。費用は、聞いて、ない……」

「貴女ねぇ……」

 お母さんは高校生になっても相変わらずの馬鹿娘に呆れていた。

「まぁいいわ、ちゃんと聞いてらっしゃい。不都合がなければ参加して構わないわよ」

 だから馬鹿娘は母に逆らわないに限る。

「あい」

 出来るだけ機嫌を損ねないように返事をした。


     * * *


 翌日のお昼休み。

 麻衣と瑠璃とあたしでお弁当を囲む。


 あたしは瑠璃に夏開催予定を聞いた。

「出るに決まってるじゃない。って……弥生さんは?」

 さも当然のように出ると答えた瑠璃に少し驚きながらも、あたしは昨日の帰り道に麻衣や零夜にしたのと同じ言葉を瑠璃に言った。

 けれど瑠璃は納得がいかなかったみたいだ。

「それ本気なの? 私、弥生さんは参加するもんだと思ってたわよ?」

 信じられないといった表情の瑠璃。


 昨日のあたしは現金に釣られた愚者、けどちゃんと考えたらあたしだって分かる。

 この時期にどこだか分かんない所に三泊も連れてかれるなんて、異常よ! 異常!

 そんなのノーサンキューに決まってる。


「流石にさぁ、三泊四日は行く気にならないわよ」


 この一言で瑠璃の顔は一気に険しくなっていった。

 そして瑠璃はあたしのお弁当に蓋をし、自分の分と2つ持ってあたしの腕を引く。

「国崎さん、ちょっと弥生さんを独占するわよ? 行きましょ弥生さん!」

 呆気に取られている麻衣と、何事かとあたし達を見つめるクラスメイト。


「え? ちょ、ちょっと瑠璃!? 何よ、どこ行くのよ!」

「来れば分かるわ!」


 周りの驚きと戸惑いを余所に、瑠璃はグイグイとあたしを引っ張って教室を飛び出した。



「あれ? 国崎はいないのか? 珍しいな」

 カウンター横の1人席でランチを食べる村松くん。

 彼はあたしと瑠璃というコンビに目を丸くしていた。


 教室を出て外の空気を吸ったことで落ち着くかな、とか考えてたあたしは甘かった。

 さっき以上に棘のある言葉を、瑠璃はあたしへ投げつけてくる。

「ええ! この馬鹿戦姫に目を覚ましてもらおうと思ったのよ!」

「ば、馬鹿戦姫ですって!? ちょっと! 瑠璃! あんたそれどういう意味よ!」

「馬鹿も馬鹿よ! 大馬鹿よ貴女! まだ気付かないの!?」

「大体あんた、何も教えてくれないでこんなとこ連れてきて、人を馬鹿って何様よ!」


 こんなとこ、とは生徒棟の学食2階。

 村松くんを前にシンチレーションのカウンター近くで喧嘩を始めるあたしと瑠璃。

 何が起きたのかさっぱり理解できず、ナイフとフォークを持つ手が止まっている村松くん。

「と、とにかく場所移るぞ。ここは迷惑だ」

 村松くんは自分のトレーを持ってテーブル席に移動した。



「で、何があったんだよお前ら。いきなりじゃ分かんないぞ」

 間に村松くんを挟み向かい合って座るあたしと瑠璃。

「さっき言ったとおりよ、村松くん。早くも夏休みボケが始まった『腑抜けの戦姫』の、目を覚まさせるために来たのよ!」


(ふ、腑抜け……)


 瑠璃のヒートアップは異常なレベルに達していた。

「夏開催に参加しないだなんて、貴女何考えてるの!」

 テーブルを叩いて立ち上がり、あたしを睨みつける瑠璃。

 本気で怒ってるってのは分かる。

 あたしが夏開催をスルーしようとした事が原因だって事も。

「何が悪いのよ! 大体あんな条件で行くってのが無理よ! どこかも分かんないし」

 でも原因が分かっても、それが納得出来なけりゃあたしだって怒る。

 瑠璃の理不尽な不満に、あたしもヒートアップしていった。

「それでも『不屈の戦姫』なの!?」

「あたしだって好きでそう呼ばれてるわけじゃないわよ!」

 あたしもテーブルを叩いて立ち上がりそう言った。


 そこで気付いた。

(あれ? 何だろこのデジャヴ)

 何か似たようなことがあった気がする。


「なぁ落ち着けって。沢木は高坂が夏開催に出ないことを怒ってるんだな? 高坂は夏開催に出る気がないんだな? 俺に分かるのはそれ位だぞ」

 ヒートアップするあたし達を、村松くんが止めに入る。

「そうだわ! 村松くんも何か言ってやって!」

 少し冷静になったあたしと違い、瑠璃の怒りは収まる気配すらなかった。

(なんで瑠璃はこんなにあたしを責めるのよ。まるであたしが悪人みたいじゃないのよ)


 けれどあたしを見た村松くんも、少しガッカリした様子でこう言った。

「まぁ高坂には悪いけど、俺も沢木に賛成だぞ」

 理不尽な瑠璃の怒りに、中立のはずの村松くんが賛成する。

「えっ!? な、なんでよ!」

(むしろ、瑠璃は村松くんが賛成に回るのを知っててここに来た?)

