21.一方的なお勉強会
学力向上キャンペーンで涙したスイカお姉さん。
姫野スパルタ塾塾長、姫野絵美。
目を被いたくなるようなあたしの学力を懸念したのは彼女達だけではなかった。
「図書館で少し、勉強しておかないかい?」
かなり真面目な顔で零夜が言ってきたのだ。
(今日は魔女のご指名も無いし、さっさと帰ろ)
なんて思ってたあたしはやっぱり甘かったらしい。
姫野先生の『高坂、いいな?』的オーラと、若干似た雰囲気を醸し出す零夜。
零夜から「勉強しよう」なんて言ってきたことなんて、今まで一度もなかったのに。
(何? 最近はあたしを拉致するのが流行ってるわけ?)
そりゃ確かにあたしの成績も悪かったと思うわよ?
幼馴染として情けない、ってのも想像つくし。
あたしが零夜の立場だったら、恥ずかしくて隣を歩くのも嫌になるって思うもの。
だからって、何の予告もなしにいきなり『図書館でお勉強会』ってのはないんじゃない?
(そんな事いきなり言われたって、嫌に決まってるじゃないのよ)
なんて言えないくらいに酷かったあたしの成績。
断る事も出来ずに無言で縦に首を振るしかなかった。
昨日の姫野先生に続き、今度は零夜に拉致される178位のあたし。
でもまぁ見てもらえるなら見てもらった方が良いもんね。
少しは両親を安心させたいし。
渋々ながら同意したあたしの腕を取り連行を開始する零夜。
、有無を言わせない迫力はなお健在だ。
「や、弥生ちゃん! 私も……いいかな?」
そんな零夜を止めた『青い才女』国崎麻衣も、あたしにとって救いの存在とは言い難い。
だけど受験でもお世話になった衣の教え方は、とても分かりやすくて好きだった。
零夜の迫力に負けてるあたしには、麻衣の存在はそれなりに大きい。。
(まぁ……麻衣の場合はあたしの心配じゃなくて、零夜のそばに居たいんだろうけどさ)
動機の不純さはあるけど、そこはほら、軽く笑って流せばいいことよ。
可愛い親友が恋に一生懸命な姿って、応援したくならない?
ってことで、断る理由なんてない。
「僕1人で大丈夫だから、国崎さんは帰って良いよ」
そんなあたしの考えとは、見事なくらい逆を行った零夜。
(はぁ? もう少し空気読みなさいよ!)
少し冷たい目で麻衣を見る零夜は、今までにあまり見た事がない難しい表情をしていた。
「受験の時はあまり見てあげられなかったし、その分のお詫びもしたいんだ」
そんなことを言う零夜。
確かに受験前に勉強を教えてもらう約束をした。
零夜マザーの存在もあって、機会に恵まれる事はさほど無かったけど。
そのお詫びって事なんだろうってのは分かる。
でもそんなの全然気にしてないし、それ以上に麻衣を断る理由がない。
零夜の一方的なお詫びの押し付けに、ちょっと熱くなってしまった。
「いきなり図書館に連行って、あたしにゃ全然嬉しくないお詫びなんだけど」
「だけどあの成績は」
いつになく頑なな零夜。
その言葉を遮るようにまくし立てた。
「そりゃ成績は悪かったわよ? だけど受験と今回の試験は関係ないじゃない」
「関係なくないよ。だってあの診断試験の内容」
「大体、これはあたしの事。あんたが決めることじゃないわよ。勝手に決めないで欲しいわね」
「僕も責任を感じてるんだ」
そんなあたしと零夜の口論を遮ったのは、自己主張を再開した麻衣だった。
「わ、私も! 受験勉強のお手伝いをしたのに、弥生ちゃん『あんなだった』し、責任があると思うんです」
(麻衣……あんたの味方はするわよ。でも『あんなだった』は酷いわよっ!)
