24.お嬢様と不屈の戦姫
「お久しぶりでございますわね、『不屈の戦姫』高坂弥生さん」
少し不機嫌そうに言うお嬢様、田中陽子。
「あんた、毎回そのあだ名を付けないと気が済まないわけ? 田中陽子『お嬢様』!」
それにしっかり噛み付く戦姫、高坂弥生。
”Scintillation”とは『星の瞬き』。
しかし英単語が大抵そうであるように、やはり”Scintillation”にも違う意味がある。
例えば……『火花』。
お嬢様と戦姫の間に飛び散る火花が、学食を異様な空間に変えはじめる。
”Cafe Scintillation”……ここは今『火花散る』喫茶店。
戦姫とお嬢様の睨み合いを目の当たりにした、村松一太。
彼は誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
「えーっと。クラス対抗戦の場外ラウンド、開始か?」
* * *
「高坂様、お飲み物は如何なさいますか?」
睨み合うあたし達の間に今宮さんがスッと入ってきたことで、ようやくこの場の緊張が解かれる。
けれど突然のオーダーに狼狽してまともな返事を返せないあたし。
「今宮、わたくしと同じものを高坂さんにも」
そんなやり取りを見て、お嬢様は半ば強引にオーダーを告げた。
「はい、かしこまりました」
静かに、それでいて迅速にカウンターへ向かっていく今宮さん。
メイドさんが『学食』でドリンクを注文するシュールな姿は、間違いなく周りの注目の的だった。
カウンターのおばさんは慣れているのか、さほど驚いていないようだ。
(でもやっぱ普通はそうよね……)
カウンターでドリンクを注文していたのであろう女生徒は、手に持っていた財布を落とすくらいに呆然としていた。
(それが普通の反応よ!)
チラッと見たら、麻衣たちも完全にメイドさんに目を奪われてたくらいだもの。
「冷めないうちにランチをお食べになられては?」
そんな様子を眺めていたあたしに、目の前のお嬢様はそう告げた。
お嬢様は既に食事を終えていたのだろう、テーブルには薄い琥珀色の液体の入ったティーカップのみが置かれていた。
食事を再開したあたしを観察するように、じっと眺めるお嬢様。
テーブルマナーなんて知らないあたし。
上流階級であろうお嬢様の目の前で、使い慣れないナイフとフォークを使う極一般家庭の娘。
悪戦苦闘しつつナイフで切り、フォークにチキンを刺す。ロールパンを丸齧りしたくなる気持ちを抑え、ちぎって口に運ぶ。スープは音を立てず、出来るだけ上品に。
(あーもう! 何でこんなことしてんのよ!)
あまりに日常と掛け離れた展開に、かなり梃子摺りながら食事を進める。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、お嬢様はテーブルマナーとは無縁の話を始めた。
「高坂さんは『タナカホールディングス』をご存知かしら?」
聞いた事あるような無いような。
そもそもタナカという単語自体、色んなところで耳にするのよね。
「それなりの企業ですのよ? 仙里町の『ショッピングプラザ・タナカ』と言えばご理解いただけますこと?」
仙里町の美空仙里駅前にあるタナカは、4階建てのデパートだ。
零夜がスラックスを買ったのもここだし、あたしも小さい頃から何度も利用してる。
「全国展開してるデパートよね? タナカ……えっ! あれってもしかしてあんたのとこのデパート!?」
タナカという名前と、目の前のお嬢様が結びつくなんて思いもしなかったわ。
「ええ、それにこの学生食堂の経営もタナカ。隣県のテーマパークの経営も。将来計画されている美空仙里市営バス第三セクター化、その資本提供なども計画されておりますわ」
メイドという現実離れなんて可愛いものってわけね。
「あんた……見た目や口調だけじゃなくて、正真正銘のお嬢様だったんだ」
「残念ながら」
残念ながらという言葉を口にしたお嬢様は、その意味の通り本当に残念そうに、むしろ少し寂しげすらに見えた。
妙に儚く見えて、それが逆にお嬢様である事を強調させる。
お嬢様とあたしの間に流れはじめた微妙な空気。
「お待たせいたしました。ストレートティです」
紅茶を持ってきた今宮さんが、再びそれを流し去ってくれた。
ディーカップに入った紅茶をトレイに載せ、あたしの返事を待っている今宮さん自身も、微妙に場違いなシュールさを持ってる事に違いはないんだけど。
「あ、ども。えっと……幾らですか?」
何とか気力を振り絞り言葉を口にするあたしの気力は、ご飯を食べてもむしろ減っていく一方。
