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23.Cafe Scintillation

 梅雨空が久々にお休みした6月の下旬。


「弥生ー、降りてこーい」

「はーい」

(お父さんがあたしを呼ぶなんて珍しいわね)


 いつもと違う朝が高坂家に訪れた。



 2階からリビングに降りキッチンへ向かう。

 キッチンテーブルの上には、極めてシンプルな朝食が並んでいた。

 トーストのみ。

(ねぇ、これって修行?)

 と、そこにお母さんはいなかった。

「あれ? お母さんは?」

「それがな、ちょっと熱があるみたいなんだよ。身体もダルいらしいから、大事を取って今日はゆっくりしてもらうことにしたよ。済まないね弥生」

 なるほど、だから修行用の朝食なのね。

「いいよいいよ、それよりお母さん大丈夫そうなの?」

「ああ、それほど酷いようにも見えなかったし、一日ゆっくり休めば良くなるだろう。もう薬も飲んだようだしね」

「分かった。んじゃ学校行く前に顔見ていくよ」

「ああ、そうしてやってくれ。ところで弥生、ご飯なんだが……」


 あたしに食事を作れと? お父さんいつからそんな命知らずになったのよ。


「昼ご飯だよ、父さんは役場の近くで済ませることにしてるが、弥生はどうするんだ?」

 我が家の昼食はいつもお母さんのお弁当って決まってる。

「あー……まぁ学校に学食と購買が揃ってるから大丈夫。お金があればだけど」

 あたしもお父さんも、お弁当を作るという考えは持ち合わせていない。

 料理が作れないんだもの。

 昼食は購入するなり外食に頼るって事になるのは自明の理よね。


 お父さんから夏目漱石さんを1枚もらい、家を出る。

 その前にちゃんとお母さんの様子を見に行ったわよ?

 少し気だるそうにしてたけど、動けるし大丈夫って言ってたから少しホッとした。

 今日は早めに帰ってこよっと。


     * * *


 教室へ入り自分の席へ座ると瑠璃がやってくる。

 遅れて、荷物を置いた麻衣と零夜。


 麻衣とあたしに零夜、そして瑠璃。

 何時ものように雑談でショトホまでの時間を潰す。

 何も変わらない日常。


 ただ、佐々岡さんたち一部の女子から受ける視線は、やっぱりちょっと痛い。

 あたしもあたしで図書館での一件以来、麻衣とも零夜とも少しぎこちない。


 だから瑠璃の存在には救われた。


「ってことがあったわけよ」

 あたしは今朝のことを瑠璃に話していた。

 3人で登校するときにはこんな話題ですら出すのを躊躇う位、あたしは警戒していた。

 何に警戒しているのか、自分でも分からないけれど。


「へー、それじゃ弥生ちゃん、お昼はパンなの?」

 瑠璃をクッションに、麻衣も会話に混じる。

「うーん、折角だし学食の料理を体験してみたいなぁって思ってるとこ」

 購買は既に経験済み。

 とはいえその記憶はあまり良いものではない。

 姫野先生にシュークリーム奢ってもらった件で、ちょっと目立ちすぎてるのよ。

 だから購買を避け学食を希望した。


「値は張るけど、どれもかなり美味しいみたいね」

「え? 高いの? 学生用の食堂って、リーズナブルが売りじゃないわけ?」

「仙里の学食は味を追求してるって聞いたよ?」


 あ、そっか。仙女時代はお嬢様校だったんだから、大衆より上流階級向けなのかもしれないわね。


「ねえ、麻衣と瑠璃も行こうよ! って、お弁当だっけ……」

「必ず注文しなきゃいけないわけじゃないわ。お弁当や購買のパンを持って学食に行く人もいるらしいもの。場所を利用するだけなら自由だったはずよ」

 何も知らないあたしに、瑠璃はそう説明してくれた。

「じゃあ2人とも決定ね!」

「零夜さんも……どうですか?」

 控えめながらもしっかり自己主張するのを忘れない麻衣。

 佐々岡さんこっち睨んでるし。


(っていうか睨むなら麻衣でしょ、あたし睨んでどうすんのよ!)


