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19.春開催の副産物

 我が家にとって娘の私立高校入学は、入学費用や授業料など、決して安い買い物ではなかった。


 けれど、それを許してくれた両親。


 結果的にそれが半額免除されたと言っても、やっぱり両親には過度の負担をかけたろう。

 だから凄く頭が下がる思いなのは、入試前から変わってない。


     * * *


 それは去年の11月初旬。


 馬鹿娘はその身の丈にあった公立を受験する、って思い込んでいた両親。

「『私立』で『難関』の『お嬢様校』、仙里女子高校を受けたい」

 あたしがそう両親に告げたとき、予想通り二人はまともに取り合ってくれなかった。

「あんたが仙女の制服に憧れてるのは知ってるのよ? けどね弥生。自分の実力は自分が一番把握してるんじゃないの?」

 そう突き放すお母さんに泣きつき、我関せずを決めるお父さんを2時間説得した。


 それでも許してもらえなかったから、リビング不侵入ストライキを決行。

 食事を取ったり家族団欒を過ごすべきリビングに、スト中は一歩も足を踏み入れなかった。

 お風呂・トイレ・自分の部屋しか使わず、食事は両親がいない時にこっそりリビングに踏み込み冷蔵庫を漁る、という徹底振り。


 それはとても程度の低いものだった。

 でも効果はあった。


 我が家はそういうレベルなのだ。



 スト開始から2日後。

 麻衣に教えてもらった各種奨学金制度の話を持ち出し、リビングで再び両親と相対した。

 そして説得を開始。

「頑張れば授業料は8割くらい向こう持ちなんだってさ」

 多少誇張も交えてみたら、予想以上にあっさり陥落した。

 陥落というよりは諦観だったのかもしれない。

「どうせうちの馬鹿娘が受かるわけない」

 みたいな一種の諦めムードが我が家に漂っていたもの。

 第一、あたしもそうだったし。



 それは学校も同じ事で、担任の男性教師は「高坂、記念受験だよな?」と、やっぱり一蹴した。

 記念受験ってなによ……と怒りに似た感情も抱いた。

 けれど、結局それを否定する言葉をあたしは持ち合わせていなかった。

 馬鹿って自覚、あったわよ!