「いえ、結構でございます。お客様へのおもてなしですのでどうぞお受け取りください」
「気になさらずお飲みなさいな、高坂さんをこちらに呼んだのはわたくしですもの」
紅茶一杯で恩がどうこうなんて思いはしないけど、こういうのに慣れてないから戸惑ってしまう。
おごられ慣れてないんじゃなくて、この環境自体に慣れてないんだけどさ。
断っても逆に失礼になると思い、あたしは紅茶を素直に受け取った。
味わう余裕もないまま何とかCランチを胃に流し込み、一口紅茶を飲む。
(紅茶って心を落ち着かせる効果とか、あるのかな)
幾分落ち着きを取り戻した、思ったことをストレートに口に出してみた。
「で、何の用?」
ストレートすぎたかもしれない。
「その気の強さが、貴女を『不屈の戦姫』と呼ばせているのでしょうか?」
相手は捻くれてるけど。
「だから、そんなこと聞かれてもあたしの知ったこっちゃないわよ!」
「わたくしには持ち得ない芸当でございますわ」
「あんた馬鹿にしてる?」
何だか鼻で笑われてる気がして、徐々に沸点に近づいていくのを感じる。
「大体! 口を開けば『不屈、不屈』って、あんた何が言いたいわけ?」
「『不屈』は人を蔑むような表現ではないと思いますわ、むしろ」
「あんたが言うと、どうもそうには思えないのよ!」
「随分と曲がった考えをお持ちでらっしゃるのですね」
「うっさいわね!」
思わずテーブルを叩いて立ち上がったあたし。
「お嬢様! ……いけません」
立ち上がったあたしではなく、今宮さんは何故かお嬢様を止めた。
そして今宮さんの一言で、お嬢様の雰囲気は少しずつ変化していく。
いつもの威風堂々としたお嬢様らしさをなくしてしまったかのように、徐々に俯いていくお嬢様。
ややあって、お嬢様は俯きながら小さく呟いた。
「……羨望しているのですわ、貴女という人に」
大企業の大金持ちが親族の、正真正銘のお嬢様。
彼女にあたしが羨ましがられるような要素は、今のとこ一切考え付かない。
「お嬢様に羨ましがられるたぁ、あたしも立派な人間になったもんだね」
「少し、真面目なお話を……いたしませんこと?」
彼女は本気であたしに何かを話そうとしている。
それはあたしでも分かった。だから、
「わかったわ、ちゃんと聞くから。ごめん」
あたしも少し本気で彼女と向き合うことを決めた。
「んで……羨ましいって、どういうことよ」
「貴女のように、強くなりたいんですの」
少し悲しそうな顔と声で切り出し、お嬢様の独白は始まった。
今お嬢様自身が置かれている家庭の状況を、ゆっくり、自虐するように。
それはあたしが想像していたお嬢様像とは掛け離れた、一人の女性の悩みだった。
父がタナカホールディングスの社長であること。
姉とお嬢様の2人で、両親には男系の子供がいないこと。
それ故、両親は姉妹のどちらかに婿を取らせ、その婿に会社を継がせたいと考えていること。
彼女の姉は既に何度かお見合いをさせられ、恐らく近いうちに婿を取るだろうこと。
「お姉さんが婿を取って後を継ぐなら、あんたはその分、自由になれるんじゃないの?」
「姉に全てを押し付けるのは気が引けますわ。ただ、姉は自らの置かれた状況に何ら疑問を抱いておりませんし、それはそれで幸せなのかもしれませんが……」
しかし両親は、どうせなら次女である陽子も婿を取り、その旦那が長女の婿をサポートする形望んでいるらしい。
つまり目の前のお嬢様自身も、いずれは婿養子を取らなきゃならないってことだった。
あたしはあたしで悩みがあるように、お嬢様にもやはり悩みはあるのだ。
「それに相応しい女性となるようにと、わたくしは親に言われるがまま仙里高校へ入学いたしましたの」
「でもあんたはそれを望んでない」
「ええ……けれど、つい数ヶ月前までは親の言うとおりに生きるのが当たり前のように、それが当然だと思っていましたのよ?」
「でも今はそうは思えなくなった……ねぇあんた、親には反論できないわけ?」
「お嬢様は中学卒業まで、旦那様の言いつけどおりに生きてこられました。ですので、もし逆鱗に触れ屋敷を追い出されるようなことになれば、1人で自立した生活を送る事は到底……」
悔しそうに口を閉ざしたお嬢様に替わって、今宮さんが補足してくれる。
「ですがわたくし……高坂さんを見て思いましたの。強く生きるということが輝かしいものなのだと」
「……はぁぁあぁ!?」
何突拍子もないこと言い出すのよこのお嬢様は。
ちょっと瑠璃の顔が頭を過ぎったじゃないのよ!
