14.[1年春/第三戦] 科学部のポテンシャル
[都合により、実況部分を【 】で囲ってあります]
【あなたの、そして私の夢が走ります、第一回仙里高校クラス対抗東美空駅伝】
(何この放送……)
【貴女の夢は『プリンス』神園か、『弾丸娘』相沢か。私の夢は『戦姫』高坂弥生であります】
(勝手なこと言ってんじゃないわよっ!)
* * *
13時01分。
既に野元たち一区はスタートを切ったはずだ。
「大丈夫かな野元くん」
「もう始まったものはどうしようもないのよ? 心配ばっかしないで、祈るなり応援するなりしてなって」
これから1時間とちょっと後に九区を走るあたし。
それ以上に付き添いで来ている麻衣の緊張の方が、明らかに強いのは納得できないんだけど。
まーでも、こういう子なのよねぇ。
防災無線を使った放送で、放送部が順位変動のアナウンスを流すらしい。
けど、まだそれは聞こえない。
「まだ一区、大して変動はないはずよ?」
「でも、でもー……」
「仮に野元が6位だったとしても、差は大きくなってないわよ」
と、麻衣の心配を察したかのように、スピーカーから一区中間順位が流れた。
【えーっこちら先頭です。ただいまトップが三山バス停前を通過!】
この放送、順位発表と言うよりは実況に近いんだけど……。
「三山バス停ってことは、一区は丁度半分走ったところね。野元は何位かしら……」
昨日救世主になりそびれた野元なだけに、張り切っているのは間違いないんだけど。
【トップは野元、1組の野元、快進撃です! 2位以下を20秒ほど突き放し置き去りです、大きくリードを広げています!】
「張り切りすぎよ!」
「野元くん凄っ!」
ヒゲの作戦はズバリ的中したのだろう。
序盤からセイフティリードを作るという1組の作戦は、一区中間で早くもその形を成し始めていた。
野元は2位以下を本当に引き離し、完全に独走を続けているらしい。
そんな実況を聞けば聞くほど、あたしは逆にプレッシャーに押しつぶされそうになる。
今出来る事は順位の確認じゃなくて、ベストを尽くすこと。
だったら……。
「麻衣、あたし準備運動してくるわ」
「や、弥生ちゃん!?」
緊張を隠せず心配を掛けてるなぁとは思ったけど、ここでじっとしててもダメ。
中間報告を聞いていた麻衣を置いて、あたしは近くをゆっくりと走り始めた。
防災無線放送って、ホントは災害時の緊急警報とか、地区の広報なんかに使われるものなのよね。
都会じゃやらないだろう、田舎に残るシステム。
たまに正午とか夕方にサイレンが鳴って驚く都会人が居たりとかするあれよ。
東美空はサイレンじゃなくて童謡なんだけど。
【一区、1位は野元、1組の野元です! 2位以下を大きく引き離して今、二区佐々岡に、たすきが渡ったー!】
「他の子もこれ聞いて緊張してんのかなぁ……」
みんなも緊張してるんだろうか。
「だろーなー」
独り言のように呟いたそれにまさかのレスポンスがあり、あたしは驚いて振り返る。
そこには大胆なショートヘアーがよく似合う、いかにも『運動してる女の子!』みたいな感じの女子が立っていた。
「あんた『不屈の戦姫』だろ? オレ5組の相沢。陸上部さ。いやー、戦姫を早くもこの手で葬り去れるなんて、光栄だねーっ」
葬り去るかどうかはともかく、走るから手じゃなくて足だと思うんだけど、多分それを口にすると物凄く侮蔑が含まれた目で見られそうなのでやめた。
「あなた陸上部なんだ。じゃあ零夜と知り合いなの?」
「零夜? ああ神園かー。そういや神園も戦姫も1組だったっけなー。こりゃ俄然面白くなってきやがったじゃねーか」
やたらと口が悪い子、自分の事をオレと言う子。
(居たんだこういう子、しかも元お嬢様校の仙里に……)
とにかくこの相沢さんって人は、中川くんはさておき、あたしや零夜を目の敵にしてる。ってのだけは感じ取れた。
「まぁあんたが勝手に息巻いてる分には、あたしゃ全然構わないけど」
「余裕かよ。流石『戦姫』は違うよなー」
「ええ、不必要に人を刺激しないくらいの良識は持ってるのよ、あたしは」
「なんだとー! オレに喧嘩売ってんのかよーっ!」
「その口の悪さ、何とかなんないわけ!?」
2人の間に緊迫した空気が流れる。
