10.[1年春/第二戦] 灰色の彼と勝利の女神
西日を浴びる校舎。
時計の長針は10と11の間を指していた。
残された時間はもうあとわずか。
辿りついた校門には、男子生徒が1人。
(あいつ、科学部の面接で見た男子……)
門にもたれかかった彼の髪は、傾き始めた日が当たって煌いていた。
薄いオレンジと、元々の少し灰色がかった青白い黒。
2つの色が重なって、ちょっぴり神秘的な輝きを見せていた。
彼の髪は地毛なんだろうか、あたしの真っ黒い髪に少し白を混ぜた感じの、濃い『灰色』。
「ん? なんだ? 今からじゃもう貰いには行けねーだろ」
神秘的に見える髪色と違い、言う事はひどく現実的たった。
「行くんじゃなくて、受け取るのよ! ここでね!」
訝しげに見る灰色クンを一蹴し、彼の横に並ぶと、そこから商店街まで一直線に続く道を見つめた。
「あ、あぁ、そうか。なるほど。だからか」
1人で納得してる彼。
「んで……間に合いそうなのか?」
道の先にまだ生徒は見えない。間に合うんだろうか。
「……分かんない」
少しずつ自信がなくなって、あたしは力なく答えてしまう。
(終了まであと何分? みんなどの辺りなの? 卵はどこまで届いたの?)
「分かんない。って……間に合うんだろ?」
あたしはの彼の方を向いて、逆に聞き返した。
「え? ……ま、間に合う、の?」
「なんだそりゃ? そう思ったからここに来たんだろ?」
「ふぇ……?」
彼の前では、何故か間抜けな返事ばかりになる。
「ふぇ? じゃねーよ、ったく。諦めてるなら来ねーだろ普通。確実に間に合うか、間に合うって信じてるか、だろ?」
(……きっと間に合う、違う、絶対間に合う)
「うん、信じてる。仲間がリレーしてまで頑張ってくれてんだもの!」
「だったら、あんたも頑張んないとな。こっからでも叫びゃあ少しは聞こえんじゃねーか?」
ニヤッとした顔で言った彼の言葉に、あたしは再び商店街の方を見る。
「ほら、来たんじゃねーのか? 待ち人が」
遠くに小さな影が映った。
その小さな影は少しずつ大きくなって、徐々にあたしと彼に近づいてくる。
ここからじゃ顔までは見えないけど、女子。
「平野さん!」
商店街の南口で待機していたはず。そこからここまでずっと、卵を持って走ってきたんだ。
けど、ここからは500mほどのゆるやかな上り坂。
ここまで全力で走ってきたであろう平野さんにはキツそう。
「頑張れ! もう少しだ!」
真剣な顔で彼は叫んだ。あたしの声を代弁するかのように。それに続いてあたしも叫ぶ。
けど叫びも虚しく平野さんの足は、上り坂を前にピタリと止まった。
膝に手を置き、大きく肩で息をしている平野さんの姿は、この厳しい現実を物語っていた。
あたしは平野さんの元へ駆け寄ろうとする。
でもその前に、隣にいた男子が肩を掴んであたしを止めた。
「離して! 取りに行くのよ! ここで待ってても仕方ないじゃない!」
「待てって! 信じてんだろ!? だったら待て!」
平野さんは遠くのあたしから見ても既に疲労困憊気味。だからあたしが取りに行く。
それを彼は信じて待てと言う。
「お前の仲間はそんなもんか!? 坂の下で既に息切れするようなやつに、俺ならこんな坂を登らせねぇぞ! 手は打ってるはずだ!」
「何よ! 手って!」
苛立って噛み付くように叫ぶあたし。
「そりゃ、お前、勝利の女神だよ……ほらな?」
(……勝利の……女神?)
彼から再び目を平野さんへ向けなおすと、平野さんの横には違う女子が立っていた。
(谷川、さん?)
