16.[1年春/第三戦] 魔女と弾丸娘
【こちら2位高坂。後ろで縛った黒髪がぽふぽふ揺れております。ペースは上がっておりますが依然、相沢に追いつく気配はありません】
【先頭相沢と2位高坂との差は、さきほど20秒に広がっていましたが、『郵便局前』ではどうですか?】
(こんなに飛ばしてるってのに、追いつけないの!?)
【今高坂が『郵便局前』を通過……その差は先ほどより更に広が……えっ?】
【中継さん? どうしましたか?】
【本部! 大変です!】
【どうしました!?】
【12秒! 12秒です! 高坂が12秒差で『郵便局前』を通過! ここにきて再び詰めています!】
【本当ですか!? 恐るべし不屈の戦姫! 陸上部相手にまだ闘志は消えていません!】
(当たり前よ! あたしはやらなきゃいけないのよ! だって……だって!)
「試験の分をっ! 取り戻さなきゃっ! いけないのよーっ!」
【戦姫、何かを叫んで気合を再注入しています!】
【これはまだまだ分かりませんね! 十区に神園を温存している1組、逆に5組は大穴の弓削こそ居ましたが、やはりエース相沢がここでリードを広げておきたいところ。九区も残り300mとなりました! 優勝争いは5組と1組に絞られたようです! 6組は少し厳しいでしょうか!?】
【こちら3位争いです。6組の後ろから2組が追い上げを見せています。6組と先頭との差は既に40秒近く開きました。6組と2組の差がおよそ15秒。3位以下は厳しいのではないでしょうか】
【そうですか、分かりました。リードを保つ5組、プリンス神園が登場する1組。優勝はこの2クラスに絞られたと言っていいようです!】
(まだ優勝争いから外れてない! 実況が言うなら大丈夫よ!)
少しでも零夜の負担を減らそうと、あたしは必死で相沢さんを追う。
相沢さんも体が大きく揺れて、いかにも苦しそうだ。
スタミナ勝負は本当の気力勝負へと突入する。
相沢さんは中継点の支所敷地内へ入るため、右折して門を通り過ぎる。
門を過ぎれば十区の中継所が見えるはず。
あたしも10秒ほど遅れてそこを曲がる。
そして一瞬視界から消えた相沢さんを目で捉えて、再び気力を振り絞ろうとする。
けど相沢さんは……はるかに前へを走っていた。
「うおおぉおおぉぉぉぉっ!」
(な! 何あのスパート!)
相沢さんは残る力を全て振り絞らんが勢いで、雄叫びを上げながら中継所へ突進していた。
【弾丸娘がラストスパートおおぉぉぉーっ!】
あたしも必死に追う。
「弥生ーっ! 頑張れーっ!」
零夜の声が遠くから聞こえる
(そうか! 零夜よ!)
相沢さんは零夜って言葉に只ならぬ敵意を見せてた。
だから中継点にいる零夜を直接見て、消えかけた炎が再び燃え出したんだ!
【しかし戦姫も食らいついているぞーっ!】
(……食らいついてる?)
【差は広がらないーっ! 十区中継点『役場前』! 想像を絶する気力戦が繰り広げられております!】
(広がらない……いける!)
「弥生ーっ!」
(でもあんたは逆効果なのよっ! 零夜っ!)
【5組、相沢からアンカー西出にっ! トップでたすきを繋ぎます! 相沢郁子、陸上部の『弾丸娘』ここにあり! 見事な快走です! 今、抱きかかえられながらコース脇へ引っ張られていきます。よもやの戦姫抵抗に苦戦しましたが、やはり『弾丸娘』は強かった!】
たすきを渡し終えたと同時に、同じクラスの女子数名に抱きかかえられながら、コース横に引き摺られていく相沢さん。
【続いて10秒差で2位高坂がアンカー神園にたすきを繋げる!】
(10秒差……後もう少しだったのに、悔しい!)