なんて言えないあたしの成績。
「そーゆーこと。麻衣にはしっかりあたしを鍛えなおしてもらわなきゃなんないのよ。分かる?」
身を削りながら麻衣のフォローをするあたしって、きっと自己犠牲の塊。
零夜はあまり納得がいかないみたいだけど、3人での勉強会にはオーケーしてくれた。
ちなみにこの状況で一番危険な人物は、恋するメロン沢木瑠璃。
彼女はバス通学なので早々に帰宅。だからこの場にはいない。
これ以上厄介事を増やすのは得策じゃないわ。
瑠璃まで来たら勉強にならないのは目に見えてるものね。
恋するメロンは暴走癖が酷すぎて存在自体が危険なのよ。あたしにとっては。
学校の敷地内の、比較的門に近い場所に立てられている仙里高校の図書館。
ICカードによって入館者が管理され、東美空町民も使える外部開放型、らしい。
あたし達生徒は生徒証がICカードとして機能する、らしい。
あたしが知ってるわけ……あ、もう言わなくても分かる?
受付のおばさんに生徒証をチェックしてもらい、入り口を抜けると、独特の臭いが鼻を刺激する。
そびえ立つような本棚が規則的に配列され、棚にはみっしりと本が埋まっている。
(あたしにゃ縁のない場所……よね、ここって)
館内に人は疎らで、大きめのテーブルには誰も座っていなかった。
仕切りで見えないけど、多分一人席もあまり人はいないように感じる。
それでも異常なまでに静かな図書館というシチュエーションがそうさせたのだろうか。
大きな足音を立てないよう気をつけながら、そっとそっと歩く。
零夜の後に続くようにして奥へ進んでいく。
奥には個室が備え付けられていて、零夜はその内の1つの扉を開けて中へ入った。
紙や本の臭いも、個室に入ると少し薄くなっていた。
お勉強会の舞台はこの個室らしい。
個室には正方形のテーブル、そして椅子が4つ。
零夜はテーブルに鞄を置き適当な席へ座る。
零夜の向かい側に麻衣。
残る2席、どちらに座っても零夜と麻衣に挟まれる。
(逃げ場なし……じゃん)
両サイドを秀才に挟まれ、これから始まる拷問を思うとテンションは落ちる一方だった。
「じゃあまずこれをやってみて」
零夜が手渡したプリントは、この間の学力診断試験に似た感じの問題用紙だった。
「答えはこのルーズリーフに書いて」
そう言われ、ひとまず問題に取り掛かるものの、すぐに手は止まった。
(さっぱり分かんないわよ! こんなのホントに習った?)
あの診断試験、実は高校受験レベルだったらしいのよ。
(それで200点を越えなかったあたしって、ホントに実力で仙里に合格したわけ?)
魔女の言うことが俄かに信じがたくなってくる。
(馬鹿な割には綺麗な字を書く、って自分でも思うんだけどねぇ)
……問題を解くのにはこれといって関係ないらしい。
ちなみに今解いてるのは数学。そんなに嫌いじゃないんだけど……。
30分後。
うんうん唸るあたしに零夜が終了を宣告する。
ルーズリーフを渡し、あたしは机に突っ伏した。
零夜と麻衣があーだこーだ言いながら採点する。
そんな2人の姿を見ながら、
(まぁ……この2人が頭つき合わせて話す機会を得た、って思えばあたしも少しは報われるってもんよね)
なんてことを考えていた。
「数学は相変わらずだね」
「ですね。難しい問題が解けてたり、基本がダメだったり」
姫野先生と同じことを言う2人、どうやらあの絵美ちゃん解析は本当らしい。
けれど、そこから先のアドバイスはあたしの想像とは少し違っていた。
「飲み込みは早いんだから、基礎は程ほどにして難しい問題にトライした方が良いよ」
「基礎をやれ、応用など後で良い」とは姫野先生のお言葉。
けれど零夜は「基礎は程ほどに、難しい問題にトライしろ」って言う。
(魔女とプリンスって、全く逆の解析なんだけど……)
「そ、そうですよね。弥生ちゃん頑張ろ!」
麻衣も言うんだからきっとそうなんだろう。
姫野先生には申し訳ないけど、あたしは長年付き合ってきた親友たちを信用することにした。
だけど、結局いつものパターンなのだ。
頭の良い2人に教えてもらっても、分かんないもんは分かんない。
開始1時間半でオーバーヒートして机に突っ伏すのが関の山なのだ。
1時間半も持てば良いほうだと思うんだけど、どうよ。
「あーもう! 分かんないわよこれ! ギブよ、ギブ!」
「こっちの問題が出来るなら、今の問題も大丈夫なはずだよ」
「その『大丈夫』が大丈夫じゃないから突っ伏してるのよ……」
「れ、零夜さん。弥生ちゃんはこの公式、知らないんじゃないですか?」
知らないのか覚えてないのかは、意見の分かれるところよ麻衣。
「そんなはずはないよ。さっき解けてた問題と今の問題、同じ時期に習ってるんだから」
麻衣の助け舟も零夜の前では笹舟にすらならない。
「で、でも弥生ちゃんって」
どんどん笹を投げ入れる麻衣。
「とにかく、国崎さんは口を出さないでくれるかな?」
片っ端から撃沈させていく零夜。
少しずつ場の空気が重く、そして息苦しくなっていく。
その原因があたしの学力って、笑うに笑えないわ。
「あのさぁ」
怖い顔をして睨む零夜と、泣きそうな麻衣。
そんな2人の関係を何とかするのは勿論、
「あたし基本的に、数学って当てずっぽうなんだけど。解けた問題も理解してたわけじゃないわよ?」
馬鹿にしか出来ない重要な役目だと思うの、違う?