「相沢さんも匠さんも姫野先生も、クラス対抗戦で最も怖い存在は1組だ、それも『不屈の戦姫』である高坂弥生だ、と断言されてましたわ。それを聞いて、貴女を見た時に感じたものが確信に変わりましたの」
5組、あたしを持ち上げすぎ……。
「わたくしに貴女のような強さがあれば……決して屈しない『不屈』の意志があれば、両親の保護の元から放れることが可能なのではないかと」
「あんたが不屈不屈ってあたしに絡んでくるのは、そういうことだったわけね」
あたしの低い声に慌ててフォローを入れる今宮さん。
「お嬢様にとって……高坂様は『そうありたい』と思う理想の姿なのです」
俄かに信じがたい、
何不自由ないお嬢様が、田舎暮らしで馬鹿娘なあたしを理想像にしてるなんて。
「わたくしと高坂さん、何が違うのでしょうか……」
俯きながら彼女が小さく口にしたそれは、とても重要な言葉のように思えた。
取り巻く環境も違えば、悩みの質も違う。
だけど、悩んでるのは同じなのに。
どうしてあんたはあたしを強いって言い切るのか。
(……あんたはあたしの何を見て強いって、不屈って思ったわけ? 同じ高校生なのに、ついこの間だって駅伝で……えきでん?)
頭の中で一際光る何かを見つけた。
(あったわよ、あんたを強くする方法が!)
「あたしにゃお嬢様の苦労なんて分かんない」
あたしの声に少し肩を震わせたお嬢様。
とても辛そうで、抱きしめてあげたい。
「だけどあんたも、あたしに似た物を持ってるわ」
お嬢様はゆっくり頭をもたげる。
目は少し虚ろ、心ここにあらず、なのかもしれない。
「駅伝で負けた2組より、あたしにゃ5組こそがライバルだって思ってる」
「ライバル……?」
「弾丸娘に灰色のあいつに魔女、そしてお嬢様。あんた達には負けたくない」
あたしはあたしで、自分が何を言ってるのか分かんなくなってきてる。
けど、言わなきゃいけないような気がする。
直感が告げてる。
「わたくしは貴女の強さの原動力を知りたい。ですから、戦う事は望んでおりませんわ……」
気付きなさい! あんたが強くなる為の意味がそこにあるんだから。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
今宮さんは分かってくれたんだろう。
「高坂様にとってお嬢様は、ただ敵対する人物というだけではないのです」
「ではわたくしはどういった存在なんですの?」
「ライバルとは『好敵手』。お嬢様のクラスには負けたくない、という気持ちが高坂様を強くしているのです」
「ライバルが強くする……」
「高坂様に負けたくないという強い意志をお嬢様自身もお持ちになる事が、お嬢様を強くするのでございませんか?」
「強くなるかは分かんないよ。けど、お嬢様があたしを越えようとするなら、あたしは更にその上を行こうとするわ」
お嬢様の家庭の悩みはスケールが大きすぎる。
けど、あたしにはお嬢様を焚きつけるっていう、あたしにしか出来そうにないことがある。
「あんたに負けたくないって思ってるあたしを、あんた自身は『強い』とか『不屈』って思ってるわけ。この意味分かる?」
そして今宮さんが軽く背中を押す一言をお嬢様に告げる。
「お嬢様自身も、高坂様の強さの要因の一つなのですよ?」
考え込むお嬢様に、場は沈黙を作り出す。
「なるほど……分かりましたわ」
俯きながら、しかし力強い声で声を返すお嬢様。
最後にもう一度、軽く背中を押す。
「ライバルのあんたがしっかりしてくんなきゃ、張り合いがないのよ」
さぁ見せてみな、お嬢様の出した答を。
「わたくし、不肖ながら『不屈の戦姫』の好敵手に立候補させていただきますわ!」
お嬢様が出した答えはライバル宣言だった。
自分で自分を奮い立たせる為に、あえて口に出して宣言する。
きっとお嬢様に足りなかったのは戦おうとする意志だったんだと思う。
だってほら、目の輝きが違うじゃない。
やっぱり陽子お嬢様はこういうイメージじゃないとダメよ。
でもね。
残念ながらあんたがライバル宣言した相手は『不屈の戦姫』。
ちょっとやそっとじゃ屈したりしないわ、あんたも大変ね。
「そーかいそーかい! こりゃますます5組にゃあ負けられないね」
戦姫として挑発混じりの返事を返す。
今のお嬢様にはその方が良いに決まってるもの。
「おいでお嬢様! 返り討ちにしてやるわ!」
お嬢様があたしを見つめる眼には、薄っすらと涙が滲んでいる。
「自らの意志で選んだわけではない仙里高校ですが、今は、良かった、と思えますわ」
けれど、表情は全然暗くない。
もうお嬢様に慰めなんていらない。
「そりゃよかった。でも今みたいに弱気だと、足元すくわれるわよ?」
だからわざと挑発的に笑ってみせる。
「ですわね……夏開催が……楽しみですわ」
そう言ったお嬢様の顔は、さっきよりずっと輝いていた。