 零夜はあたしと同様、少し距離を置いているように見えなくもない。

「僕は野元くんたちと食べてるし弥生達だけで行ってきなよ」

 少し悲しそうな顔の麻衣と、ホッとしたような佐々岡さん。


 2人の顔が酷く対照的な、そんな朝の1コマだった。



 4限が終わりお昼ご飯の時間。

 お弁当を手にした麻衣と瑠璃を連れて、あたしは生徒棟にある学食へ向かった。


 生徒棟の施設なんて、春の対抗戦二戦目で麻衣たちが使った家庭科調理室くらいしか見たことない。

 調理室は1階入り口付近だから学食を見るには至らなかったのだ。

 あ、姫野先生に連れられて2階にある購買にも来たっけ。

 ……あれはあんまり記憶に留めておきたくないのよ。

 購買のおばちゃんは姫野先生とあたしを見て、目をまん丸にして驚いてたし。

 そりゃそうよ、その時まだ授業中だったんだもん。


 未だに足を踏み入れた事のない学食。


 だからあたしは少しワクワクしていた。

 もしかすると麻衣や瑠璃も興味があったのかもしれない、


 だけど……学食のある2階へ到着したあたし達は、言葉を失った。



「し、シンチレーション?」


 Cafe Scintillation


 流れるような筆記体で書かれた看板。

 そのお洒落な名前に相応しく、お洒落で優雅な雰囲気が漂う仙里高校の学生食堂。

 まるでどこかのフレンチかイタリアンレストランのようだった。

 名前の意味は良く分かんないけど、早い安い量が多い、そんな風に想像していたあたしを、良くも悪くも裏切るものだった。


「ねえ瑠璃……あんた学食使った経験、ある?」

「……ないわ」

「麻衣、部活でよくここに来るんでしょ?」

「月に1回あるかないか、放課後に、だよ?」

「あたしをどーしたいわけよ! 仙里の学食は!」



 生徒棟の東半分を占める”Cafe Scintillation”は、2階構造になっていた。


 1階はチラッと見ただけなので詳しい事は分からないけれど、窓際は完全にオープンカフェの様相を呈しており、明らかに学食から逸脱していた。


 そしてあたし達が今いる2階はカフェテリア形式の、これまた学食とは思えないお洒落な雰囲気。

 1人席は20席ほど、男子が数名座る以外はほぼ空席。

 あとはテーブルがたくさんあってかなりの人数が座れそうだ。

「4人掛けのテーブルが30……100人は余裕ってことかしら」

「わっ、弥生ちゃん見て! 窓が全面ガラス張りだよ!」


 明らかにぶっ飛んでる。

 上級生のお姉さん達が優雅な一時を過ごしていた。

 明らかに学食の域を超えた学生食堂。


 それが”Cafe Scintillation”だった。


 めんどくさいし読みにくいだろうから、今度からシンチレーションで良い?