 受験が許されたら、あとは合格することだけ。

 何もしないで受かるわけはなく、受かる自信もない。

 そもそも受かる学力がない。

 これは誰よりも、あたしが一番よく知ってた。


 だから麻衣にすがり付き、零夜に頭を下げ、ひたすら勉強を教えてもらった。


 麻衣は同じ高校を受験するからか、概ね良好な返事だった。

 むしろ結構余裕があったらしく、

「教える方が覚えられるから」

 と、毎日空いている時間を見つけてはあたしに勉強を教えてくれた。


 零夜は県内の有名私立を受験するって聞いていただけに、頼みづらかった。

 何度か躊躇って、夕刻、零夜の家に行き、深く頭を下げてお願いした。

 何一つ文句を言わずに快諾してくれた零夜に、あたしは喜びのあまり我も忘れて抱きついたっけ。

 そして零夜のお母さんとブッキング。

 その日の夕方からしばらく、東美空町は荒れた。


 たまに遊びに来る菊花叔母さんにも泣きついた。

 いつもお母さんと喧嘩ばっかりしてた叔母さん。

 だから『お母さんを見返してやりたい』っていう利害が一致した。

 これは大きかった。

 もしかすると麻衣や零夜以上の戦力だったかもしれない。

「あんたがその気なら、私も手伝ってやるさ。やってやろうじゃないの、そうと決まればほらやるわよ! ほらっ! 弥生っ!」

 多分あたしの性格の何割かは、菊花叔母さんの影響だと思う。

 間違いない。直感とかそういうレベルじゃないわよね、これ。



 勉強は楽じゃなかった。

 けど、どうせ落ちたあと公立の受験でも勉強しなきゃいけないから、と割り切った。

 後になっていくにつれ、教えてくれた人の期待に応えたいっていう思いに変わっていった。

 不思議な感覚だった。


 とはいえやっぱり馬鹿娘は馬鹿娘、3ヶ月は短すぎた。

 結局、手応えも何もないまま2月を迎える事となる。


 仙里の入学試験当日は、とても寒い日だった。

 試験の内容なんて覚えてない。

 寒かったことだけしか。

 そして帰り道、あたしは仙里進学を諦めた。


 満足できるものだったので、後悔はなかった。

 少しだけ、ホンの少しだけ寂しさは残ったけど。



 県内私立の入試を追え、自分が仙里を受験したのも忘れ始めたある日。


 あたしは職員室で担任の先生と一緒に、どこの公立を受けるか相談していた。

「ここなら受かるんだが」

「ここなら通えるんですけど」

「贅沢言うな」

「えぇーっ」

 などと言い合っていると、職員室の電話が鳴った。

 受話器を取った事務のおばさんを横目に見ながら、あたしと担任のやり取りは続いた。

 しかしそれも束の間、事務員さんは突然あたしを見ながら何かを叫んだ。

 何事かと駆け寄った担任と、まるで話にならない事務員さん。

 彼女を見限り電話を替わった担任の先生も、結局は彼女とほぼ同じ反応だった。


 しばらく2人は深呼吸し、熱いお茶をすすったあと、只ならぬ雰囲気で言ったのだ。

「高坂、今すぐ家に帰れ。そして何があっても、強く気を持て!」

「高坂さん? 早まっちゃダメよ? 絶対よ!」

 それも真顔で。



 言われるままに家に帰った、と同時に仙里高校の合否通知が郵送で届いた。

 先生や事務員さんはきっとこの事を言っていたんだろう。

 両親や親族の不幸があったのかとか、結構色々心配したんだけど、全く人騒がせな人たちよね。


 などと軽い口を叩けたのもここまでだった。

「強く気を持て!」

「早まっちゃダメよ?」

 これほど的確なアドバイスはなかった。



 父である高坂幸雄は公務員。

 母の皐月はパートの兼業主婦。

 そして子供は、根っからの馬鹿娘である長女のあたし1人だけ。


 こんな核家族である高坂家はその夜、蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。

 ご近所さんの零夜にも聞こえたくらいだったから、その規模が伺える。


 まず封筒の中身を見たお母さんが、若干の放心ののち、ソファに膝から崩れ落ちた。

 お母さんが気になりつつも、それ以上に封筒の中身が気になった。

 あたしも合否通知を見て、放心するしかなかった。


 