「ど、どうして!?」
全てを知っていたかのように振舞う彼に、あたしは振り返って問いかけた。
そして、さも当然のように彼は種を明かす。
「あそこでバテて止まるくらいの速さで走ってくるんだ、おそらく全力だろ? 全力疾走なのに更にここまで登ってくる。そんなわけがねーだろ。あの女子の役目は、元々あの坂の下までだったんだよ。だから坂の下でバテるようなペースで走ってきた」
あたしの肩から手を離す彼。
「だけどあんたは『ここで受け取る』って言った。なら間を繋ぐ1人がいるはずだ」
灰色の彼はあたしの頭をポンポンと軽く叩いた。
奇妙な既視感を頭が駆け抜ける。
「で、案の定そこにゃ女神が居た。ってこった」
そう言い残すと、灰色クンは手を振り学校内へ戻って行った。
こちらを振り返ることなく。
(そういえば面接の時も頭を叩かれたんだっけ)
そんな彼の後ろ姿に気を取られている間にも、平野さん達のリレーは始まっていた。
息を切らしつつも平野さんが大事そうに抱えていた篭を、優しく手で受け取る谷川さん。
そして抱えると、谷川さんはあたしに向かって一目散で走り出した。
篭の中身が気になってしまうほどに上り坂を一気に駆け上がる谷川さん。
あれほど絶望的に見えたこの光景が、たった一人の激走で一気に希望へと塗り変えられる。
そんな谷川さんの姿は、確かに『勝利の女神』だった。
そしてその女神は瞬く間にあたしの元へ駆け寄って、
「高坂さん! 徳森さんのっ、卵! たしかにっ……届けたよっ!」
息を切らし言う女神。大きく頷く私。
篭を受け取り、そのまま麻衣の待つ家庭科調理室へ走った。
卵が割れないよう細心の注意を払いながら。
麻衣が泣き出してから15分とちょっと。
東美空中の近くにある徳森のお爺ちゃんちから、卵が10個届けられたことを知った麻衣と零夜。
2人は目の前の奇跡を受け入れられず呆然としていた。
往復で6km以上ある道のりを片道の3km強に短縮した上、中間をほぼ全員が全力疾走したのだ。
地元に住んでいれば信じられないのも無理はない。
「ダメ……ねっ、こいつらっ……沢木さん! 頼んだわよ!」
息を切らすあたし。
卵を割ってしまい責任を感じていたのだろう、沢木さんは少し涙ぐんでいた。
「ええ、こんな汚名返上の機会を逃す手はないわ! 高坂さん、ありがとう!」
「お礼は、クラスのみんなに言ってよ、あたしゃ何もしてないよ。何も、出来なかった」
お膳立ては全て村松くんや佐々岡さんがしてくれた。
(あたしは……校門からここまで走っただけ)
ここに届くまでにはあたしも知らない。
あたし以上にもっと、色んな苦労や苦痛があったはず。
「でもここに卵がある、私にはそれで十分よ。10個、1つも割れてないわ。高坂さんっありがとう!」
目に溜めた涙をウィンクで小さな粒にし、沢木さんは受け取った卵をキッチンまで運ぶ。
そしてその卵を鮮やかな手さばきで割り始めた。
(沢木さん、凄っ!)
と、同時にチャイムが鳴リ16時を告げる。あたし達の役目は終わった。
このままここで料理を作る3人を見守りたい。
あと15分で三品を仕上げなきゃならないんだもの。
(応援したい)
でもそれよりもやらなきゃいけないことが、あたしには残ってる。
名残惜しい気持ちを抑えながら、
「麻衣も零夜も何やってんのよ! とっとと仕事しなさい!」
ハッと我に返る2人。
あたしは続ける。
「あたし徳森のお爺ちゃんと約束したのよ!」
「「えっ!?」
「『この馬鹿ガキ共がっ! その卵使って負けよったら、ダダじゃおかんぞぃ!』だってさっ!」
徳森お爺ちゃんが叱る時の口癖だったんだよねぇ。
『こぉの馬鹿ガキ共がっ! タダじゃおかんぞぃ!』
東美空の子供はこの台詞を聞いて震え上がるんだ。今も昔も変わらずにね。
「あんた達トーゼン、あたしを助けてくれるわよねっ!?」
(ほら、ピンチなのよあたしはっ! だからあんた達何とかして。卵は届けたんだからね)
呆気に取られる沢木さんと、目に輝きを取り戻してく麻衣と零夜。
それを確認し、あたしは校門へ戻る。
まだ、リレー走者が帰ってきてないから。
あたしの代わりに卵をここまで運んだ仲間たちの元へいかなきゃ。