そんな一触即発のムードを破ったのは、二区から三区への中継実況だった。
【依然として1位は1組、今二区の佐々岡から三区平野へとたすきがつながれます。2位は、2位は恐らく2組でしょうか。3位以下は固まっております】
「ちっ、1組が1位で2組が2位かよ! 神園も中川も汚ぇ!」
「汚ぇってその2人、どっちも十区だからまだ走ってないんだけど……」
「えっ? マジかっ?」
「うん、まじ」
この子は天然さんなんだろうか。見た目とのギャップが激しすぎてついていけない。
「ていうか放送聞いてなかったわけ? 『1組1位で野元が』とか言ってたのに」
「まだまだ雪辱のチャンスありってことかーっ!?」
「いや聞いてる? ……さぁ、まぁ、そうなんじゃない?」
「よっしゃー! あんたも纏めて、陸上部男子を叩き潰してやるから、覚悟してなっ!」
もうめんどくさくなって、あたしは投げやりに返事を返した。
「はいはい……頑張って」
そんなあたしの返事も聞かず、彼女は物凄い勢いで駆けていった。
九区のスタートとは正反対の方向に。
(迷子にならきゃいいんだけど……)
などと呆気に取られながら後ろ姿を眺めているあたし。
それを現実に引き戻したのは、やっぱり実況放送だった。
【トップ1組は三区で更にリードを広げています。2位の2組とは『たきざわ大衆食堂前』で40秒の差。これは大きい!】
四区への中継点は、あたしが八区からたすきを貰う場所と同じところ。
もうすぐ三区の平野さんが中継点にやってくるはず。
あたしは応援する為にすぐさま南口バス停へ引き返した。
「平野さん頑張ってー!」
昨日と同じ、懸命に走る平野さん。2日連続は身体に応えるだろう……。
【今四区谷川にたすきが渡ったー。1組が独走態勢です!】
昨日の卵に引き続き、今日もあたしの見ている前で、平野さんから谷川さんへと渡る。
今日はたすき、しかもトップで。
「万里江ちゃーん! 頑張ってーっ!」
谷川さんへ応援を掛けたあと、平野さんを介抱しに行く麻衣。
あたしは何も言えずにそれをただ眺めていた。
昨日の彼女の姿と今日の彼女の姿に、寸分の違いもなく、そのどちらもが凄く神聖に見えて、あたしは一歩もその場を動けなかった。
そんなあたしを見つけた平野さんは、麻衣に身体を支えられながらも胸を張るように、あたしに向かって言った。
「昨日はっ、ダメだったけどっ、今日はっ……不屈の戦姫にっ、認めてもらえたっ?」
あたしにはそれがどういう意味なのか、瞬時に理解が出来なかった。
「昨日はだめ、って……?」
「今日はちゃんとっ……止まらずに渡せたわよっ! しかも1位でねっ!」
大きく肩で息をする平野さんは軽く力こぶしを作って笑った。
そんな彼女が愛しくて、自分でも気付かないうちに、あたしは平野さんを抱きしめていた。
「頑張ったね……お疲れ様。ホントに……頑張ったよ平野さん」
声は少し枯れて、嗚咽も混じってたかもしれない。
「あとは、戦姫がっ何とかっ、してくれるんでしょ?」
そんなあたしをからかうように平野さんは言った。
「……当たり前じゃないの。任せて。平野さんの走り、絶対に無駄にしないわ!」
あたし達がそんな話をしている間にも、たすきはどんどんと先へと進む。
【四区谷川も素晴らしい走りです。今、『東美空中学校前』を通過しました】
谷川さんもどうやらトップを維持して五区へたすきを繋ぎそうだ。
「マリエも頑張ってるみたいね……。高坂さん、任せたわよ?」
今度は息の整った、いつもの平野さんの声色。
「オーケー平野さん、応援よろしく!」
だからあたしもいつものように答える。
昨日は任せた側だったけど、今日は任される側。
心地良いプレッシャーを感じながら、あたしは今一度気合を入れなおした。
【五区にたすきが渡ります。五区は高低差が激しい山道です。1組の村松、いま谷川からたすきを受けてスタートしました!】
【こちら後方、2位が先ほど『東美空中前』を通過しています。トップとは1分近くの差です】
「村松は責任感強いけど、あー見えてクールなところあるから大丈夫よ」
平野さんが言った。
「そうだね、昨日のリレーの仕掛け人だもん」
しかしその五区で、予想だにしなかった人物の逆襲が始まった。