「あれ? お前ら今日は学食なのか」

 雰囲気に圧倒されていたあたしたちに、この場には意外な存在の村松くんが声を掛けてきた。


「え、えぇ……。弥生さんが今日はお弁当持ってこられなかったのよ。私たちはあるんだけど」

「あたしもう、購買でパン買ってこようかなぁ。こんなの無理よ」

「高坂は学食初めてなのか? 良かったら案内してやるぞ?」

「え! まじ!」

 村松くんの背中越しに、何故かまばゆい光を感じた。


「んじゃ、国崎と沢木は適当なテーブル確保しておいてくれよ。高坂、メシ確保しにいくぞ」

 村松くんはクラス対抗戦の時みたいに的確に指示を飛ばすと、昼食を確保しにカウンターへ向かって行った。

「なんか意外よね」

「村松くんって学食通だったんだ……って、弥生ちゃん置いてかれてるよ!」

「水は向こうかしら。ドリンクはあっちで買えるみたいね。国崎さん行きましょ」

 麻衣と瑠璃がお水を取りに行き、あたしは村松くんを追いカウンターへ向かった。



「不屈の戦姫も学食システムを前に完敗、とか、笑えないぞ」

 そう言いつつも思いっきり笑ってる村松くん。

「良いのよ! 勝つべき時に勝てばそれで!」

 そんなあたしに適当な返事を返す村松くんは、笑いながら聞いてきた。

「高坂って、量は多く食う方なのか?」

「んー、どうだろ、人並みってとこだと思うけどなぁ、小食ではないね」

 既に汚点を色々知られているのだ、今更乙女ぶっても仕方ない。

「ならランチにしたほうが良いな。Cランチで650円。単品でどんどん取ってくと1000円近くかかるぞ」

「まじで!?」

 お父さんから貰った夏目さんがあっという間に飛んでいくなんて……。

「俺が取るのと同じにしとけ……」

 少ない言葉で事情を察してくれた村松くん、流石クラス委員長。

「そうする……」

 あたしと村松くんは『本日お勧めのCランチ』を取り、レジで会計を済ませみんなの元へ戻った。



 バターロールパンにチキンソテーとシーザーサラダ、コンソメスープ。村松くんはパンの替わりにご飯、俗に言うライスってやつ。

 デザートに杏仁豆腐がついて、オマケにドリンク券までセットになってる。

 そんなCランチはなかなかボリュームもあり、それでいてお洒落。


 確かにこれで650円は安いかもしれない。

 そういえば対抗戦の目録で『学食ドリンク券』貰ったっけ。

 ここか1階のオープンカフェみたいなところで使うのかな、ちょっと楽しみかも。

 開催優勝で学食券3枚も……しまったっ! 今使えばよかったんじゃん!



「うっわー、美味しそーっ!」

「話には聞いてたけど、これは凄いわね」

 麻衣と瑠璃は感心しきりだ。

 あたしだって、東美空で一番近代的な施設が高校の学食だった、なーんて思いもしなかったもの。

 同じカフェテリア方式でも、商店街の『大衆食堂たきざわ』とは大違い。

 まぁあっちはあっちで捨てがたもんはあるんだけど。美味しいのよねぇ、滝沢のおばちゃんが作るサバ味噌。


「では頂きます」

 瑠璃の音頭でお昼ごはんのスタート。


 まずは何に箸を伸ばそうか、と言う台詞が使えないナイフとフォーク。

 ご飯食べる前から疲れるんだけど……。

 チキンを何とか一口大に刻み、フォークで口に運ぶ。

「うわっ! 何これっ! 美味しっ! ありえない……何この味、どこのレストランよ!」

 とても学校で食べるようなものとは思えない、上品で繊細な味。

「確かに村松くんが量を確認してくるはずだわ、量も十分だもの」

「な? 1人に慣れてでも食いたくなるだろ?」

「あんた、こりゃ常連になるわけよ……」

 ニヤリと笑う村松くんに、あたしは降参の白旗を振った。


「ねえ、券貰ったんだしさ、今度また来ようよ」

 そう言って麻衣と瑠璃を学食の魅力に引きこもうと企てる。

「チケットあるならお金の心配しなくていいもんね」

「見ると食べたくなるわ、これは流石に」

 みんなを学食の虜にして、また来てやる!

 春シーズン優勝のご褒美は想像以上に大きいものだったのかも。

「俺はもうあのチケット使い切ってるぞ……」

「学食の主は違うわね、あんた早すぎよ」

 既に恩恵を受け終わった男もいるようだけど。


 そして麻衣とがおかずを交換し合い、それを見た瑠璃が「私も!」と叫びながら参戦して、いつものやり取りが始まる。

 村松くんは食べながら学食のシステムを丁寧に教えてくれる。

 それは、とても充実した昼食だった。


 あれを見るまでは……。



 あたし達より先に松村くんはほぼ食べ終わったようで、ボーっと窓の方を眺めていた。

「なぁ高坂、あれ……何だか分かるか?」

 そう言いながら顎で窓際を指す村松くん。

「ん? どれ?」

 指す方向に顔を向けると、そこには……。

「どうしてあんなのが東美空みたいな片田舎に、それも高校の中にいるのよ!」

 しかも学食……そりゃ確かにここの学食は造りも近代的でお洒落かもしれないけど、でもそれが存在を許容する理由にはならない。


「メイドだなんて、あたしは認めないわよ!」


 何で学食にメイドがいるのよ、ありえんて……。

「沢木も国崎も、俺達がランチ取りに行ってる間に気付いてたみたいだけど。やっぱメイドだよな?」

 そう念を押されると、メイドがどういうものなのか見たことないから断言できない。

 でもあれはメイド以外の何者でもない。

「高坂は気にしてなかったから、てっきり事情を知ってるもんだと思ってたんだけど、違ったのか」

「知るわけないじゃないの!」

 あんな『明らかに学校じゃない場所』みたいな雰囲気醸し出してる一角の事なんて。

 確かにこの学食自体、東美空の一般的から比べりゃかなりぶっ飛んでる方だけど、あのメイドはそんな学食をはるかに上回るぶっ飛び方よ!


 そんな疑問を解決に導き出したのは、意外にも麻衣だった。

「多分、あれ、陽子さんが連れてるメイドさんだと思うよ……」

 陽子、田中陽子……。

「あの『お嬢様』ねっ!?」

 メイドを学校に同伴するなんて、これで真のお嬢様だってことが決定しちゃうじゃないのよ!