 夕方、仕事から帰ってきたお父さん。

 部屋の電気がついていないマイホームの異変に気付き、慌ててリビングに飛び込んできた。

 その時あたしは、硬く口を閉ざしたままリビングに座っていた。

 あたしとお母さんは、テレビも電気もつけず、テーブルを挟んで向かい合っていた。 


 ソファでなくフローリングに。

 クッションも置かず。

 正座で。


「弥生……、人生にはな、誰にもこういう事はあるんだよ、父さんだってな」

 全てを察したお父さんの、ありきたりな冒頭で始まった慰めのお言葉は、結局1時間にも及んだ。

 今思い返せばハゲ校長と違い、お父さんの1時間トークには何の苦痛もなかったっけ。

 だってお父さんの言ってる事、お母さん共々放心状態で、殆ど聞いていなかったから。


 やがてお父さんは封筒を手にし中身を見る決意をした。

 それは戦場に散り行く一人の兵士のようだった。


 そして、お父さんも放心した。



 実際問題、我が家の可愛い馬鹿娘が、本当にお嬢様学校である仙里に通ってもよいものだろうか。

 それは馬鹿を馬鹿として育てあげた両親や、よもやの合格に動揺を隠しきれなかった教職員だけでなく、当のあたしですら感じる大きな疑問だった。

 しかしそんな疑問も、教師や両親、まして受験した本人ですら目を疑う『書類の追記』を前に吹っ飛んだ。



『入学金全額免除・授業料5割免除(3年間)』



「……免除……めんじょ!?」

 そう言ってお母さんは再び崩れ落ちた。


「めんじょ……おとうさん、めんじょ、ってなぁに?」

「……入学金全と授業料の半分は、払わなくていいってことだよ? 弥生」

 お父さんは定まらない視点を何とかあたしに向けながら説明してくれた。


「……まじで?」

 あたしは当然それを受け入れられなかった。



 そして『免除』というたった2文字の単語に、高坂家は呆気なく敗北した。


「あんたが仙里女子に自分から行きたいって言うなら、母さんもう何も言わないわ!」

 そう言ったお母さんの目には、大粒の涙が浮かんでいた。

「弥生があの仙女に行くとはとはなぁ。父さん、父さんは……うぅっ」

 その後、お父さんは人目を憚らず号泣した。


「あたし……仙里女子に行く」


 そう決意したあたしに、お母さんは言った。

「あんたは、あんたはやれば出来る子よっ!」

 そして両親はあたしを抱きしめながら号泣した。

 あたしは両親に抱きしめられながら号泣した。


 家族は誰も『仙里女子』ではなく『仙里』であることを、訂正しようとしなかった。

 多分、誰も気付いてなかったから。



 一家で一通り泣き尽くしたあと、あたしと両親は再びリビングに鎮座した。


 勿論フローリングに。

 正座で。

 今度はお父さんも。


 1度目と違い足元に置かれたクッションには、涙が薄っすらと滲んでいた。


 そして高坂家は、2年振りとなる『特上の握り寿司』を出前に取った。



 その日の夜に電話で麻衣へ合格を報告。

 高校でも親友でいる事を、言葉に出して誓い合った。


 零夜にお礼を言いに行こうとしたら、零夜は神園家の2階の窓からひょっこり顔を出し、

「母さんいるから、ごめん弥生。合格おめでとう、頑張ったね」

 と優しく言ってくれた。あたしは泣きながら零夜にお礼を言った。

 菊花叔母さんと2人して、お母さんに意味不明の勝ち名乗りを上げたりもしたっけ。


 麻衣と2人、仙里合格を学校の先生から祝われて、あたしの中学生活は輝きに満ちて終わった。

 神に感謝した。


 それから数週間後。

 零夜が仙里に進学する事を知った時、神は居ないと悟った。

 マネージャー業からの解放には至らなかったから。



 まぁそんなこんなで、受験以来、両親を見る目は少し変わったのよ。


 ありがとう、お父さん。

 ありがとう、お母さん。



「だって、仙里女子が家から一番近いんだもん」


 とは口が裂けても言えなかったし、今後も言うつもりはない。

 『制服』で選んだって思われてるんだから、どうせこっちの理由でも、結果は同じ事なんだけどさぁ。

 まだ制服なら可愛げもあるわよ?

 でも『家から近いから』は流石にお母さんには言えなかったわ。


     * * *


 そんな両親に、先日の『学力診断試験』の結果を口頭で告げた。


 お母さんのの顔はさながら般若のようであった。

 父はあたしを哀れんだ目で見ていた。


 だけど……2人とも怒らなかった。


「それでも……制服って動機だったにしても、あんたが仙女に合格した事実は変わらないのよ? あんたを誇りに思う気持ち、母さんは変わってないわよ? 次は頑張りなさい」

 台所で夕食を作りながらお母さんはそう言った。


 何も言えずただうつむいていたあたしに、

「不順な動機で進学したんだ、自業自得だよ弥生……分かるね? 頑張りなさい」

 全てを見透かしたようにお父さんは言った。



 お母さん ごめんなさい。

 お父さん ごめんなさい。



 その夜、あたしは泣いた。

 自分の不甲斐なさに、初めて泣いた。


     * * *


 成績順位が張り出された日の翌週。

 朝から仙里高校の校門前は、異様な光景に包まれていた。


 1年生に向け『新入生学力向上キャンペーン』なるイベントを敢行した生徒会。

 勿論スイカのお姉さんも、いた。


 季節は梅雨のど真ん中。


 傘を差し校門付近に立つ、上級生のお姉さん達。

 雨に濡れるのも厭わず、1年生にビラを配るお姉さん達。

 凄く真剣な顔付きのお姉さん達。


「帰ったらちゃんと勉強しよう!」

 必死で訴えてた。

「分からない事は上級生に聞こう!」

 涙ながらに。

「先生や先輩は君たちの味方です!」


 言ってる事はどう考えても小学校低学年レベル。

 とても高校生が行うようなキャンペーンには思えない。


 それはとても……ミスマッチだった。


 お嬢様進学校からの脱却がこのような形で始まるとは、流石に彼女たちも不本意だろう。

 上級生まで巻き込んだ今回の学力診断試験。

 恐らく仙里の新たな一ページに、深く深く刻まれるに違いない。


 原因の1人は確実にあたしなんだけど。


 結局そのキャンペーンは1週間にも及んだ。

 1年生の成績はそれほどまでの事を起こすに値する惨状だったらしい。


 あたしが言うのもなんだけどさ。


 気の毒……だなんて1週間もやられちゃ、あたしだって流石に心にズッシリと来るわよ!

 既に両親との一件でズッシリ来てんのよ!



「次よ! 次は絶対やってやるんだから!」


 あたしは他の生徒の目も気にせず、大きな声で叫びながら決意する。

 そんなあたしを見たスイカお姉さんは、何故かハンカチを目にあてながらすすり泣いていた。



 やっぱりあのスイカお姉さんとは、長い付き合いになるだろう。

 あたしの直感がそう告げてる。

 間違いないわ。


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