音もなく忍び寄る、それは死を告げる人。
無線放送は既に、順位変動の報告からトップの実況中継に姿を変えていた。
実況するのは放送部。データは生徒会提供。
どちらもお姉さま方のはずなんだけど、全然旧仙女らしくない熱の入れようだった。
このシチュエーションでは、これ以上ないくらいにハマってる、不思議だ。臨場感が妙に高い。
更にはトップだけでなく後方集団までも、別働隊で実況する有様。
ここまで来ると完全に『お正月2日と3日に生中継されるあれ』を意識せずにはいられない。
無意味に凄い。
放送部、恐るべし。
【ここで、ここで前から順に整理しておきましょう。五区中継点『上高梨バス停前』たすきリレーでの順位、面白いことに1位1組から6位の6組まで、クラス番号と順位がピッタリ一致しております】
分かりやすすぎる、そんな作為性すら感じる順位。
【先頭を行く1組は、2位以下を1分以上突き放しての独走態勢に入っております。3位とトップとの差は1分15秒、4位以下は1分30秒以上は離されております。これは大丈夫でありましょうか。そろそろ後ろは鈴を付けに行った方が良いのではないでしょうかー!】
【本部っ本部ーっ! 五区で大きく順位が入れ替わりそうです!】
本部は学校で待機してデータを総合している人たち。
先頭を追うチームに、後方集団を追うチーム。
本部以外に2つ以上は中継を出しスクランブル放送してるらしい。完全にお正月のあれじゃん。
そんな本部へ慌てて寄せられる、後方集団異状ありの情報。
あたしも麻衣も平野さんも、驚いて顔を見合わせた。
【こちら後方! 5位でたすきを受けた弓削が今、後方から物凄い勢いで追い上げています! 既に前の4組を捉えました、更には先を行く3組も既に射程圏内です! 死神のように忍び寄る弓削、5組が一気に3位へ上がりそうな勢いです!】
それは科学部部員だった。
「弓削って……確か、姫野先生が『面白いやつ』って」
っていうか男子だったんだ……。てっきり女子だと思ってた。
「弥生ちゃんの知り合い?」
「多分科学部……姫野先生が言ってただけで、まだ顔も見た事ないけど」
【こちら先頭。トップは変わらず1組、走者の村松はペースを守り落ち着いた走り。後方からの追い上げにも動じることなく、着実に前へ脚を運んでいます。夏近し、五区の山越え、一人旅。トップを走る1組村松の単走が続いています】
(村松くんはしっかりペースを守ってる。大丈夫!)
【本部ー! 5組弓削が完全に3位に浮上です! あっという間に2人を後方へ葬り去っています! 狙った獲物を捕らえ確実に葬り去るその姿はまさに『死神』! ここから少し前には2位の2組、これも射程距離内と見て間違いないでしょう!】
【手元の情報によりますと、トップ村松と現在3位を走っている弓削との差は、五区でたすきを受けた時点で、1分48秒ほどありましたが】
【それが先ほど計測しましたところ、既に40秒を切っています!】
【これは驚きました。5組弓削が驚くべき大激走を見せています】
(弓削って男子以外にも、あの『お嬢様』田中陽子も、さっき絡んできた陸上部の相沢さんも5組、5組侮れないわっ!)
【本部ー! 本部ーっ!】
【どうしましたかー?】
【今トップ村松の背中を、5組弓削が捉えました! 忍び寄っています。まるで死神のようにピッタリとマーク。1分48秒をほぼひっくり返しました!】
とうとう『死神』は、村松くんへと魔の手を伸ばしたはじめたらしい。
【こちら先頭です! こちらからも2位弓削の姿が確認できます! 先頭村松は苦しそうです! 営林所まで残り400m、これは5組が1位を奪取しそうな勢いかーっ!?】
近くでは5組らしい人たちの大喝采、そして逆に1組のあたし達は顔面蒼白。
そんな1組を更に追い込む、止めの一撃。
【今、今、いま弓削が村松に並んで、交わすか交わすか、交わすか! 村松粘る! 内に村松、外に弓削、 弓削交わすか交わすかーっ! 交わしたあーっ! 5組弓削が1組村松を逆転、5組が1位に浮上です! 『死神』弓削匠! 脅威の4人抜きー!】
(村松くん! 大丈夫っ! あんたならまだ2位を死守できるわっ!)