勿論、当てずっぽうなわけないじゃないのよ。
解けた問題が理解できてるかどうかは別問題だけど。
「「……」」
揉めていた2人は、あたしの顔を見て溜息をついて落胆してる。
この日のお勉強会は、空気が読めないあたしの発言をもってお開きとなった。
良いのよ……あたしが馬鹿な方がバランスも取れるってもんよね!
* * *
翌日の朝。
「どうして私を誘ってくれなかったの!」
ショトホの前にお勉強会の話題になり、予想通り瑠璃があたしに詰め寄ってきた。
「だ、だって、いきなりだったから仕方ないじゃないの。瑠璃だってバスで帰るんだし、放課後はちょっと厳しいでしょ? 我慢してよ」
美空町のやや外れに住む瑠璃は、通学だけでも1時間以上は掛かるらしい。
親御さんに車で美空町のバス停まで送ってもらえる朝はまだしも、帰りは乗り継ぎに失敗すれば余裕で2時間から3時間は見なきゃいけないくらい。
いつもあたし達が羨ましいって嘆いている瑠璃。
だから放課後遅くまで残るのは、本来であれば瑠璃には難しい注文。
「……分かったわ。今回は諦めて2人に弥生さんを任せるわ」
あっさり引き下がる瑠璃……逆に怖い。
「だけど2学期からは私も放課後、絶対に時間を作ってみせるわ!」
彼女の本気に、クラスは台風暴走の再来かと身を潜め始めた。
「時間を作るって、どうやってよ」
本当なら聞きたくない先の言葉も、あたしが聞かねば誰が聞く。
「寮よ! 寮に入って東美空に住むわ!」
こぶしを握り締め立ち上がり、声高に宣言する瑠璃。
恋するメロンの本気は、距離の壁をぶち破ろうとしていた。
(ま……まじ? 瑠璃あんた本気なの……?)
なんて怖くて聞けないわよ!
「高坂……強く生きろ」
肩を叩きながら言う村松くんの優しさが心に染み入った。
* * *
図書館お勉強会も今日で3日目。
って言っても今はお昼休み。3回目は3時間後よ。
だけど、2限を終えた後に待ち受ける拷問の事を考えると、気も滅入りっぱなし。
姫野先生は姫野先生で、
「週に1度、応用を教わりにこないか」
なんて言ってた割に、基礎用の問題をしっかり作って手渡してくる。
あたしはそれを家で解き、翌日先生に提出することで『姫野塾塾生の任務』を果たしていた。
(みんな、あたしの馬鹿を心底心配してくれてるんだよねぇ……)
だけど、慣れないことを集中的に進めたせいか、妙な数式が飛び回ってる。
昨日は顔も見た事のない世界の偉人が、何故か流暢な日本語で話しかけてきた。
勿論頭の中で。
姫野先生の課題を提出し教室へ戻るあたし。
「ねえ高坂さん。少し時間ある?」
それを誰かが呼び止めた。
佐々岡さんだった。
「え? あるけど、何か用?」
あたしがそう言うと、佐々岡さんは何も言わず階段を登り始めた。
用件も教えてくれず先を行く佐々岡さん。背中を追って歩くあたし。
無言のまま連れられてきた先は、屋上だった。
佐々岡さんはあたしを入り口に置き去りにするように、どんどん屋上の中央まで進んでいく。
そんな彼女の姿と、今にも降り出しそうな梅雨空があたしを酷く不安にさせる。
ようやくこちらへ振り返った佐々岡さん。
その顔を見れば、目を見れば、不安がなんだったのか分かる。
(零夜のお母さんそっくり……その目、あたしを敵視してるんだ)
敵意を見せる佐々岡さんが、わざわざあたしに用事がある。
と言えば用件は『あれ』以外にない。
「最近図書館で勉強してるわよね? 国崎さんと」