「一体何なのよ……あんた達」

 小さく溜息をついた村松くんは、あたしの言葉に一言だけ反応をくれた。


「窓際席」


 村松くんの一言に、言われるがまま窓際へ目線を移す。


 お嬢様とメイドさん。今日も浮いた存在の2人が、じっとこっちを見ていた。

 大声で怒鳴りあうあたし達に少し面食らっていたみたいだけど、けどあたしを見つめるその眼は、やっぱり力強くて真剣だった。


 あたしへぶつけるその思いを、視線に乗せているようで。


 そしてあたしは思い出した。


     * * *


 それは先日のお嬢様『ライバル宣言』の後の事。


 お嬢様達と別れたあたしは、まだ学食に残っていてくれた3人の元へ向かった。


「弥生さん! 大丈夫だった!?」

 戻ってきたあたしに、開口一番瑠璃が問う。

 そんなに心配させるような光景だったのだろうか。

「大丈夫だよな、あの目は明らかに『不屈の戦姫』だったし」

 村松くんはおどけながらそう言った。

「まぁね。周りから見てどうだったかは分かんないけど、穏やかなもんだったわよ?」

 ホッと溜息をつく瑠璃と、優しく微笑む麻衣。


「ちょっとしたライバル関係には、なっちゃったけどさ」


 安心していた3人は、あたしからの穏やかならぬ言葉を聞き少し驚いたようだ。

「だから、協力よろしく!」

 おどけていた村松くんも、心配していた瑠璃も、柔らかい笑みをあたしに向けていた麻衣も、あたしのこの一言には口を開けて呆然とするしかなかった。


(自分でも分かってるわよ。でも言い聞かせて自分を奮い立たせないと、ね?)


「な、何言ってるの弥生さん!? 5組といえばあの魔女が管轄するクラスよ? やっぱり貴女、さっきのお嬢様と何かあったんじゃないの!?」

 突然の宣言に、瑠璃が噛みついた。

「あった……っちゃあ、あったね。まぁ何にしてもさ、5組とやる時はあたし全力出すから」


(あのお嬢様のためにも、あたしのためにもね)


「春開催が終わったってのに、不屈っぷりにますます拍車がかかってんぞ、高坂」

 村松くんは呆れるようにそう呟いた。

「弥生ちゃん、言い出したら聞かないから……」

 同じく麻衣も諦観していた。

「さすが麻衣だねぇ、あたしのこと良く分かってるじゃないの」

「何があったのかは知らないけど、弥生ちゃんは陽子さんに負けられないんだね?」

「そーゆーこと!」


「きっと5組じゃなくても、弥生さんはいつも全力でしょうし、ね」

 最後まで納得していなかった瑠璃も、やっぱり諦めてそう呟いた。


「あたしはやるわよ。見てなさいお嬢様!」


「張り切りすぎよ弥生さん」

「沢木さん、そうなったらもう弥生ちゃんに何言ってもダメだよ」


「せいぜい怪我しない程度にコントロールしますかね。戦姫を」


 村松くんが笑いながら言った一言と予鈴が重なり、あたし達は学食を後にしたのだった。


     * * *


「思い出したか?」


(そうだった……忘れてた、あたし忘れてた)


 お嬢様と約束したんだ。

 あの子の全力を、あたしも全力で受け止めるって決めたんだ。


「あれ見ても高坂はまだ夏開催をスルーするのか? だったら俺はお前を軽蔑するぞ」

 言葉では怒っていても、村松の表情は優しかった。

「そうよ! ただならぬ思いを感じたからこそ協力するのに、肝心のあなたがこんなで……どうするのよ」

 瑠璃は怒ってた。

 けど、少しずつ言葉が柔らかくなっていた。

「お前から俺たちに宣言したんだぞ?」


(ホントに腑抜けてたのね、あたし)


「ねえ? 瑠璃、村松くん」


 2人はあたしの顔をじっと見つめた。


「夏開催の費用って、どうなってんの?」


 安堵の溜息を浮かべる村松くんと、破顔する瑠璃。

「交通費宿泊費、全額学校が負担。勿論食事代もよ!」

 そう説明する瑠璃の目には、ちょっぴり涙が浮かんでた。

「まぁ土産代は流石に出そうにないけど、自腹切る必要は殆どないらしいぞ」

 付け足す村松くんは楽しそうに笑っていた。

「そう……なら何も問題はないわ! お母さんもそう言ってたもの!」

 腑抜けたあたしに喝を入れてくれた瑠璃。

 全てを語らず、あたしが思い出せるように導いてくれた村松くん。


「2人とも……ありがと」



「高坂様、お嬢様より伝言です」

 そしてあたしに、田中家メイドの今宮さんが止めの伝言を届けにきた。


「『夏開催、楽しみにお待ちしておりますわ』とのことです」


(もう後には引けないわよ。夏開催、やってやろうじゃないの!)


 あたしはお嬢様の目を見つめたまま今宮さんに言う。

「言っといて。『望むところよ! 返り討ちにしてやるわっ!』って」

 それを聞いた今宮さんは、とても嬉しそうにお嬢様の元へ去っていった。


     * * *


 田中陽子の元へ戻ったメイド今宮楓がなにやら耳打ちしている。


「負けませんことよ!」

 お嬢様の高らかな声が学食に響き渡る。


「あんたにゃ絶対負けないわよ!」

 戦姫も高らかに宣言する。



「まぁテンション高めるのは良いけど、ここ学食だぞ」

 村松一太は興奮気味の戦姫を見上げながら呟いた。

「注目を浴びるってこんなに恥ずかしいことだったのね。私知らなかったわ」

 隣に座る沢木瑠璃も溜息混じりに呟く。


「沢木、お前だけはその台詞を使っちゃいけない存在だぞ」


 戦姫に暴走メロン。


 二つの厄介ごとを抱えた一太は、瑠璃以上に大きく溜息をつくのだった。


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