「そうだよ! 頑張れっ村松くん!」
今は気持ちが声に出てようが、もうどうでもいい。
決して届くはずのない応援、麻衣とあたしの叫びが辺りに響く。
【こちら二番手。2位に落ちた村松も懸命な走り、ペースを乱すことなく着実に進んでいます。しかしトップ弓削との差はどんどん広がっています】
【今トップ5組が弓削から木村にリレーされます! 1位は5組です! 死神が圧倒的な力を見せ付けました!】
トップを維持する作戦はここで終了してしまった。ヒゲはこんな展開を予想していたろうか……?
【遅れて1組、村松から田辺へとたすきが渡りました、その差は10秒、まだまだ逆転の圏内です】
【六区の下り坂、ここは落ち着いて、落ち着いて下らなければなりません。先頭は5組の木村、それを追うのは1組田辺であります】
2位をキープした村松くん。
(聞こえないだろうけど、あたしと麻衣はしっかり叫んだよ。お疲れ様っ!)
「『戦姫を止めた女』田辺さんだもの。未知数だけど、きっとやってくれるわよ」
平野さんも力強くそう言い切る。まだまだ諦めちゃいないわ
4人抜きを決めた死神。
それをも上回る強烈なゴボウ抜きが繰り広げられた、六区。
『そよ風』が吹き抜ける。
などという言葉で済むような話ではなかった。
【本部っ! こちら後方! 先ほどの死神弓削匠の再来でしょうか!? 金髪を靡かせて、後方から物凄い追い上げを見せているのは、最下位に沈んでいた6組ですっ!】
【本当ですか!?】
【早くも4位に浮上です! 6組の橘、これは凄い! ちょっと! もう少し前に付けてっ!】
【えーっ、後方担当さん落ち着いてください。 ……五区弓削、そして六区橘。クラス対抗戦ではありますが、奇しくも両者科学部。文科系部活部員が駅伝を舞台に大奮闘しております】
「今気付いたわ! 橘さんも科学部じゃないのよ! 何なのよ科学部ってっ!」
残る1名のあたしが叫ぶ。
既に平野さんは『弓削&橘の規格外の能力を、高坂も持っているに違いない』みたいな目で見ている。
「一緒にしないでよっ!」
【やはり科学部の魔女の教え子、と言ったところでありましょうか。橘の快進撃が続いております】
「……」
魔女って姫野先生の事よね……部員は確かにその教え子。この事実からは逃れようがないわ。
「……あぁ、あたしもその2人と同類項なわけね。いやあぁぁぁあ!」
【後方です! 橘3人抜き、圧倒的なスピードです! 既に2位の田辺を捉えにかかっています! 見てくれこの速さ、見てくれこの亜麻色の髪! これが6組の新星、橘セレスティアだーっ!】
何その『せれすてぃあ』って。実況の人たち、おかしくなってきてるわよ……。
っていうか姫野先生って、科学部で一体何を教えてんのよ!
【今、今2位の田辺を抜いた橘が、1位の木村を追い抜きに掛かります!、6組の橘が並ぶ間もなく交わしたーっ! 5人抜き、前代未聞の5人抜きです! 六区を颯爽と『亜麻色のそよ風』が吹き抜けましたーっ! 橘、快挙です!】
そりゃ前代未聞よ、快挙に決まってるわ。
あたしの知ってる限り、東美空を舞台に仙女の生徒が駅伝してた記憶なんてないもの。
「にしても『死神』と言い『亜麻色のそよ風』と言い、『不屈の戦姫』と似通ってる気がするんだけど」
「あ、あははは……」
「もしかして名付けてんのは放送部とか生徒会じゃないの? 悪乗りしすぎよ!」
「あはは、あはははは……」
麻衣の乾いた笑いは、それを裏付けるに十分だった。
【今年の科学部2名が駅伝を沸かせております。残り1人も期待したい、と言ったところでありましょう】
「期待すんなぁぁぁあぁぁぁ!」
防災無線のスピーカーに向けて、残る1人であるあたしは悲痛な叫びを上げた。