 ゴシップ好きの似非お嬢様だって思ってたのに、これじゃまるで貴族じゃないのよ!

「麻衣、それは根拠があるのよね?」

 あたしは認めないわよ……。


「うん。陽子さん、部活で遅くなったときにリムジンで帰るところ見かけるから」


「「ありえねーっ!」」


 規格を超えるお嬢様っぷりを見せ付ける『お嬢様』田中陽子。

 その底知れない恐ろしさに驚愕して、あたしと村松くんは口を揃えて叫んだ。


「そんなお嬢様、漫画やアニメでしか見たことないわよ!」

「俺……今まで学食でずっと、そんなもの見てたのか」

「お嬢様のレベルを甘く見ていたわ……私」

 事情を知ってそうな麻衣はあまり反応を示さない。

 けれど叫んだあたし達に瑠璃を加え、一般人3名は完全に放心状態。

 未だに知らない世の中の実情を、これでもかとばかりに見せ付けられ、ぐったりとしながらそれぞれ呟いた。



「彼女、こっちを見てるわ。弥生さんを見てるんじゃないかしら?」

「へ?」

 瑠璃に言われ改めて陽子お嬢様を確認すると、周りにメイドさんの姿はなく、彼女は1人、あたしをじっと見ていた。

 佐々岡さんとも瑠璃とも違う、何とも言えない落ち着かなさを感じてしまう。


 妙に主張を感じさせる視線をこちらに向けるお嬢様。

 そんなお嬢様を見つめ返していたあたしを、誰かが背後から呼んだ。


「『戦姫』高坂弥生様、でいらっしゃいますね?」

 妙に堅苦しい言葉に振り向いたあたし。

「へ? ……ぅ、うわあぁぁっ!」

 そこには、今話題の『メイド』が立っていた。

 しかもあたしをご指名で。ご丁寧に『戦姫』と冠までつけられりゃ、そりゃ驚くわよ。


「わたくし、田中家給仕の今宮楓いまみやかえでと申します」

「きゅ、きゅうじ?」

 田中家、今宮楓さん、は理解出来る。けれど給仕って何なのかが分からない。

 そしてその給仕今宮楓さんが、何故ここに来たのかも分からない。

 しかもあたしに用があるだなんて。

「メイド、と思っていただければよろしいかと」

 なら最初からそう言って欲しい……。


「高坂様、お時間はございますでしょうか? 陽子お嬢様の願いを聞いていただきたいのですが」

「願い?」

「はい。戦姫と一度、食事を共にしてみたい、とのことでございます」

 瑠璃と言い、お嬢様と言い、一体何なわけよ。

 あたしの平穏無事な高校生活はもう帰ってこないんだ、仙里受験の動機自体かなり間違ってたけどさ。

 それでも流石にこの不条理を受け容れる余裕はないわよ!

「まぁ……長くならないなら別に良いですけど」

 やっぱ口には出せないよねー。

「そうですか、ありがとうございます」


「な、なんか大変なことになってきたな……高坂大丈夫か?」

 事の異様さに、村松くんは心配してる。

 麻衣と瑠璃は完全に唖然としたまま動かなくなってた。

「あぁ……うん、多分大丈夫。獲って食われたりはしないでしょ。んじゃまぁ行ってくるわ。長引くようなら、みんなご飯終わったら適当に帰ってて」


 と、立ち直った瑠璃が突然あたしの腕を取り引っ張った。

「弥生さん! 私もついていくわ!」

 何故かあたし以上に気合の入った瑠璃。

 何でもない事を大事にしかねない恋する乙女。

 危険な台風を、乙女の事情を深く知っている残りの2人に任せてあたしはテーブルを離れた。



 Cランチをトレイに載せて運ぶメイドさん。

 そのCランチは間違いなくあたしのだ、しかも食べさしの。


(シュールすぎ……)


 そしてメイドさんの後ろをついていく形で、お嬢様の待つ窓際席へと移動する。


(何この光景……)


 メイドを先頭に学食内の人込みが割れていく。


(あぁ見て麻衣、瑠璃、村松くん。海が、海が割れたわ……とでも言えばいいっての?)


 当然、割れた人込みの向こうには十の戒めが書かれた石の板なんてない。



 あったのは不機嫌そうな表情を浮かべた『生粋のお嬢様』だった。


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