「零夜っ!」
「任せてっ!」
【2位で神園がたすきを受け取りました。1組神園『陸上部のプリンス』が5組を追走!】
零夜にたすきを渡し、その後ろ姿を見つめる。
【1組高坂、陸上部を相手に10秒遅れに留まりました! 立ちつくすように神園を見つめている高坂!】
【九区スタートが5秒のアドバンテージ、十区中継地点で10秒のビハインド。結果、15秒差ですか。現役陸上部相手に約3kmを15秒差とは……『不屈の戦姫』の名は伊達ではありませんでした! これでプリンス神園はかなり楽な展開になりそうです!】
(頼んだわよ『プリンス』)
朦朧とし始めた意識を振り絞って、心の中で叫ぶ。
あたしだって相沢さんと同じで、立ってるのが辛いくらいに苦しい。
だけどあたしのところに麻衣はいない。
きっと今頃九区のどこかで懸命に走って、あたしの荷物を運んでくれてる。
でも、寂しいよ麻衣。
相沢さんが、ちょっと羨ましい。
「高坂さん、お疲れ様」
(……誰?)
「高坂さん? ちょっと高坂さん!? 高坂さん! 高坂さ……誰かっ! 誰か来てーっ!」
誰かが、あたしのそばで、叫んでる。
身体が浮かんだり沈んだりしてる。
「どうした!? っ、高坂っ!? 大丈夫か? 高坂!? しっかりしろ!」
聞き覚えのある声と、それと、セットになった、煙草の、臭い。
「誰か保険医を呼べっ!」
誰かが、叫んで、いた。
【本部! 十区中継点『役場前』が騒然としています! 先ほど走り終えた高坂が一歩も動きません! 倒れてはいませんが、教員に支えられたまま一歩も動きません! あ、係員が右往左往しております! 大丈夫でしょうか!?】
「しっかりしろっ!」
声と同時に顔を叩かれ、意識が少しずつ戻っていく。
何かに正面からもたれかかっているあたし。
身体を起こそうとするけど、全然動かない。
立ったまま誰かに身体を預けてる、みたいだ。
煙草のにおいがする。
「たばこ、くさい……」
「お前が抱く私への印象は『煙草臭い』か。覚えておこう」
ぐったりと身体を預けるあたしを、前から脇の下に腕を通し支えるように抱きとめてくれている。
この声は……。
「ひめ……の、せんせ?」
あたしの視界に白衣がぼんやり映ってる。どうやら姫野先生で間違いないようだ。
【今、科学部の魔……失礼、姫野教諭に抱き止められていた高坂、やや反応が見られました。大丈夫のようですが……】
【大丈夫のようですが、って貴女! しっかり中継しなさい! 戦姫は大丈夫なのでしょうね!?】
【えっ? あ、えっとぉ……】
中継の声が慌ててる。あたしの事を言ってる。
「高坂、1人で立てるか?」
「だいじょ、ぶ、じゃない、かも……」
呼吸が苦しい。手足もちょっと痺れてる。
ゆっくりとあたしをその場に座らせる姫野先生。
「当たり前だ、普段トレーニングをしていないお前が、現役の陸上部相手に互角の勝負を繰り広げようなど……無謀な事をしおって」
先生と話してるうちに、ゆっくりと呼吸が整っていく。
【表情は朦朧としてますが、姫野教諭と言葉を交わしてます。大事には至っていない模様です!】
【よかった! おほんっ……仙里が誇る『純百%大和撫子』を、このような形で失ってはいけません。失礼いたしました。私も取り乱してしまいましたが、とにかく無事のようです!】
「弾丸娘で貯金を稼ぐ予定が、大和撫子のせいで台無しではないか。全く」
そう言う姫野先生、だけどちょっと笑っていた。
「せんせ。5組の、担任だったんだね」
「ああ、そうだ。それより高坂、頭は大丈夫か?」