「どうっ? 間にっ……あったっ? 卵、割れてっ……なかった?」
まだ息が整っていないのは、さっき坂の下でふらふらになっていた平野さん。
「大丈夫、10個とも割れずに届けられたわ。ありがとう」
そう報告するあたし。やっぱり中間に居た人はあたし以上に疲れ切っていた。
「何言ってんのっ、高坂っさん……貴女の為じゃっ、ないわっ! クラスのためよっ」
「まぁたまたー、平ノンったらクサい事言っちゃってー、照れるなよー」
そう言って平野さんを肘で突きおどけたのは勝利の女神、谷川さん。既に息が整ってる。凄い…。
「て、照れてないわよ! 万里江は余計なこと言うなー!」
「でも、無事届いて……よかった、お疲れ様ね」
おどけてみせるクラスメイトに声を掛ける佐々岡さん。
他のクラスメイトも集まってきた。
みんなの苦労を思うと、自分が何もしていないことに、凄く情けなくなった。
「ありがとう、みんなありがとっ……ぅ、あたし何も、なんにも出来なかったのに」
「こ、高坂……泣くなよ」
村松くんがあたしを慰めようと声をかけたその時、
「おーいっ! 間に合ったかーっ!」
救世主たる野元が帰ってきた。隣には本田さんもいる。
「秀樹! よくやった! お手柄だぞ! 本田さんもお疲れ様だぜ!」
村松くんは野元に駆け寄ると彼の頭を叩いて喜んだ。
「いてっ、いてぇよっ。一太ぁ!」
それに続いて佐々岡さん、谷川さんも野元の頭をペシペシ叩く。
まだ息が整いきってない平野さん、そして帰ってきたばかりの本田さんと共に、それを見守るあたし。
「そうだ高坂っ! 徳森の爺さんからっ、伝言だっ!」
「え?」
あたしだけじゃなく、じゃれ合っていた村松くんも、それに便乗していた谷川さん達もその手を止める。
伝言を一言一句漏らさず聞き取ろうと、あたしも周りと共に息を呑んだ。
「『あのお転婆弥生に泣きつかれちゃあ、東美空の老いぼれ連中は誰も断れんわい! ほら持ってけ泥棒っ!』……だとさ!」
伝言が終わると同時に声を上げて笑うクラスメイト。
「卵が間に合ったのは、高坂さんが居たからです。ありがとう」
本田さんは眼鏡の奥に優しい目を作って、あたしに微笑みかける。
「だな。今日の食材が全て滞りなく届いた事。これ自体、高坂あってのもんだよ」
村松くんも続く。
「あ、あのさ……みんなの、みんなの力ってことで、いいかな?」
あたしの言葉にみんなは目を丸くした。
「あたし、そう言うの、は、恥ずかしくってさぁ……」
顔を赤くしてそう呟くあたしを見て、みんなは再び笑い出した。
「な、なによっ! 笑わなくても良いじゃないのよっ!」
恥ずかしさで顔を真っ赤にするあたしを宥めるように平野さんが言った。
「違う違う。そうじゃないのよ。だって高坂さんって『不屈の戦姫』だなんて言われてるから、ちょっと近づきにくかったのよ。でも違ったのね。私、高坂さんが1組でよかったって思うわ」
(あたしをそんな風に思ってたのか……)
「あぁ、俺たちは最高の『戦姫』を味方につけられたみたいだな」
そんな村松くんに、谷川さんも続く。
「なーんか、私、勝てなくてもこれで満足かなー」
最高の賛辞をくれるみんな。
褒められたことなんて滅多にないあたしは、素直にそれを受け取れない。
「だぁーかぁーらっ! やめてってば! それに『戦姫』もやめっ! それに……」
一度言葉を止め、そしてあたしは続ける。
「それに……大丈夫だよ。麻衣なら勝ってくれる。絶対にね」
(そう、キッチンではその卵を使って、麻衣たちが最後の踏ん張りを見せてるはずだもの)
「そうね。ここまでやったんだもの。勝ってくれないと割が合わないわ」
「そうよ。まだよ、まだ勝負は終わってないのよね……」
誰かの言ったその言葉に、みんなは家庭科調理室の方向を見つめた。
「だよな」
そして麻衣たちに届けとばかりに叫びだした。
「神園ー! 国崎ー! 沢木ー!」
「1組は勝つわよーっ!」
「俺たちは不屈だぞーっ!」
「戦姫がついてるわよー!」
「戦姫のご加護は絶大よーっ!」
「ちょ、ちょっと! 最後のなによ!?」
みんなで一通り笑ったあと、あたしたちは充実感に包まれながら教室へ足を向けた。
(麻衣、あとは頼んだわよ……)