そう切り出した佐々岡さん。
(どうしてストレートに聞けないかね、この娘さんは)
ホントに聞きたいのはお勉強会でも、講師が麻衣ってことでもないのは明らかだ。
「零夜も、ね」
案の定、『零夜』の言葉で過敏に反応を見せる佐々岡さん。
そんな彼女が少し可笑しくて、あたしはついつい悪態をついてしまう。
「わざと零夜の名前を後に出すってのも、やらしいね」
佐々岡さんは苦虫を噛み潰したような表情で俯いた。
「彼、どうして部活を休んでまで高坂さんの勉強を見てるの?」
「部活サボってたなんて初耳。大体、あたしだって好きでやってるわけじゃないんだから」
「神園くんに泣きついたの?」
(したくない勉強を『させられてる』あたしが、何で零夜に泣きつく立場なのよ……)
「神園くん、3日以上も部活を休んだことなかったのよ?」
「どうして彼が貴女の勉強を見てるの?」
「ねえ、いつまで続くの?」
矢次ぎ早に聞く佐々岡さんにあたしも我慢の限界だった。
「だから! 知らないっつってんでしょ!」
屋上に居た他の生徒も、何事かとあたし達のほうを見る。
ギャラリーの存在が、怒鳴るあたしを抑制させる。
何とか気持ちを落ち着かせようと、大きく深呼吸してから言う。
「あんたさ……まぁいいわ。あたしも知らない。だから零夜に聞いてよ」
「ついでにそれをあたしにも教えてくれると助かるんだけど」
だけど、相手がどう思っているかは別問題。
穏便に済ませたいあたしの感情を、佐々岡さんはどうしても逆撫でしたいらしい。
「貴女、神園くんのマネージャーって言われてるんでしょ? 部活に出るよう言ってよ」
カチンと来た。
(好きで言われたわけじゃない)
(好きでそんな事やってたわけじゃない)
(そんな事やってたつもりなんて、これっぽっちもない!)
「それこそ陸上部のマネージャーがやれば良いじゃないのよ! どこの誰よ? サボってるのは零夜だけじゃなくて陸上部のマネージャーもじゃない!」
深呼吸もこうなれば全くの無意味。
怒鳴るあたしとは対照的に、呆気ないくらい堂々と佐々岡さんは答えてくれた。
「私よ、陸上部のマネージャー」
あたしは彼女の存在が、妙にちっぽけに見えてきた。
「あんた、自分の怠慢を棚に上げて……筋違いも良いとこよ」
くだらない勘違いに遠まわしな言い方。
だってそうでしょ? 勝手にあたしと零夜のことを誤解した挙句、ホントなら零夜に言うべきことをあたしに伝えさせようとしてるんだから。
無性に馬鹿らしくなって、熱がどんどん冷めていくのが分かった。
ぽつぽつと降り始めた雨が、あたしを更に冷めさせる。
「貴女、本当は神園くんと一緒に居られて嬉しいんじゃないの?」
こんなこと言われてもなんとも思わないくらいに。
「誰かさんと一緒にしないで欲しいんだけど?」
「どうだか……」
(佐々岡さんも、小学校や中学校で同級生だった女子と同じ)
「妙に噛み付くわね。いいわ、言っといてあげる。部活に出ろでいいわけ? ついでに告白でも何でも伝えておいてあげるわよ?」
「遠慮しておくわ。振られるって分かってる告白なんて、する気ないもの」
(だったら、これ以上話しても無駄よ……)
「あたしなんてほっといて、好きにすればいいのに」
悲しくなって、あたしはそう呟いた。
「そうも行かないって、言ったわよね……」
彼女も寂しそうに呟いた。
(上手く行かないなぁ……恋ってめんどくさそ)
徐々に強まる雨に、そんな気持ちは強まる一方だった。