頭は悪い。とても。それも昔から。
「どーせ、馬鹿、です、よーだ」
「……すまん。言葉が足りなかったようだ。高坂、頭が痛い、頭が重い、そういった症状はないな?」
少し申し訳なさそうに聞く姫野先生。面接の時とは大違いだ。
「手と、足が、しびれてるけど、頭はだいじょぶ」
「軽い酸欠かもしれん、横になった方が良い。少し移動するぞ。ここは邪魔になる」
そう言って姫野先生はあたしの後ろに移動した。
力の入らないあたしの両脇に、今度は後ろから腕を突っ込む。
そして強引に立たせると、そのまま脇に入れた腕で体全体を支えながら、ゆっくり引っ張ってあたしを壁際まで移動させる。
【高坂が今コースの外へ運ばれていきます。足取りはしっかりしているようです、いやー心配しました。やはり相当な負担が掛かっていたのでしょう。戦姫、まさに身を粉にした激走! 感動しました、お見事!】
あたしを横にすると、冷えないようにとあたしの身体に白衣を被せてくれた。
面接とのギャップに驚いた。
けれど、そんな魔女を目の前に、
「無理をせずゆっくり安め。気分が悪ければすぐに言え。分かったな?」
「……はい」
あたしも面接と違って、何故か素直に返事を返した。
【そしてトップの5組から1分差、今2組の鳥谷がアンカー中川にたすきを渡しました。3位の6組とは5秒差。先頭争いを繰り広げる5組と1組から1分15秒差。2組のエース中川がどこまでトップに迫れるか、最終十区にして先頭争いとは違うところで一番の見所が始まります!】
【こちら先頭争い。先頭は5組西出。しその後ろから1組の神園が確実に西出の背中を捉えています。その差およそ10秒。『不屈の戦姫』の命懸けの走り、無駄には出来ません】
「命懸け……って」
「死にはしなかったが、無理はしていたろう? 同じようなものだ」
何も死ぬほどの事ではなかったように思うんだけど、そんなに無茶をしていたのだろうか。
「お前のような無謀な輩が、十区に1人いるようだがな」
それを裏付けるかのように、本部と3位中継のやり取りは、かつてなく緊迫し始めた。
【本部ーっ! 本部ぅーっ! こちら3位ですーぅ! 2組中川が大変ですーぅう!】
【大変!? 3位はどうなっているんですか!?】
【中川が今あっという間に3位に浮上、しかも置き去りですー!】
【3位に中川ですか! それで前との差はどうなのでしょうか!?】
【差は分かりませんがかなり速いペースで飛ばしていますぅ! まるで九区高坂の再現、完全にオーバーペースですぅ!】
「と、私以外も思っているようだぞ?」
「あ、あはは……」
「……全く、どうしてお前たちはそう無理をしたがる?」
「おまえ、たち?」
「高坂も、弓削も橘も。今年の科学部は例外なく駅伝走破後に倒れているのだ。よもやと思い九区ゴールまで来てみたが、予想通りではないか」
あたしは他の2人とは違う。
「でも、弓削くんも橘さんも、いっぱい追い抜いてた。けどあたしは、1人しか追い抜けなかったし、それに追い抜かれちゃった。同じにしないで下さい。けど、これで部員になったの、かなぁ。あたし」
「馬鹿者。このような活動なぞ部活動とは認めんぞ」
「残念」
笑いながら答えたあたし。
「しょうがない奴だ」と言わんばかりに苦笑する姫野先生。
「弥生ちゃん!」
「高坂さん! 大丈夫なの!?」
声の元を振り返ると、麻衣とが真っ青な顔に涙を浮かべ、佐々岡さんと共に立っていた。
「ごめん、心配、かけちゃったね」
「よかった……よかったよぅ」
涙を流しながらあたしに抱きつこうとする麻衣は、「高坂に負担をかけるな」という台詞と共に姫野先生にしっかりガードされていた。
「貴女、たすきを渡してから棒立ちだったのよ? 呼んでも返事しないし。驚いたわ」
麻衣と姫野先生が繰り広げる威嚇合戦を尻目に、ここに至る過程を佐々岡さんが説明してくれる。
「そうなんだ……全然覚えてないよ」
そう、あたしはそんなこと全く覚えていなかった。ゴールしてからの記憶が少し、無くなっていた。
「頑張ったもんね……あとは零夜さんが何とかしてくれるよ、弥生ちゃんお疲れ様」
麻衣があたしを労う。
「ありがと。けど、悔しい……」
「「……」」
あたしの呟きにも似た言葉に、2人は声を失っていた。
「勝ったオレも悔しいんだけどなー。振り切ったはずだったんだけどよー」
本当に悔しそうな声でそう言いながら、既に息が整った相沢さんもあたしのところへやってくる。
「全くだ。よもや相沢で20秒しかリードを作れんなど、5組としては屈辱も良いところだ」
続いて姫野先生も悔しがりはじめた。
「流石『不屈の戦姫』だよなー、えっと高坂……さんだっけ? どーよ 陸上部に入らねぇ?」
褒められたのかそうじゃないのか、よく分からないけど、悪い気はしなかった。
「相沢、科学部部員を私の目の前で引き抜こうとは、お前も中々勇気がある奴だな」
「あ……ナシナシ! 今のナシ! いやぁ高坂さん凄いねぇ、流石科学部だよー」
「相沢、あとで話がある。良いな?」
「じゃっ! さ、さいならーっ!」
何も話す暇がないまま、弾丸娘は魔女にあしらわれて去っていった。
姫野先生は声を殺して笑っていた。やっぱり魔女だ。この人は魔女なんだ。
魔女と弾丸娘のやり取りを、呆気に取られながら見ていたあたしに、
「弥生ちゃん……電話だよ? はい」
麻衣は自分のケータイを差し出した。
「誰から?」
麻衣は微笑んでいた。
「一番話をしたくて、一番話をしたくない人……だよ」
だけど相手を教えてはくれなかった。
仕方なく麻衣のケータイを受け取り耳を当てると、
「放送聞いたわ、高坂さん大丈夫? あぁ……私がしっかりしてれば! ごめんなさい高坂さん!」
あたしに謝ってきたのは沢木さんだった。
理由は何となく分かる。
あたしもそうだから。
「さわ……瑠璃。瑠璃? あのね、瑠璃。ありがと」
「……え」
「途中で瑠璃の顔思い浮かべてさ。あんたのお陰で頑張れたのよ? 実況でも言ってくれてた、お見事って。悔しいけど、満足してるよあたし」
瑠璃の顔を思い浮かべることが出来なかったら、あたしはもっと離されていたはず。
「高坂さん……」
あたしを奮い立たせたのは、誰でもない瑠璃の鬼気迫るあの激走だったのだから。
「だからあんたも、謝んないで。あんた頑張ったよ」
よく分からない動機で八区に志願した瑠璃だけど、大健闘ってホントに思ったもの。
「……っ! うっ、うぅぅっ」
電話の向こうで泣き出した瑠璃、それを労るようにあたしは言った。
「お疲れ様、瑠璃。あんた最高だったよ」
平野さんらしき声が、瑠璃を慰めているのが分かる。
瑠璃の事は平野さんに任せよう。
「ごめん、あたし、ちょっと……休む。お疲れさま、瑠璃」
そう告げて、麻衣にケータイを返した。
「弥生ちゃん、私がついてるから。弥生ちゃんもお疲れさまね」
今は少しゆっくりしたい……。
「ありがと。じゃあお願いよ麻衣。あとは任せたわ……」
何も考えず、悔しさと充実感の混在したこの気持ちに、意識を全て投げ入れて。
あたしはゆっくり目を閉じた。